表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
48/79

其之五

其之三へのリアクション、ありがとうございます。

御礼がいつも遅くなりまして、申し訳ありませんっっ

      五


 寒松院の本陣に戻る途中で、覚王院が従僧や天野八郎と共にやってくる姿が見えた。

 

 秀吉に銃を渡した蔵太と共に、武兵衛は、険しい顔をしている覚王院の許へ急いだ。


 覚王院は、蔵太の姿を見つけるなり、口を開いた。


「衆議の結果は、『(いな)』である。敵兵を引かせる策はあるか、蔵太。()(いん)(きよ)(ぶつ)(そう)(いん)(さま)のお怒りが(はなは)だしくてな。明日まで兵がおったら、(ぜん)(ざん)(しゆう)(そう)(あお)って、過激な行動に出られるだろう。そうなったら、もう(おさ)えきれなくなる」


 蔵太は山内の事情を知っているのか、すぐに頷いた。


「刺し違えても、(せつ)(しや)が、兵を引かせましょう。……上様が水戸へ()退()かれた際、行き場をなくしかけた彰義隊は、覚王院様の()()()(すく)われ申した。(もと)より(かく)()(まえ)にござる」


 清水観音堂へ着くと、既に辰五郎が、官軍の相手をしていた。


「さっきから、蚊に喰われまくっておる。何とかならんか」


 津田山三郎が、頬を叩きながら、ぼやいていた。辰五郎が煙管を手に首を傾げた。


(にぎり)(めし)と共に、()(やり)も届けたはずでござんすがね」


(めし)と茶は届いたばってん、蚊遣は来んかったぞ」


 のんびりと煙管を(くわ)えながら「そりゃあ失礼」と応えた。


 武兵衛は笑いを(こら)えた。


 ――(りゆう)()(たい)の連中も、なかなかやる。蚊遣は、わざと忘れたんだな……。


 蔵太と覚王院、八郎が席に着いた。


 ()いてきた従僧が大きな蚊遣を置く。蔵太が口を開いた。


「衆議が終わり申した。決議は『否』。以上により、(ほく)(りく)(どう)(ちん)()()の寛永寺への転陣、並びに彰義隊の立ち退きもすべて、(しや)(ぜつ)させて(いただ)く。(ただ)ちに(へい)を引き、お帰り下さい」


 三郎は怒りで大きく眼を(みひら)き、立ち上がった。


「これだけ待たせておいて、まさか、(から)()で帰すつもりじゃなかやろうなッ」


覚王院は座ったまま、静かに低い声で、反論の言葉を(はつ)した。すると、覚王院が応じた。


(そもそ)も、身勝手なのは其方(そのほう)(ども)ではないか。いきなり兵で山を取り囲み、何の書状も見せぬまま、談判に及ぶ。(とう)(えい)(ざん)におわす宮様に対して、()(けい)()(ちゆう)(きわ)みと(ぞん)ずるか、(いか)()


 三郎が言葉に詰まり、黙ったまま座ると、仙三が代わった。


「宮様に対して、左様な()(そん)な態度は取ったつもりはござらん。(われ)()は北陸道鎮撫史の……」


いきなり、蔵太の怒声が(さえぎ)った。


「夜まで大砲を向け続けている以上、()(はや)、不遜を超えて、無礼千万ではござらぬか。即刻、兵を引かれい。後日、総督府の正式な命令書を持参し、改めて使者のみ出向(でむ)かれよ」


 仙三を手で制し、三郎が大声で蔵太へ叫んだ。


「こぎゃんと談判やなかッ。直ちに大砲ば撃ち込んでやる」


 蔵太はゆっくりと立ち上がると、今度は静かな声で返答を行った。


「戦争を望まれるならば、幾らでも()(あい)()(いた)そう。さりながら、一つの丘山(きゆうざん)の取り合いで、互いの兵が多く血を流すなど、(あま)りにも(おろ)か。場所を取り決め、()殿(でん)(せつ)(しや)(いつ)()()ちにて勝敗を決めようではないか。……何なら、今すぐ、()()でも構わぬが」


 武兵衛は、蔵太の横顔を見ていた。


 三郎を射抜く勢いで、()()ぐに()()める蔵太の(ひとみ)には、獣を倒そうほどの殺気が(みなぎ)っている。


 初めて見る蔵太の表情に、心底――(しび)れた。


 三郎はおろか、仙三までが、蔵太の鋭い眼光に射竦(いすく)められ、躰が動かせなくなった。


 蔵太は、身幅があり、長大さで名を馳せた、(こう)()(しよ)(こしら)えの()()った大刀を見せた。


 以前に差していた刀とは違っていた。


 (さや)ごと腰から抜くと、左手で持ち、三郎の前に近づけた。


「剣術が()()()ならば、(そう)(じゆつ)でも、(ほう)(じゆつ)でも()(あい)()(いた)す。さあ、選ばれよッ」


 蔵太は返答を迫った。


 だが、三郎は何も言葉を出さず、(つい)に、蔵太から眼を()らした。


 落ち着きを取り戻した仙三が「命令書があれば()いのだな」と念を押す。


 (かん)(ぱつ)を入れず、覚王院が応えた。


「再び衆議に掛けることになる。恐らくは、決議もまた、(いな)となろう。その際には、本日の宮様を(とう)(ばつ)せんとする兵の動きが、誰の(めい)によるものか。その(せき)(きび)しく(つい)(きゆう)する」


「いや……宮様を(とう)(ばつ)などと、(われ)()は――違う。ただ、彰義隊を移陣させるために……」


 蔵太は、再び(あわ)てた仙三を(にら)みながら、強い口調で()()ちを懸けた。


「彰義隊を立ち退かせる手段だとしても、東叡山を包囲すれば、宮様へ(やいば)を向けたも同じだ」


 三郎が急に立ち上がって、大きな声を出した。

    

「……本日は兵ば引き、後日、改めて使者ば立て、移陣ば命ずることにする」


 言い終えると、黒門へ向かって歩き出した。仙三ともう一人も、慌てて、追い掛けて行く。


 使者がいなくなると、蔵太は、ふっと息を吐き、肩の力を(ゆる)めた。左手に持っていた大刀を腰に差し直す。


()()り武兵衛を()()て、(しら)()を突きつけようか、迷った。(どう)(かつ)()(げん)(むずか)しいな」


「もし一騎打ちではなく、戦争だと相手が騒ぎ出したら、どうなさるおつもりでしたんで」


 武兵衛が尋ねると、蔵太は笑いを(こら)えるようにしながら、応えた。


「官軍の使者からは殺気や戦意が、()(じん)も感じられなかった。だから仕掛けてみたのだ」


 黒門に詰めていた彰義隊士が「松」と合語を叫びながら、坂を駆け上がって来た。


「……只今、(しの)(ばずの)(いけ)(しん)(くろ)(もん)、並びに(ひろ)(こう)()の官軍に動きが。引くようにございます」


 八郎が「風。御苦労であった。引き続き、()(もん)をお守りせよ」と返した。


 聞いていた覚王院の眉間の(しわ)が和らいだ。手拭で(ひたい)の汗を(ぬぐ)う。


「蔵太の機転のお陰で助かった。これで仏舟院様のお怒りも(しず)まろう。明日まで長引いたら、どうなっていたことか。御神慮を(たつと)ぶあまりに、当山一の激徒でいらっしゃるからな」


 蔵太は座り直すと、少し声を抑えて尋ねた。


「明日の衆議も荒れそうですな。……仏舟院様に()(とな)える者は誰でしょうか」


「宮様の(けい)()(ばん)因幡(いなば)(のかみ)殿、()(よう)(にん)()(しま)()()(のかみ)殿の両人が、『宮様を朝敵に(おとしい)れるだけだ』との意見を持ち、日光山への御動座と大号令について、(がん)(きよう)(いな)やを申し続けておる」


「本日の官軍の動きですが、裏が有るように考えます。()(ほん)(たい)(ぎやく)の意の噂――などと申していたが、宮様の脱走の件を漏らした者が、東叡山の中におるはず。……今の二人では」


「確かに、怪しむべきだな。……因幡守、伊勢守について調べてみるとしよう」


「助かります。彰義隊は()(ほん)(ぼう)には、(よう)()に立ち入れませんので」


 二人の話が終わったので、辰五郎は(おもむろ)に立ち上がった。


龍虎(われ)()はこの夜のうちに、山内へ入れぬように、(さく)(やぶ)れを確かめておく」


(かたじけな)い、辰親方。……(かく)(べつ)、谷中門から天王寺(あた)りは(ぜい)(じやく)だ。よろしく頼みます」


 辰五郎は蔵太の言葉に頷くと、武兵衛に「では」と声を懸けて、観音堂を去った。


 武兵衛は蔵太の(たん)()にまだ酔いしれていた。


 誰かに話さないと、眠れないぐらいだ。


「蔵太様。先ほどの(こう)(じよう)、本気で痺れましたぜ。北陸道鎮撫府が無理を通して、彰義隊を東叡山から追い出そうとした本日のひでえ談判の話と共に、是非とも江戸の人びとに教えてえんですが。魚河岸から()()()()流せば、一日で江戸中に知れ渡ると思うんですがね……」


 蔵太と覚王院は、それぞれが「名案だ」と返した。格別、蔵太は眸を耀かせる。


「これは大きいぞ。俺の口上はさておき、()()、宮様へ大砲を向けた、官軍の横暴を江戸市民に知らせてくれ」


「噂ってえのは、面白くねえと広まらねえんで。ちょいと()(ひれ)を付けさせてもらいますぜ」


 武兵衛は朝が早いので観音堂を辞した。


 本陣にいた義勇軍の一番組に声を懸けて、山を下りた。


 帰り道を歩きながら、談判の(てん)(まつ)を面白おかしく、少し(おお)()()に話して聞かせた。


「……彰義隊頭の小田井蔵太様が、やおら大刀(たち)を抜き、官軍(ばら)に突きつけてよう――」


 翌朝の魚市場では、前日の上野山での談判の話で持ちきりとなった。


「『上野山の取り合いで、兵が多く血を流すのは、余りにも愚かじゃ。貴殿と拙者の一騎打ちにて勝敗を決めん』と小田井様が(たん)()を切った。すると、官軍の奴らは(すく)み上がっちまって、這這(ほうほう)の体で兵を引いて帰っちまったってんだから、まあ、ひでえ(おく)(びよう)(もの)だよなァ」


 と見て来たように、口から口へ伝わり、蔵太の武勇談が語られた。


 寄席でも()ぐに、(こう)(だん)()が語って聞かせて、人気を得た。


 江戸市民は溜飲を下げると共に、彰義隊への信頼を一層、高めた。


「俺っちには、上野宮様がいるし、彰義隊が守ってくれている。これで終わりじゃねえ。……まだ諦めちゃいけねえんだ」


 もしかしたら、彰義隊が、官軍を追い払ってくれるのではないかと、そうした希望に、江戸市民は(すが)った。 


 三月に江戸から避難していた市民や武家の妻子が、徐々に戻り始めた。


 だが、夜盗が多く、混乱の巷であることに変わりはない。


 とは言え、官軍の暴力が彰義隊に抑えられていると知り、住み慣れた江戸へ帰りたくて仕方のなかった者たちが、()えきれずに、家路に()いたのである。


 四月二十四日、(とう)(かい)(どう)(ちん)()(そう)(とく)()は「彰義隊は、より一層、(せい)(ひつ)を守るように」とした上で、上野への転陣を取り止めるとの(たつし)を出した。


 同時に、官軍に対する、江戸城下の殺気が解消しないことから、江戸市民が慣れ親しんでいる、旧江戸町奉行の石川河内守と佐久間鐇五郎へ、市中の取締を命じた。

 

 敵対視しつつある彰義隊に主要な御門の(けい)(えい)を任せるのみならず、市中取締の権限さえも、旧町奉行に戻さざるを得ない。


 官軍の江戸城下の奪取は、途上とはいえ、(さん)(たん)たる情勢であった。


「もっと追い込まれて逃げ出すがいいや。大砲はなくとも、町人には口がある。それを武器に戦ってやる。俺っちの手で江戸は(きつ)()、取り戻してみせるぜ」


武兵衛は相模屋の奥で煙草を()いながら、静かに魂を熱くしていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ