「銀河」(4)
「無駄弾は撃つなよ。いらん犠牲がでる。撤退だ、撤退」
銀色の腕時計に吹き込まれたパーテの指示は、自衛隊の全員に伝わった。
オフィス街の中央から、迷彩柄の洪水は外へ外へと流れていく。前進するホーリーとジュズの大群に気圧され、自衛隊は退却を開始したのだ。がらんどうの市街地を突破した敵勢力が、もし一般人の避難する住宅街にまで差し掛かったとき、彼らの役割である救助活動は本番を迎える。
逃げる人々の波を逆流し、決然とホーリーへ歩む者たちがいた。
フィア、ヒデト、パーテ、ソーマ、メネス、アリソンの六名だ。
示し合わせたかのごとく、ジュズの軍隊の中からホーリーは進み出ている。同じく、現代側から先頭へ向かったのはフィアだ。使命感に顔を強張らせるフィアを、しかし手で鎮めたのはメネスだった。
「待て、フィア。打ち合わせどおり、ここはぼくが代表で話す」
「大丈夫なの、メネス?」
「この作戦の肝心な要だ、きみは。味方のだれかが殺されかけるまで、目立った動きは控えろ」
そこからは誰にも聞こえないよう、メネスはフィアへ内緒話した。
「いざというときは情けない悲鳴をあげるから、絶対に助けてね?」
「もちろんよ……」
互いの加勢を背後に残し、メネスとホーリーは近寄って対峙した。
場所は、交差点のど真ん中だ。
「こんにちは、ホーリー」
「やあ、メネス・アタール」
不吉な感情を瞳の奥に宿し、ホーリーは挨拶した。
後腰に吊った鞘へ〝断罪の書〟をしまい、大切にボタンを閉じる。あまり見ない収納具だ。戦闘向けにオーダーメイドでもしたのだろうか。そこにじっと注がれるメネスの眼差しを知ってか知らずか、思わせぶりにホーリーは微笑んだ。
「いまのわたしは、すこぶる気分がいい。いや、よかったはずだ。きみたちが立ち塞がって気分を害するまでは、ね。ことここに至って、いったいどんなご要件かしら?」
状況は、どこまでも一触触発だ。ホーリーが操るジュズ数百体に比べ、現代側の頭数はあまりにも心もとない。
にもかかわらず、メネスは毅然と聞き返した。
「最後の最後に、可能性はないかな?」
「交渉ときたか。なら、なにかしら未来側へのメリットも持ってきたのかい?」
「一応は、ね」
墓所じみた赤務市の街並みを示し、メネスは切り出した。
「いまからでも遅くはない。軍を退いてはくれないだろうか?」
「へえ、なぜ?」
「きみ自身の安全のためだ。このまま交戦に入れば」
ワンテンポ置き、メネスは告げた。
「このまま戦いの火蓋を切れば、きみは命を落とす。間違いなくだ」
現実離れした説得に、ホーリーはぽかんとなった。肩をすくめてたずねる。
「それだけの少数精鋭に、わたしを仕留めるだけの力があるというんだね? カラミティハニーズもいないのに?」
「ああ。このまま大人しく退散さえしてくれれば、ぼくらもきみを見逃す。きみの命の保証が、この交渉で渡せる最高の引き換え条件だ。どうかな?」
「ふむ」
顎を支えて、ホーリーは黙考した。ぽんと手を打ち、結論を口にする。
「わかった。この場でジュズは動かさない」
まさか、交渉は成立した?
奇跡そのものの出来事に、思わず唾を飲んだのはメネスだ。真剣に再確認する。
「それでは……」
「うん。この場の呪力使いは、まとめてわたしの手でなぶり殺しにするよ」
「…………」
静寂の道路を、冷たい砂塵が吹き抜けた。
交差点の信号機が、一挙に色彩を変える。
平和の青から、戦火の赤へと。
とんでもない破裂音ととともに、メネスたちは後退した。
予備動作なしでホーリーの放った拳を、魔法剣士アリソンの大剣が盾代わりに受け止めたのだ。強靭な風の呪力で鎧われているはずの刀身は、しかし粉々に砕け散っている。
アリソンの愛剣を無残に打ち破った拳を、次に防いだのはヒデトの腕だった。交叉した拳と拳に、すかさず特殊複合金属の拡縮盾を展開。そのまま、彼ならではの異能を発動する。すなわち〝異世界から訪れたものを〟〝もとあった場所に戻す〟呪力をだ。
「消えろ! 〝黒の手〟!」
「遅い。〝超時間の影〟十倍」
まともに触れる隙もない。必殺の消去の掌が届くより早く、ホーリーの蹴りは防御をすり抜けてヒデトの鳩尾を捉えた。強烈な一撃に高々と舞ったヒデトの体を、素早く抱きとめたのはフィアだ。着地したフィアの膝の上、吐血とともにヒデトは気を失っている。
「ヒデト……!」
壮絶な光景に激昂し、交代に駆け出したのは巨漢のパーテだ。隣合わせで疾走するアリソンへ、早口に合図する。
「剣がないなら俺を使え、アリソン!」
「お願いします! 〝妖術師の牙〟!」
「マタドールシステム・タイプP、基準演算機構を擬人形式から分人形式へ変更!」
大男のマタドールは、即座にばらけた。正確にはその機体を複数に分割し、変形してアリソンの腕に収まったのだ。
裏返って再合体したパーテは、まさしく長大な機械の剣と化した。その刀身は真っ赤に灼熱し、触れた何者をも焼き切らずにはおかない。さらにそれを後押ししたのは、アリソンの繰り出した風呪の加速だ。
復活した大剣をホーリーへ振り上げ、アリソンは怒号した。
「吹き荒れろ! 風よ! 炎よ!」
唐竹割りに、巨剣は敵を真っ二つに斬り裂いた。
正確には、両断したのはホーリーの残像だけだ。
「〝超時間の影〟二十倍」
アリソンの視界に、ホーリーの脚が広がった。
猛スピードかつ柔軟な踵落としを浴び、アリソンは道路に叩きつけられている。アスファルトに走った深い陥没からして、その威力は並大抵ではない。
「くそ!」
うつ伏せに倒れて失神したアリソンから、大剣だけは自動的に跳躍した。各部のスラスターの推力を最大にし、パーテのみが単独でホーリーに襲いかかったのだ。
その機体は、乾いた音を残して受け止められている。なんとホーリーの手が、左右からパーテを挟み込んで白刃取りしたではないか。だがそれも想定し、刀身は超高温だ。肉の焼ける蒸気をあげ、ホーリーの手は骨まで黒焦げになった。
いや、焼損する端から、ホーリーの手は映像を逆再生するかのように治癒していく。狼狽したのは大剣形態のパーテだ。
「時間を巻き戻して治してやがる! 痛みはないのか!?」
「痛いよ。熱いよ。とにかく苦しい。でも、わたしがこれまで味わった極寒の地獄からすれば、こんなもの、ただ生ぬるいだけだ……〝超時間の影〟三十倍」
かんだかい金属音が響いた。
ホーリーの怪力が、パーテを強引に引きちぎったのだ。半分になった大剣の残骸を、勢いよく道路に捨てる。故障の漏電をまたたかせ、ふたつになったマタドールはもう起きてこない。
左右からの剣閃が、ホーリーに追い討ちをかけた。
「セレファイスよ、剣を!」
「〝竜巻の断層〟!」
二人がかりでホーリーに立ち向かうのは、メネスとソーマだった。
召喚士のメネスの両腕には、ここと幻夢境の武器庫をつないで取り出した鋭い騎士剣が握られている。また、結果使いのソーマの周囲に再現されるのは〝過去、この場所を通り過ぎた斬撃の記憶〟である半透明の幻影剣だ。
連携して降り注ぐ過去と現在の刃の驟雨にも、ホーリーは動じない。雀蜂のような精密なターンでかわす、かわす、かわしていく。突き入れられた騎士剣を腕ごと巻き取り、ホーリーは使い手のメネスの正中線を殴打した。目にも留まらぬ速度で顔面、胸板、腹腔を連撃。血を噴いて道路を転がったメネスから興味を失い、ホーリーはソーマに正対した。
「きみがうわさの倉糸壮馬、刃の記憶の結果使いだね。いちど手合わせ願いたかった。ヒュプノスからの報告が正しければ、きみがいちばん〝やる〟」
「それは光栄だ」
身構えたソーマに同調し、結果呪の刀剣たちはその切っ先をホーリーへ向けた。頽れて痙攣するメネスを一瞥し、吐き捨てる。
「本音を言えば彼と私は、いまもそりが合わなかった。その目障りな相棒も、すでに再起不能だ。もう二度と起き上がってはこまい」
「そうだね。鼻骨や胸骨、肋骨関係はグシャグシャにしておいた。心配しなくても、放っておけば息絶えるだろう。だから、こんどこそ遠慮はいらない。おいで」
「いくぞ。現代は私が守る」
ジュズたちが取り囲む即席のリングの中央、ふたりのデスマッチは始まった。
「〝超時間の影〟四十倍」
「〝竜巻の断層〟最高速」
乱れ花のごとく連発されるホーリーの重い拳や脚を、なんとソーマは立て続けに迎撃してみせた。激的に増加したガラスの刃の活躍は、まるでそれぞれに一人一人の使い手がいるかのようにも見える。
ホーリーが常人の何倍速で動くか知らないが、ならソーマは追いつくだけだ。大部分を自動制御にゆだねた幻影剣は、生命の直感に従って独立して危険を打ち落とす。ゆいいつ弱点があるとすれば、この奥の手には精妙な操作や呪力の節約は効かない。エネルギーの全開とも呼ぶべきそれは、もって約十五秒が限界だろう。
絶え間なく攻防しながら、ホーリーは素直に感嘆した。
「やるやる! やっぱりすごいね! ソーマ・クライト!」
「未来を変えるのはこの私だ、ホーリー!」
ホーリーとの戦いを肩代わりする結果呪は、ただの囮にしかすぎない。次々に粉砕される防御の翼を縫い、ソーマは狙いすました一閃を放った。数少ない手動の攻撃だ。
達人の勘に導かれた切れ味鋭い手刀を、ホーリーは紙一重で避けた。避けたホーリーを外れ、ソーマの幻影剣は標的の腰にある〝断罪の書〟の鞘を傷つけている。大辞典を守る革紐は裂け、角を覗かせたのはその中身だ。
「!」
さしものホーリーも舌打ちした。奇書を破られようと痛くも痒くもないが、せっかく溜めた膨大な呪力にはまだ仕事をしてもらわねばならない。
バックステップでソーマの剣風を回避し、ホーリーは〝断罪の書〟の表面を小突いた。
「ちょっと鬱陶しいね。では、こんなのはどうかな……〝輝く追跡者〟」
「!?」
突如として飛来した岩石、いや幻の隕石をソーマはたちまち斬り落とした。
あろうことか束の間、その攻勢は緩まる。いまの癖のある攻撃は……
回答をもたらしたのはホーリーだった。
「そう、いまのは井踊静良の結果呪さ。本に封印した彼女の能力を利用した。本を破壊したりしたら、彼女は今度こそ真の意味で〝死ぬ〟よ?」
「な……」
一瞬の油断は命取りだった。
ホーリーのマサカリめいた足払いを食らい、ソーマは背負い投げの形で道路に激突している。衝撃にあえぐ暇もない。そのまま相手に馬乗りになるや、ソーマの喉仏に食い込んだのはホーリーの首絞めだ。
ソーマの呼吸は遮断され、結果呪の刀剣も空気に溶けて消えた。首筋にかかる剛腕を引き剥がそうと必死にもがくソーマだが、ホーリーは彫像みたいに身じろぎしない。ソーマの顔色は無言で、死者のそれに塗り替わっていく。
じたばた苦悶するソーマへ、ホーリーは優しくささやいた。
「わたしを殺すだの、運命に勝つだの、ずいぶんと威勢だけはよかったが」
「~~~ッッ!」
もうだめだ。また惨敗だった。彼女に太刀打ちできる者など、どこを探してもいない。
「わたしは有言実行がモットーでね。これでディザスターガイズも全滅だ」
窒息の寸前、ソーマが叫んだのは命乞いだったろうか。
「いまだ! やれ! メネス!」
「!?」
だれかが、ホーリーの〝断罪の書〟に触れたのはそのときだった。
「マタドールシステム・タイプO、基準演算機構を擬人形式から鍵人形式へ変更……解除開始」
いったい、いつの間に?
あちらで満身創痍のまま呪力の魔法陣を浮かべるのは、召喚士のメネスだった。ちなみに彼の召喚術は、金属物の転送にのみ特化している。
一方、召喚されたのはアンドロイドの凛々橋恵渡だ。彼はここに参戦しておらず、怯えてどこかに隠れ潜んでいるものだとばかり思われていた。
展開されたその拳には、鳩血石、蒼玉石、金剛石、緑柱石……異世界の地水火風の宝石が煌々と燃えている。その機能は〝封印の解除〟だ。
ただ虚空から現れただけでは、非戦闘員のエドごときがホーリーの不意を突くことはできない。だから、ホーリーが獲物にとどめを刺す刹那だ。メネスの召喚術を見過ごしたホーリーに、エドが接触するタイミングはそこしかなかった。ホーリーが自分に極め技をかけて数秒だけ膠着するよう、ソーマは事前の計画どおり綿密に立ち回っている。
エドの特技によって〝断罪の書〟の封印は綺麗さっぱり解かれた。役目を終えた大辞典から、爆発的な呪力の輝きが噴き漏れる。
「あ……」
唖然とつぶやいたホーリーの眼前で、光の軌跡は本から街中に散った。
流星のごとく、七つ。




