闇堕ちピーターは愛されたい。
「何だよ……ティカ。まだ昼前じゃん!」
眠い目を擦りながら、大きく伸びをする。
仕事が終わってベッドに身体を滑り込ませたのは辺りがうっすらと明るくなってからだった。
青年は不満そうな顔を侍女に向けた。そんなのは日常茶飯事。顔色一つ変えない有能な侍女は開いたカーテンをまとめながら淡々と予定を伝え始めた。
「本日、カーソン男爵家のガーデンパーティーにご招待されております。その後、ドウェイン伯爵様と晩餐がございます」
聞きながら、ウトウトとまた布団に潜っていこうとする主人の掛け布団をバサリと剥ぎ取る。
「お着替えもお手伝いいたしましょうか?」
片方の口角を上げる性悪侍女に青年は顔をしかめ口を尖らす。
「結構だよ! さぁ、もう起きるから、さっさと出てって」
片眉を上げて肩を竦めると、くるりと背を向け、部屋を出ていった。
「はぁ」
パタリと扉が閉まったのを確認すると、大きくため息を吐いた。
青年の名はピーター・ブロート。その昔、違う名で呼ばれていたこともあったのだが。今は縁あってブロート侯爵の養子となった。
ここは――“永遠の国”エルレスト。
子どもは大人にならず、大人は大人のまま変わらない。そんな均衡の取れたこの国に異変が起きたのは、美しい入り江の先にある小さな島で淡い恋物語が終わりを告げた頃のことだった。
それ以前からポツリポツリと出ていたある病は、彼女がこの国を去ってから本格的に進行し始めた。
――子どもが大人になる病気。
その病に治療法はない。一旦、成長してしまった身体を元に戻す方法などあるわけがないのだ。
ピーターの仕事は夜な夜な異世界から子どもたちを連れてくることだった。病気が蔓延して、急激に減ってしまった子どもの数を増やすためである。
この世界では新しい子どもは生まれない。皆が、永遠の命を持っているからだ。
新しい子どもが生まれないこの世界で、子どもが大人になるということは、大問題である。どの世界でも、どの時代であっても、何事にもバランスというものが大事なのだ。
ピーターはガーデンパーティーの装いに整えると部屋を出た。扉の前で待っていた侍女ティカが半歩後ろをついてくる。
「それで? ただのパーティーってわけじゃないんだろ?」
「ええ」
「ま、いつもの、か」
「ええ」
歩きながら話を終え、馬車に乗り込む。
ピーターが呼ばれるパーティーは、ほぼすべてと言っていいほど仕事絡みだ。――裏稼業の。
ピーターの“異世界を渡り歩く能力”は、裏稼業の人間たちにはうってつけの代物だった。
最初はピーター自身、異世界の子どもたちと純粋に遊び、楽しみ、迷子は引き取り、帰りたい子どもは送っていた。しかし、あの日を境にすべてが変わってしまった。――ある異世界から連れてきた少女と出会ったことによって。
彼女だけはピーターにとって忘れられない子どもだった。初めて恋をした相手だったからだ。自分でも処理しきれない感情に戸惑った。恋をしたことに気がつき、彼女とずっと子どものまま、ここで過ごしたいと誘った。
しかし、彼女は大人になることを選んだ。
彼女が帰ってしまってから、彼女の大切さや存在の大きさにやっと気がついた。恋とは本当に厄介なものだ。
『一年に一度、会いに行く』
その約束をずっと果たしていた。少しずつ彼女が大人になり、愛する人を見つけ、幸せそうに笑うのを、ただ見ているだけでいることが、だんだん辛くなっていった。――あの時、彼女の手を放さなければ良かった。そうすれば、あの笑顔の先には自分がいたはず、と。
子どもが生まれたのを見届けると、窓際に小さなプレゼントを置いて帰った。それからはもうずっと会いにいっていない。
こちらの世界に戻ってきても、ポッカリと空いてしまった心の穴が塞がることはなかった。
ピーターの心は、暗く深い闇へと堕ちていった。
――“人さらいのピーター”
そんな異名を持つようになったのは、ごく最近のことだ。空いてしまった穴は塞がらず、その隙間に入り込んできたのがブロート侯爵だった。彼の仕事を手伝うようになると、その時だけは彼女を忘れられた。だから次第にのめり込んでいった。
いつからかピーターの姿は少年から青年へと変化していた。ピーター自身もまたその病にかかってしまっていたのだ。こんなことなら彼女と共に大人になれば良かった、とピーターはさらに深く堕ちた。
「ブロート卿」
馬車から降り、地に足をつけた時点で声をかけられた。振り返ると薄ら笑いを浮かべた小太りの男が立っている。
(コイツが今回の、か)
愛想の良い笑顔を浮かべて『お招きありがとう』と挨拶をする。一見、気品のある紳士だ。ついこの間まで、全身緑の服を着て、その辺を飛び回っていたなど、誰も想像できないだろう。
「ブロート侯爵様からピーター卿に直接依頼をするようにと伺いましてね」
「そうでしたか」
(こんな人目の多い場所で話し出すなど……)
心の中でため息を吐き出し、『バカか? コイツ』と悪態をついた。場所を移動させるように足早に奥へと歩みを進める。小太りの男――カーソン男爵はテトテト歩き、ついてこようと必死だ。
(子どもの方がよっぽど早いな)
まるで歩き始めたばかりの子どものような姿に、正面を向いたまま、ふんっと鼻をならす。人目のつかない場所まで来ると、横にいたティカがハンカチを差し出す。それを黙って受け取ると、
「カーソン男爵。ここでお話ししましょう」
ひぃひぃ言いながら、やっと追いついたカーソンに優しく微笑みながら、先ほど受け取ったハンカチを差し出す。
「さぁ、汗を拭いて。話は人目につかないところでしないといけません」
差し出されたハンカチを嬉しそうに受け取ると、汗を拭き始めた――次第にその手が震え始める。
「あれ? おかしいな……」
ハンカチを握ったまま、その手を見つめる。少しずつ汗がダラダラとその量を増やす。拭いても拭いても間に合わない。そのうち全身が震え出す。
「全然、おかしくありません。なぜなら貴方は……今から心臓発作で死んでしまうのですから」
(危険因子は排除しないと、ね。……悪いけど)
取引の安全を保つのもピーターの仕事だ。関係が漏れる可能性があるところは潰さなければ、共倒れである。
ピーターは手につけていた白い手袋を摘みながら外し、ティカが用意した袋へと放り込んだ。
「ティカ。誰か呼んでくれる?」
「承知いたしました」
返事と共に強烈な叫び声を上げる。
「きゃあぁあぁっ!! 男爵様がっ。どなたか! どなたか、いらっしゃいませんか!!」
ガーデンパーティーの会場の方から人がわらわらとやって来る。ピーターはその中にまぎれて姿をくらました。
◇◇◇◇
カーソン男爵家から戻ったピーターは一度、身体を洗い流す。皮膚から吸収されるタイプのモノだったから、念の為だ。それなりに耐性はつけているが、用心に越したことはない。
風呂から出ると、ティカが次の晩餐用の服を用意して待っていた。タオル一枚の姿にニヤリと笑う。
「お前さ。主の身体見て笑うの、やめろよ」
「いいじゃないですか。私と主の仲でしょう?」
確かに。生まれたときから一緒だった。彼女は今は侍女の姿だが、本来は違う。それを信じなくては消えてしまうような存在なのだ。
「で? 次のは?」
頭をシャカシャカと拭きながら、話す。ティカの顔が一瞬、曇ったのを見逃さなかった。それこそ、二人の仲、だからだ。
「気が進まないヤツ?」
「ええ、まぁ」
ティカが目を伏せた。
この表情は昔、一度だけ見たことがある。
(まさか……彼女絡みか……?)
嫌な予感は当たるもの。ティカが説明した話は、にわかには信じられないものだった。
彼女があちらの世界で死んだのだ。そして、どこかの世界に転生したらしい。ドウェイン伯爵からの依頼は、その少女を見つけ、この世界に連れてくること。
(正気か? それをオレに依頼する?)
――もしくは、知っていて試しているのか?
とにかく直接、会って話をしてからだ。彼が何を企んでいるのか。それを確かめるためにもこの晩餐は失敗できない。
髪をオールバックに固め、眼鏡をかけ、黒い燕尾服に身を包み、気合いを入れ、襟を伸ばす。
「さぁ、いくよ」
部屋を出て、颯爽と歩き出した。
◇◇◇◇
「お招きありがとうございます」
胸に手をおき、礼をする。
「貴殿がピーター卿か。噂通り、優秀そうなご子息だね」
にっこりと微笑んではいるが、表面上だけなのは互いに見抜いている。
「さ、こちらへ」
従者に案内され、晩餐会場へとやってきた。
ゆっくりと食事が始まる。他愛も無い話から徐々に本題へと移っていく。
「君と彼女の関係は知っているよ。あまりに有名な話だからね」
ぴくりと眉が動いてしまう。
「でも……君も僕と彼女の関係を知っていると思うけど?」
ドウェイン伯爵の言葉に顔を上げ、その顔をジッと見つめた。ドウェインはクスッと笑う。
「僕の顔、見覚えない?」
「え……?」
その顔をさらに見つめた。
「そうか。君は彼女ばかりを見ていたもんね。僕の顔など覚えているはずないか」
肩を竦めた彼の顔に既視感があった。
(どこだ? どこで見た? 一体、誰だ?)
「大丈夫だよ。彼女を見つけて、ここに連れてきてくれれば。そうしたら、きっとわかるはずだよ――」
それからは何を話してもモヤモヤしたままで内容に集中できずにいた。晩餐が終わり、屋敷に戻っても、心の中は晴れない。
その晩から、彼女を探す旅が始まった。
子どもたちを連れてくる裏稼業と平行して、彼女を探し回った。似た少女を見つけると、永遠の国へと連れて帰る。しかし、どの少女もエルレストを心から楽しむ者はいなかった。
世界は広い。
彼女と出会えたのはある意味、奇跡だったのだ。その奇跡を自分から手放してしまった。彼女に愛されたかった、彼女の夫となったあの男のように――
「え? あの男……もしかして!!」
――すべてが繋がった。
ドウェイン伯爵。
アイツは――彼女の夫だった男だ。
(でもなぜ、彼女を探している? そして、オレに探させる意味は? オレと彼女のことを知ってた。何で会いに行っていたことまで?)
彼の正体はわかったが、意図はわからない。
「え……? あなた……ピーター?」
今日も探しに来た異世界で、考えを巡らせながら歩いていると、不意に声をかけられた。その声に、一瞬ですべてが甦る。忘れもしない、愛しい声だ。
声の方を振り返ると、出会った頃の少女の姿より少し大人になった頃の彼女の姿があった。
「やっぱり。ピーターね!」
にっこりと微笑む彼女の顔が、滲んで見える。
自分が心から愛されたいと願った彼女の姿が今、目の前にある。
「ウェディ」
「えっ?」
「今はね、ウェディっていうの」
はにかみながら自己紹介する彼女の姿が愛しい。
――今度こそ、捕まえる。絶対に離したくない。
「ウェディ、ボクと一緒に遊ばない?」
「ふふ。あの時と同じね。いいわ! 一緒にいく」
二人はまるで出会った頃の少年少女のように手を繋ぎ、“永遠の国”へと渡った。
◇◇◇◇
「やぁ、久しぶりだね。今はウェディというのだろう?」
「何で……貴方がここにいるの?」
「転移したからさ。君が死んでしまったから。君が転生して僕とまた一緒になれるように、そのままの姿を保てるこの世界に転移させてもらったんだよ」
戻った二人を待っていたのはドウェイン伯爵と――ブロート侯爵だった。
「君にはもっと闇に堕ちてもらわないと」
「……え? 侯爵様?」
「目の前でまた愛する人を奪われるのは悲しいよね……大丈夫だよ、私は君を必要としているから」
今まで見えていなかったものが見えてくる。弱みにつけ込み、闇に堕とす。ニヤニヤと笑う彼らの顔は、醜い。今まで自分もあんな顔をしていたのだろうか。
「やめて! 離して!」
「君がいつも彼の話を楽しそうにしていたのがいけないんだろう? 子どもにまで話して」
ウェディの腕を掴み上げるドウェインは、もうあの頃の幸せそうに彼女の隣で笑っている男の顔ではなかった。
ピーターはウェディの身体をひょいと抱えると、ふわりと浮かび上がる。
「ティカ!! 行くよ!」
呼ばれたティカは一瞬で光の粒へと姿を変える。
ピーターはウェディを見つけた世界へと再び舞い戻った。
「ピーター?」
「ごめんね、ウェディ。少しも遊べなくて」
力なく笑うと、ウェディは首を横に振った。
「ううん、またピーターとこうして出会えたんだもの。私はそれだけで充分、嬉しいわ!」
あの頃と変わらない彼女の満面の笑みに心が洗われていく。まるで闇の中にいたピーターの心に光が差し込んだようだった。
「ねぇ、ウェディ。今度こそ、ボクと一緒にいてくれる?」
「えっ、でも……ピーターは大人になりたくないんじゃないの?」
ピーターは心から微笑んで首を振った。
「もういいんだ。ボクは君と一緒にここにいたい」
「ピーター……」
「だから、ボクのこと……愛してくれる?」
彼女の顔がみるみるうちに笑顔に変わる。
「もちろんよ!!」
“永遠の少年”だった青年は、“たった一つの愛”を手に入れるために、“永遠”を捨てましたとさ。
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