10
★上原直也
と、ここまでが、前回の夢、つまり僕が姉と一緒に眠る前まで見ていた僕の夢の内容です。そして今回の夢は、両側を低い壁で囲われた道のような場所、僕が奇妙な生き物に捕らえられかけていた場所に僕と姉が立っているところからはじまっていました。
どうやら運が良いことに、情況が一度リセットされているようでした。僕は前回の夢のなかでおばあさんの尖兵に捕まえられかけていましたが、今のところ今回の夢のなかに僕のことを捕まえようとしていた尖兵はいないようです。つまり、僕と姉にはまだチャンスが残されているのです。
僕と姉はひとまずずっと遠くに見えている青い塔に向かって歩いていくことにしました。あの男の子の言葉を信じるなら、この世界から脱出するためにはあの青色の塔まで行き、その塔の頂上にあるNO0のドアから外に出ていかなければならないのです。
僕と姉は一緒並んで歩きました。そして歩きながら僕は時折背後を振り返って何かが追いかけてこないか確かめてみました。でも、今のところそういう気配は感じられませんでした。
「最初はわけがわからなくて怖かったんだけど」
歩きはじめてしばらくしてから、姉が口を開いて言いました。僕は姉の顔を見ました。
「なんだかこういうのって意外と楽しいわね」
「そう?」
と、僕はぎこちなく口元を笑みの形に変えて言いました。
「だってなんだかゲームをしてるみたいじゃない?自分が物語の世界の勇者にでもなったみたいな感じがする」
姉は冗談めかして言いました。
僕は姉の科白を聞いて、姉はまだこの世界の怖さを知らないからそんなことが言えるんだと思いました。でも、何も言いませんでした。あえてわざわざ姉を怖がらせる必要もないのです。僕が前回の夢のなかでおばあさんの兵に追い詰められていことも黙っていることにしました。
そうしたのは、そのことを告げることによって姉を必要以上に怖がらせたくなかったからですが、でも本当のことを言うと、そのことを口にすることによって、再びあのわけのわからない生き物が追いかけてくるじゃないかと僕は内心びくついていたのです。なんとか、このまま何事もなく塔の頂上まで辿り着ければいいんだけど、と、僕は祈るように思っていました。
とにもかくにも、僕たちは前に向かって歩き続けました。しかし、歩いても歩いても一向に塔に近づいていっている感じがしませんでした。気のせいか、同じところをぐるぐる回っているような気がするのです。最初のうちはこの夢の世界を楽しんでいる様子でいた姉も次第に疲れてきたのか、無口になっていきました。
「ねぇ、変じゃない?」
と、歩き始めてから二時間あまりが経った頃でしょうか、姉は突然立ち止まると、たまりかねたように言いました。僕も姉と一緒に立ち止まりました。
「さっきから歩いてるけど、ちっとも塔に近づいてないじゃない?」
「でも、そんな気がするだけなんじゃない?」
と、僕は姉を安心させるためというよりは、自分自身を納得させるために言いました。
「きっとあの塔は思った以上に遠くにあるんだよ。だからちっとも近づいていっていないような感じがするんじゃないかな?」
姉は僕の言葉にそうかしら?というように軽く首を傾げてあまり納得していない様子でしたが、かといってどうしようもないので少しすると再び歩きはじめました。僕も姉のあとに続きました。
それから僕たちは一時間あまり歩き続けましたが、やはりどうも様子が変です。景色にほとんど変化がありません。青色の塔は相変わらず遠くの方にその姿が微かに見えているだけです。
と、そのとき、姉は急に立ち止まったかと思うと、後ろを振り返って、
「あ!」
と、叫びました。
僕がどうしたのだろうと後ろを振り返ってみると、そこには信じられない光景が広がっていました。
驚いたことに、さっき僕たちが歩いてきた道が生き物のようにもぞもぞと動き出しているのです。そしてその道の一部は途中から分離して空中に浮かびあがっていきます。見ていると、それは僕たちが進もうとしている方向に向かって移動していくようでした。
おそらく、分離した道の一部はずっと先のほうでまた道の一部として融合されるのでしょう。そしてそれが何度も何度も繰り返されていたのです。おそろく。これではいくら歩いても進んでいる感じがしないはずです。
「なによこれ」
と、姉は呆然として呟くように言いました。姉も今になってようやくこの夢の立ちの悪さに気がつきはじめたようでした。
「道がどんどん前の方で付け足されてたみたいだね」
と、僕は言いました。
「そんなことわかってるわよ!」
と、姉は僕の科白に苛立ったように叫びました。
僕たちは立ち止まったまま、すっかり途方に暮れてしまいました。一体どうすればこの状況を打開できるのかかいもく見当もつきません。僕と姉は長いあいだ打ちのめされたように黙っていました。
長い沈黙のあと、最初に口を開いたのは姉でした。
「逆に進んでみたらどうかしら?」
姉は恐る恐るといった口調で言いました。僕が姉の顔を見ると、
「つまり前に進んでも駄目ってことは、逆に進んでみたらどうかしらってことよ」
と、姉は説明して言いました。
「なるほど」
と、僕は頷きました。
いい考えかもしれません。どうせこのまま前に進み続けたとしても、道がさっきのように次から次に入れ替わっていたのではどのみち塔に辿り着くことはできないのです。なら、いっそ思い切って逆に進んでみるというのも、悪くない考えのように思えました。
ただ、僕としては、そうした場合、あのおばあさんの兵隊が僕たちを捕らえに来るんじゃないかと心配でした。しかし、今のところ、おばあさんの兵隊がこっちに向かって来るような気配は感じられません。
「行こうよ」
僕は恐怖を押し隠して言いました。何もしないよりはましです。
姉は僕の言葉に頷くと、もときた道を引き返しはじめました。しかし、歩き始めて三十分もすると、僕たちはすぐに行き止まりにぶつかってしまいました。
というのはどういうことかというと、道と道のあいだに空白ができてしまっているのです。僕たちはさっき道が空中に浮かびあがって移動していくのを目にしました。つまり、その箇所、道があったはずの場所が空白になってしまっているのです。道と道のあいだの空白はかなり広く、とてもジャンプして渡ってしまえるような距離ではありません。
困ったことに、僕たちは前に進むことも、後ろに進むこともできなくなってしまったのです。
道がなくなっている場所がどうなっているかと確認してみると、その下には何もありませんでした。ただの青色靄に包まれた空間が広がっているだけです。
これは僕の予想ですが、僕と姉が今居る場所は空に浮かぶ道のような場所になっていると思われます。ですから、もし、僕たちがこの道から外に出れば、僕たちはまっさかさまに下に落下していくことになります。夢の世界ですから、かなりの高度から落下したとしても、もしかしたら死ぬことはないのかもしれませんが、だからといって、いちばちかそれを試してみようという気持ちにはとてもなれませんでした。
僕と姉も道の下に広がる空間を見つめたまま、しばらくのあいだ言葉を失っていました。前にも後ろにも進めないのだとしたら、一体どうすればいいのでしょう。
無力感に包まれながら僕は考えていました。姉に申し訳ないことをしてしまったな、と。僕が今日、姉と一緒に手を繋いで眠ったりしなければ、姉は今頃このわけのわからない世界を訪れずにすんでいたのです。姉を巻き添えにしてしまったことを僕は後悔しました。
と、そのとき、姉が何かを見つけたように声を出しました。
「ねえ、これを見て」
と、姉は僕に注意を促しました。
姉を見てみると、姉はしゃがみこんで道の下を覗きこむようにしています。
僕はなんだろうと思って、姉と同じようにしゃがみこむと、道の下を覗きこんでみました。すると、どうでしょう。さっきは興奮していて気がつかなかったのですが、道の割れ目から下に向かって青色の梯子が下に向かって下ろされています。
その青色の梯子が一体どこに向かって下ろされているのか、どれくらい下まで続いているのか、青色の靄のせいでよくわかりませんでしたが、とにかく、この下には何かがあるようです。
僕と姉はどうしようかと顔を見合わせました。いくらか梯子があるからといってむやみにそれを下に降りていくのは危険なような気もします。でも、かといって、このままここに留まっていて仕方がありません。
結局、僕たちは危険をおかしても先に進む決断を下しました。まず姉からさきに階段を下りていきます。僕も少ししてから姉のあとに続きました。
梯子を降りはじめると、冷たく強い風が身体を横顔側から打ち付けてきました。ときおり、台風のような強烈な風が吹くことがあって、思わず手を滑らせて下に落下してしまいそうになります。
「気をつけて!」
と、下から姉が僕の方を見上げて叫びました。
「うん!」
と、僕は叫び返しました。
梯子は降りても降りてもなかなか下に行き着きませんでした。青色の靄のせいで梯子がどれくらい下まで続いているのか、確認することもできません。ひょっとしたら、さっきの道のように果てしなく続いているんじゃないかという恐怖感が次第に僕の心を支配していきました。
あまりにも長いあいだ梯子を降り続けていると、腕も、足も疲れてきます。おまけに横から強風が吹きつけてくるので、僕は何度もバンスを失って落下しそうになりました。
でも、幸いなことに、梯子にはちゃんと終わりがありました。梯子を降り始めてから二十分くらいが経った頃に、下から「ついたわ!」と、姉の歓声の混じった声が聞こえてきました。その姉の声に励まされて僕もなんとか梯子を降りきりました。
梯子を降りきった場所も、さっきまで僕たちが居た場所と同じような、両側を低い壁で囲われた道になっていました。後ろを振り返ってみると、ドアがあります。僕が前回の夢のなかで開けてでてきたNO5のドアです。
ということは、前回と今回の夢のあいだに、僕は知らぬ間に場所を移動させられていたことになります。もし、姉が、あの移動する道の正体に気がついていなければ、僕は今でも上の道を永遠と歩き続けていたのかもしれません。
ということは、これはあの僕のことを捕まえようとしていた生き物が仕組んだことだったのでしょうか?
「どうしたの?」
と、僕があまりにも長いあいだ背後にあるドアを見つめたままでいるので、不安になったのか、姉が心配そうに声をかけてきました。僕は曖昧に微笑すると、なんでもないと答えました。そして僕たちとりあえずという感じでまた歩き始めました。青色の塔を目指して。今回はなんとか塔に辿り着けそうな気がします。
歩きはじめてからしばらくすると、僕たちが進む先の方に誰かがいるのが見えてきました。それは前回の夢のなかでもでてきたおかっぱ頭の男の子でした。男の子は壁の上の部分に腰かけて、その細い足をぶらぶらさせながらじっとこちらを見ています。
やがて僕たちが男の子の側まで辿り着くと、
「やあ」
と、男の子は親しげに僕に声をかけてきました。そしてそれから男の子は僕のとなりに立っている姉の顔を訝しそうに見つめました。
「こっちは僕のお姉ちゃんだよ」
と、僕は説明して言いました。
「ふうん」
と、男の子は僕の説明にどちらかというとどうでも良さそうに頷きました。そしてそれから男の子はなんとなく非難するように姉の顔を一瞥しました。
姉も少年のどこかよそよそしい態度が気になったのか、自己紹介も何もしませんでした。男の子は僕の顔に改めて視線を向けると、
「でも、良かったよ」
と、楽しそうな口調で言いました。
「きみがあの道のわなにちゃんと気がついて」
「うん。なんかとかね」
と、僕はぎこちなく口元を笑みの形に変えて答えました。わなに気がついた?僕は男の科白に何故か違和感を覚えました。どうして男の子は僕たちが道を彷徨っていたことを知っているのでしょう。男の子の科白はまるで僕たちのことをずっと監視していたかのような口ぶりです。
「もしかしたら、きみがあのまま上の道を彷徨い続けることになるんじゃないかって心配してたんだ」
と、男の子は続けて言いました。
「ほんとうは僕がすぐにそのことを教えてあげられれば良かったんだけど、こっちはこっちでおばあさんの兵隊に追いかけられていたからね。どうようもなかったんだ」
「それなら仕方ないね」
と、僕は微笑んで答えました。どうしておばあさんの兵隊に追いかけられながら、僕たちがそのあいだ何をしていたのか男の子が知っているのか疑問でしたが、そのことには気がつかなかったふりをしました。
「ねえ、近道を教えてあげようか?」
男の子はそれまで腰かけていた壁から飛び降りると、明るい口調で言いました。
「近道?」
と、僕は男の子の言葉を反芻しました。すると、男の子は僕の言葉に頷いて言いました。
「このさきにね、隠しドアがあるんだ。そのドアを使うと、すぐに青色の塔まで行けるんだ。実際、ここから普通に青色の塔まで歩いていくのはすごく時間がかかるし、危険も多いからね」