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其之七

       七 


 武兵衛と一緒に相模屋に帰ったお香は、店の(みんな)に出迎えられたが、誰よりも先にお香にしがみついたのは、ぽん太だった。


「……お姉ちゃん、お姉ちゃん」


 とそれだけを繰り返して、大泣きとなった。


 お香も、泣きながら、ぽん太の頭を擦った。


「もう安心したろ、ぽん太。昼寝の刻限だ、二階へお行き」


 ぽん太はお艶にあやされて、二階に連れて行かれた。


 すると、入れ替わるようにして、おぼつかない足取りで、お須磨が階段を下りて来た。


 お香はお須磨を見るなり、涙をたくさん流しながら、たどたどしい言葉を呟いた。


「ごめん……なさい。あたし――のせいで。駒蔵さん、は、あたしを守ろうとして……」


 お須磨は、お香の肩を優しく擦った。


「お前さんだけでも、生きていて良かった。……あたしは(つね)(づね)、駒蔵に、何よりも先にお香を守れる男におなりなさい、と言ってきたの。あの子はその通りにしただけですよ」


 お香は、その場で泣き崩れた。病身のお須磨は、ようやく膝を突くと、


「疲れているでしょう。このままじゃ風邪を引いちまうよ。誰かに湯屋に連れてってお(もら)いなさい。帰ってきたら、ぐっすり眠るの。いいかい、お香。今は何も考えなくて良いからね」


 と抱き締めながら、静かにお香の背中を擦った。


 お香は、お須磨の胸の中で、言葉にならないまま、泣き叫んだ。


 お梅が付き女中のお瀧とやってきて、いつもと変わらない様子で、


「お香、湯屋に付き合っておくれよ。雨が続くと、心持ちがクサクサしてくるだろ。湯でさっぱりしたいんだ。……さあさ、一緒に行こう」


 声を懸けてきた。(まぶた)を真っ赤に()らしたお香は、お梅の口許を読み取って、頷いた。


「じゃ、武兵衛さん。後は頼んだよ」


 お梅が武兵衛に合図して、お瀧と共に、お香を湯屋に連れ出した。


 ぽん太を寝かしつけて戻って来たお艶に、武兵衛が尋ねた。


「店の連中は何処まで知っているのだえ」


「朝の生け簀の話は、もう魚河岸に広まっているよ。……お前さんが、彰義隊に呼ばれて行ったことも。それらを(つな)ぎ合わせて、駒蔵は(キン)(キレ)に殺されたに違いないと、噂が飛び交ってね。仕事が終わった若い衆から御納屋に集まり始めて、仇討ちに行くと騒いでいるそうさ」


「もうじき、駒蔵の遺骸が運ばれてくるが――。皆に見られねえほうがいいな。魚河岸に入れねえで、相模屋の菩提寺に預かって貰おう。牛込の松源寺に、手代を行かせてくれ」


「あいよ。……朝方、離れに隠したアレを持たせたほうがいいね」


 一番番頭の伊左衛門が、話に割り込んできた。


「でしたら、しっかりと風呂敷で包まなくてはいけませんが……。手代ではなく、寺へは、わたしが行きます。葬礼も相模屋の内々で終えましょう。旦那様は、急いで御納屋に参り、義勇軍の若い衆を(いさ)めてください」


「……だが荷揚軽子の葬礼の相談に、お前さんが行ってくれるのかえ」


「ふつうの軽子だったら、手代に行かせますがね。駒蔵は、旦那様の妹分の夫であり、義勇軍で留吉を救った、本当に良い子でした。()()はわたしの出番かと」


 どうやら、伊左衛門は駒蔵を気に入っていたらしい。

 いや、番頭だけでなく、相模屋の店の者は、誰しも、機転が利く、善良な駒蔵が大好きだった。


「……済まねえが、頼んだぜ。手代を遣わして、彰義隊(はい)()の小者が押してくるだろう荷車を、魚河岸に入る前に止めて、牛込に向かわせてくれ」


「そんなこと、言われなくとも、こちらでやっておきますよ。……ほれほれ、速く。御納屋へ行かれませ。」


 伊左衛門にせっつかれて、武兵衛は、江戸橋へ走った。


 御納屋の玄関では、(まぐろ)(ぼう)(ちよう)や、鳶口が並べられ、その先で、研ぎ師が順番に刃を鍛えていた。


 提灯や竹槍も並べられて、さながら、()(しゆう)の支度のようであった。


 広間のほうからは、大きな声が聞こえて来た。


「おい、皆の衆。駒蔵の仇を討ちに、今すぐ、総督府へ討ち入りに行くぞーッ」


「落ち着きなさい、まだ官軍の仕業なのか、それすらはっきりしていないのだぞ」


 (いさ)める佐兵衛の声も、耳に入って来た。


 広間へ続く廊下を行くと、途中にいた義勇軍衆が「総大将」「兄ィ」と声を懸けてくる。


 当然、討ち入りの下知に来たのだと、声に期待が込められていた。


 広間に入りながら、武兵衛は、大きな声で、これを否定した。


「いいか、義勇軍の討ち入りはなしだ。……この一件は、相模屋の軽子に起きた事件だからな。彰義隊に(すべ)てを預けてきた。義勇軍は手出し無用だ、いいな」


 官軍の陣に殴り込みをかけると息巻いていた義勇軍衆は、武兵衛に詰め寄った。


「駒蔵は義勇軍の仲間だったんですぜ。今、この場で、官軍へ討ち入る(せい)()を立ててくだせえよ。……その上で、駒蔵の仇討ちの先陣を切るのが、総大将の役目ってもんだぜ」


 武兵衛は、落ち着いた声で、説得を始めた。


「これは相模屋の一件であり、義勇軍には係わりのねえ話だ。……総大将の俺が決めたからには、従ってもらうぜ」


 まだ話の初手だが、魚河岸の若い衆は激揚し、顔を紅潮させて叫んだ。


「生け簀に首を放り込まれて、黙っていられっかよ。こいつは、義勇軍だけじゃねえ、魚河岸衆へ戦争を仕掛けたも同じだ。……だったら、受けて立ちましょうよ、総代」


 駒蔵と親しかった留吉は火のような怒りを露わにした。

「俺は駒蔵に命を救われた。駒蔵の弔い合戦をしなきゃ、(おとこ)が廃るってもんだ。……今夜にでも(キン)(キレ)の本陣へ討ち入ると言って下せえ。頼むから、武兵衛兄ィ」


「いいや、討ち入らねえ」と武兵衛は(こら)えながら、首を横に振った。


 誰かが「総大将らしくねえぞ」と騒ぐと、佐兵衛が言葉を遮った。


「武兵衛さんは、義勇軍を守るために私怨を捨てて、彰義隊に任せる覚悟を決めたのだよ」


 留吉が「だいたい彰義隊がなぜ()()に出てくるんだ」と騒いだ。


 いつの間にかやって来ていた甚兵衛が「彰義隊へ頼んだのは、副将の俺だ」と落ち着いた声で語り、更に続けた。


「皆の悔しい心持ちは、よく分かる……。俺とて官軍へ討ち入りてえさ。だが武兵衛さんはその思いを(こら)えて、彰義隊の吉報を待っているんだ。どうか、(りよう)(けん)してくれ」


「彰義隊が動いてくれるなら、御番所よりも頼りになるけどよお。でも、なぜ魚河岸に、そこまで……」


 義勇軍の若い衆は、気勢が尽き果て、落ち着きを取り戻しつつあった。


 (ころ)()いだと感じて、武兵衛が口を開いた。


「俺は義勇軍から、もう一人も犠牲を出したくねえ。御頭の蔵太様も同じ考えだ。だから、義勇軍の代わりに仇を討って下さると、誓っても下すった。俺は蔵太様を信じる」


 留吉は驚きと喜びで眼をまん丸くしたかと思うと、きゅっと唇を引き結んで、頷いた。


「御頭様が。だったら、確かな話だ。仇討ちは彰義隊に任せますぜ。なあ、……みんな」


 義勇軍衆は「彰義隊なら」と納得した。


 説得はとりあえず、成功したようであった。武兵衛には、もう一つ言っておく話があった。


「皆に頼みがある。駒蔵の葬礼は、相模屋の店ではなく、菩提寺のほうで行うつもりだ。それも、これも、生き残ったお香のためだ。……どうか、あいつの心の(きず)が落ち着くまで、そっとしておいてやってほしいんだ」


「お香さんは、大丈夫だったんですね」


 留吉がホッとした顔になったが、武兵衛は、表情を崩さずに続けた。


「怪我はねえんだが。駒蔵が死んだのを、自分のせいだと思っている。……彰義隊の探索は続いているから、事件のはっきりした(てん)(まつ)はまだ分からねえ。だが、お香も駒蔵も悪くねえ。それだけは、分かっている。だから、皆には、お香の心持ちが落ち着くまで、静かに見守ってやってほしいんだ。……もし、川に飛び込もうとしていたら、止めてくれ」


 若い衆に衝撃が走った。怒りにまかせて騒いでいたが、お香の心中を思い遣ることで、この時になってようやく、駒蔵がいなくなったという、強い喪失感に襲われた。


 留吉が涙を浮かべて、呟いた。


「あの二人、すんごい相惚(あいぼ)れだったもんなぁ。……つまりは、お香さんが、駒蔵の許へ行きたくなるかもしれねえってことですね」


「そうだ。せっかく駒蔵が守った、お香の命だ。皆も、一緒に守ってやってくれ」


 広間の()()()()から、(すす)り泣く声が広がった。



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