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其之十二

      十二


 大評定という名の寄合が再び始まると、前のように威勢の良い意見や啖呵(たんか)皆無(かいむ)であった。

 集まった魚河岸衆は、誰も武兵衛の顔を見ようとせず、目を()らせて、(だんま)りを続けた。


 ――妙に()(しゆく)してやがる。……さては、先刻(さつき)(かた)の俺の怒声が聞こえちまったかな。


 怒声の理由を話さねえといけねえ。武兵衛は、隅々に聞こえるように語った。


「今の休みの間に、分かった話がある。……賊徒が江戸へ攻めて来るってえのに、俺っちを守ってくれるはずのお武家が江戸を見捨てるらしい。つまり、これからは町衆の手で江戸を守っていかねえと、()(めえ)の命すら危ねえってことなのだよ」


 武兵衛が話す途中から、魚河岸衆から諠譟(けんそう)が起きた。伊勢屋の留吉が立ち上がる。


「ほうら、言わんこっちゃねえや。武家(りやんこ)など(あて)にできねえって、俺が先刻、申したとおりだろ。だったら、戦うしかねえ。そうじゃねえのかよ、皆の衆」


 だが、返事はない。

 情勢がどうにも抜差(ぬきさし)ならないと知って、()()が消えてしまっている。


 珍しく、左兵衛が、口を開いた。


「お武家衆が戦わないとしたら、賊徒は江戸を好き放題に荒らし回るだろう。暮らしていく我らは、(おのれ)の身をしっかりと守らなくてはならない。皆もよく考えてほしい」


 すると、つい先ほど、武兵衛にやり込められた甚次郎が静かに反論した。


「賊徒、賊徒と(おつしやつ)るが、天朝様の軍である。鬼や妖怪のように恐れる心配はない。江戸の市民が抗わなければ、左様に乱暴は働かぬであろうよ」


 これには、甚兵衛が、笑いを堪え切れない様子で、(つう)を返した。


「天朝様だと。薩賊の親玉に成り下がった(ぬす)(びと)(かしら)に、どうして江戸市民が従わなくちゃならねえんだ。向こうが乱暴を働く前に、御府内から叩き出してやるさ」


 聞きながら、イライラして、武兵衛は貧乏揺すりが止まらない。


――俺の腹の中を魚河岸衆に伝えなくては。心持ちが納まらなくなってきやがった。


 ふと、隣の甚兵衛の手留帖を見た。賛成の正の字が、否の三倍は多かった。


 武兵衛の躊躇(ためら)いは消えた。

 

 立ち上がると、やおら、衣服を脱いで、(ふんどし)だけの姿となった。 

 首筋から足首まで、腹以外の総身には、龍を主として、見事な彫物が施されている。


 武兵衛が総身を見せる時は、覚悟を決めた証だ。魚河岸衆は息を呑んで見詰めた。


「お上とは納魚の件で、いろいろ()めてきた。役人の不正を糺すため、討ち入りもした。だから、お上からの命に従って戦うつもりは(こん)(りん)(ざい)、ねえ。ただ、魚市場を創って下すった東照大権現様への恩は忘れていねえ。そいつは、これからも魚河岸を守り、江戸市民へ魚を届けることで、きっちりと返していくつもりだ」


 帯と一緒に畳に置いてあった、柄を短くしている鳶口を手にした。


「俺には、この魚河岸しかねえし、ここで大きくしてもらった義理がある。……だから、何としても賊徒から守りてえ。戦わなくちゃならねえのなら、この鳶口を仁と義のために、躊躇(ためら)うことなく振り下ろす」


 聞いていた魚河岸の若い衆は、感じ入って、武兵衛を見上げた。


「日本橋と江戸橋も守らねえとな。魚市場の両側の橋を薩長の賊徒(ばら)に渡らせるなんざ、業腹(ごうはら)だ。魚河岸衆の恥になる。つまり、俺っちの住む町と市場、更に二つの橋を守るために戦うんだ。これは町兵とは違うな。……何と言うべきだえ、甚兵衛さん」


 武兵衛が隣を見る。すると、(あきら)め顔の甚兵衛が応えた。


「戦争の際、人民が自らの意思で編成するなら、差し詰め、()(ゆう)(ぐん)と言ったところか」


 聞いていた魚河岸衆の誰かが「魚河岸義勇軍か」と呟いた。


「おいらは武兵衛兄ィに()いていくぜ」と留吉が叫ぶ。

 次第に「俺も」「おいらも」と声が大きくなり、ついには「戦うぞッ」と声が一つになった。


 武兵衛は皆の勢いを抑えた。


「思い違いをしてくれるな。命は懸けるが、落としちゃならねえ。俺っちは町人だ。武士(りやんこ)じゃねえ。死んだって、名誉にゃならねえんだ。……だから、生きるためなら、不格好でも逃げるが勝ちだ。いいな、魚河岸義勇軍からは一人も死人は出しちゃいけねえんだ」


 病身の母のため、参加を躊躇(ためら)っていた駒蔵が、顔を上げて嬉しそうに喋った。


「死なねえのなら、俺も加わる。戦うだけなら怖かねえからなッ」


 魚河岸衆が歓声を挙げた。

 すると、黙って聞いていた、佐兵衛が立ち上がった。


「皆が戦うと申すなら、(いな)やはない。甚兵衛さんが軍師になれば、義勇軍は巧くいく」


 総代の言葉は重い。肴問屋衆は皆、佐兵衛を見詰めた。


すると、甚兵衛も立ち上がり、武兵衛の肩に羽織を掛けながら、応えた。


「戦争は武家の(しよく)(しよう)だと考える。だが、皆が決めたのなら、俺は従いていく。()()()の武兵衛さんを支え、魚河岸衆を誰一人として死なせぬよう、知力を振り絞ってみせる」


 駒蔵ほか、多くの魚河岸衆が喜びの声を()げた。

 肴問屋衆も頷いていたが、甚次郎だけは静かに瞼を閉じている。

 武兵衛は自分が総大将だと聞いて、頭を()いた。


「水滸伝の大将は(じん)(とく)の備わった(きゆう)時雨(じう)(そう)(こう)と決まっている。俺は()(もん)(りゆう)()(しん)の再来と言われた(おとこ)だ。気が短く暴れるだけしか能のない、ただの馬鹿ですぜ。そんな総大将……」


 成り行きを黙って見ていた、名主の源六が「甚兵衛さんは水滸伝の名軍師、()()(せい)()(よう)先生そのものだ。史進が大将でも、大丈夫じゃ」と述べる。


 すると、皆が大きく笑った。


 明るい心持ちになった中、佐兵衛が改めて、皆へ問うた。


「我等は心を一つにして、九紋龍の大将に従いて行こうではないか」


 皆の同意に押され、武兵衛も決意を固めた。

 三本締めの前に挨拶をおこなった。


「俺が総大将になった上は全身全霊を懸けて、魚河岸衆と日本橋の町を守り切ってみせる」


 日本橋魚河岸衆は、畑屋甚次郎等の極めて一部の不参加者を除き、相模屋武兵衛を総大将として、義勇軍を起ち上げることに決めた。


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