其之八
八
駒蔵の遺骸は首と胴をきれいに縫合してのち、牛込の松源寺で湯灌(湯で洗い清めること)の後、葬礼が行われた。
翌日には荼毘に付され、先代の相模屋武兵衛の墓の隣に、埋葬された。
これらの全てを、武兵衛と伊左衛門の二人で執り行った。
夕暮れ時に、武兵衛が相模屋へ戻ると、お艶がぼんやりと居間でお茶を飲んでいた。
「お須磨さんとお香ちゃんが寝込んじまって。ぽん太からは笑顔が消えて、部屋の隅で独りで綾取りをするばかり。……相模屋は、まるで火が消えたようだ」
「心持ちが落ち着いたら、牛込に皆で駒蔵に逢いに行こう。……なあ、お艶」
武兵衛がお艶を慰めようと肩を擦っていると、幸助が店先からやって来た。
「あのう。店はとっくに閉めました、と伝えたのですが。……藏三と仰る、旅姿で商人風のお人が、旦那様に会いたいそうです」
武兵衛は、藏三とは偽名で、彰義隊の探索掛の高梨藏三郎だと、勘走った。
急いで、店の外へ出る。川越辺りからやって来た風の、旅慣れた商人が立っていた。
明るい声で、恰も、商売の話のように、薄く微笑みながら、話し懸けてきた。
「こりゃあ、相模屋の旦那。ちょいと、谷中まで、ご足労願いたいのですがあ」
やはり、藏三郎であった。
――谷中と言えば、天王寺。……恐らく、駒蔵を殺した錦裂が見つかったんだ。
傍にいた幸助へ「帰りは遅くなるかも知れねえ」とだけ伝えると、藏三郎と歩き出した。
夕暮れの市場は人もほとんど、いない。藏三郎は低い地声に戻った。
「……彰義隊が血眼になって、探していると知るや、奴等は千住に逃げた。ところが、千住は彰義隊にとって日光街道の、謂わば要衝。屯所もある。……まさに飛んで火に入る夏の虫だった」
「では、駒蔵を殺した奴等を、捕まえて下すったんですね。……あれから、まだ三日しか経ってねえのに。本当にありがてえ」
探索掛が両国で聞き込んだ話では、暮六ツ過ぎ、駒蔵とお香は饅頭の紙包を持って、両国廣小路から米沢町へ左に曲がった。
井筒屋へ入ろうと、駒蔵はお香の傍を離れた。
その僅かな隙にお香は錦裂三人に掠われ、駒蔵が慌てて追いかけて行った――と。
「裏店の空長屋へ連れ込まれそうになっているお香を見つけて、鳶口を投げた。錦裂が怯んだ隙に、駒蔵は、お香に、誰かを呼びに行かせた。だが、駒蔵は、その直後、錦裂に首を斬られた。お香は振り返った時に、その様子を見て、半狂乱になって、走ったそうだ」
「それで、武家屋敷の小者に匿われたのですね。井筒屋の羽衣煎餅は、お艶とぽん太の好物でした。……気を遣わねえで、早く戻ってくれば」
武兵衛は息を吐くと、暮れゆく夏空を眺めた。心持ちとは真反対に、雲が優しい薄桃色に染まっていた。
護国山天王寺は、天保年間に輪王寺宮舜仁法親王の計らいで、この名となった。
元禄大仏や毘沙門堂、本坊を過ぎて、更に奥へと進んだ。
門から本坊辺りには彰義隊士が多く、屯ろしていた。
だが、先へ進むと人影はなくなり、妙にひんやりとした風が吹いてくる。
墓地の手前に大きな桜の木があった。そこでは篝火が焚かれ、小田井蔵太が立っていた。
「武兵衛さん、此奴らが駒蔵を殺した錦裂だ。一人だけ生かしてある」
蔵太の後ろには、横長に掘られた大きな穴があった。
深そうだが、土に覆われ、底は見えない。
穴の向こうには、縛られ、目隠しされた錦裂が引き据えられている。
手枷から伸びる縄をしっかりと握っているのは、毛利秀吉であった。
篝火の揺らめく光の中で浮かび上がる、女のように美しい秀吉の横顔には、酷薄な微笑みが浮かんでいた。
武兵衛は妙な色気を感じて、首筋がぞわりとする。
「武兵衛、遅いぞ。俺は待ちくたびれた。早く、残りの此奴の首を穴に叩き込みたい」
見れば、秀吉の傍には、錦裂らしき首のない死骸が二つ転がっていた。
生き残っている錦裂は震えながら「殺さんといてや」と叫ぶ。
藏三郎はいつの間にか、偽りの商人姿を解いて、探索掛の本来の姿に戻っていた。
「秀吉殿は二番隊の重立伍長のはず。此処からは探索掛たる我等が――」
右手に閉じた鉄扇を握った秀吉は、藏三郎の言葉に、大きな声を被せてきた。
「この事件は俺が糺す。西両国は二番隊の見廻り場。恥を掻かされた礼は、たっぷりとしねえとな」
容赦なく錦裂を鉄扇で打ち据えた。?や頬が切れて、痛みの余り呻き声が上がる。
「手籠めや殺しは毎日、江戸の彼方此方で、ほとんどが錦裂によって起こされている。我等が防ぎ切れておらぬ事実は認めよう。……だからとて、これ以上の蹂躙は赦さねえッ」
彰義隊頭並の川村敬三がやって来た。二十歳過ぎの賢そうな顔が、喫驚に歪んでいる。
「御頭、これは。相手が官兵であれば、公の法度に従い、奉行所へ引き渡すべきです」
勢い良く、喰って懸かった。
二人の間には、慣れのようなものが見えた。蔵太は静かに敬三へ振り返る。
「奉行所に渡せば、官軍に戻されるだけだ。この悪辣な錦裂は、此処で斬首に処する」
「我等は共に上様の助命嘆願で奔走した、恭順論の同志であったはず。だからこそ、徳川家と松平確堂様に徳川の兵とするべく彰義隊を託されました。蔵太殿は、二君に仕える気ですか。……今、貴殿が行っている行為は私刑です。これでは初期の、烏合の衆とされた彰義隊と変わらない」
「俺にとって東照神君と慶喜は同じ主君である。二君に仕えたつもりはない」
敬三と蔵太は睨み合うほどではないが、不穏な様子だったので、武兵衛が割って入った。
「蔵太様は悪くねえんで。……相模屋の仇を代わりに討って下さっているんです」
「だから、それが私刑なのだッ。法度に照らし、公正な処罰を与えるべきなんだよ」
蔵太は敬三の目の前まで近付いた。
蔵太の胸までしか背丈がない敬三は、強い眼差しで見上げた。
だが、見下ろした蔵太の眸も鋭く、怒りが噴き出さんばかりである。
「……何の罪もない心優しき夫は妻を守ろうと抗ったため、首を切られた。此奴らは、この一件だけではなく、少なくとも五件の女殺しに係わっている。独り暮らしの女の長屋に押し込み、凌辱の果てに口封じのため、殺害。その一部始終を、この三人の悪党は千住の宿屋で面白そうにベラベラと語っていた。……そうだったな、探索掛」
藏三郎は「千住の飯盛り女から聞き込みました」と返すと、更に話を続けた。
「江戸の女は肌が白くて、躰付きが好みだ、などと、笑いながら話したと」
聞いているうちに、敬三は「酷い……」と呟き、見る見るうちに顔を青くしていく。
武兵衛は最後まで聞く前に、どうしようもなく、頭に血が上った。
そうした邪かつ貪婪な錦裂の視線を浴びせられたお香を、駒蔵は命を懸けて守ったのだと、少しでも考えただけで、張り裂けそうなほどに、腹の底から、怒りが沸いてきた。
鳶口を握り、「畜生」と叫びながら穴の向こうの錦裂に投げようとした。
だが、蔵太がその手を掴んで制した。
「待ってくれ、武兵衛さん。町人は人を殺めてはいかん。人殺しは武士の本分だ」
「後生だッ、離してくだせえ。俺は……俺の本心は、此奴を殺るために来たんだ」
すると、秀吉が錦裂の頬や腹を、鉄扇で激しく何度も殴りつけた。
「武兵衛、あとどれくらい叩きのめしたいか。代わりに遣ってやるから、遠慮なく言え」
蔵太が手を離すと、武兵衛は鳶口を腰へ戻した。錦裂を睨み付け、改めて訊ねた。
「……なぜ駒蔵の首を、わざわざ魚河岸の生け簀に投げ込みやがったッ」
聞いていた敬三は驚いて、蔵太を見詰める。何も知らなかったのか、茫然としていた。
「斬った首を、生け簀へ投げ込んだ、だと。……なんとおぞましい」
「分かってくれたか、敬三。この錦裂は人ではない、人の皮を被った獣だ。法度は不要である」
その間にも、秀吉は鉄扇で叩き、「さっさと応えぬかッ」と糺した。
すると、鼻の骨が折れて、自分がこれから落とされる穴の前に、倒れ込んだ。
顔を血塗れにした錦裂は震えながら、
「女を連れ去ったら、追い掛けてきて鳶口を投げてきた。腹が立ったので、殺した。……ほやけど、わしは、あいつに見覚えがあった。先月の寛永寺を囲んだ談判の日、黒門へ入って行く魚河岸義勇軍の中に奴はいたんや。魚河岸と言うたら彰義隊に通じている敵や。ほやさけ、官軍に逆らうと神罰が下ると、思い知らしぇるため……」
最後まで言わせず、秀吉は「なにが神罰だ、仏罰を喰らえ」と更に打ち据えた。
武兵衛は軽く眩暈に襲われた。僅かにふらつきながら、叫んだ。
「義勇軍が気に入らねえなら、総大将の俺を襲えばいい。幾らでも受けて立ってやるッ」
敬三は聞いているのが辛すぎて、額に手を当てながら、息を整えた。
「本日は、引き下がります。ですが、蔵太殿。まもなく、新しい御頭が決まるのです。……公正さを欠いたら、大きな軍は保ちません。――以上、忠告しておきます」
起き上がってきた錦裂を鉄扇で再び殴りながら、秀吉が反論した。
「以前は義理でも父子だったんだろう。だったら、御頭様の苦労を何故、分かろうとせぬ」
武兵衛は驚いた。敬三は蔵太の養子であった――ようだ。秀吉は続けた。
「昌平坂学問所で俊才と言われた頭なら察しろよ。貴殿と親しい、元一橋家家臣の渋澤成一郎が好き放題やって脱走した後、御頭様は寛永寺と懇意となり、彰義隊を立て直した。先ずは御頭様の功績を讃えるべきであり、苦言ばかり垂れるのは非礼千万であろう」
敬三は苦しそうに、呟いた。
「寛永寺の覚王院が説く主戦論は到底、受け入れられない。拙者は恭順論を譲れぬだけだ」
言い終わると、立ち去ろうとした。
すると、蔵太は敬三の背中に語り懸けた。
「……彰義隊は江戸の人びとと合力することで成り立っている。魚河岸義勇軍が我等へ力を貸してくれたせいで官軍の暴力に遭ったのなら、どんなに無法と言われても、俺は仇を討つと決めたのだ」
声には確乎たる決意が滲んでいた。
脚を止めていた敬三は小さく頷き、また歩き出すと、暗闇に消えた。
蔵太は静かに刀を抜いた。
藏三郎を従えて、ゆっくりと大穴の横を過ぎて、官兵の背後に立った。
秀吉は鉄扇を下げると、縄を持ったまま、傍に侍した。
武兵衛は穴を挟んで、蔵太を見詰めた。
晒し首や生首は知っているが、斬首を見るのは初めてである。
妙な汗が噴き出してきた。蔵太は刀を構えたままで、錦裂に訊ねた。
「最期に答えよ。何処の家中の兵であるか。この殺しは、総督府の指図なのか」
蔵太の強い殺気に、血を流しながら、錦裂は全身を震わせた。
「総督府は係わってへん。自分たちで勝手にやったこっちゃ。生国は若狭、酒井家……」
仕舞いまで言わせず、蔵太は首を落とした。
余りに鮮やかな腕前で、音もしない。
首は穴にゴロゴロと落ちていった。蔵太は穴に落ちた三つの首に語り掛ける。
「お前共が殺した駒蔵は、もっと恐ろしい想いをしたであろうよ」
すると、暗がりに隠れていた天王寺詰めの隊士が、数名ほど現れた。
穴に土を入れて、首が見えなくなるまで埋めると、手慣れた様子で首のない遺骸を何処かへ運んでいった。
刀の血を洗い、清めて拭うと、鞘に納める。蔵太は武兵衛の前にやって来た。
「……御主の気が晴れたとは思わぬが、これで堪えてくれるか」
手拭で汗や涙を拭くと、武兵衛は大きく頷いた。
「蔵太様、お手ずから首を刎ね、仇を討って頂き、ありがとうござんした」
武兵衛は涙を堪えながら、頭を下げた。
すると、蔵太は安堵したように、薄く微笑んだ。
「良かった。……掛け替えのない互いの絆を、貪婪なる錦裂なぞに、壊されたくなかった」
驚いた武兵衛は、涙を引っ込めて、蔵太を見つめた。
「……そんな、絆だなんて。勿体ねえや」
「武兵衛のことは友のように思っている」
友人、と言われて、武兵衛は照れた。
「……俺のような魚屋を友人だなんて。お武家様とは身分が違いますぜ」
蔵太は、真顔になった。
「俺は、武家だ、町人だなどと、分けて考えてはいない。身分など関係なく、友は友だ」
なんだか、こそばゆくなったので、武兵衛は話を変えた。
「……先ほどの、敬三と仰る御方は、あのままでよろしいのでござんすか」
蔵太は力なく笑った。寂しさを振り切りたいのに、まだ未練が残っている様子である。
「在京の頃に親しかった、川村恵十郎殿の義弟でな。絆を固めんと、敬三を養子とした。だが、一年前、横浜英語伝習生に選ばれた際に、あれが望んだから、川村姓に戻した。ちょうど、お結が駒太郎を懐妊した時期だ。……小田井家に実子が生まれるからと、身を引いたのだろう。そういう気遣いの細やかな、優しい子なのだ」
「なるほど……。左様にございますね」
「敬三は、非凡なる才の持ち主で、今でも横浜で学びたいだろうに。確堂様の命で彰義隊に入る仕儀となった。……俺が頭に任じられたせいだ」
「敬三様は、恭順論だとか。……宮様の御動座や官軍に抗する主戦論には異論のようで」
武兵衛はやや遠慮がちに述べると、蔵太は逸らすことなく、真っ直ぐに見詰めてきた。
「互いに相容れなくなったのだ。江戸にやって来た錦裂がもっと大人しくあれば、俺も恭順論のままであっただろう。だが、市中取締の責務を担い、実際に江戸市民を守る役目となってから、この江戸を奴等の手から取り戻さずにはおれなくなった。……俺も決めた道だ。変節したと誹られても、この道は譲れぬのだ」
言葉とは違って、篝火に映し出された蔵太の眸は、微かに揺らめいていた。




