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第五章 将棋の駒の簪 其之一

第五章 将棋の駒の(かんざし)


       一


 京からやって来た官軍は、品川や内藤新宿等の四宿へ、続々と集まった。

 

 いよいよ、江戸府内へ官軍という名の賊徒が入り込み始めた。


 三月二十六日には、(とう)(せい)(ぐん)(せん)(ぽう)(たい)が、(ぞう)(じよう)()宿(しゆく)(じん)

 京からの勅使も、(いけ)(がみ)(ほん)(もん)()へ入った。


 翌日になると、(しば)(ほん)(ごう)(いち)()()辺りで、(かん)(ぐん)(せん)(ぽう)(たい)宿(やど)(わり)が行われた。


 官軍の宿営の(まかない)(りよう)は、町々へ下されたが、実に()()たるものであった。


 値段が(こう)(とう)し続けている炭、油、(ろう)(そく)()()(とう)()(たく)(りよう)は、宿(やど)(わり)された(まち)(かた)の持ち出しとなった。


 妻子を(きん)(こう)へ逃し、商売も()(へい)しきっていた町家では、とても負担できず、()()(かかり)()(ぬし)から、町奉行所へ「これ以上、町人よりの(しゆつ)(ぎん)にならぬよう」との(たん)(がん)(しよ)が相次いだ。


 市中には、()()()(あきな)いや、()()(ちん)だけで(せい)(けい)を立てている()(あきな)いの者が多い。

 その者たちも(わず)かな月日が過ぎゆくうちに、得意先をなくして、(ひん)(きゆう)(あえ)ぐようになっていた。


 四月に入って直ぐに、町奉行所は、各町の名主へ、次のように達した。


御救米(おすくいまい)を下すゆえ、其日稼(そのひかせ)ぎの者で(なん)(じゆう)したるを調べ上げ、知らせるように」


 千代田城の政務所は田安家に移ったが、町奉行所は以前と同じ場所に在り続け、熱心に、江戸市民を救おうと、力を入れていた。

 

「御城へ入城する勅使への(けん)(せい)もあろう。だが、最後となるであろう、町奉行職のお二人は、御番所こそが市民を救おうと決めたのだ」


 御納屋の本陣で、煙草を()いながら、佐兵衛が呟いた。

 武兵衛は聞きながら、腕を組んで頷いた。

「官軍とやらが江戸へ来れば、食い物に(きゆう)する。間違(まちげぇ)なく、御府内の(くら)(まい)を狙うだろう。敵に喰わせるなど(もつ)(たい)ねえや。新奉行の()()()(かん)()(ろう)様の見事な御英断だぜ」


当番の甚兵衛は(そろ)(ばん)を弾いていたが、ふいに、指が止まった。


「御城が明け渡され、(てん)(しよう)(いん)様や(せい)(かん)院宮(いんのみや)様等が田安家や清水家へお移りになれば、手狭ゆえ、多くの御女中衆は()(やく)()(めん)になろう。(おの)ずと、納魚の数が減るな……」


「良魚を喰いたいだけ喰ってきた女共が減る。魚市場にとっては、まさに良い報らせだぜ」


 武兵衛は大いに笑った。聞いていた佐兵衛が軽く咳払いした。


「……総代、その女共の中に、静寛院宮(和宮)様を加えたら罰が当たるよ」


「あの御方だけは格別ですぜ。上野宮様と共に、江戸で頼りになる数少ない御仁ですから」


 江戸を戦禍に巻き込まぬよう、また慶喜の助命を願った(しよ)(かん)を、(とう)(せい)(ぐん)(そう)(とく)()へ送り続けた、静寛院宮と上野宮は、江戸市民にとって、今や、神であり英雄であった。


「とは言え、神や英雄とされる二人は、京の天子の叔父と叔母……とか。皮肉な話だな」


 佐兵衛が煙草の(けむり)を吐きながら、ぽつりと呟く。

 

 甚兵衛は算盤を弾きながら、帳面を見つめて、頷いた。


「納魚の負担が小さくなれば、魚河岸は、市民が江戸に戻るまで、耐えていけそうだ」


 聞きながら、武兵衛は微笑んだ。


 どん底の不景気の中、(わず)かな光が見えた気がした。


「後は、官軍が江戸府内に入ってきて、どれほど程の混乱を(きた)すか。それ次第だな」


 四日、東海道先鋒総督の(はし)(もと)(さね)(やな)と副総督の柳原(やなぎわら)(さき)(みつ)が千代田城にて、(ちよく)()(天皇の勅命を下す文)を伝えた。


 徳川慶喜の死一等が減じられ、江戸から水戸へ移る事。


 千代田城を、十一日に明け渡す事。


 徳川の軍艦や武器・兵器を献上し、慶喜の側近だった者を処分する事等々――が、決まった。


 三日後、永井玄番頭に閉門処分が下ったと聞いて、武兵衛は頭に血を上らせた。


「べらんめえ、賊徒野郎共め。何が勅使だ、処分だ。玄番頭様にばかり罪を着せやがって」


 だが、閉門ともなると、おいそれと見舞いに(さん)じる訳にもいかなくなる。


 武兵衛が相模屋の店先でしょんぼりとしていると、甚兵衛が通り掛かった。


「聞いたよ、玄番頭様の御処分の件。大丈夫だ、これ以上悪くはならない。前に武兵衛さんが言ってただろう。強運の持ち主だと」


「ああ、確かに。仁徳もあり、運もお有りだ……」


「……どうだえ、武兵衛さん。百川でちょっと美味いものでも食べようか」


 甚兵衛は、武兵衛を慰めてくれているらしい。


「そうだな。ちょうど、腹が減っていた(ところ)だ。久し振りに行ってみようかえ」



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