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其之五

       五


 透き通るように白い肌のため、萬吉の化粧(おつくり)は紅と引眉と、素顔かと見紛うほど薄く白粉を施すのみである。

 だが、顔も首筋も、()()()いていない足の指先も、雪のように白く美しい。


 武兵衛と甚兵衛の顔を確かめてから、座ってお辞儀をした。


「今宵はお招き頂きまして、ありがとうございます」


 ()(こう)()が許可した女芸者は吉原芸者のみであるため、吉原以外では正式には(しやく)(じん)といい、通称で町芸者、女芸者と呼ばれている。


 日本橋芸者は、数が少ないため、吉原芸者、柳橋芸者の(こう)(じん)を拝してはいる。 

だが、客のほとんどが魚河岸衆であるせいか、(たつ)(ぴき)にかけては、江戸随一であった。艶気よりは、(いな)()な気質と、芸の確かさで人気を博している。


 町芸者は、春でも模様のものや、変わり裏は着ないことになっているので、萬吉も春色の簡素な衣装である。

 潰し島田の髷に挿してある(かんざし)も珊瑚玉の質素なものだ。


 百川の小女が、美しい(みず)(ひき)の祝儀袋に包まれた(はな)(祝儀)を台に載せて、運んでくる。

 (あらかじ)め、武兵衛が用意したものだった。


 花は一分ときまっていたが、正月なので、多くした。

 更に、萬吉には好きな春の衣装を仕立てられるように、恵比寿屋の切手を手紙と共に入れておいた。

 それなりに高価な贈り物をしたつもりである。


(ちよう)(だい)しましたよ」


 花は、女芸者と、芸者見習の()(しやく)で分ける仕組みなので、萬吉が祝儀袋を見せると、御酌は「ありがとうぞんじます」と声を揃えて礼を述べる。

 これも女芸者を招いた折の儀式の一つだ。


「昨年は正月早々、(きよう)()(きん)(こう)(孝明天皇)が亡くなって、長らく鳴り物が禁止だったから、女芸者も(おう)(じよう)したろ。玉代も(はず)んでおいたから、しっかりと百川から受け取れよ」


玉代とは、座敷に招く金を指す。

 後日、料理茶屋から手数料を引いて、女芸者に渡される。


「何から何まで細かくお気遣い頂いて。……お優しい御方でござんすね、相模屋さんは」


「礼には及ばねえよ。早速だが、綺麗な声を聞かせておくれ」


「あい、(ただ)(いま)……」


 小さい料理茶屋が多い日本橋では、柳橋の女芸者のように大人数の地方(じかた)を連れてきているわけではない。

 だから、萬吉が三味線を構えれば、すぐに()(うた)が始まった。


〈♪春は梅みて楽しましゃんせ、色は紅白錦に咲きてつきはめをとに枝かはす、好いた同士と思はんせ、アレ嬉しい花じゃないかいな♪〉


 御酌が武兵衛と甚兵衛の盃に酒を注ぐ。

 だが、武兵衛の手は止まったまま、萬吉に見蕩(みと)れていた。

 すっと、甚兵衛が顔を寄せて、耳元で囁いた。


「武兵衛さん、顔が(ゆる)み過ぎてますよ。恋に呑まれる野暮だけは、お止しなさい」


 驚いた武兵衛は、手で触れて顔を確かめる。急いで、口許を引き締めた。


「思い違いしないでくれよ、これは肴問屋衆の御座敷遊びだ。俺はお艶一筋だぜ」

 もちろん、(とつ)()()いた嘘である。


 萬吉が歌い終わった。武兵衛は妄念を断ち切るように、酒を喉に流し込んだ。


「もう少し自慢の喉を聞かせておくれ」


 甚兵衛が次を催促すると、萬吉は嬉しそうに頷いて、三味線を構え直した。


〈♪君が代はちよをかさねしきしの松こずへこずへに巣ごもりて鶴の羽をのすそよや♪〉


 と長唄《(いま)(よう)()()(さん)()(そう)》の一部を唄った。



 武兵衛は客として、「春らしい良い喉だぜ」と萬吉を褒めそやした。



 萬吉も深々と頭を下げて「お耳汚しに、もう少し……」と言い掛けた。



 すると、隣の部屋から膳が倒される音が聞こえて来た。次に怒鳴り声である。


()(へい)()(ぎよう)(なみ)が戦死し、五日に敗走した、だと。……淀城はどうした。稲葉様は御味方だろう」


「それが、真っ先に稲葉様が(ぞく)()へ寝返り、我が官軍は、やむなく大坂へ兵を引いたそうだ」


 甚兵衛のみならず、武兵衛も耳を(そばだ)てた。

 ガチャンと酒器が割れる音がする。


「稲葉様は御老中を務める重臣ぞ。よもや、裏切りをなさるとは……。上様は、どうなる」


「当家に届いた早馬の知らせでは、大坂の様子までは、分からん」


「大勝利などと、誰が左様な嘘を()いたのだ。〈周旋会〉など開いておる場合ではないぞ」


「そうだな。大坂への出陣の御下命があるやもしれん。方々、本日は()(ひら)きにしよう」


 慌てて立ち上がり、どかどかと廊下へ出て、急ぎ足で階段を下りていく。


 武兵衛は甚兵衛の顔を覗き見た。

 酒の酔いも吹き飛んで、真顔で考え込んでいた。


「淀の稲葉って奴が裏切ると、公方様はヤバいことになるのかえ」


()(ろう)(じゆう)だからな。稲葉様が賊徒へ(はし)ったとなると、周辺の御味方も追随する恐れがある。そうなれば、大坂におわす上様は、()(めん)()()だ。そもそも官軍の本軍は江戸にある。西国の僅かな官兵で、(けい)()から攻め寄せる賊徒を払い退けられるか……。いや、無理だな」


 萬吉は三味線を置いて、武兵衛と甚兵衛の傍に座った。


「実は先程も、別の御座敷で、今のお話を聞きました。陸軍のお偉いお客さまでしたが、(かみ)(かた)()(ぐん)(かん)で兵を送るか、江戸を固めるかで、悩んでいらっしゃる御様子でした」


 甚兵衛は痙攣(ひきつ)ったような表情になり、萬吉を見た。


「江戸を固めると申したのか。……それじゃ、京師の賊徒をこちらで迎え撃つ策を考えているんだな。冗談じゃねえぞ、江戸を戦場にするつもりか。魚河岸(かし)は、どうなるんだ……」


 日頃は佐兵衛同様に、老舗問屋の旦那衆らしく品のよい言葉を使うが、甚兵衛は(たか)ぶると(でん)(ぽう)調(ちよう)になる。そのままの勢いで、立ち上がった。


「武兵衛さん、先に帰る。知り合いのお武家衆に、何が起きているのか、手紙で様子を探ってみようと思う」


 甚兵衛が帰ったら、武兵衛は萬吉と二人きりだ。

 ()(がた)い、と心が(おど)った(せつ)()、お艶の(はん)(にや)のような怒り顔が頭に浮かんだ。 背中の龍を彫った辺りがぞわりとする。


「待て、俺も帰るよ。……萬吉、済まねえ。今度、存分に唄を聴かせてくれや」


 まだ(まい)を一曲も披露していない。萬吉は瞠目した。

 だが、事情を察して頭を下げた。


「……世の中が落ち着きましたら、また、お(まね)き下さいましね」


 武兵衛の本音は、後ろ髪を引かれる思いであった。だが、甚兵衛に従いて、廊下へ出た。


 階段を下りて行くと、女将が「もうお帰りですか」と驚いて近付いて来た。


「ちょいと急用を思い出してな。勘定を(たの)ま」


 女将は帳場へ急ぐと、帳面を見ながら、(そろ)(ばん)を弾く。


「お預かりしていた前金の内で納まります。……いつもは御酒が進みますのにねえ」


 すると、階段を萬吉が慌てて、下りてくる。

 息が上がっているのに、早口になった。


「武兵衛の旦那……。手紙の中に、恵比寿屋の切手が。それも、あんなに沢山……」


 萬吉の瞳が嬉しさで潤んでいる。

 武兵衛は少し格好を付けて、首を横に振った。


「今日は慌ただしくて、悪かった。次に招く時には、春の新しい衣装を見せておくれ」


 色を売らない日本橋の女芸者が、恵比寿屋の切手ぐらいで心が動くはずがない。だが、少し嬉しかった。


 ――女芸者との遊びの恋の駆け引き……。二、三年じゃ、(まと)まらねえのが相場だ。


 武兵衛が女将と萬吉が見送る中、下足番に草履を出してもらっていると、もう(すで)に甚兵衛は店を出ていた。

 百川の提灯を手にして、武兵衛は声を出した。


「甚兵衛さん、そんなに急がなくても。……俺に、もう少し余韻を味わせてくれよ」


百川を出ると甚兵衛の姿はなかった。

 武兵衛は(ひと)りで、室町の大通りへ出る。左へ曲がると日本橋がある。


 ()(とう)が出なくなったので、暗くなっても、(おお)(だな)が並ぶ日本橋通界隈は賑わっていた。

魚市場へ近付くと、門が閉まっていて、暗い。とっくに寝静まっている。


 武兵衛は呑み足りないので、日本橋を渡り、知っている居酒屋や四文屋へ行ってみた。

 だが、何処も人で溢れていたので、何となく、御納屋へ脚を向ける。


 案の定、御納屋の役人や小者は、酒盛をしていた。

 武兵衛は呆れて、声を懸けた。


(のん)()に酒なんか呑んでいて、よろしいのですかねえ。上方の戦争は噂と真反対に、御味方が負けちまって、公方様が大坂でにっちもさっちも行かねえって寸法だそうですぜ」


「冗談を申すな。大勝利だと誰もが話しておる。だから、祝盃を挙げていたのだぞ」


 役人は笑った。


 見れば、御納屋で作った蒲鉾を勝手に切って、酒の肴にしている為体(ていたらく)である。小者の順吉は武兵衛へ盃を渡してきた。何処かで見た、妙な(まげ)をしていた。


「これは、錦絵の(えん)(ちよう)(まげ)。今、流行(はや)っているんです。魚河岸の軽子衆も皆、やってますぜ」


 順吉は武兵衛が受け取った盃に酒を注ぎながら、頭を動かして、自慢げに見せびらかした。


 武兵衛も酒が欲しかったので、盃に口は付けた。

 だが、黙っていられなかった。


「親玉が敵に囲まれているんですぜ。お役人は忠義を尊ぶ御武家様でしょうに」


 順吉の傍に座っていた御賄所役人は、()()ない顔で薄く笑った。


「俺たちは、しがねえ十俵取(じゆぴようどり)(ほう)(ちよう)(ざむらい)だ。中身は町人と変わらねえ。そんな俺たちが上様を救えるものかよ。この御肴役所で、御城から命じられた魚を納めるだけが、仕事であり、忠義なのさ」


 武兵衛は急に役人が気の毒になった。火鉢に掛けてある銚釐(ちろり)を取り、盃へ酒を注ぐ。


「野暮はもう言わねえよ。明日は俺が当番だ。とことん、呑みなさるがいいや」


 武兵衛も付き合って、御納屋で数刻、役人衆や小者と酒を呑み続けた。


 相模屋へ帰る途中、江戸橋の真ん中に立って、冷たい夜風で酔い覚ましをした。


 酒臭い息を吐くと、白くなる。春とは言え、まだ寒い。


 月は上弦と満月のちょうど中間の大きさで、日本橋川の水面に揺れていた。


 本石町の時鐘が九ツ(午前零時)を告げた。


 鐘が鳴り終わり、歩き出そうとした途端、ドーンと一発、砲音が江戸の空に響いた。

 

「うるせえな。誰だァ、こんな寒い()()に、花火でもあるめえに」


 野犬が騒いだ。

 武兵衛は気にも止めず、木戸番を叩き起こして、相模屋へ帰った。


 深夜の江戸に(とどろ)いた砲音は、御軍艦の(かい)(よう)が帰府を知らせたものであった。


 大坂にいるはずの(とく)(がわ)慶喜(よしのぶ)が、松平容保(かたもり)等と共に、江戸へ戻って来たのである。


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