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一ヶ月が経ち、二ヶ月が経ち、半年が経ってもレイヤはずっと帰って来ない。
ついに見捨てられてしまったのではないか、私が至らないばかりに置いて行かれてしまったんだ。そんな悔しさや悲しさからイライザは今まで以上に勉強を頑張った。
勉強だけでなく、淑女として必要な教養、音楽、必須ではないけれど、裁縫や料理、大嫌いな運動にも筋肉痛になりながらも挑んだ。
自分が頑張っていればレイヤは帰って来てくれるかもしれない、その一心で。
彼女が六歳になると、何処に出しても恥ずかしくない小さな淑女が出来上がっていた。
けれども……
それでもレイヤは帰って来ない…。
他にも出来ることがあるのではないかと必死に考えて、錬金術を教えて貰う際に必要になるかもしれない道具をリストアップした。ゲームの内容はまだ頭の中に残っている。
「大釜、フラスコやビーカー、スポイトなどのガラス器具、乳鉢、細工道具はきっと必要よね。出来れば天秤も詳細な物が欲しい。」
あれもこれもとリストに書き連ね、資料室でこの世界で使われている機材を確認する。が、この世界の文明は随分と進んでいない様子で、フラスコの底が歪でいるのはもちろん、メモリも不正確、となれば天秤も大まかな物しかない。濾紙に至っては存在すらなかった。
「こんな状態では折角レイヤ様に錬金術を教えて頂いても、上手くいきっこないわ…。」
イライザは身震いした。
ただでさえ帰って来ないレイヤのことだ。自分に錬金術の才能が見出せなければ早々に見限られてしまうのではないか、レイヤは居なくなってしまうのではないかと思うと怖かった。
確かに、レイヤは飄々としていて掴み所がなく、放浪癖や適当な部分、口の悪い部分もあるけれど、何があっても笑って吹き飛ばしてくれる、気持ちを明るく、暖かくさせてくれる。最初は錬金術の関わりがあるからいてほしかっただけだった。けれど、次第にイライザにとってレイヤはお姉さんの様な、心を照らしてくれる存在になっていた。
そんな彼女が居なくなってしまうなんて、想像しただけで震えてきた。
現に今彼女はここにいない。
「やれることはやっておかないと…。
でも、ただ私がやりたい事をして家族を振り回すのではお父様やお母様が周囲になんと言われるか…。
よし、何か利益に回せる様な立ち回りをして周囲に文句なんて言わせるものですか!」
天秤や細工道具、ガラス器具をより正確に作り直すメリット、どの分野でその威力を発揮するのかを一つ一つ丁寧に資料に纏める。
さらに、濾紙自体の存在はなかったので、この世界の文明でも作れる濾紙、重しで薄く伸ばしていく手法の作成方法、何故必要になるのか、どんな物を精製出来るのか、その利益など細かく記した。
それから、それがどう領地の利益になるのかも紙面に起こす必要がある。
★領地を豊かにする
①特産物やそのアプローチの見直し
②新しい特産や流行
③領地の整備
④人材育成
⑤監査
おおまかに目標や指針を立て、そこからその為に何をしなければならないのか、その提案、その為に何が必要なのか等を箇条書きしていく。
けれど、まだ6歳の子どもが書く資料なのだから程々に幼さの残る書き方で(但し、イライザ基準)。
これは私だけでなく、研究者、医療者、薬剤師、調香師等色々な人が必要とする事業であることを理解してもらいたい。世に出回っている物と比べて精度も高く精製しやすいとなれば購入者も増える。
そうなれば領地の利益にもなるはず。
その思い一心で只管レポートを書き起こした。
勢いだけで初めてしまったことだったけれど、その勢いは睡眠も食欲も寄せ付けない。
余りの一心不乱さに、フラーに「いい加減にしてくださいませ!このままではお嬢様が倒れてしまいます!」と、悲鳴のようなお小言をもらい、流石に完徹は一日だけだったけれど、修正に修正を重ね、3日間でレポートは完成した。
うん、これなら誰に文句を言われることなくやりたい事ができるはずだわ!
こうして父フェルマールの元へと、意気揚々とプレゼンテーションへと向かう。
「ほう、驚いたよ。レイヤ君がいなくなって、イライザが必死になって色々なことを頑張っていたのは知っていたけれど、こんなことまで…」
資料を眺めているからか、父の顔にいつもよりも影があるような、怖い雰囲気に感じた。
こんなことを急に言い出すなんて、気味の悪い子だと思われただろうか。
それでも、引き下がる訳には行かなかった。
お願い、思いだけでもつたわれ!
「…イライザ。」
「はい、お父様。」
「これはお前が一人で作成したのかい?」
「は、はい…私のような未熟者が作成した為、お父様から見ればまだまだ要領を得ない内容かとは思いますが…」
「そんなに悲観することはないぞ。こんな内容を書けるなんて…」
あ…やっぱり気味が悪いと思われてしまったか…
と肩を落としていると…
「やっぱりうちの娘は天才だ!!」
「え…?」
「否、天才中の天才!神童だ!!」
驚き固まっているイライザを他所に、父はそんなイライザの脇に手を入れて、華奢なイライザを上に持ち上げてクルクルと回り始める。
「お、お父様!転んでしまうわっ!」
「ハハハッ!私が娘を抱えて転ぶはずがないだろう!
ほらっ!」
よっと声を上げて父はイライザを抱え直してギュッと抱きしめる。
イライザが家族にも畏れられてしまうのではないかとビクビクしていたことなどお見通しな様子で、彼女の頭を彼の大きな手で優しく撫でていく。
「君は私たちの誇りだ。何も恐れることなんてないんだよ?やりたいことをやっていいんだ。周りのことはこの父に任せなさい。」
目を合わせて優しく微笑んでくれる父の胸に飛び込み、暖かい腕の中で一頻り泣いて笑顔で執務室を後にした。
娘のイライザが部屋を出ていくと、それまで壁の一部に同化していたように静かに控えていたファレルが心配そうな声を上げる。
「旦那様…これは…」
「何も言うな。イライザが周りの者に奇異な目で見られる必要はない。これは私が考え始動していくということに。よいな?」
「もちろんでございます。」
今までもイライザの書いた書類の定型文、書式形式、耳に入った情報の処理、提案。
それ以外にも諸々と上げられる彼女の功績。
周囲にはフェルマールの功績として伝えているが、彼女の功績により、フェルマール領は今、多くの領地から注目されている。
サラと結婚した時もかなり嫌な注目のされ方をしたが、今回はそれ以上かもしれない。
だが、以前と違うのは、有益な情報を伴う為、どの領地も友好的に声をかけてくれることだ。
サラと結婚して疎遠になっていた者たちも少しずつ歩み寄ってきている。
「本当にあの子は、私たちを引き上げてくれる天使だな。そんなあの子を守るのもまた大事な使命だ。」
「そうでございますね。我々も旦那様に何処までも着いていきます。」
「まずはうちの可愛い天使を悪魔(王子)から守らなければ!!」
「勿論でございます!!」
こうして執務室で男二人、暑く決意していた。
一方のフレデリックは、度々モンドレーク家を訪れていた。が、今日も今日とてイライザにはなかなか会わせて貰えず、モンドレーク伯爵夫妻と庭を散歩しながらテラスに佇むイライザを遠目から眺めるばかり。
「はぁ…今日もご同席してもらえなかったです…。」
「どのみち学校が始まればお会いできるでしょう。
殿下もまだお小さいこの時期に態々一つの家に頻繁に来るものではありませんよ。変に勘繰る者も出てきます。」
「そうですね…。」
「そうそう、うちの可愛い天使は、馬鹿は嫌いだそうですよ?精々勉学に励んでくださいませ。僕は彼女が認めた男でない限り、お嫁さんになんて出す気はありませんからね!」
プイッと顔を背けるモンドレーク家の主に「あなた、王子にそんな言動したらダメよ?」と頬っぺたを抓り、「ごめんなさいね、フレデリック様」と苦笑する伯爵夫人。
その苦笑までもが美しく、彼女にそっくりなイライザも、将来はこのような女性になるのだろうな、僕にもそんな風に接してくれたら嬉しいなと想像するだけで、フレデリックは幸せな気持ちになれた。
「いいんです。僕頑張ります!!」
急にやる気になったフレデリックにビクッとしなから、そのやる気をどうにかへし折れないかと悶々とするフェルマールとファレル。それをくすくすと微笑む伯爵夫人。
そんな構図にハラハラするレレイは静かに、周りにわからないように溜息を零した。
とりあえず、やっと一話更新出来ました…。
めちゃくちゃ亀ペースで申し訳ありません…。