其之二
二
芝へ近付いていくと、次第に、見物衆で往来が混んできた。
時折、小銃の発砲音も聞こえた。誰かが「あれを見ろ。黒煙が立ち上ったぞ」と叫んだ。
通りの向こう、南の方角に、僅かだが、煙が見えた。遠くで半鐘が鳴り出す。
宇田川町まで行くと、芝のほうから、二十人ぐらいの兵がやって来た。
揃いの朱色の隊服で、荘内酒井家支配の新徴組だと分かる。
京は新選組、江戸では新徴組が有名だ。
「ここから先へは行けぬぞ。増上寺方面へ廻るか、来た道を戻れ」
見物が増えてきたので、道を塞ぎ始めた。
新徴組は江戸の衆に恐れられている。市中の見廻りはしてくれるが、荒くれ者が多く、気まぐれに町人を斬り倒す始末である。
だが、此処まで来て大人しく帰るわけには行かない。
武兵衛は新徴組隊士の前に立った。
「勝っているのか、負けているのか、それぐらい教えろや」
武兵衛は大男だ。どうしても見下ろす形になる。相手はやや怯みながら、応えた。
「負けるわけがなかろう。敵は袋の鼠だ。だが鼠は隙を突いて逃れ、悪さをするものだ」
今度は海から砲音がした。
続けて二発。町衆から再び喜びの歓声が挙がった。
すると海に程近い新銭座町の方角からやって来た大工が、叫んだ。
「御軍艦の回天が動き始めた合図だってよ。逃げ出した薩摩の船を追い掛けるらしい」
話を聞くと、その場にいた町衆の表情が明るくなり、歓声がさらに大きくなる。
「勝ったぞ、勝ったぞ。憎っくき薩摩を、とっちめてやった」
町衆に「お見事」と声を懸けられて、新徴組の隊士も誇らしげに、頷くばかりとなった。
武兵衛は南の空を見た。彼方此方に煙が上がり始めている。
「黒煙が大きくなっている。……傳さん、品川浦へ無事に戻れたかな」
武兵衛の呟きへ、新徴組隊士が吐き捨てるように応じた。
「薩摩屋敷から逃げた浪士の多くは討手を撒くために、屋敷のみならず、品川への街道筋の家々に付火をしている。……何処までも汚い奴儕よ」
武兵衛は此処から先へ行けないと知ると、悔しいが、来た道を戻り始めた。
すると、脇道から、兵士に追われた浪士が、大きな躰の武兵衛に向かって走って来た。
「面倒いが、俺が綺麗にかっ捌いてやるしかねえか」
背中の帯に忍ばせていた、柄を短くした鳶口を手に取ると、浪士へ目掛けて投げつけた。
鳶口はぐるぐると廻りながら、浪人の袖を巻き込んで、塀へザクリと突き刺さった。
喧嘩に明け暮れていた若い時分に、身に付けた技である。
動けなくなった浪士に、直ぐさま、兵士が縄を掛けた。抜き取った鳶口を返しながら、
「魚河岸衆――相模屋か。忝い。……珍しき技のようだが、実に見事であった」
兵士は印袢纏を見て、褒め称えた。武兵衛は「喧嘩で鍛えただけですよ」と照れた。
縛り上げられて立たされると、浪士は地面に唾を吐き、いきなり叫んだ。
「……これで済むと思うなッ。江戸は遠くないうちに滅びる。首を洗って待っていろ」
薩摩言葉ではない。江戸産にも尊王攘夷派がいるとは聞いていたが、薩摩に与するとは。
武兵衛はカッと頭の中に炎が燃え上がる。つい、大声で怒鳴り散らした。
「この唐変木め。江戸の水で育っておきながら、その言草は何だ。御先祖様に謝れッ」
すると、引かれていく浪士が振り返って、食い下がる。
「もう徳川家の世は終わったんだ。程なく慶喜は勅勘を被って朝敵となり、全てを失う。……ようやく禁裏様(天皇)が薩摩や長州と共に天下を統べる日が来た。日本は破約攘夷を断行し、英仏などの夷狄を追い払えば、安寧が戻る。江戸一つが消えるぐらい、瑣末な話だ。ざまあ見ろッ」
勅勘とか破約攘夷などは、よく分からん。だが、武兵衛には、唯の詭弁に聞こえた。
「どんなに立派な御託を並べた処で、生まれ在所を悪く言う奴に碌な野郎はいねえや」
武兵衛の言葉に何か言い返そうとした浪士の頭を、兵士がすかさず拳で叩いた。
「俺も江戸の生まれだ。相模屋の言葉は、俺の想いを代言してくれた。さすが子年騒動の〈討ち入り武兵衛〉だな。……さあ、歩けッ」
言い終えると、兵士は浪士をズルズルと引いて行った。
「〈討ち入り武兵衛〉か。もう二度と、あのような大立ち廻りは御免だぜ……」
鳶口を仕舞いながら、武兵衛は呟いた。よもや、お武家にまで知られていようとは。
子年騒動は、四年前の元治元年の秋に起きた。
魚河岸には御納屋(御肴御役所)がある。
賄方の役人が詰めており、御城に納める魚を選んで、御直買を行う。
価格は微々たるもので魚市場から良魚を取り上げるのが仕事だ。
元治元年(一八六四)頃、御城への納魚に高級魚ばかりが増える一方で、大名家からの注文が見る見ると減った。
納魚の赤字を大名からの高額な注文で埋めている魚市場はすぐさま苦境に追い込まれた。魚会所を代表する肴問屋の行事衆は、帳面を確かめて怪しんだ。
密かに調べてみると、御納屋の一名の役人と十人の小者が結託し、納魚の一部を御城へ上げずに、大名家に廉価で密売して、小遣いを稼いでいた。
日本橋魚河岸肴問屋行事総代の佃屋佐兵衛は、商売繁盛を祈願する名目で、肴問屋衆ほか魚河岸に係わる二百五十余人を、ひそかに、神田明神に集めた。
帳簿にあった確かな証を見せながら、役人の不正を次々に暴いて行く。
佐兵衛の言葉を聞いているうちに、武兵衛は腸が煮え返り、大声で叫んだ。
「べらんめえ、今すぐ俺が糺す。白状しなかったら、鮪のように二つにぶった切ってやる」
言い終わるや否や、決意の証に、諸肌を脱いだ。
首筋から足首まで腹以外の総身には、上半身に九つの龍のほか、勇ましい波の紋様に花や龍、炎が鏤められ、壮麗な彫物が施されている。
江戸では彫物をガマンと呼ぶ。痛みを我慢して彫る、その心意気を表していた。
魚河岸で働く者は、火消や大工同様、片肌を脱ぐ仕事だ。そのため、生っ白い肌を見せるのは野暮だと、誰もが何らかの彫物を入れる。だが、武兵衛のような総身は希である。
棒手振の時分に金を貯めては少しずつ、仕上げた。歌川国芳の『通俗水滸伝』の九紋龍史進が錦絵(浮世絵)から飛び出たと、当時の魚河岸界隈では、大評判となった。
武兵衛が総身を見せる時は、覚悟を決めた時だ。魚河岸衆は息を呑んで見詰めた。
「俺ァ、これから御納屋へ討ち入る。総代は止めたが、俺の一存でやったことにしてくれ。もし、失敗したら、市場の不利益にならねえように、跡始末は頼んだぜ」
集まった者に反対はなく、熊野牛王の誓紙へ連書血判し、不正に対する糺状が作られた。
四尺はある長い鮪包丁を手拭いで右手に巻き付け、武兵衛は不正の証である帳面と糺状を手にすると、単身で御納屋へ駆込んだ。
役人や小者を見つけると、鮪包丁を突きつけた。よく研いであるから、異様に刃が光る。
「やい、盗人役人どもめッ。諸大名の請負で、コソコソと俺っちの上前を撥ねやがって」
相手が震え上がった処で、糺状と帳面を叩きつけた。
「よくも魚河岸を虚仮にしやがったな。証はこれだ。目ん玉ぁ引ん剥いてよく見やがれッ」
すると、御納屋の外から次々に声が挙がった。
「魚河岸のために討ち入った武兵衛兄ィを、独りで死なせちゃならねえ」
若い衆二百人が追い掛けて来て、包丁や鳶口を手にしながら、御納屋を取り囲んだ。
役人と小者は恐れを成して不正を認めた。町奉行所が預かる大事件となり、関わった役人と小者は厳しく処分された。
武兵衛にお咎めはなく、請負買納制度の見直しも勝ち取った。
この一件で〈討ち入り武兵衛〉の名は、江戸中に轟いた。
「名声なんざ、どうでも良い。……俺は魚河岸を守るためなら、何だってやってのけるさ。昔も、これからも、変わることはねえ」