泉を目指して
その日の神社には、三人の村人がオオオロチ様の所に訪れていました。
熱で苦しむ子供を連れて来た両親が、オオオロチ様に拝み倒します。巨大な蛇の姿の神様は、口を子供の少し手前で開きました。
「……よし、子が暴れぬよう抑えておれ。今から病を喰うてやるからな」
「は、はい。お願いします……」
巨大な蛇神が子供の手前で、何もない所に嚙みつきます。しかしゆっくりと白い蛇が体を引くと、黒い影が子供からするりと引っ張られていきました。
「「!!」」
“口を利くでない。おぬしら二人に移ってしまうぞ”
驚くお父さんとお母さんに、オオオロチ様が頭の中に語り掛けます。真剣な瞳、労わる声色の中に神様の優しさが伝わり、静かに二人は頷きました。
もやもやとした黒い影が、子供から引き抜かれると……熱に苦しむ子の顔が安らぎました。見るからに黒い影は悪いものと、両親は直感で分かります。そのままするりとオオオロチ様が口を開き、黒い影を一口で飲み込んでしまいました。
じっとお父さんとお母さんが見つめる中、オオオロチ様はニッコリと笑います。――ただ、二人からするととても怖く見えますが、声は二人を安心させようとしていました。
「これで大丈夫じゃろう。病はわらわが喰った故、命を落とす事にはなるまいて。後は体を冷やさぬよう、しっかりと暖をとると良い」
「良かった……」
「オオオロチ様……ありがとうございます!」
お母さんが子供を抱きかかえ、お父さんは何度も何度も頭を下げました。オオオロチ様はそんな二人を見つめながら、村の様子を聞きました。
「ところで、村の様子はどうじゃ? 何かおかしなことは起きていないか?」
「へぇ……申し訳ありません。私には心当たりが……お前は何か知ってるか?」
「いいや、オラもなんも分からんべ……オオオロチ様のお言葉のお陰で、流行り病もでぇじょうぶだ。この子はちょっと、森にある泉ではしゃいで、冬なのに落ちたせいで病気になってしまったんだべ」
落ち着いた様子の我が子に、お母さんは困ったように笑います。オオオロチ様は表情を変えず、静かに空を見上げました。
「そうか……どうも空の様子が妙でのぅ……」
「妙……ですか?」
「うむ。上手くは言えぬのじゃが……何か空の色合いが違う気がする。それが吉兆か凶兆か、いまいちわからぬ」
「そ、そうなのですか? 私たちはどうすれば……?」
不安がる村の親子に対し、オオオロチ様は優しく言いました。
「なぁに悪い事は起きぬ。恐ろしい凶兆ならば、わらわも覚えておるはず。されど何が起きるかもわからぬ故、用が無ければ家屋の中で静かにしておるように。そなたらは親子水入らずで、ゆるりと夜を過ごすと良い」
「わかりました、オオオロチ様」
「娘を助けて下さり、本当にありがとうございました」
「うむ……気をつけるのじゃぞ~」
親子三人が無事に帰って行くのを見送り、白い蛇の神様は空を見上げました。人の目には変化が分かりませんが、神であるオオオロチ様の目には、いつもと空が違うように見えるのです。それが不気味に思えました。
「何も起きなければよいがのぉ……それと、念のため森の泉も見に行くとするか。あの村の子の病気がタタリ神の仕業なら、わらわがとっちめてやる」
しゃーっ! と蛇の鳴き声を上げて、オオオロチ様は森の泉に向かいました。もしも村人に悪い事をする神がいるなら、絶対にやっつけてやる。しかし森の中を大蛇の姿で進むのは大変です。あまり好きではないのですが、オオオロチ様はこの時だけ、人間の姿に化けました。
華やかな赤色の着物に白い髪、青くて蛇のような瞳孔の目の、美しい女性の姿に変身します。動きずらそうにしながら、オオオロチ様は森の泉を目指し、木の根っこと坂で動きにくい森を歩いていきました。
「ふーっ……人の体は大変じゃのぉ……」
そうしてえっちらほっちら、森の泉までたどり着いたオオオロチ様は、泉の周辺に何か悪いものがないかを調べていきます。村人が可愛くて仕方ない神様は、日が暮れてすっかり遅くなるまで、森の泉にいました。
この日は新月の夜で、月明かりのない暗い夜でした。明かりが無ければ、足元さえ見えないような暗い夜です。そんな時、一つの流れ星が光って消えていきました。
珍しい事もあるものだ。オオオロチ様がそう思った矢先、次の流れ星が光って消えます。また一つ、また一つと……次々と流れ星が月のない夜空に降り注ぐのです。
「なんと……」
それは、長い時を生きる神様でも、中々見る事の出来ない光景でした。
光を放っては消え、けれど途切れることのない星の群れ。月のない真っ暗な夜だからこそ、一瞬の閃光はまばゆく夜の泉を明るくします。水面は星の雨を映して、人の姿の神様はしばらく見とれてしまいました。
と、オオオロチ様が見とれていたその時です。近くの藪から、ガサゴソと蠢く何かの気配を感じました。彼女はすぐにはっとして「誰じゃ!!」と大きな声で怒鳴ります。ずり足で近寄った場所には、びっくりして腰を抜かした、若い村人の姿がありました。