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春を焚べる  作者: 維酉
2/4

02 春を焚べる②

   Ⅱ



 古本屋〈あおぞら〉にもう一度足を運んだのは、三月の末、だいたい二週間後のことだった。読書と高校の課題のほかたいしてやることのないわたしだが、いまや積読もなくなり、課題もあっけなく片づいたので、とにかく〈あおぞら〉に向かうしかなかった。安値で本を手に入れるのに、もってこいの場所なのだ。


 ついでに、という言い方もよくないが、煤城さんにもあいさつをしようと。軽く考えて原付にまたがり、昼下り、いつもの見慣れた商店街まで走った。


 商店街はいつもと違ってにぎやかだった。というのも、よくわからない政治家が、だれもここを通らないくせに演説をしていたのである。「わたくしは市民の皆様の生活を第一に考え……」とてきとうをいう。


 そんなものは無視する。


 路地に入ればカレーのかすかなにおい。進む。古本屋〈あおぞら〉がある。


 今日も今日とて店先には『特価』の二字が添えられた古本。先日はここでお目当ての本を見逃していたので、いちおう覗いておく。とはいえ今日は明確な目的はない。


 なに、『我はロボット』『太宰治が生きた時代』『午後の恐竜』『夢野久作全集』『日本人でも間違える日本語』エトセトラエトセトラ……なんとなくSFが読みたい。『我はロボット』と『午後の恐竜』だけ抜き取る。


「こんにちはぁ」


 いつもの調子でドアを開けた。からんからん、と鈴が鳴る。なんだかやけにほこりっぽい。


「……」数秒遅れて、「いらっしゃいませ」


 みょうに改まった感じで煤城さんの返事。と、と、と、と、足音がする。書棚からそっと顔を出す、眼鏡の女の子。


「……あ、藤巻さん」

「藤巻さんです」


 右手を軽くあげる。煤城さんは眼鏡の奥で目をまんまるにして、やがてにっこり笑った。


「また来たの」


 エプロン姿の煤城さんは、手にほうきをもっていた。どうやら掃除をしていたらしい。なるほど、どうりでほこりっぽいわけである。


「今日はなにをさがしに?」

「ひまなので、てきとうな本を。特にSFを」

「はぁ、えすえふ……」


 煤城さんは『SF』という言葉をなぜだかぼんやり口にする。このジャンルには疎いのか、たいして興味がそそられなかったのか。おそらく両方なんだろうと思いつつ、こちらは勝手に本を漁りだす。


 書棚にぎっしり詰まった本の背表紙。流すように見ていきながら、たまに面白そうなのを抜き取る。こういう時間がたまらなく楽しい。


 読書というのは、その《読む》という時間だけをとっても楽しいが、やはり《選ぶ》時間にも相応の楽しさがある。自分の興味がそそられるのに任せて、人差し指で本をこちら側に倒し、抜き取って、表紙を見る。そして裏表紙のあらすじなどに目を通す。気に入ったなら左の腕で抱きかかえる。そして次の本をさがしていく。そんな作業を淡々と続けていく。これが実に満ち足りている感じがして、やめられない。気づけば十冊もかかえているなんて、よくあることである。


 ひとつの書棚から、また次の書棚へ。ゆっくり、それなりの時間をかけて見て回る。事件の捜査でもする足取りで、じっくり、じっくり。わたしの足音、そしてほうきで床を掃く音だけがはっきり聞こえる。


「えすえふ……」


 どこかでまた煤城さんが呟いた。ぼんやりした言葉は、空気のなかをふわふわ漂う。


「読んだことある?」


 と訊いてみる。


「あー……あるよ。レムの『ソラリス』。それっきり」

「なんで最初にそれを読むかな」


 レムの『ソラリス』といったら、SF古典の名作ではあるが、だからといって初心者が読めるような作品とはいえない。全体的に難解であり、テーマも複雑で、なによりまどろっこしい。


「ネットで調べたら、SF入門書だって……」

「それはとんでもない記事だね」わたしは思わずため息をつく。「もっと……ほら、『夏への扉』とか、『星を継ぐもの』とか……あったと思うんだけど」


 で、手元にあるものに気づく。


「これ、『午後の恐竜』とか」

「ふぅん、えぇっと、星新一か」ほうきの音が途切れ途切れになる。「まじめに読んだことないな」

「もったいない」

「もったいないだろうか、やはり」


 ほうきの音が完全についえた。気になって、ちょっと煤城さんのいる店の奥を覗くと、彼女は立ち尽くしてただ店内を見回している。なにやってんだ、いぶかしんでいると、しばらくして、


「本当は」と煤城さんが口を開く。「好ききらいせずに読んどきたかったんだけど。このお店にある本、ぜんぶをさ。でももう無理なんだよな」

「……うん? なんで」

「え」こっちを振り返る。宇宙人を見つけたみたいなびっくり顔で。「あれ。見てない? 入口に張り紙したんだけど」

「え」


 今度はわたしがびっくりする番だった。いそいそと外に出れば、見つけた。


「『今月いっぱいで閉店させていただきます』……って、え、うそ!」


 飛んでなかに戻る。煤城さんに駆け寄って、


「どうしてさ!」

「理由も書いたんだけど」

「え」


 慌ててとんぼ返りする。


「『店主急逝のため』……って、うそでしょ!」


 また店内に飛び込んで、煤城さんに駆け寄って、


「おじいさんが――」と、口にしたところで、我に返った。「……あ、そうなんだ」


 なにをいったらいいのか、ぱっと出てこなかった。思わずいいよどんでしまう。煤城さんの顔が見づらくなった。数秒して、ようやく見つけたのが、


「ご愁傷さまです」


 なんていう言葉だった。煤城さんは、「なはは」とへんな笑い方をする。


「はい、死んじゃいました」


 そう、やけにあっけらかんというものだから、肩透かしされた気分だった。煤城さんの顔を覗く。いつものにこにこ顔。眼鏡の奥で目を細めている。


 どういう表情なのか、うまくつかめなかった。あまり笑っていられるようなことでもないと思うのだけど……頬をかく。閉店、急逝、なんだか浮遊しているような言葉たち。


「藤巻さん?」名前を呼ばれた。「そんなにびっくりすることだった?」

「そりゃあね……えっと、いつ?」

「なにが?」

「その……亡くなられたのって」

「あぁ、うん……二週間前、藤巻さんがお店に来たでしょう? その日の晩に」

「そう、だったんだ」


 あの日のことがリフレインする。放課後、たそがれどきに〈あおぞら〉を訪れて、そのときたしか、煤城さんは。


「元気だって、いってなかったっけ」

「そのはずだったんだけどね。一気に具合が悪くなって。ぽっくり逝っちゃった」


 またも「なはは」とへんな笑い方をする。聞けば、煤城さんの祖父は腰以外にも、もとより多くの持病を抱えていたらしい。それでも五年近くもっており、近頃は体調もよくなっていたのだという。


 とはいえ病魔は確実に、煤城さんの祖父を蝕んでいた。夜、自室にて唐突に喀血。すぐに気づいた家族は救急車を呼んだが、到着したころには既に息を引き取っていた。


 まぁ覚悟してたことだけど。煤城さんはさらりといった。この古本屋〈あおぞら〉は三月いっぱいで畳むことになり、本の処分は煤城さんの両親の手でおこなわれる。まぁ覚悟してたことだけどね、煤城さんは本を見渡しながら、再度呟いた。彼女はなおも笑顔だった。


「さて、暗い話は、おしまい」


 ひととおりの事情を語り終えると、煤城さんはまたほうきを動かしはじめた。わたしはどうしたらいいのか、まだよくわからないままに、ひとまずは本をさがすのを再開した。


 そのままで十数分が流れた。わたしの腕には十四冊の本が積まれていた。春休みのあいだはもつだろう量だった。


「お会計、する?」


 わたしはうなずいた。奥のカウンターに向かう。


 カウンターには小さな立てかけのカレンダーがあった。日めくりタイプのカレンダーで、今日は二十九日。聞いたことあるような格言が添えられているが、あまり脳にとどまらなかった。


「閉店セール。五百円でいいよ」


 いいのか、とは思うのだけど、今回もいわない。


「三十一日に、店じまいってことだよね」

「そう」


 財布から五百円玉を一枚だす。カウンターに置くとき、かたりと鳴る。


「五百円ちょうどいただきます」


 それから本を袋に詰める。なんだか空虚かもしれないと思った。けれどいま、ここで空虚を感じる理由がわからなかった。そしてすぐに気づいた。空虚ではない。寂寥の念だ。


 寂寥の念。いきつけの古本屋がなくなること。気軽に本を買える場所がなくなること。そしてなにより、もしかしたら、もう煤城さんとは会わないかもしれないこと。


 いちおう仲良くなったつもりだった。ここに足を運べばてきとうに会話もできるし、愉快な冗談もたまにいいあう。それでもいま思えば、連絡先を交換したこともないし、この古本屋の外で煤城さんに会ったことは一度もない。それほど仲良くなかったのか、なんてことすら考えてしまう。


 そういう気持ちは振りはらえ。正直、わたしにはどうこうすることなんてできないのである。とにかく、『古本屋〈あおぞら〉は営業を終了します』と決まったのだから、そしてそのわけはどうしようもないのだから、受け入れるほかない。


 カウンターの向こう、煤城さんを見る。依然として笑顔である。もう折り合いをつけたのかな。だとしたら、それこそ、わたしがどうこういうことではない。


 ――あまりに見過ぎたのか、煤城さんが肩をすくめる。


「えっと、どうしたの? 顔になにかついてる? あ、もしかしてほこり?」

「いや、なんでも」


 苦笑いされる。「じゃあね」、の一言だけで済ましてしまう自分がいる。煤城さんも「じゃあね」と返してくれる。


「閉店前に藤巻さんが来てくれてよかったよ」


 そういった煤城さんは、最後まで笑顔だった。


 古本屋〈あおぞら〉をあとにして、原付を押しながら路地を歩く。カレーのにおいは先ほどより薄れている。商店街まで出れば、いつのまにか演説していた政治家はいなくなっていて、すっかり寂れた景色だった。静けさが重たい。


 この商店街にも、あえて踏み入ることはなくなる。カレー屋にはついぞいかないままで終わるが、それはともかくとして。ここには古本屋〈あおぞら〉に足を運ぶためだけに寄り道していたのだから。もうあの店がなくなってしまえば、学校帰り、わざわざこの商店街に来るなんてことはしないだろう。


 また安値で本を仕入れられるところをさがさないと。あたまのなかに地図をおもいうかべる。〈あおぞら〉みたいな古本屋がいい。ああいう、お店のひとの気まぐれで、てきとうに値段をつけてもらえて。


 たぶんないだろうなぁ、とため息をひとつ。ため息ついでに、煤城さんの顔も浮かんだ。浮かんだのはぜんぶ笑顔だ。


 まぁ覚悟してたことだけど。


 そう、笑顔で口にした煤城さん。きっと自分のなかで、すでに処理しきれているのだろう。祖父の死も、古本屋の終わりも。


 とはいえ中学時代から数年間、放課後と休日にひとりで店番していたのは煤城さんである。わたしみたいな三か月だけの常連とは思い入れも違うだろう。ずっとあの場所で過ごしてきたのだから。


 まぁ覚悟してたことだけど。


 代わりに店番をしてあげるくらいに慕っていたのだろう、祖父の死。それも突然のことで、ふっと湧いてきた不幸は古本屋もろとも奪っていく。


 そう簡単に、受け入れられるもんかなぁ。


 わたしだったらそうはいかない。当事者ではないのではっきりとはわからないが、そもそもお店に立てる気がしない。


 煤城さんは自分の気持ちとうまく付き合えるひとなのかもしれない。本当にうまく処理してしまって、笑顔でお店に立っているのかもしれない。でも、なんだかそれがしっくりこない。


 するとだんだん、あの笑顔がむかついてきた。理由はわからない。なぜか知らないが鼻につく。というか、あれは本当に笑顔だったのかどうか、そこすら自信がなくなってきた。眼鏡の奥は笑っていたっけ。あんまりよく見ていなかった。


 まぁ覚悟してたことだけど。


「……てか、だけど、ってなんだよ」


 足が止まった。商店街のまんなか、立ちすくむ。


 気付けば踵を返していた。まずそうせずにはいられなかった。ゆっくりした歩調から、早歩きへ。早歩きから、駆け足へ! もういちど、古本屋〈あおぞら〉へ急ぐ。錆びだらけのシャッターを横目に、だれもいないアーケード街を抜けて、いつもの路地に曲がって。


 古本屋〈あおぞら〉、看板を見上げる。塗装の剥げた看板でも、ちゃんと店名だけは読める。『特価』のカートはしり目に、ばんと勢いよく扉をあけると鈴が乱暴に鳴った。


「煤城さん!」


 ひゃっ、なんて悲鳴がして、おそるおそる顔をだす眼鏡の女の子。


「……藤巻さん?」

「ヘルメット、ある?」

「え……自転車のならあると思うけど」

「それでいいよ。どこにある?」

「えーっと、奥にある。取ってこようか」

「うん」


 戸惑いながらも煤城さんは店の奥に入っていく。ちょっとだけ待つ。やがて帰ってくる。


「あったけど」


 ぼろぼろの白いヘルメット。煤城さんはそれを両手で抱えている。


 わたしはそれを奪い取って、それからすぐに煤城さんに被らせて、腕を掴んで、


「よし、いこう」

「え、ちょっと待って」

「いいから」


 ぐいっと強引に引っ張ると、


「藤巻さん!」


 聞いたことない大音量で名前を呼ばれた。


「……ハイ」


 全身の筋肉が硬直しているが、なんとか煤城さんの顔を見られる。


 彼女はめずらしく――いや初めて――怒ったような顔をわたしに見せたが、すぐに柔和な笑顔になって、


「鍵ぐらい閉めさせて」


 と、エプロンのポケットから鍵の束を取り出した。

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