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30/79

其之二

      二


 軍令に反した、相模屋の(おんな)(しゆう)の居残りについて、本陣で(ぎん)()されることになった。


 本陣こと、御納屋の広間に、義勇軍の多くが集められた。


 始まった()(たん)、いつも生意気な口ばかり利く留吉が、(たたみ)(ひたい)()り付けた。


「俺のしくじりが招いたことだ。大怪我をした駒蔵が(よう)(じよう)するには、女将さんやお香さんの力が要るんだ。軍令に反しているのは百も(しよう)()(づく)だが、どうか見逃して下せえッ」


 留吉の言葉を聞き終えると、佐兵衛は微笑んだ。


「総代の店だから(かく)(べつ)に許すのではなく、駒蔵母子を世話をする肴問屋が(たま)さか、相模屋だっただけ。……つまりは人助けだ。どうだね、許してやっては」


 吟味されている武兵衛が黙るしかない中、佐兵衛の言葉は、いつもながら、魚河岸衆の心を(とら)えた。

 総代の武兵衛とは違った意味で、佐兵衛は、魚河岸衆の心の()(どころ)()り続けている。


 続けて、()()()(とり)(しまり)(やく)()(ぬし)の一人、村松源六が入歯を()め直して、喋り始めた。


「魚河岸衆は喧嘩っ早いが、人情に(あつ)い。だから江戸っ子の(かがみ)とされる。初めは(あずま)っ子と(しよう)していた。それを(かん)(せい)四年の(いち)(むら)()の〈(わか)(しゆ)()()()()()〉を観た魚河岸(かし)衆が使い出してから江戸っ子が広まった。つまり、魚河岸衆は江戸の代表として法よりも人情を……」


 魚河岸衆は(ひやく)(まん)(べん)も聞かされている話である。甚兵衛が、やんわりと(さえぎ)った。


「軍令は大切だが、(きよう)()も重んじるべきだ。お艶さんは本陣へ夜食を届けてくれると誓っており、我々も助かる。ここは一つ、相模屋の件は()(こぼ)しってことで手を打ってはどうか」


 皆が快く賛同して、相模屋の女衆の居残りは許されることになった。


 武兵衛は立ち上がって「有り難え」と皆に頭を下げた。

 すると、甚兵衛が声を懸けた。


「うちの妻子など、我先にと館山の遠縁の家に逃げて行きましたよ。今の江戸に残ろうとするお勝ちゃんの如き(おんな)(ごう)(けつ)は、ほとんどいないぐらいだ」


 集まっていた魚河岸衆は皆、明るく笑った。

 だが、武兵衛は頭を上げなかった。


「今回は怪我で済んで幸いだったと思う。……人って奴は、詰まらねえしくじりで、(あつ)()なく命を落とすもんだ。俺は馬鹿だからそうなるかもしれねえ。だが、義勇軍の皆には、そんな最期を遂げてほしくねえんだ。どうか二度と短慮に走らねえと、()()で誓ってくれ」


 御納屋の広間の隅にいた留吉が顔を紅くして俯く。武兵衛は続けた。


「俺の隠業(かくしわざ)(いつ)(ちよう)(いつ)(せき)に真似できるものじゃねえ。どうしてもと言うなら、調練してやる」


 留吉ほか、多くの若い魚河岸衆が驚いたように顔を上げて「やったァ」と声を挙げた。


 静かに聞いていた源六は、何度も首を縦に振りながら、顔を(ほころ)ばせた。


「総代が武兵衛さんで良かった。(かい)(びやく)以来、前例のない情勢だ。力強い総代で――」


 言い終える寸前に、入れ歯が外れた。

 すると、見ていた皆が「ああっ」と心配する。

 源六が無事に填め直すと、今度は暖かい笑いが起きた。


 明るい空気の中で、武兵衛は再び、立ち上がった。


「商売も大切だが、今の時勢を見るに、命を守るほうが先だと考える。生きてさえいれば、幾らでも商売は取り戻せる。俺は必ずや、魚河岸衆の命を守り抜く。改めて誓うぜ」


 本陣が歓声に包まれた。確かな手応えを感じて、武兵衛は、ホッと息を吐いた。


 吟味が解散すると、御納屋には甚兵衛によって、佐兵衛と武兵衛が残された。

 甚兵衛が懐から、冊子を取り出す。


「二月に()られた〈(ちゆう)(がい)(しん)(ぶん)〉なる(かわら)(ばん)だ。今までに四号まで出された。(かい)(せい)(じよ)(徳川による洋学校)に勤めていた洋学通の面々が作っている。外国の新聞から得た、確かな(ネタ)が売りだ」


 武兵衛は小さい字にうんざりした。()(がね)を掛けた佐兵衛は素早く読むと、口を開いた。


「……二号の、()()()()の領事が出した、(きよく)(がい)(ちゆう)(りつ)の法度とは何だね」


 佐兵衛の問いに、甚兵衛が(よど)みなく、解説する。


「日本と条約を結んでいる西洋諸国が(ばん)(こく)(こう)(ほう)(国際法)に(のつと)り、取り決めた。つまり、徳川家と(けい)()(きん)()の間に戦争が起こった場合、どちらへも肩入れせず、中立の態度を保つ。それが局外中立だ。……世界が日本の行方を見ている。江戸に対して、(ばん)(こう)を行えば、天下を奪った(のち)に、京勢の賊徒は西洋諸国に(さげす)まれ、条約の改訂内容が(ひど)いものになる」


「……するってえと、公方様が気にしていた、(いん)()唐土(もろこし)(てつ)は踏まずに済むってことか」


「今の処はな。ただ、三号にある、江戸開港の期限が迫っている。これで()めねば良いが」


 甚兵衛の言葉を聞いて、佐兵衛が自らの額を片手でポンと打った。


「この混乱で、すっかり忘れていた。築地の外国人町は、どうなったんだっけ。……ええと、江戸開港の期限は、今月の九日か。()()()()()()()に開港の支度なぞできるのか」


「知ったことか。(じよう)()ばかり叫んで、外国人を斬り殺しまくっていた無学の素人が、外国人と談判なんぞできるものか、見物(みもの)だがね」


 甚兵衛は意地悪な微笑みを浮かべた。武兵衛と佐兵衛も(こら)えきれずに笑い出した。



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