第51話 機動力
「マジかよー。スコアは0−6で既に6回裏まで終了。こっから逆転はかなりキツイな」
ミキシリング共和国軍による電撃戦で侵攻を受けた我らがベスボーラ王国は、急遽オレを含めた少数精鋭部隊を編成した。
夜明け頃に王都を出てから強行軍で進み、その日の日没近くになってから遂に、王都に迫った敵軍先鋒部隊を捕捉して迎え撃ったのだ。
そしてもちろん、即座にオレはスキルを発動した。
そうやって敵軍を後続部隊まで含めて野球の試合に引きずり込んだところまでは良かったんだが。
ここまでの戦況を反映してか、なかなかヤバい点差で終盤から試合が始まるという面倒な事態となっている。
スキル発動時の試合のルールは、オレが高校球児であることを反映してか7回終了時点で7点差以上あるとコールドゲームとなってしまうから、とにかくこれ以上の失点は防がないといけない。
そして今は7回表で共和国側の攻撃。
日没近くという現実の時間帯に合わせているのか、仮想空間で行われる試合では初めてのナイターとなった。
ボールの見え方とか不安だが、照明は十分に明るく、仮想空間の夜空には満月が見えて月明かりもあるから問題はないだろう。
そしてマウンドにいるのは当然オレだ。
打席には相手の1番打者が入ろうとしているが、普通の人間のようだ。
共和国には人間もいるから当然ではあるのだが、亜人種の国民も多いと聞いているので、少し拍子抜けだな。
それはともかく、1番打者はオレの方を睨みつけると早速挑発してきた。
「お前がキュータロウか。この野球という球遊びで最強の戦士と聞くが……このウィリスの足を止められるかな? ウォォォォーン!」
なんと、ヤツが満月を見たと思ったら雄叫びと共に身体が変化し始めた!
鼻が前に突き出して耳が大きくなっていく。
そして全身毛むくじゃらに……犬か?
「違うわっ! 俺は誇り高き狼男、犬と一緒にするんじゃねえ!」
でもイヌ科だよね、と言いかけたが余計な挑発はやめておこう。
怒りでパワー倍増とかの特殊能力でも持っていたら面倒なことになる。
まあ冗談はこれくらいにして、真面目に考えると左打席に入って足を自慢となれば、あれを仕掛けてくるとしか思えんのだが。
そういうわけで初球は高目にストレートで様子を見る。
このコースなら仕掛けてきてもポップフライになる可能性が高いからだ。
セットポジションから投球動作に入るとヤツは予想通りセーフティバントの構えを見せてきた。
ウチの内野手にはバント警戒のサインを出しておいたのでファーストとサードがうおおっ! と前に出ていく。
プレッシャーを前にして狼男はどうする?
「ボール!」
狼男はあっさりとバットを引いてしまった。
それに、ストライクゾーンぎりぎり狙ったのにボール判定された、クソッ!
まあいい、2球目はインサイド低目に強いストレートを投げ込んでやる。
うりゃっ! と投げ込んだ速球は球威も手応え十分、いいコースへのバントなんぞさせないのだ。
「ボール!」
見送られて、まさかのボール判定。
久しぶりの実戦でしかもナイターだから、感覚が微妙に狂ってるのだろうか。
首を傾げるオレに向かって狼男は煽り気味に自分の能力を自慢する。
「アォーン! 臭えんだよ! 俺は匂いでボールとストライクを見分けられるのだ、カッカッカッ!」
嘘つけ!
そんなんでわかるわけねーだろうが。
いや、煽ってイライラさせるのが狙いだろう。
それに選球眼が優れているのは事実。
オレの方が投球を修正しないといけない。
次は……変化球でいくか。
変化球の方がバントで合わせやすくはなるが、縦の変化が大きければ簡単ではない。
というわけで外角にカーブ。
バックドアでボールからストライクゾーンに入ってきて……。
「ストライク!」
よっしゃ、ストライクが取れて一安心。
ジッとボールの軌道を見ていた狼男だが、途中でボールと判断して目線を切ってしまった。
バックドアで入ってくる変化球は、まだ野球というものが知れ渡ったばかりのこの世界の住人にとって、初見では見切りにくいようだ。
ではアウトコースの残像が残っているうちに仕留めにいきますか。
インコース高目に渾身のストレート!
「ファール!」
さすがにバントしづらいコースと思ったのか、最初にバントを構えかけてからヒッティングに切り替えてきた。
完全に振り遅れでよく当てたなって思うくらいの反応速度で嫌な相手だ。
しかしこれはこちらの思うツボでもある。
次は振り遅れないように早めに振ってくるはずだ。
続けてインコース低目にチェンジアップでタイミングを外して、空振り三振を狙う!
……とはならなかった。
「ファール!」
狼男はタイミングを外されて泳ぎながらも喰らいついてきてファールで粘る。
その後も8球ファールで粘られてしまった。
狼は狩りでは獲物をしぶとく追い回すってテレビか何かで見た覚えがあるんだが、打席でもそのままってわけか。
そして……。
「ボール! フォアボール!」
チクショー!
根負けしちまった。
塁に出してしまったので、盗塁に警戒しなくてはならない。
で、次の打者は。
「ケヒヒヒ! キュータロウ、お前に引導を渡すのはこの俺さま、ユエンだぎゃあ! 7点目を取ったらお前らは終わりだぎゃあ! ギャッギャッギャッ!」
なんと、今度はゴブリンが右打席に入った。
といっても漫画やweb小説とかに出てくるような凶悪そうな感じではない。
まあ、口は悪いしズル賢そうな雰囲気は感じるけど、体格は小柄で痩せ型だし長打は無さそうだ。
ならば力押しだ。
外角高めにストレート!
「ランナー走ったぞ!」
投球動作の途中でファーストのピアーズが声を出した。
しまった、警戒すると言いながら全然クイックモーションをしていなかった。
こうなったらとにかくキャッチャーへ投げ込んで刺してもらうしかない。
右腕を振り切って投げた速球はキャッチャーミットへ糸を引くように吸い込まれていく……いやバットが出てきた。
カーン! とミートした打球音で右方向へライナーが飛んでいく。
「ファール!」
初っ端からエンドランを仕掛けてくるとは。
でもこれは当ててくれて助かったというべきか。
あのままだと盗塁を決められていただろう。
というわけで気を取り直してセットポジションに入ってから牽制!
「セーフ!」
大きなリードを取ってたから刺せると思ったんだけど、まさに人並み外れた反応速度で帰塁されてしまった。
「ヘイヘイ! そんなノロい動きじゃあな。このウィリスを仕留めることなど夢のまた夢だぜぇ、アォーン!」
狼男の野郎、調子に乗りやがって。
もう一度牽制を入れたがやはりアウトにはできそうにない。
しかしリードはだいぶ小さくなったから大丈夫だろう。
オレは今度こそクイックで投げる。
「走ったぞー!」
またもやピアーズから声が聞こえてきた。
マジかよ!
しかし速球をアウトコースに投げたのでキャッチャーのサーマンの肩なら十分に刺せるはず。
「……何だよあれ」
サーマンは送球動作に入ったがすぐに止めて驚きの表情のまま突っ立っている。
オレは2塁の方を振り向いて、そして同じように呟いた。
「なんじゃありゃ! 4本足でダッシュかよ!」
そして悠々と2塁を陥れられた。
「アォーン! キュータロウ、さっきの投球は隙が無かった。ケモノみたいだからやりたくない4本足ダッシュを俺にやらせやがって!」
つまり本気にさせちまったってことか。
しかし厄介だ、あのスピードだと3塁も容易く盗まれそうに思える。
と思ったが、意外とそうでもないかもしれない。
ヤツは基本的に人獣型なのだ。
だからずっと4足歩行の姿勢を続けるのは疲れるようで、リードは2足歩行でやっている。
セットポジションで静止している今、そこをよく観察して変化を見逃さないようにすればいい。
重心が低くなってきて、手を地面に近づけ始めた。
そこだっ!
「うわあっ!」
「セーフ!」
残念ながら刺せなかった。
でもヤツの重心が低くなってきたところで入れた牽制は思いの外効果があったようで、リードは小さくなり、3塁を取りにくる気配が薄くなった。
バッターは既にツーストライクで追い込んでるし、まずはワンアウト取る事を優先しよう。
オレはインサイド高目にストレートを投げるつもりだ。
見逃せば三振、だがそれを嫌って当てにくればオレの球威で押し込まれて打球が詰まる確率が高い。
もし狼男がエンドランでスタートを切っても、うまく行けば小フライか力のないライナー性の当たりでダブルプレーが取れるかもしれない。
よしこれでいこう。
オレはセットポジションからクイックで左足を上げつつ重心を前に移し始める。
だが投球動作に入ったところでユエンはバントの構えを見せた。
三振覚悟のスリーバントで、できればランナーを進塁させようってところか。
ファーストが突っ込み始め、オレも3塁線へ意識を向けたのだが、その直後だった。
「おっと!」
ファーストのピアーズがギョッとしたみたいな声を出して急停止したようだ。
なぜならユエンがすぐにバットを引いてバスターの構えを見せてきたから。
そのまま突っ込んでいったら打球が直撃するかもしれない。
だけど、打ってくる方が好都合だぜ。
ストレートで詰まらせてやる!
オレはそのままインサイド高目へ速球を投げ込んだ。
「ケヒヒヒ、引っかかったぎゃあ! マヌケがぁ!」
なんとユエンはまたもや素早くバントを構え直すと、キチンと当てるというよりは、どうにかして高目のボールにバットを当てて3塁側に転がしてきた。
ボールの勢いも転がしたコースも中途半端だが、一旦バントシフトを止めたので再びダッシュするのに余計な労力がかかる。
おまけにユエンは見た目通りにすばしっこくて、あっという間に塁間の半分を通り過ぎていった。
「ああもう! ちょっとヤバいタイミングだ!」
オレは打球を素手で取って踏ん張り、そのまま振り向きざまに1塁へ送球したのだが。
「セーフ!」
間一髪の差で間に合わなかった。
あーあ、ノーアウト1、3塁か。
いきなりろくでもない展開だよ。
「おい、ファースト! 3塁ランナー回ってる、早くホームへ投げろ!」
サードからファーストのピアーズへ危機を知らせる大声が響いた。
狼男のウィリスは4足で全力疾走して、いつの間にかホームベースはすぐそこだ。
ピアーズは急いで送球したのだが……。
「セーフ!」
慌てたのか送球は盛大に逸れてしまい、オレはそれをカバーしにいったが、結局ユエンまで2塁に行かせてしまった。
「クヒヒヒ! 俺さまの予告通り、決定的な7点目を取ってやったぎゃあ〜! 精々天国へ行けるように今からお祈りしておけ、ギャッギャッギャッ!」
クソッ!
まんまと奴らの思う通りにプレーさせてしまった。
電撃戦を仕掛けてきた部隊だけあって、機動力だけで点を奪い取っていきやがった。
しかもまだノーアウト2塁。
オレはこの世界に来てから初めて、野球の試合で途轍もない不安を感じている。