とりとめなくつぶやくとき
おはようございます
今年も年末年始は
近所のお寺に初もうでします
朝早く行くと
ほとんど人がいない状況で
並ばずに済みます
昼くらいに行くと長蛇の列ができています
昨年は結局ドンチャン騒ぎしている人たちが
溢れていました
今年はどうなるでしょうか
本当に価値があるものは
献身から生まれます
自分が向き合うべき
対象と人を
見極め
無償で尽くすのです
決して
野心や
義務感からは
生まれません
何を表現し
誰に届けるのかを
意識せずに書くから
文に迫力がないのです
自分が何を成し
生きていくのかを
文に込めるのです
公募にたくさん応募していると
反響がくるようになります
落選しても
なんらかの繋がりができることがあります
自分は若いときから
手当たり次第
それこそ
雑誌のコラムや
趣味の世界でも
目にした公募すべてに出すつもりで
挑戦するスタイルです
主催者にもニーズに合えば受賞します
創作活動をしていて
良い作品を作ったとしても
ニーズに合わなければ
必要ない作品です
平等な条件でするゲームは
負けを受け入れることが強さになります
あるていど熟練した者同士であれば
勝率10割にはできません
作品を世の中に発信することにも
ゲーム性があると思います
つぶやきは短文でなくてはならない。
だから内容をある程度は圧縮して表現できる。
エッセイやコラムのように伸ばしたりはできないので、全体の構成を瞬時にして書き始めるのだ。
内容は挨拶だったり、創作していて心に浮かんだことだったりする。
創作中は過酷な精神状態になるため、言葉の純度が上がっていく。
苦しいのではなく、妥協をゆるさず今の自分以上のものを常に要求されるのである。
そんなときのつぶやきを、少しずつ詩的にしようとしている。
散文でもいいが、言葉の飛躍が欲しいところだ。
だから、とりとめないつぶやきは言葉の結晶である。
「凶」をおみくじで引いた時
「ごめんね。100枚に2枚だけ入ってるんだよ」
っていわれた
かなりの不運ぶりだ
その年は東日本大震災が起きた
また凶を引いた年
母が倒れ
重い障害が残り
介護が始まった
生活習慣病が原因だった
こうも続くと
おみくじが重いものに
感じる
クリエイティブに
思うがまま
文章を紡いでいると
創作の意味を考え始める
自分が何のために
文章を書くのか
何を期待するのか
自問自答が
果てしなく続く
気分がノッていないのかもしれない
だが
そういう
煮え切らないときに
新たな価値を見いだすものだ
また指が勝手に文字を打つ
目的がない仕事に
価値があるとわかっているが
目的がないと
不安が膨らんでいく
文章を書いていて
誰も読まない日記でもない限り
誰かが読む
それを意識するのは
当たり前だが
価値があるかは別だ
無意味で
見返りがない
そんな仕事が尊いのだが
そんな状況と
まともに向き合えない




