03 春を焚べる③
Ⅲ
「原付ってさぁ、ふたりのり、していいの」
市内電車の線路沿いを走っていると、煤城さんがいった。
「いまさらだね」
と、わたしがいえば、
「いまさらだけど」
と、煤城さんは困ったようにいう。
「これ、100㏄のやつだから大丈夫」
わたしは素直に答えてあげた。
「へー、いろいろあるもんだね」
なはは、とへんな笑い方をされる。わたしも釣られて笑ってしまう。おまえが笑うな、といわれる。たしかにそうかもしれない。
強引に古本屋〈あおぞら〉から煤城さんを引っ張り出して、いまはドライブの最中だった。わたしの免許は原付二種で、原付も、いちおう《原付》なんていってはいるが100㏄。ふたりのりは可能である。
タンデム走行ははじめてだったが、特にむずかしいことはなく軽快に走れた。スピードはたしかに出しにくいが、困ることではない。ちなみに、買った古本は〈あおぞら〉に置いてきたままである。
煤城さんはわたしの背中にがっしりつかまっている。どうやらこわいらしい。わたしは事故を起こしたことがないので安心してほしいのだけど、そう告げても強めにつかまるのはやめない。むしろだんだんと力が強くなっている。
「で、どこ行くの」
「さぁ。どこ行きたい?」
「連れ出しといてノープランかよ」
ツッコまれる。そりゃそうだ。行く手の信号が赤になる。ブレーキ、そして停止。いつもより大きめの慣性。
「じゃあ、えっと、ごはん食べたい」
煤城さんがそういった。いまは午後三時である。
「おやつってこと?」
「ううん。お昼ごはん。食べてない」
「なんでさ」
「そりゃあね、こっちにもいろいろあるんです」
「ふぅん」
「エビフライが食べたい」
「ファミレスでいい?」
「なはは、もちろん」
信号が青に。ゆっくり加速していく。
「飛ばすよ」
「こわいから飛ばすな」
やはりこわいらしかった。
てきとうなファミレスに入ると、煤城さんはハンバーグ・アンド・エビフライ定食に即決した。わたしはドリンクバーだけ頼んでおいた。しばらく暇で、話のネタでもさがしていると、煤城さんが、
「で、どうして急に連れ出されたのか」
至極もっともなことを訊いた。
が、わたしは首を横に振るしかなく、
「わたしにもわからん」
とだけ答えた。実際、連れ出したことにはっきりした理由なんてなく、すべてはぽっと出の思いつきだった。
「わからないとは、これいかに」
煤城さんは立ち上がる。どうしたんだろう、と見上げると、向こうは「おまえこそどうしたんだ」といいたげな目で、
「ドリンクバー」
といって歩いていく。
「……たしかに、頼んでた」
わたしも後を追う。
「うわ、なにこれ」
煤城さんがおもしろそうに呟く。見ると、ドリンクバーからカルピスとオレンジジュースが一対一の割合で出てくるのを見て、ケラケラしている。
「いまどきのファミレスは破天荒だね」
との評。それからいっぱいになったグラスを持ち上げて、
「はじめて見たな、こんな色」という。ちょっと気色悪いオレンジ色をしている。
「やったことないの、混ぜるやつ」
「ない。育ちがいいから」
自分でいうな、とはおもったが口にはしない。わたしはウーロン茶にした。
メインの先に、セットで頼んだポタージュがきた。煤城さんはスプーンで掬ったのを静かに口に運ぶ。上体をかがめることなく、自然にさらりといただくのだが、そういう上品なやりかたをなにかで見たか、読んだかした気がした。すこしして『斜陽』の冒頭だと気づいた。
しばらくは煤城さんに食事を楽しんでもらった。なぜだか昼飯を食べていないようなので、充分に腹を満たしてもらおうとおもった。
「そういえばさぁ」やがて煤城さんは食事の手を止めた。「四月から受験生だね」
「え。あぁ、そうだね」
「……」
「……」
沈黙。煤城さんが続けてどうこう、いうこともない。わたしとしては、てきとうな大学に、まぁ文学科あたりで済めばいいとおもっているくらいなので、会話のキャッチボールもうまくできない。
かなり間があいて、煤城さんが、
「たしかに」とひとりごちる。「藤巻さん、進学とかどうでもよさそう」
「どういう意味」
「本が読めればなんでもいい、みたいな」
「そんな人間に見える?」
「見える」
「マジか」
おどろいたふりをしてみせたが、その通りである。
「夢とかあるの。将来の展望とか」
「……」もちろん、ない。「煤城さんはあるの」
「わたし? うーん」
腕を組んで考えだす。熟考、一分。煤城さんが答える前に、メインのハンバーグ・アンド・エビフライのプレートがきた。
「うまそう」
煤城さんは箸をとる。
「ナイフとフォークもありますよ」
「藤巻さん、あなたは日本人ではないのか?」
「I’ll kill you」
「こっわ。英語圏こっわ」
煤城さんはこどもみたいに笑う。わたしはクレイジーな英国人になり、ナイフとフォークをむやみやたらとカチャカチャ鳴らす。
「行儀わるいよ」
「ぐうの音もでない」
すぐにやめた。
それからわたしはウーロン茶片手に、煤城さんの食事風景をながめるだけとなった。煤城さんはずいぶんおなかが空いていたらしく、ペースよく、ぱくぱく食べ進めていく。そのようすを見ていると、わたしまでおなかが空いてきたが、かといってなにか頼むのも億劫なので我慢しておいた。
「次はどこ行くの」
ハンバーグを半分くらい平らげたところで、煤城さんがいった。
「次はどこ行きたい?」
わたしは訊ねる。
「藤巻さんが連れ出したなら、藤巻さんが主体のはずなんだけどなぁ」
もっともなことをいわれた。煤城さんは「なはは」とへんな笑い方をする。
「そうだな。あんまりお金もないし……」
「カラオケとか」
「カラオケ? へー、行ったことない」
「え、そうなの。友達とかと行かない?」
「行かない。友達いないし」
嘘つけ、といいそうになったが、踏みとどまる。嘘をついているような目をしてなかった。
「……え、逆に藤巻さんは行くの? 友達とカラオケとやらに?」
「誘われたら行くけど」
「へー、へー。なに歌うの」
「めっちゃ楽しそうな顔するじゃん」
「え、だってさぁ。だって意外じゃん。わたし、藤巻さんは家でずっと本読んでて、外界のことは心底どうだっていいタイプのひとだとおもってた」
「嘘、そんなへんなやつだとおもわれてたの!?」
「なはは、そりゃあさぁ。とにかく『武者小路実篤全集』を十八巻買ってく女子高生なんて、相当な変わり者でしょう」
「うーん、それはそうかもしれないが」
「でも、社交性のある変人、という路線だったんだね」
「ひとの性格を『路線』とかいうのやめてくれる」
「そういう設定」
「『設定』でもない。そして変人でもない」
「ごめんごめん……あ、ねぇ、いま何時」
「三時半過ぎ」
「ふぅん」
すごくどうでもよさそうな返事をされた。だったらなぜ訊いたのか。
煤城さんには、友達がいないらしい。それはどうしてだろう。こんなに明るくて、わたしより社交的な女子高生なら、友達くらいいくらでもいそうなものだけど。
と、思ったものの、理由はすぐにおもいあたった。古本屋の手伝いをしているからだ。放課後や休日に遊ぶことがほとんどないのだろう。だから、外で遊ぶような友達がいないのかもしれない。
だからまぁ、単に友達がいないというか、休みに出かけて遊ぶような友達がいない、と解釈したほうがよさそうである。学校で一緒にごはんを食べて、休憩時間に話をするくらいの間柄なら、いるだろうし。
「藤巻さん」と、つぎに呼ばれたころには煤城さんはプレートを平らげていた。「あのさ、本当に、藤巻さんが行きたいところはないの?」
「うん、特には。おかしな話だけど」
「へぇ、そっか。じゃあさ、一時間くらい走ってもらえる? 行きたいところがあるんだ」
「一時間か。けっこうだね。問題ないよ」
「なら、すぐに出よう。ぜひとも連れてって」
「いいよ。で、具体的にどこ」
「それはひみつさ」
それだけいうと、煤城さんは伝票をとった。
三時四十五分、ファミレスを出た。