*閑話・アレシュ*
足元に瀕死の女が横たわっていた。
全身に痣。無遠慮に刺された痕。抉られた箇所。紫に変色した肌。腫れあがった顔。辛うじて頭に残っている髪は黄金。青い瞳。薄く開かれた口から、見えるはずの歯はところどころ無かった。
これはもう直に死ぬだろうなと、それはわかりきったことだった。
ぼんやりと、女の青い目がアレシュ・ウルラを見た。
とある村へ調査のために、単身王都を離れていた。内密のことである。少し前に、王宮内を騒がせた事件。貴族の子息子女の通う学園の「鍵」を持ちだし他国へ流出させようとした、珍事があった。
犯人はヘルツィーカ家の息女、ライラ・ヘルツィーカであるとされた。未然に防いだのは第二王子マレクとその友人である女子生徒だとか。
さて真偽のほどはどうなのか。
アレシュは腹違いの弟が何かしらの「手柄」を立てた。そのことに違和感を覚えた。出来が悪いというわけではないが、王族としても男としても器が小さいとわかり切っている愚弟。
それがあのヘルツィーカ公爵令嬢の「企み」を阻止できたことが、アレシュには疑問だった。
そうして、何かあるのではと探ろうとした矢先。
発見したのは森の中で、暴行され凌辱された、凄惨な有様の体。
「……ヘルツィーカ公爵令嬢、か?」
その燃えるような視線には覚えがあった。
宮中でやたらと、自分に声をかけて来た女の眼。
媚びを売るわけではなかったが、必死さがあった。アレシュの興味を引かなければ、明日処刑台に引き摺られていくのだというような、命がけの、思いつめた末の行動のような印象。
アレシュはその目に苛立った。
不遜、傲慢。王族に向けるに相応しい目ではない、というつまらない理由ではない。
相手が何かしらの悲劇、あるいは宿命、どうしようもない「絶望」を抱いていることは容易く分かり、その打開策にアレシュの存在を見出していることも理解できた。
その身勝手さ。
自分の悲劇を回避する為に、その複雑な自分の運命に、自分の都合でアレシュを巻き込もうとしているその図々しさが腹立たしかった。
アレシュは他人の人生を抱え込む余裕などない。自分を産んだ母親は「正妃より先に男児を産んだ」というつまらない理由で虐げられ、今も命を脅かされている。それでもアレシュに恨み言一つ言うわけでもなく、アレシュが王位を望まないのならいつでも他国へ行けばいいと言う。
ライラ・ヘルツィーカはアレシュのそんな事情も何もかも考慮せず、自分の悲劇の回避のために近付いてくる女だった。
「……」
「貴様の高い魔力がアダになったな。それでは楽には死ねまい」
骨は砕かれ足は曲がり、まともな部分などほぼない。ここまで嬲られる程罪深い事をしたのかと、純粋な興味が沸く。
ヒューヒューと、抉られた喉から、声を発しようとした女の息が漏れた。
助けを求めるような目。縋りつく目。アレシュだけが自分を助けられるのだと、この期に及んで信じている目。
こちらをよく知りもしないだろう女から向けられるその必死な感情。一方的な確信。貴様がアレシュ・ウルラの何を知っているのかとせせら笑いたくさえあった。
「……」
アレシュがただただ冷笑するのを、死にゆく女はじっと見つめ続けた。けれどやがて瞬き一つ、観念したのか、瞳から生き汚く足掻こうとしていた色が消える。それで、アレシュは「それならば介錯くらいしてやろう」という気になった。
見苦しい女が自分の腐臭を認めて死を受け入れるというのなら、居合わせた者として何かしてやるかという気になる。
「……」
ライラ・ヘルツィーカの唇が言葉の形をとった。
アレシュがかろうじて読み取れた意味は『たどり着けなかった』と、意味の分からない言葉。
そうして、首を絞めて殺した。
穴を掘って埋めてやってもよかったが、あれの兄のことを思い出した。
あのいつも世に飽いたような顔をしている男にとって、この妹はどのような存在なのか。人の噂では可愛がっていると、そのような話を聞いていて、だからこそ、ライラ・ヘルツィーカがマレクの婚約者だったことは、マレクを王太子にする強固な理由となった。
翻って、その妹思いという噂は、マレクを王太子にするために都合のいい噂であり、それが事実であるとは、アレシュ・ウルラには思えなかった。
人を使って、アレシュはライラ・ヘルツィーカの死体をハヴェル・ジューク・ヘルツィーカのいる屋敷へ投げ込んだ。
あの男はどうするのか。
既に汚名を被せられ落ちた公爵令嬢の死を、あの規格外の魔術師はどうするのか。
ただの興味。
好奇心。
それだけのことだった。