「惑星」(4)
数日前……
日本、赤務市。
井須磨海岸ぞいの幹線道路。
時刻は夜更けを深めていた。
国道を鬼火のごとく行き交う一般車たちは、なにも気づいていない。たったいま生じた大きな、それでいて異常極まりない交通事故は、政府直轄の秘密機関に牛耳られた警察が淡々と処理している。特殊情報捜査執行局〝ファイア〟の敷いた箝口令の効果は絶大だ。
内密にされた事故の内容は、おもにこのようなものだった。
運転していないにも関わらず、乗り物が酔っ払ったように勝手に動く。
乗り物から乗り物へと、幽霊みたいな人影が猛スピードで飛び移った。
次から次へと乗り物に噛みつき、幽霊はなにかを吸っていく……等々。
恐ろしいことに、目撃談は事実だ。
もっと掘り下げると、それは驚くべき〝機械の血を吸う吸血鬼〟デクスター伯爵チャールズ・ウォードの仕業だった。機械の血……つまりガソリンを啜られた自動車たちは、超常的な吸血鬼の呪いに支配され、続けざまに玉突き事故を起こしている。
市民を脅かす危険生物を、政府は放っておかない。
怪物の討伐を、組織はこのハンターに託した。
エリザベート・クタート……少女のエリーに。
彼女は吸血鬼狩りの専門家だ。そのうえ彼女こそが〝吸血鬼の血を吸う吸血鬼〟……凄まじき〝逆吸血鬼〟であることを加味すれば、これほど最適な人員配置もない。
高速道路を外れた広場に乗り捨てられるのは、専用のレーシングバイク〝血晶呪マークⅣ〟だった。その常軌を逸した特殊改造は、もはや人類の乗車を想定していない。バイクのエンジンはいまだ燃焼して重低音の鼓動を放ち、紫外線発生機を兼ねたヘッドライトは強烈な投光で夜空を裂いている。
ガソリンまみれの草むらが鳴る広場で、繰り広げられるのは人外の死闘だ。
真紅の剣閃を、鋼鉄の塊は受け止めた。エリーから迸った必殺の斬撃を、デクスター伯爵は自動車の扉で防御したのだ。もよりの事故車からもぎ取ってきた二枚のドアは、呪力を帯びて強固な盾と化している。
金属質の不協和音を轟かせ、ふたりは前後に飛び退った。
学生服のエリーが構えるのは、赤い長剣だ。タイプ02と名付けられたその攻撃補助装置は、刀剣の骨組に変形してエリー自身の血液が流されている。エリーの血は最先端のナノマシンのごとく呪力で自在に操作ができ、現在は鋭い刀剣の姿だった。
「どうした、逆吸血鬼。我の血を吸うという心意気はどこへ?」
両手の盾と盾とを強く打ちつけ、デクスター伯爵は威嚇した。エリーも高速回転する血刃を引っ提げたまま、お互いにじりじりと間合いを計って動いている。双方ともの唇に煌めくのは、犬歯や八重歯にしてはやけに尖った牙だ。
眼帯を着けていないほうの瞳を細め、エリーは不敵に笑った。
「いや、の。感服しておったのじゃ。あのへたれ吸血鬼が、ようここまで手強ぁなった」
「なにをぅ?」
エリーの挑発どおり、デクスター伯爵の成長度合いは驚異的だった。
美樽山にある組織の秘密基地を脱走する際、デクスター伯爵は人型自律兵器の警備員を相手取っている。なんと、まとめて二機もだ。片方はタイプSの黒野美湖、いま一方はタイプPのパーテと強敵このうえない。相性もあるとはいえ、政府の誇る戦闘型アンドロイドたちを一蹴し、デクスター伯爵は無事にここまで逃げおおせた。二機はなんとか一命は取り留めたが、話題の機械に効く吸血鬼の呪いを浴び、アンドロイドなのにいまなお病床に伏せっていると聞く。
端正な指先で02の柄を握り直し、エリーはささやいた。
「事情聴取も捜査官の大事な任務じゃ。わらわに血を吸い尽くされた後では、回答もままなるまい。だから前もって聞くぞよ。いったいなにが、何者が、うぬにその珍奇な能力を授けた?」
愉快げに肩を揺すり、デクスター伯爵は返事した。
「大いなるホーリー様だよ」
「!」
柳眉を逆立たせ、エリーは耳にした単語を疑った。
「やはり黒幕は彼奴か……よう吐いたのう」
「知ったところで対処のしようもないがな。このチャンスとともに、我がホーリーから仰せつかった役目はひとつ。この命が許すかぎり奔走し、戦い、計八名のカラミティハニーズを駆逐することだ。すでに黒野美湖は達した。つぎはきさまだぞ、エリザベート・クタート?」
「ほう、われらを残らず捻じ伏せるとな。その下らぬ宴会芸と引き換えに、とんだ茨の道を案内されたものよのう、うぬも」
高飛車に言い返し、エリーは叫んだ。
「その野望の渦、わらわが堰き止める!」
地面を蹴るのは、ふたり同時だった。
下段に垂らされた血刀が、エリーの低空の疾走とともに足場をこする。直上からギロチンのごとく迎え撃つのは、デクスター伯爵の超重量の盾だ。
さっき試したように、まともな剣技は通じない。跳躍したデクスター伯爵の眼下へ、エリーはスライディングで滑り込んだ。手放した02の骨組は、エリーの足もとに落ちて変形。優美なハイヒールと化して履かれる。紙一重で身をひねったエリーの側頭部を毛先だけ切り裂き、地面をえぐって土砂を爆発させたのは凶器の盾たちだ。
それはまさしく、暴漢に馬乗りにされる女子高生の光景だった。
倒れたまま、エリーは両足で地面を踏み抜いている。
「血晶呪〝血針〟!」
「ぬぅッ!?」
エリーの呪文に、デクスター伯爵の苦悶は重なった。
鋭い特殊複合金属のハイヒールから伝わったエリーの血潮は、地面を貫いて無数の長大な棘を生やしたのだ。真っ赤な剣山のすべては防ぎきれず、盾をすり抜けた幾本かはデクスター伯爵の体に刺さっている。
傷は浅い。
なのにエリーは断言した。
「わらわの勝ちじゃ」
「小癪な! 小娘の小細工ごときでは、我は小揺るぎもせんわ!」
血の糸をひいて、デクスター伯爵はエリーから飛び離れた。デクスター伯爵の返り血で美貌を汚したエリーを指差し、ありったけの呪詛をこめて怒鳴る。
「来たれ! 我が下僕どもよ!」
「!」
汚れた大地に響き渡ったのは、かんだかいスリップ音だった。
いきなりエリーに突進してきたのは、一台の自動車だ。例の交通事故に巻き込まれた事故車である。車体は半壊し、運転手も乗っていない。にも関わらず、そんなものが独りでにエリーめがけて迫ってくる。デクスター伯爵の神秘の呪力に操られたそれは、大質量かつ猛スピードだ。
さすがに顔を強張らせ、エリーはうめいた。
「血晶呪〝血壁〟!」
脱がれて蹴り上げられたハイヒールは、エリーの手もとで今度は傘状に広がった。たちまち片腕に生成されたのは、血でできた円盤型の防盾だ。渾身の力を込めたそれで、肉薄する自動車を殴り飛ばす。反動で側転したエリーの脇をかすめ、呪われた暴走車は広場の丘に激突して止まった。
いや、一台だけに留まらない。デクスター伯爵が呼んだ廃車の二台目は、三台目は、獰猛に揺れつつ高速でエリーに襲いかかっている。
「~~~~~~ッッ!!」
雄叫びとともに、エリーは盾を振りかざした。
ゾンビのごとく群がる鋼鉄の獣どもを弾く、弾く、弾き飛ばす。しかし駄目だ。すべては捌ききれない。跳ね返しても躱しても、無人車は誘導ミサイルの執拗さでエリーを追尾してくる。
両手で絶え間なく呪力の軌道を描き、デクスター伯爵は下品な歓喜を放った。
「ぶっ潰れよォォッ!」
とうとうエリーは、車の一台に撥ねられた。後方の土手に叩きつけられたそこへ、さらに後続の車が突っ込む。一台、二台、三台、もっと、もっと。激突のたびに儚く痙攣するのは、そこだけ覗いたエリーの細腕だ。
殺到する車は山を作り、衝突音はようやく止んだ。挟まれて潰されたエリーの手は、あらゆる力を失って盾ごとくたりと垂れ下がる。
タイヤのゴムが焼けた煙の向こう、デクスター伯爵は双眸を輝かせた。
「勝った……」
思いきり仰け反って、デクスター伯爵は夜空に高笑いした。
「勝った! ついに仕留めたぞ、憎っくき地球産の逆吸血鬼を! ホーリーよ、この力は最強最高だ!」
広場から望める街の夜景を、デクスター伯爵は嬉々として薙ぎ払った。
「見ろ! この惑星には、我に従う機械がごまんと溢れている! 次は戦闘機や戦車の血を吸い、その火力で残りの獲物も瞬時に消し炭にしてくれるわ! これなら念願の世界征服も夢ではない! はは! ははははは! ……は?」
デクスター伯爵の自演が尻すぼみに途絶えたのは、妙な音が聞こえたためだ。
金属音だった。
振り向けば、完全にノシイカになったはずの女子高生の腕が、携えた盾の先端で、強く地面を叩いているではないか。正確には、そこへ点々と続く鮮血の跡を。
殴る、殴る。二回、三回、四回……
その血の糸は、よく見るとデクスター伯爵の足の爪先までつながっていた。彼自身の血痕に間違いない。さっきエリーが、おかしな赤い針山でつけた傷だ。
ふとデクスター伯爵は思い返した。呪いの支配下に置く際の自動車から、彼はなんの液体を吸血していただろうか。なので現在、この吸血鬼の体内にはその非常に危険な物質が混入している。
ガソリンだ。
やがてエリーが盾で叩く地面には、かすかな光がちらついた。火花だ。
色々と察し、デクスター伯爵は悲鳴をあげた。
「ま、まま待て、逆吸血鬼! それ以上するな! 悪かった! 謝る!」
「なにをじゃ? べつにわらわは、ひとつも怒ってはおらんぞよ。これは正々堂々の決闘じゃからのう」
ひしゃげた車体と土手の隙間で、エリーは最後の一撃を振り上げた。こちらもふと思い出したように、つぶやく。
「真剣勝負なのに、酒の飲み過ぎはいかんわな」
轟音……
エリーの盾が引火を起こしたガソリン満タンの血は、デクスター伯爵に伸びる導火線と化した。逃げる隙もない。あっという間にこちらからあちらへ到達した炎は、デクスター伯爵の体内で暴れ狂っている。
自分の血で、吸血鬼は燃えた。
しばし灼熱のダンスを踊り、火だるまでその場に倒れ伏す。いくら吸血鬼の強靭な生命力があるとはいえ、この大量のガソリンの炎上には耐えきれない。
一方、事故車の山は崩れた。
現れたのは、制服がぼろぼろになったエリーだ。並外れた逆吸血鬼の再生能力は全身の重傷を治癒しつつあるが、激痛のため脱臼した肩は手でかばっている。
デクスター伯爵でできた焚き火に、エリーはふらふらと歩み寄った。さすがに体力の限界だ。真っ赤な盾を収納することも忘れている。
「おお、まだしっかり生きておるな、伯爵め。いまのは危なかった」
手首にはまる腕時計型の通信機へ、エリーは眼帯越しに視線をやった。さっき道路で別れた相棒の若者……マタドールシステム・タイプOの凛々橋恵渡は、強力な戦闘用の四輪駆動車といっしょに近くで待機しているはずだ。
「エド、エド。応答せよ」
〈はいはい? 無事だね、エリー?〉
「お陰さまでの。さっそくじゃが悪い知らせじゃ。ついに本格的に動き始めたぞ、ホーリーが……」
「呼んだ?」
正体不明の声は、冷ややかに背後から答えた。
直感的に一閃したエリーの円盾を、新たな敵影は軽く身を反らすだけで回避している。
かすかにフットワークを刻むのは、どこか未来的なスーツを着用した少女だった。
こんな夜更けにひとり、年端もいかない小娘が、閑散とした高速道路ぞいでなにをほっつき歩いているのだろう。おまけに少女の所持品はといえば、小脇に抱えられた奇妙な辞書だけだ。健康のためのジョギング等とは、とても考えられない。
組織の情報網だけで、エリーは彼女の存在を知っていた。まだ信じられない口調で、その想像を絶する人物の名を口にする。
「ホーリー……!」
超未来から訪れた諸悪の根源……ホーリーは、皮肉っぽい微笑みで挨拶した。
「こんばんは、逆吸血鬼のエリザベート・クタート。その戦いっぷりは十分に観察させてもらったよ」
国道のヘッドライトに、光、闇、光と変わりながら、ホーリーは言い放った。
「へとへとにお疲れのところ突然なんだけど、すぐに死んでくれるかな?」
エリーは無言だった。ただ静かに、掌のタイプ02を長剣に変形させただけだ。
血刀の切っ先を顔の真横、つまり霞に構えてエリーはうなった。
「舐めるなよ。わらわを殺したければ、全細胞ごと死滅させてみい」
「そのつもりさ。〝超時間の影〟……五倍」
湿った音がした。
「?」
不思議げに、自分の懐を見下ろしたのはエリーだ。不条理な五倍速で迸ったホーリーの拳は、エリーの鳩尾を背中まで貫通しているではないか。粉砕された肋骨は背後へ飛び出し、冗談のように鮮血がしぶく。
「はい、これできみも瀕死だね。出番だよ〝断罪の書〟」
「ぐ、ぐは……さ、させん」
まだ抵抗する赤剣を払いのけ、ホーリーはエリーの体に魔導書を密着させた。
刹那、未知の閃光を発し、エリーの姿は跡形もなく消失してしまっている。邪悪な大辞典〝断罪の書〟の内奥に封印されたのだ。自動的にめくれたページを眺め、ホーリーはその題材を読み上げた。
「エリーはページ〝水神クタアト〟になった。すごいパワーだ。即座に〝大地の浄化〟のエネルギーが溜まったよ」
激しい呪力をまとった辞書を、ホーリーは地面に突き刺した。
同時に、おお。
断罪の書を起点に、波紋のごとく地面の模様は変わり始めた。くすんだ死色から、生あるそれへとだ。その現象は地球全土ならず、異世界の幻夢境にまで影響している。
大地がいったいどうなったのか?
ホーリーは背後に、また別の気配を感じた。
地面に触れるのは、西洋人形のような女子高生だ。陶磁器めいた指先からこぼれる土を視界モニターに収め、少女はつぶやいた。
「土壌から完全に汚染物質が消えてる……これがあなたの〝浄化〟の力?」
いまいましげに女子高生を見据え、ホーリーはその天敵の名前を呼んだ。
「でたね、フィア・ドール……」