其之四
四
当番は千足屋甚兵衛であった。
月行事の御用部屋へ入りながら、武兵衛は、言葉を続けた。
「殿持問屋は御出入り先の屋敷へ戦勝祝いを用意したほうが良いんじゃねえかと――」
色白で細面の甚兵衛はゆっくりと振り向いた。
武兵衛と同じく、本船町の行事の一人だ。
今年で三十歳だが、どこか老成している。学問所の聴講に飽き足らず、儒者の安積艮齋の《見山楼》に入門。千足屋を継がなければ、儒者(学者)となり洋学を極めていたはずの賢才だ。
「……ちょうど、佐兵衛さんと共に、戦勝された御家を調べ始めていた処だ」
甚兵衛は筆を持っていた。既に今回の戦争に出陣した大名家を紙に書き出している。
さすが、仕事が速い――と武兵衛は、舌を巻いた。
隣には佃屋佐兵衛もおり、眼鏡を掛けて甚兵衛の手許を覗き込んでは確かめていた。
「荘内の酒井様は佃屋か。間部様は甚兵衛さんだ。武兵衛さんは出羽上山の松平様だったな。江戸橋下の生簀の鯛は、どのくらいある。木場から運ばないと足りないか……」
五十歳の佐兵衛は総代としての威厳がありながらも、丸顔の親しみやすい人格者である。
代々、総代を務める名門の佃屋は本家と分家があるが、昔も今も、魚河岸の頭であった。
武家との付き合いが多いせいか、言葉は常に丁寧で、伝法調は使わない。
武兵衛には佐兵衛への強い憧れがある。
だが、盗んで真似をしたくても、自分にできるものは、まだひとつも見つかっていない。
そこへ、市中警邏の途中に寄った三番組の年寄同心、臨時廻の遠藤定三郎が現れた。
「上の奴らは人使いが荒くていけねえ。俺のような爺まで引っ張り出して、芝口から新シ橋川筋まで交代で見廻れってんだぜ。酷ぇ話だろ。……出陣した御家が分かる触書の写しを持参したぜ。これを遣るから、燗酒のを一杯くれねえか。寒くて死にそうでえ」
定三郎は定廻の頃、持ち場が日本橋だった。
茶碗酒以外の金品を無心しない潔さが親しまれ、昵懇となった。
五十を過ぎても、脂っ気が残っており、まったく年寄臭さがない。
「師走の初めから、町奉行所の市中警邏が始まったろ。定廻と臨時廻が交代で、夜中も屯所にずっと詰めっ切りだった。薩賊には、まぁ手を焼いたが、遂に本日で終わりだな」
町方以外にも別手組や撒兵隊等も見張所を設けたが、盗賊による蹂躙は止まなかった。
「唯一日本橋魚河岸だけは鳶口ぶん投げる誰かさんを恐れて、薩賊も寄り付かなかったな」
「俺だけじゃなく、魚河岸衆は血の気が多いので。……これで定三郎様も安んじて正月を迎えられますね」
武兵衛は軽口を叩いた。
洟水を懐紙で拭いながら、定三郎は「ようやくな」と笑った。
「先刻方、御番所(町奉行所)で耳にしたのだが、江戸は危ねえ処だったそうだ。焼けなかった高輪の薩摩下屋敷の蔵から、いつでも道火を付けりゃ使える地雷火の仕掛けが、五万と見つかった。江戸中を火炎地獄にできようほどの量だったそうだぜ」
武兵衛は聞くうちに、怒りを通り越して、心底、呆れ返った。
「薩摩様は先々代の御台所様の御実家でしょ。何故、そんなに気が触れちまったんだ」
大名の名を書き上げた甚兵衛は、ようやく顔を上げた。
「……見山楼以来の知り合いが城中で耳にした話だが、上方におわす公方様が、将軍職をお辞めになったそうだ。薩摩の怪しい動きは、その件と関わりがあると、俺は踏んでいる」
「なんだとォ。江戸に一度も戻って来ねえうちに、新しい公方様は、もう辞めたのか。まだ御城で町入能もやっていねえのに。それで、次の公方様は誰になったんだ」
武兵衛は驚いて大声になった。だが、甚兵衛が童を諭すように、ゆっくりと応えた。
「次はいない。……公方様は一大名となったから、将軍職はなくなった。将軍職御辞退が成ったので、公方様を上様、御台所様を御簾中様と称するようにと触書にあっただろう」
「触書なんて、真面目に読む奴は甚兵衛さんぐらいなものだぜ。……で、公方様がいなくなったら、江戸はどうなる」
「知らん。だから、上方で揉めていて、どうにも焦臭いんだ」
武兵衛は政事の話となると、頭が痛くなる。顳?を指で押して黙り込んだ。
順吉の運んで来た燗酒を美味そうに啜っている定三郎へと、佐兵衛は尋ねた。
「御番所の御下知で、町兵をつくるという話は、どうなりましたか」
「上が進めているよ。火消衆や大工など四十人を一小隊にして、十小隊を一大隊とする。町方から頭取を出して大砲や小銃を調練させて、江戸を守るために敵と戦うって寸法さ」
「浪士を討つよりは、戦争に備えての動きですか。薩摩や長州が江戸へ攻め下るとでも」
今度は、甚兵衛が真顔で食い下がった。定三郎は聞きながら、ついに笑い出した。
「ここは御納屋だよなあ。まるで軍学者の輪講(講義)だ。手強いねえ、甚兵衛さんは」
町兵や軍学に、ほとんど関心のない武兵衛も、これには一緒に笑った。
「そこいらの安本丹な儒者より、甚兵衛さんのほうが賢いのですぜ。ねえ、総代」
佐兵衛に声を懸けてみた。
だが、返事はない。
触書にある、出陣した大名家の名を、甚兵衛の書き出した紙と注意深く照らし合わせていた。一つも間違いがないか、確かめている。
なにせ、几帳面な性格であった。
「……武兵衛さん、廻状ができたから、それぞれの殿持問屋へ廻覧してくれろ」
「へえ、総代。一汗、掻いて参ります。俺も出羽の松平様へ参上しなくちゃいけねえし」
佃屋佐兵衛から、廻状の紙を受け取りながら、武兵衛は、不意に思い出した。
「佃屋さんに頼みがあるんで。松平様は白魚が好物なので、少し分けて頂けませんかね」
主に佃沖で獲れる白魚は、漁から販売まで厳しい取り決めがある。
問屋は佃屋と決まっていた。新鮮な白魚は、頭に葵の御紋に似た紋様が浮かび上がる。
是がために徳川家康によって御止魚にされたことも。
佃屋以外が、おいそれとは扱えない格別の魚であった。
「旬だからね。新物が少し残っていたと思う。持ってお行きなさい」
「そいつは助かる。お二人の店にも廻状の件は伝えておくから、安心してくれろ」
玄関で武兵衛が草履を履いていると、甚兵衛が追い掛けてきた。少しそわそわしている。
「武兵衛さん。近いうちに、戦争見物の話を、じっくりと聞かせてくれ」
見物気分ではなく、西洋軍学を学んだ文人として、実戦の様子が知りたいのだ。
「新徴組に途中で止められちまってさ。芝までの話で良けりゃ、今度たっぷりと話すぜ」
甚兵衛の「楽しみにしている」の声を背に受けて、江戸橋を渡り、魚市場へ戻った。
ちょうど按針町組行事の尾張屋七兵衛や、本小田原町組行事の佃屋勘兵衛と出くわした。
「皆さん、廻状ですぜ。殿持問屋でござんしょう。この中に御出入り先がありますかね」
そこへ行事ではない、畑屋甚次郎が通り掛かった。本船町横店組の肴問屋だが、長州や禁裏を支持する勤王派を公言しており、髪も上方風の総髪で、些か人付き合いが悪い。
東照神君(家康)の官地に魚市場が作られて以来、徳川家と縁の深い魚河岸肴問屋衆の中にあって、甚次郎は、かなり異色な存在であった。
「うちの出入り先は入っておりませんねえ。……嗚呼、良かった」
廻状をちらと見ると、薄い唇を少し動かして、皮肉を述べた。
魚河岸で最も古くからの肴問屋である佃屋勘兵衛は、微苦笑を浮かべて唾を返した。
「畑屋さんも難儀ですなあ。主な御出入り先は確か、桜田にあった長州萩の毛利様だったのに。随分前に江戸の御屋敷を召し上げられなすったから、商売になりませんでしょう」
毛利敬親は禁門の変を起こした罪で、江戸の屋敷を全て失い、萩へ戻っていた。
「今は御分家の、岩国の吉川様に可愛がって頂いておりますので。……では」
甚次郎は形だけの会釈をして、去って行った。武兵衛はホッとした。
――何を考えているのか腹の中が見えねえから、どうも好きになれねえ。
気を取り直して、勘兵衛に「肴問屋衆へ廻覧して下さいまし」と廻状を渡した。
武兵衛は佐兵衛と甚兵衛の店に寄って戦勝祝いの件を伝えた。相模屋へ戻ると急いで支度を整える。一番番頭の伊左衛門が、贈り物の用意で手を動かしながら、小言を続けた。
「旦那様は相模屋の二代目で、四組肴問屋の本船町組の行事ですよ。戦争見物よりも商売が先。後生ですから、魚河岸衆に笑われぬように振る舞って下さいまし」
日本橋の生まれで、先代から二代に亘って支えている、相模屋の古参である。
「どうせ、俺ァ婿養子だ。お前さんが一生、俺を主人と認めねえことは分かっている」
武兵衛は一介の棒手振商いから始めた、深川生まれの成り上がり者である。
先代の相模屋武兵衛に喧嘩の強さと気風の良さを見込まれ、娘のお艶の婿となった。
相模屋に入らなければ、老舗肴問屋の佐兵衛や甚兵衛と対等に話せる立場になど、金輪際なれやしなかった。武兵衛に幸いしたのは、魚河岸の肴問屋衆が余所者の成り上がりと蔑まずに親しく付き合ってくれることだ。
魚河岸衆といえば、喧嘩っ早くて荒くれ者揃いだ。
だが、肴問屋の主人衆となると名字帯刀の者も多く、品もあり教養もある。文人も多い。
松尾芭蕉に終生に亘って尽くした杉山杉風や、随一の芝居狂言作者の河竹黙阿弥も魚河岸生まれだ。
肴問屋の主人としては破天荒な武兵衛を、肴問屋衆は「奇貨居くべし」と大切にした。
月行事を務める身となって、武兵衛は胸の中でそっと手を合わせている。
――俺は運も良いし、恵まれている。この恩は魚河岸に、必ず返さなくちゃならねえ。
ちょうど、佃屋から白魚も届いた。
武兵衛は、番頭の伊左衛門に二つの進物を持たせると、麻布一ノ橋にある松平山城守の上屋敷へと、歩き始めた。
長い道のりである。伊左衛門は先ほどの話を混ぜっ返してきた。
「ようございますか、旦那様。……一生、認めないとは申しません。主人に値するか否か、まだまだ品定め中でございます」
「ああ、分かったよ。せいぜい、先代の名を汚さぬよう、相模屋を盛り立ててみせるさ」
松平家の御台所へ着いた。笊の上に水引を載せた大きな鯛と、木箱に納めた白魚を差し出しながら、御膳所頭の都筑清五郎に向かって、武兵衛はきっちりと挨拶した。
「この度は薩摩屋敷への討ち入りを果たされ、御目出度うごぜえます。安寧を取り戻して頂いたこと、江戸市民として、生涯を通し、御恩を忘れは致しやせん」
清五郎は水引の下に見える新鮮な贈り物を見て、大層、喜んだ。
「見事な鯛であるな。しかも新物の白魚まで。御殿様が喜ばれる。早速、宴の膳に饗すると致そう。わざわざ遠路を駆け付けてくれて忝い。正月の肴は相模屋に頼むことにしよう」
すると、奥から「湯をもっと用意してくれ」と大きな声が聞こえて来た。
「……どなたか、産気付いていらっしゃるので」
武兵衛が尋ねると、清五郎は暗い顔になり、首を横にゆっくりと振った。
「御家老の金子様が敵の逸玉に当たってのう。今、皆で三途の川を渡らぬように引き留めておる処だ。だが、朝まで保つかどうか……」
武兵衛は驚いた。よもや、家老が死にかけていようとは。微かに唇が震えた。
「……与三郎様が。俺のような武骨者にも親切で、お優しい御方ですのに……」
涙が零れそうになったが、伊左衛門がいたので堪えた。
聞いていた清五郎が口を開く。
「……まったく、戦争などというものは好い事など一つもない。勝っても、負けても、血は等しく流れる。……戦争は避けるが最上と説く『孫子』は正しい。俺も左様に考える」
庖丁人が清五郎の許へやって来た。すぐに鯛を調理せねば、夜の膳に間に合わない。
「つまらぬ愚痴に付き合わせてしまったな。武兵衛の仁義、有り難く受け取ったぞ」
清五郎は鯛を庖丁人へ渡すと、己の仕事に戻っていった。
武兵衛は邪魔にならないように、伊左衛門と共に、御台所を辞した。
――戦争と喧嘩は根本から違うものだ。俺は命の遣り取りのねえ喧嘩のほうが好い……。
戦勝と商売に浮かれていた自分が恥ずかしくなり、胸の中にほろ苦さが広がっていった。