少女を治療する
とりあえず、縄を解いて私のベッドに寝かせてあるこの少女は、盗賊に無理やり連れ去られたであろう痛々しい姿をしていた。
馬車か何かで移動していた際に誘拐されたのだろうか、あちこちに傷があり、来ていたドレスはボロボロだった。また、暴力を振るわれたのか、ところどころ内出血を起こしていたり、骨にヒビが入っていた場所があった。
軽い擦り傷は運んでいる最中に、フェンリルが治してくれていたおかげで手間が省けたのは良かった。
だけど、擦り傷を治した程度で彼女の死亡までの時間は延びない。だから、私が今使用できる、最上級の回復魔法を彼女に掛けることにした。
切り傷や内出血、骨のヒビが治るかわからなかったが、自身で試した時に治ったから多分大丈夫だろうと考えたからである。結果、綺麗に治りました。はい。回復魔法すげえ。
だけど、一つ問題があった。
彼女の魔力が無いのだ。
隠しているのかと思ったが、そういう気配も無い。顔も真っ白だし、呼吸も荒い。試しに体内を流れている魔力を感知してみた結果、彼女の体内には魔力が少しも流れていないことがわかったのだ。
魔力は本来、動物の体内を血液とともに巡っている。魔力を少しでも持っていれば、感知する際に小さく反応がある。元々魔力を持たない動物の場合、魔力の反応どころか血液の流れを感知することすら不可能なので、この少女の血液の流れが感知できたことから考えると、彼女は魔力を元から持っていることが考えられる。
つまり、元々持っているにもかかわらず、魔力が体内に残っていない、ということになるのだ。
魔力が無くなり、元に戻らなくなる原因は最低でも二つある。
一つは、魔力の減少及び回復ができなくなる呪いをかけられた時。
もう一つは、自身が保有している魔力の量を大幅に上回る魔法を使用した時。
この少女の場合、おそらく後者だと考えられる。なぜか?
かの有名な、『いしのなかにいる』は、転移魔法の座標をミスった時に起こるものだと聞いたことがある。今回のものも、かの有名なアレと同じようなものだろう。
そう考えると、転移魔法を使用できるのはあの盗賊の誰でもない、つまり消去法でいくとこの少女だけということになる。
だって、転移魔法を使えれば、この少女がフェンリルによって助け出された際、すぐにそこに行って奪い返すこともできたからね。
魔力が無いから使用できないんじゃないかって?
あの男たちの腰には、水が入った瓶が二本ぶら下がっていた。まあただの水じゃないんだけど。一本は怪我を治す水で、もう一本は魔力を回復させる水だったんだよ。それを飲めば使えるはずだった。もし転移魔法が使えたのなら、すぐに飲むはず。だけど、彼らは飲まなかった。つまり、使えなかったってことさ。
さて、魔力を戻す方法は三つある。
一つ目は自然に回復するのを待つこと。
二つ目は魔力を含む食べ物を飲んだり食べたりする。
三つ目は魔力を持っている別の生き物から魔力を流して回復させる。充電みたいなものさ。
一つ目は無理だね。二つ目の魔力を含む食べ物。これは主に、魔力を多く含んでいる『魔力草』という薬草が効果的なんだけど、今の時期は生えていない。暖かくなってから生えてくるんだよね、アレ。ちなみに、魔力草を煎じたお茶は、あの男たちが持っていた魔力を回復させる水より、はるかに回復量が多いんだよ。
一つ目と二つ目がダメとなると、三つ目の魔力を流して回復させる方法しかない。
「フェンリル、ちょっとこの子を起き上がらせて、支えててね」
「相解った」
私が何をするのか察したフェンリルは、私の言う通りに彼女を起き上がらせ、背中を支えていてくれる。
そして、私は少女と両手を繋いで彼女の魔力の残滓を確かめる。
この『魔力の残滓』というのは、体内に残っている『魔力の染み』のこと。体の中に染み付いているから、魔法の原料として使えないんだよね。
余談だけど、この魔力の残滓は、生まれたばかりの赤ちゃんには無いんだよ。まだ魔力が体に馴染んでいないからね。魔力の残滓があるということは、その魔力がその体に馴染んている証拠なんだ。
難しい?じゃ、簡単に説明しよう。
茶渋がコップについて取れなくなった思い出って無い?
簡単に言えばそういうことだよ。
ちなみに、残滓には流れというものがあって、どの方向に流れているかによって魔力を流す方向が決まるんだよ。この流す方向を間違えると、最悪死亡することもある。今まで失敗はしたこと無いけど、知識が無いと人は犯罪者にもなり得るんだ。
……うん。残滓はある。あとは、この子の残滓の流れの向きを確認……完了。右手から左手に流れているね。
人によって流れは違う。この子は右手から左手にかけて流れているけど、時々頭から足にかけて流れている人がいたり、左肩から右脇腹にかけて流れている人もいたりする。もちろん、その人たちはもうこの世にはいないけどね。寿命で亡くなってしまったよ。
「フェンリルには魔力遮断をかけるけど、驚いて手を放すことは無いように」
「わかっておるぞ」
「良し。では、充魔力開始」
充電だと電気になるから、充魔力と命名したのはまた余談である。
ゆっくりと魔力を私の左手から彼女の体を通り、私の右手へと回るように魔力を流し始める。そうすることによって、流れの中間地点にある心臓に魔力が少しずつ溜まる仕組みになっている。ゆっくり流す理由は、急に流すと破裂してしまう可能性があるからだ。
徐々に彼女の顔色が戻ってきた。でも、まだ回復した様子は無い。魔力が自然に回復するようになるまでは魔力を流し続ける。この流れに反発したような感触があるときは、魔力が自然に回復できるようになった証拠なんだけど、まだその反応は無い。
部屋には、少女の荒い呼吸音が響き渡っている。
「……」
無言でブラウニーもどきの女の子が汗を拭いてくれる。それだけ長い時間が経ったということだ。だが、まだ反発した感触は無い。
「……来たっ!」
魔力の流れに反発する感触がした。その感触がした瞬間、魔力をゆっくりと止め、静かに手を放す。
少女の呼吸は安定し、一定のリズムで吸ったり吐いたりを繰り返している。
その様子を見て、フェンリルに声をかけた。
「ありがとうフェンリル。ゆっくりと寝かせてくれ」
フェンリルは小さく頷き、彼女の身体をゆっくりと寝かせた。
それを確認したかのように、タイミングよく扉が開かれ、死神が入ってきた。
「終わったようだね」
「もしかして、危なかった?」
「あと数秒ってところでしたよ」
「ギリギリじゃないか」
「まあ、さすがとしか言いようがないですがね……」
死神は外で待っていたようだ。少女が助かったところを見て、やれやれと残念そうに首を振った。
まあ彼は仕事でやっているわけだがら、とやかく言うつもりは全くない。私にそんなことを言う理由なぞないからね。死んでしまったら人間それまでだから、無理に生き返らせることもしない。仕事ならともかくね。
「そうそう、盗賊は頭部だけ残しときましたよ」
「なぜに?」
「指名手配されているようでね。人間の世界は面倒臭いのだよ」
「ふぅん」
人間以上の年齢の私にとって、すでに人間の世界に興味が無くなっている。転生した直後は、他の国に行ってみたいとは思っていたが、今となってはそんなことは思わないし、何より森から外に出るのが面倒臭い。
出る機会があれば行くけどね。
「で、魂はどうしたんだい?輪廻にはまだ戻していないんでしょ?」
「そりゃもちろんですとも。あまりにも罪が多いし、ノム殿が掛けた呪いも大きいものだから、輪廻に戻すには時間がかかるでしょうね。そもそも、その前に罪相応の苦しみが待っていますし」
「ま、私利私欲のために罪を犯したんだから、それが妥当だろうね」
「おや、あなたの口からその言葉が出るとは……」
死神は髑髏顔で器用に笑いながら、私にそんな言葉を投げてくる。
だから、私もそんな言葉に笑って言葉を投げ返す。
「うん?お前さんにだけは言われたくないねぇ」
死神は私の言葉を聞いて、つまらなそうな顔で両手を挙げた。
「やれやれ、ノム殿にゃ敵いませんね」
「死を司る神のくせに何の冗談を言っているんだか」
「そっちこそ大賢者のくせに、真面目なことばかり言ってますね」
軽口を叩き合うほど、私は死神と仲が良いのだよ。何でだろうね。
死神は「では我はこれで」と言うと、その場から煙のように消えてしまった。盗賊の頭部が入っているであろう真っ白な袋を四つ残して。
その場に置いてあると、研究に使ってしまいそうなので、結構前に作った黒い巾着袋に入れておくことにした。この袋、私が初めて作った魔法袋で、30kgほどしか入らないんだよねぇ。いやぁ、懐かしいなぁ。
とりあえず、ギリギリ入った。残りの容量が出るようにしたんだけど、残りが5.3kgだった。本当にギリギリだったよ。
「じゃあ私は別の部屋で寝るから、フェンリルと一緒にこの子の面倒見ててね」
「わしも泊まって良いのか?」
「かまわないさ。人間形態でも、狼形態でも、楽にできる方にしてね。この子もそれが良いみたいだから」
私の言葉に、女の子はコクコクと頷く。
言葉が話せなくても、長年の付き合いで言いたいことはなんとなくわかるからね。
「ああ、夕飯は私が作るから、この子に何かあった時に呼んで」
こっちを向いて、「夕飯は?」と首を傾げていたので、そう言った。
「え、お主料理できたのかの?」
「何が言いたいか、怒らないから言ってごらん?」
「この部屋の惨状から、料理ができない奴なのかと」
「次の日に毛が残っていると良いね」
「やめてくれぬか!?」
まあ、焼くだけなんだけど。
私がキッチンに向かおうとした瞬間、女の子は私の行動に気づいたのかローブの裾を引っ張って制止した。
「おっとっと……どうしたんだい?」
今料理って言った!?
と、女の子は両腕を上下に振りながら伝えてくる。
「そうだけど、何かおかしなことを言ったかな?」
焼くだけしかできないでしょう!?
「そうだけど、何で止めるのさ」
病人に焼いただけの、消化の悪いものを食べさせる気?わたしが作るから、あなたがこの子の様子を見てなさい!ついでに魔力も貰っていくわ!
そんな風に身振り手振りでジェスチャーしながら、私の腕に彼女は噛み付いた。
何で言っていることがわかるかって?まあ、長い付き合いだし。
「お?結局お主が残ることになったのか?」
「まあ、病人が食べれる食事が作れないからなんだけどね」
「ほう、そうだったのか……ところで、こやつの身体を拭いてくれと、あやつに頼まれたのじゃが」
その言葉と同時に私は立ち上がった。
「待て、どこに行くつもりじゃ?」
「ちょっとお手洗いに」
「わしは人間の服の構造など知らぬのでな。ほんのすこしで良いから、手伝って欲しいのじゃが」
振り返ると、フェンリルはニヤニヤと笑っていた。
こいつは私が男であることを知って、わざとこういうことを言っているのだ。本当はどうやって脱がせば良いのか知っているくせにね。
「服の脱がせ方なんて知ってるでしょうに。あの子に教えてもらったんじゃないの?」
「はて、何のことやら?」
すっとぼけられた。
こうなったら、私に逃げ道は残されていない。
ここで私が逃げれば、フェンリルはあの子にこのことを言い付けるだろう。そうすれば、私はあの子の説教を受けなければならない。
「ほれほれ、どうしたのじゃ〜?」
「フェンリル、後で覚えているんだね……」
結局、私は温かめのお湯を魔法で用意し、少女の看病をフェンリルと一緒にするのだった。
もちろん、やましいことは何もしていないし、フェンリルが少女の身体を拭いている最中は後ろを向いていたため、特別なことは何もなかった。
だけど、後ろを向いている最中にフェンリルが煽ってきていたため、後で彼女の毛皮を少しだけ(強引に)頂いたのはまた別のお話。