其之三
更なるリアクションをふたついただき、ありがとうございました!
御礼が遅くなりました(汗)
(いまだに投稿になれていなくて、そちらであたふたしています)
三
清水観音堂へ着いた。
平素ならば、見物衆で賑わうが、山門が〆切となっているため、閑散としている。
江戸の名所とされる月の松も、どこか寂しげであった。
観音堂には、官軍の使者が先に着いており、用意してあった寺院の椅子に座っていた。
北陸道鎮撫使参謀、細川家家臣の津田山三郎のほか、若狭からは行方仙三、佐賀からも一人が談判に加わっていた。
蔵太、覚王院、八郎が座り、辰五郎と武兵衛は後ろに控えた。
「後ろん町人は何や。邪魔やなかか」と津田山三郎が最初に声を発した。
蔵太が厳しい顔で、唾を返した。
「御城を明け渡した今、江戸御城下の市民にとっては、御城の出城たる、この寛永寺が魂の拠となっておる。この度は、上野の御山に係わる談判ゆえ、江戸市民の新門辰五郎、相模屋武兵衛の両人を見届け人として定めた。江戸の人びとを慰撫せんと総督府では躍起になっておると聞くが、両人を外せば、悪い噂が……」
痛い処を突かれたのか、不快の感情を露わにしながらも、渋々ながら承諾した。
「分かった。好きにせい……」
代わって、行方仙三が続けた。
「北陸道鎮撫史にあらせられる高倉様、四条様より命を受けた。上野寛永寺への転陣を直ぐにも始めたいと存ずる。……同時に、彰義隊には浅草東本願寺の屯所へ移ってもらう」
言い終わらないうちに、天野八郎が反論した。
「彰義隊が上野の御山に本陣を置くは、御城より運び出されし、数多の徳川家の宝器、名器をお護りするため。……彰義隊が浅草へ移ることなど、無理な話である」
更に、覚王院が低くよく通る声で続けた。
「彰義隊が移陣するためには手続きが要る。寛永寺の衆僧に諮り、是か否か決まらぬまでは、返答のしようもない。……兵を引いた上で、後日、改めて、参られるがよい」
三郎が立ち上がり、恫喝するような大声で、捲し立てた。
「そぎゃん悠長なことは言うていられんッ。こちらが兵を引いた隙に、輪王寺宮様が脱走せんとも限らんやなかか。官軍には、輪王寺宮様に謀叛大逆ん意思があるとん噂が聞こえとる。俺ば騙そうとしたっちゃ徒を焼くだけやぞ。官軍ば舐ぶりなすなや」
小田井蔵太は立ち上がると、静かに、しかし、強く太い声で返した。
「其方が官軍ならば、我が彰義隊は、東照神君の御神慮を遵奉する天兵なり。どちらにも等しく大義があるのは承知しておる。……故に、余り見苦しき談判は控えたいものだが」
武兵衛は、小声で辰五郎に尋ねた。
「天兵ってのは、どういう意味ですかえ」
「帝や偉れえ人が遣わす兵のことだ。官軍と同じ意味さね」
聞き終えた武兵衛は「天兵」なる言葉に深く感じ入った。
すると、覚王院も立ち上がった。
「宮様は、伏見宮様の御子にて、仁孝帝の猶子にてあらせられる。左様に尊き御方へ砲門や銃口を向けるは、朝敵の謗りを免れぬ所業ではないかッ」
低く大きな声が観音堂に響き渡る。蔵太が引き継いで、続けた。
「今、官軍が宮様へ砲門を向けておる行為は、禁門事変にて、長州が禁裏御所へ向けて発砲した際に、朝敵とされた件と全く同じでござるが、如何」
三郎は言葉に詰まり、黙りこくった。すると、仙三が代わった。
「先ほど、衆僧による決議が成るまでは返答できぬとの話だったが……。後日ではなく、本日中に決めてくれぬか。返答次第では、当方も総督府へ相談せねばならぬ故」
覚王院が立ったまま、応えた。
「寛永寺には大勢の僧がおる。決議が出るまで、どれほど掛かるか知れぬ」
「本日中に決めるなら、此処で待ってやる」
覚王院は蔵太にチラと目配せすると、互いに頷き合う。
「では、談判を休止致し、今から衆僧に諮って参る。一旦、広小路へ戻られては」
仙三も三郎と密かに小声で相談し合う。互いに納得してのち、仙三が応えた。
「いや、この観音堂で待たせてもらう。……なるべく早い返答を待つ」
覚王院と蔵太、八郎が席を立つ。辰五郎も従いて行く。
どうしても、腹の中にある想いを言ってやりたくなり、武兵衛は仙三に話し掛けた。
「上のほうで勝手に取り決めて、天下がすげ替えられちまって、江戸市民は困惑しておりまさ。俺っちは、昨年、薩摩に散々と酷い目に遭わされて来た。年が明けたら、その薩摩や長州が徳川様を追い出して、今では、御城に居座り始めた。しかも配下の錦裂が我がもの顔で江戸でのさばり、女を強淫し、男を斬り殺すなどの蛮行を続けている。……もし、新しい天下様を名乗るのなら、ほんの僅かでいいから、正義を見せてくれませんかね」
仙三が不快な顔になって、言い返してきた。
「なんや、その態度は。町人のくせに」
ここで暴れるつもりはない。ただ溜め込んだ想いを、直接に伝えたかっただけだ。
「……それが無理なら、そちらさんが江戸府外へ転陣してはくれねえですか。それだけで、俺っちの気は済むんでござんすが」
「江戸の町人なんぞ、どうでもいいんや。こちらは、回天の壮挙をしっかりと地固めしたいだけや。……ったく、無駄話しよって」
無駄――だと。ああ、そうだな。てめえに何を伝えようとした俺が無駄をしたぜ。
武兵衛は、もう一つだけ、無駄をしようと決めた。最後っ屁というやつだ。
「江戸っ子ってやつは、受けた仕打ちは死ぬまで忘れねえ。必ず、小さくても仕返しをする。……淡泊に見えて、存外、執念深いんですぜ。それだけは、肝に銘じておいてもらいましょう」
言い終えると、相手の顔も見ないで、さっさと、観音堂を出た。
八郎が笑顔で待っていた。
「粋な啖呵だったな。……俺は上野の名主の倅で、訛っているから、江戸言葉に憧れる」
「おや、八郎様は、お旗本でござんしょう」
武兵衛が見ると、八郎は悪戯っ子のように、鼻の頭をクリクリと指先で掻いていた。
「最初は、自ら名乗った。それが、いつの間にか、本当に旗本になっていたのだ」
声を出して笑いながら、八郎は蔵太のほうへ、走って行った。武兵衛は感心した。
「本物にしちまったんだから、そりゃ、旦那の才覚だ……。お見事ですぜ」




