其之八
初リアクション、いただきました。
宇宙の片隅でひっそり書き上げようとして始めた作品なので、
連載の励みになります。
ありがとうございます!
八
廊下へ出ると、女郎や客が遠巻きにして見ている。
縄で縛られている狂介が、小声で脅して来た。
「わしに何かあれば、長州軍が動く。只では済まんぞ」
縄を持ちながら、武兵衛は相手の背中を小突いた。
「威勢は良いが、自分の姿をじっくり見ろ。助平心が命取りだったな、錦裂さんよ」
武兵衛の言葉が耳に入った客や女郎が、大声で笑った。
一階へ下りると、小稲と庄三郎がいた。
小稲は武兵衛ではなく、秀吉を熱い瞳で見詰めた。
「ありがとうござんした……。主さんの御名を聞かせておくんなんし」
秀吉は凜凜しく振る舞っていても、まだ二十歳前の若さ。
錦絵ではなく、目の前に立つ生身の小稲を見ると、僅かに頬を紅潮させて、早口で答えた。
「二番隊、重立伍長の毛利秀吉……」
武兵衛は、照れている姿を必死に隠そうと振る舞う秀吉が可愛くなってきた。
出口に、甚兵衛が待っていた。「四人のほうが心丈夫だろう」と従いて来る。
四人で番屋へ錦裂を連れて行くと、同心と御用聞きが右往左往していた。
「噂が飛び交っておりますぞ。……今日は、とんでもない大物が釣れたと」
同心が上擦った声で、秀吉に話し懸ける。
小稲にポッとなった顔は、もう改まっていた。
「新吉原ほど、便利な鼠捕りはない。向こうから、どんどん罠へ飛び込んでくるからな」
縛られた三人は、番屋の奥の畳の上に座らされた。
秀吉の言葉で、福田?平が気付いた。
「鼠捕りと言ったな。……今まで、官兵で新吉原から戻らだった者が数十人いるが、よもや……」
秀吉が女能面のように、何処までも冷たい、薄ら笑みを浮かべた。
「糾問所へ連れては行くが、用が済めば帰している。……もっとも、帰り道を間違えて、西方浄土――いや、手前らの一味だから黄泉比良坂へ行っちまった奴もいるかもしれんな」
「嘘を吐け、拷問した後、殺しちょるんじゃろうッ。この、人殺しめッ」
秀吉は鉄扇を取り出した。?平を殴らずに、三人目の男の前に立った。
「山県狂介、福田?平は分かった。……花鳥に乱暴を働いた手前の名を聞いていなかった」
鉄扇で強く肩を叩くと、「飯田竹次郎だ」と自ら名乗り出た。
「ほう、此奴も司令だ。……相模屋さんとお連れの旦那。こりゃ、祝盃を挙げねば」
武兵衛は「庄三郎さんに手配を頼んで参りましょう」と言うや、甚兵衛と番屋を出た。
稲本楼へ戻ると、庄三郎を始め、井筒や小稲までが、店先で何やら支度をしている。
「庄三郎さん、いったい何の騒ぎだえ」
「嫌な錦裂を追い払った御祝に、樽酒を振る舞おうと決めましたので」
「ちょうど、彰義隊の毛利様と祝盃を挙げようと話をした処だ。樽酒は俺らに……」
「いいえ、本日は稲本屋の祝事ですから。どうか、お二人も呑んでいって下さい」
すると、新吉原の大通りは、戦勝祝いの勢いで、賑わい始めた。
「この度は彰義隊、並びに日本橋魚河岸義勇軍に、お世話になりました。新吉原はずっと錦裂に手を焼いていたので、本日は溜飲を下げましてございます。皆様、楽しんで下さい」
庄三郎の音頭で、四斗樽の鏡が抜かれた。
何より、皆を驚かせたのは、小稲が襷掛けで自ら酒を振る舞い始めたことだ。
「小稲花魁の手ずから酒を注いでもらえるなんて。二度とねえぞ」
たまたま居合わせていた客が、稲本楼の店先へ詰め掛けた。
小稲だけではない。
番付上位の人気の女郎が、彰義隊へ感謝を伝えるように、将棋の駒の簪を挿して、枡を渡してくる。
武兵衛は、髪を直した花鳥から酒を受け取った。もう新しい将棋の駒の簪を挿していた。
「難儀だったな、花鳥。だが、お前さんは立派だったぜ。気丈にも涙一つ浮かべなかった」
さっぱりした衣装に戻った花鳥は、襷を直しながら、父親に話すように語ってきた。
「錦裂に涙を見せたら、負けだと思ったのでありんす」
「……突出しの頃は、客の意地悪な言葉によく泣かされていたのに、強くなったな」
武兵衛は、溢れんばかりの花鳥の笑顔を眺めながら、嬉しくなって、酒を口に運んだ。
すると、大門の辺りが騒がしくなった。
「八番隊が御到着だッ。道を開けよ」
と誰かが叫んだ。庄三郎が武兵衛にそっと教えてくる。
「八番隊は、外隊でもあり、上野山下の坂本通りの監察を担っておられる。あの道は新吉原にも、日光街道にも通じているため、錦裂の獲物が随分と引っ掛かるそうです。そういう御縁で、新吉原は、隊長の木下福次郎様に随分とお世話になっております」
武兵衛と甚兵衛は八番隊の隊長の顔を拝もうと、番屋へ脚が動いた。
馬を門の手前に繋いで来たのか、八番隊隊士は、歩いて大門を潜って来た。
秀吉が「松」と問うと、福次郎は「風」と合語を応えた。
講武所拵えの長い大刀を手に、立派な陣羽織姿で鋭い目付きの福次郎が、番屋へ来た。
まるで格子越しに女郎を見下ろすようにして、狂介を眺めると、面白そうに呟く。
「お前の首は、俺が落としてやろう。……慣れておるから、下手せず、冥途へ送ってやる」
すると、大門の外、遠く畦道の向こうから、馬を走らせて、誰かが向かってきた。
武兵衛は「奪い返しに、もう来やがったか」と鳶口を持ち、大門に立った。
今まで姿を見なかった、肥った彰義隊士が、不意に武兵衛へ声を懸けてきた。
「お待ちなさい。賊徒の他に、味方も見えますぜ」
声音に覚えがある。じっと見たら、随分前に新吉原にいた、元武家で幇間の……。
「お前さん、何てえ名の男芸者(幇間)だっけ。……あれ、今は彰義隊士になったのかい」
丸い顔で、邪気がない。以前は頭に扇子を載せて、腹踊りをしていたのだが。
「本名は土肥庄次郎と申す。第一赤隊の隊長・土肥八十三郎の兄でさ。家督を継いだ弟に説き伏せられ、彰義隊の隊外応援掛となった。顔が利くので新吉原に詰めているのですよ」
綱木に馬を繋いで、やって来たのは二人。
一人は金泥の陣笠に陣羽織。
もう一人は、筒袖はさておき、頭に大芝居で使うような、白い毛を被っている。
「なんだ、あの連獅子崩れみてえな頭の奴は……」
呆れて呟いていると、金泥の陣笠の武士が「武兵衛」と声を懸けてきた。
近くまで来ると、陣笠から顔が見えて、小田井蔵太だと分かった。
庄次郎も、八番隊、二番隊の分隊も、「御頭だッ」と騒ぐと、膝立となった。
「立ってくれ。……暑い中、熱心に勤めてくれて、助かっておる――」
と蔵太が話をしていると、連獅子頭の錦裂は、番屋へ駆け寄って「参謀」と叫んだ。
すると捕われていた三人は、息を吹き返したように、慌てて顔を上げた。
「おおっ、木梨精一郎ッ。無事じゃ、よう助けに来てくれた」
騒ぎの張本人の飯田竹次郎が涙を浮かべて、応えた。
八番隊隊長の木下福次郎が、小田井蔵太の許へ駆け寄った。
「これは、何ごとですか。……八番隊は今から奴らを天王寺へ連れて行く処にございます」
「駿河屋とか申す商人が、猪牙舟で下り、増上寺の長州の陣へ助けを呼んだ。参謀の精一郎殿が三個小隊と共に出立、勝安房守殿を連れて、上野へ怒鳴り込んで参った。……安房守殿に捻じ込まれたら、否やは申せまい。三個小隊に帰ってもらう代わりに、俺が参った」
福次郎は「また、安房守の奴か。薩長の犬めが」と吐き捨てた。
「左様な次第で、三人の町人の縄を解き、木梨精一郎殿に預ける仕儀と相成った」
駕籠を用意すると、縄目を解かれた三人は、番屋から出てきた。
小田井蔵太の前を、山県狂介が通っていく。
「参謀殿、悪巫山戯は程程になさったほうが良い。江戸は御城こそ明け渡した。だが、新吉原を含む大部分の江戸の町は、まだ官軍の手中に落ちてはいない旨、お忘れなく」
蔵太の言葉を聞かぬようにして、苦い顔のまま、狂介は精一郎らと共に帰って行った。
武兵衛と甚兵衛が立っていると、蔵太から声を懸けてきた。
「随分と世話になったようだ。折角のお楽しみの処、相済まなかった」
「遊びに参っていた訳ではなく、突出しの世話をした女郎の顔を見るため、稲本楼を訪ねていただけでして。お気遣いは無用でござんす」
蔵太は、甚兵衛に対しても、気さくに挨拶した。
「義勇軍の副将に、ようやくお目にかかれた。彰義隊頭の小田井蔵太です。よろしく」
甚兵衛は、「千足屋甚兵衛にございます」と蔵太へ慇懃な挨拶をすると、眼の奥まで覗き込んだ。文人は人物を鑑定し、腹の底を瞬時に見極める嗜好があるらしい。
「乱世にて、上に立つ人物は勇猛かつ徳があり、忠実であらねばなりません。小田井様は全てを兼ね備えた壮士かと」
蔵太は、面白そうに片笑むと、覗くような仕草で甚兵衛を見詰めた。
「忠実……ですか。拙者は故郷と旧主を捨てた、立派な裏切り者ですぞ」
「大志を抱き、故郷を出ることは裏切りには当たりません。……家も親も捨てられず、臆して大志を捨て去るほうが、余程、罪深く愚かにございます」
微笑みを浮かべていた蔵太は、真顔になり、甚兵衛へ返した。
「家を守り継ぐことは当然の行いだ。大志とは魂に宿る炎のようなものにて、容易く掻き消せるものでもない。貴公の大志は、今も躰の奥で燃え続けているはずだ」
甚兵衛は瞠目して、立ち竦んだ。
「……今からでも、遅くはないと。見聞を深めるために、外国へ行けましょうか」
「西洋語は、じきに築地でも学べよう。ようやく勅許を得て、条約が使い物になった。西洋語を学び、生魚を鐵の容器に詰めて外国に売る算段を考えて、機会を待つが宜しかろう」
「干物ではなく生魚を外国へ売る……。横浜へ行って、調べてみます」
武兵衛は甚兵衛の瞳が、久し振りに耀く様子を見た。
良かった、と思う。
「甚兵衛さん、蔵太様は長らく箱館奉行所でお勤めだった。外国の話にも詳しい」
「詳しくはないさ。俺は、ただ、釧路で蝦夷の民と、熊や鹿を追い掛けていただけだ」
蔵太は明るく笑った。八番隊の福次郎がやって来た。
「御頭、稲本楼の庄三郎が、彰義隊へ酒を振る舞いたいと申しておるのですが……」
明らかに上目遣いになっている。呑みたくて、うずうずしている顔である。
「断る謂れはない。皆で、頂戴しよう」
「許しが出たぞッ」と八番隊は稲本楼へ走って行った。蔵太と武兵衛、甚兵衛も向かった。
稲本楼の前へ行くと、花鳥の傍に立っていた小稲が、酒を振る舞う手を止めた。
「あれに見えるは、二番隊、重立伍長の毛利秀吉様……」
武兵衛は小稲の瞳の先を追った。秀吉が、独りで枡に口を付けて酒を呑んでいる。
小稲は「ぞっとする」と呟くと、ふらりと秀吉の許へ歩き出した。
――今の言葉は、好みの男を見つけた時に発する、新吉原の女郎の隠語……。
天下一の美男と評判だった八代目團十郎に似た秀吉と、新吉原の看板である小稲が差し向かいで話をしている姿は、そのまま一幅の絵に閉じ込めたいほどに、美しい。
「さてさて、かの美男美女は比翼連理と相成るかな」
枡を持った蔵太が軽口を叩く。
武兵衛は笑いながら、息を吐いた。
「相手が悪いや。幾ら秀吉様でも小稲花魁じゃ、尻毛をごっそり抜かれちまいますぜ」
「ああ見えて、秀吉は剣一筋で、遊び慣れしていない。今のうちに愉しみを知るのも良い」
武兵衛は「今のうち」に引っ掛かって、小声で、蔵太へ尋ねた。
「小山で大勝なさり、次は宇都宮。……上野宮様が動かれる日も近いのでござんすかえ」
蔵太は力強く、頷いた。
「宮様は戦果を待っての御動座となろう。……武兵衛さん、剣呑な情勢になる前に、一度、上野へ遊びにいらっしゃい。少し話もあるから……」
「山内に入ってもよろしいので。ずっと〆切でしたので、東照宮様へ新鮮な魚をお持ちしておりませんでした。すぐにでも伺いますとも」
魚河岸の肴問屋は、折に触れて、寛永寺の中の御廟へ鯛等の新鮮な魚を献上してきた。
だが、寛永寺の門が〆切のままだったので、行けず仕舞いであった。
「今年に入ってから参じておらず。腹の辺りがモヤッとしていたので、助かります」
「東照神君様もお喜びになる。明日にでも、甚兵衛さんと一緒に参られよ」
女芸者が三味線を弾いて、歌い始める。男芸者(幇間)が踊り始めると、客も踊り出す。
武兵衛は、久し振りに、賑やかな夕暮れを楽しんだ。




