其之七
七
この頃、日本橋榑正町の板元、丸屋平次郎から、二枚綴りの大判錦絵『幼童遊び子をとろことろ』が出て、大きな話題となった。
所謂、判じ絵(風刺画)である。
判じ絵は、御公儀の検閲を掻い潜るために、たわいのない絵の中に、符号を鏤めた錦絵を指す。天保の昔から、市井の人びとが符号を解き明かしながら、諷刺を楽しんできた。
非合法が当たり前のなか、三代目広重の描いた、今回の判じ絵は違った。
政事をネタにした諷刺錦絵にも拘わらず、開板の許しが出た。
町奉行所は、町触だけでなく、判じ絵すらも使って、江戸市民へと、今般の天下の情勢を正しく伝えようと考えた。
言論の弾圧が酷かった天保の時代とは、まるで真反対であった。
〈子をとろことろ〉は、二手に分かれた童たちが、先頭の子から肩を掴んで数珠のように繋がっている。
相手の群れの最後尾にいる童を捕まえようと、互いに動き合う遊びだ。
判じ絵では、童の背後に、品のある子守女が、背中に幼子を負ぶっている。和宮と徳川宗家を継ぐ、亀之助を示していた。二人は、敵味方に分かれた童の群れを眺めている。
着物の模様や持ち物から、会津、桑名、徳川慶喜、荘内、姫路と分かる。
これらは、味方の一群である。
対する、賊徒勢は、薩摩、尾張、土佐、福岡、津、岡山、彦根。
その敵方には、長州を示した餓鬼大将風の大きい子がいて、その背に負ぶわれている赤子は――京の天子(天皇)である。
この判じ絵は、敵味方が誰かを詳らかにして、日本で起きている情勢を語っていた。
御納屋の手代や小者が集まって、この判じ絵に群がり、ああだこうだと符号を解き明かしていた。
「京屋の金公は、長州に担がれているわけだな。こういうのを、傀儡ってんだろ」
知ったかぶってはいるが、江戸の人びとは、京屋の金公――天子なる存在が何なのか、それすら、よく分かってはいない。
「金公の赤い布と緑の着物は何が言いてえんだろな」
武兵衛は当番で詰めていたが、隣の部屋から漏れてくる、賑やかな声を聞いていた。
「会津様の『俺がついているから大丈夫』って台詞が良いぜ。奴等をとっちめて欲しいねえ」
小者の順吉が呟く声がした。
武兵衛も帳簿を置くと、煙管を銜えた。同じ心持ちである。
――嘘も出鱈目も大嫌いな江戸っ子は、会津でも誰でもいい。一片の正義も持たねえ賊徒と戦って、懲らしめてくれと願っている。だから、この錦絵が大いに売れているんだ……。
魚河岸義勇軍の夜の見廻りも、すっかりと慣れてきた。
別の組と行き会うと、仮令、提灯に〈魚河岸〉とあっても、「舟」とどちらかが声を掛けて、「水」と相手が応えて、ようやく味方と判断する。慎重な副将の指図であった。
人気が出ると、義勇軍の本陣も賑やかになってきた。
近所の料理茶屋から、夜半に差し入れの握飯や弁当が届いたり、座敷に上がる前の夕暮れ時に、日本橋の女芸者衆が御重と酒を持って、陣中見舞いにやって来た。
「武兵衛の旦那、御座敷の時よりずっと、男っ振りが増していらっしゃいますよう」
萬吉が妹分の御酌を連れて、差し入れを持って現れた時には、武兵衛も心臓が止まり掛けた。
だが、若い衆にみっともない姿は見せられないから、わざと他人行儀に接する。
「見舞ってもらって済まねえなァ。……生憎、これから見廻りなのだよ」
「まあ、なんて鯔背なお姿。……嫌だ、あたしったら、躰が火照ってきちまったよ」
萬吉の綺麗な声を背に受けながら、武兵衛は少し後ろ髪を引かれる思いで、出掛けた。
本陣の御納屋を出ようとすると、二番番頭の幸助が浜町の方向から歩いてきた。
「旦那様、永井の御前様に逼塞の処分が出たそうで。屋敷中で大騒ぎになっておりました」
「逼塞だと。やっと坊ちゃんと奥方様が上方から戻ってきたばかりだってえのに」
ちょうど玄関にいた佐兵衛が、話に割り込んできた。
「先の上様が朝敵とされているせいで、お傍で仕えていた方々も、揃って朝敵扱いだと聞く」
武兵衛は湯が沸騰ふるように、顔を紅くして、怒りを露わにした。
「永井の御前様が朝敵だと……。べらんめえ、あんなにご立派な御方のどこがッ」
己の領地安堵のために、次々に敵へ勤王誓書を差し出し、徳川を裏切る旗本が現れるなかで、上方から全兵を江戸へ戻した永井玄番頭は、頼れる数少ない旗本の一人だ。
「武兵衛さん、今夜の見廻りは俺が代わるから。浜町の様子を見てきておくれ」
佐兵衛の優しい声に、武兵衛は泣きそうになりながら、頭を下げた。
「ありがてえ。明日の佐兵衛さんの当番と、夜の見廻りのどちらも、俺がやりますんで」
武兵衛は心持ちを切り替えると、浜町へと急いだ。




