私が、私です。
「お兄さま」
「覚えていてくれたんだ」
夢扱いにされなくてよかったよ、と笑うお兄さまは、輝く貌の金髪外国人だが、きちんとスーツを着ている。
立ち話もなんなので、私はお兄さまと開店直後の飲食店に入った。昭和通りを越えて、総武線を頭上にし浅草橋方面へ進んだ所にあるお店はこの時間はあまり人が入らない。
「アレシュが君に会いたがっているよ」
簡単な注文をして、最初の飲み物を口にすると、お兄さまは一番にそう話した。
「途中からなんとなく気付いてはいましたが、なぜアレシュ閣下は私への好感度が上がったんでしょう」
仕事の合間にも考えてみたが、アレシュ閣下のクーデターの引き金は、どうやら私と牢の中で話してから、のように思える。
「あれは君の為だった、と?」
「全部が全部、じゃないでしょうけど、私にとって都合が良すぎました」
そもそも名誉を守る、名誉を回復するというのは一人では不可能だ。名誉は周囲から得られるもの。私がいくら守ろうと躍起になっても、マレク殿下を打ちのめしても、それを認める者、広める者がいなければあまり意味がない。
「私にとっては、アレシュ閣下のお父上より、アレシュ閣下ご本人が王座についてくださっている、という方が、ライラ・ヘルツィーカの名誉は守られたままでいるので……」
ライラ・ヘルツィーカを殺した負い目から?いや、そんな負い目があるのなら、私とあの燃える村で出会ったときにゴミ屑を見る様な目をしてはこなかっただろう。
アレシュ閣下はライラ・ヘルツィーカのことは疎んでいた、あるいは嫌悪していた、とそのように思う。
「そういう、ちょっとまだわからないことを知る為にゲームをプレイしようとしたんですけど……これプレイすると死ぬんですか?」
どんな呪いのゲームだ、それは。
私が顔を引きつらせると、お兄さまはアンディーブのサラダを綺麗に取り分けて、レモンとチーズのドレッシングをかける。
「私はそのゲームがどんな内容か、どんなものかは知らないけどね。君がそのゲームの知識を得ると、君は死ぬ。死んで、こちらの世界に転生するようだ」
「へぇ……」
私はそっと、買ったばかりのゲームをハードから取り外し、立ち上がる。
そのまま地面に置いて、ヒールの踵で全力で踏んだ。
「セイヤァッ!」
「……異世界転生っていうのは、憧れるものじゃないのかい」
パキン、と割れるゲームの欠片を残さないように回収し、入っていた袋に詰めて鞄に仕舞うと、お兄さまが首を傾げる。
「今の私のまま異世界に行けるならいいんですけど、転生とか、それこそライラ・ヘルツィーカに成り代わっての人生、というのは魅力を感じません」
「今の君のまま?美しい容姿になりたくないのかい」
じっくりと、上から下までお兄さま、いや、もう兄じゃないので、ハヴェル・ヘルツィーカが眺める。美しい顔の男性に自分の容姿を見られることに羞恥心が芽生えた。私の顔は平凡で、体形も特筆すべき点はない。仕事帰りのスーツ姿に、化粧っ気のない顔。女性らしいと言えるのは、長い髪を後ろで束ねていることくらいだが、その髪にしても十分な手入れをされているわけではない。
私は夢の中で見た、あの美しいライラ・ヘルツィーカの容姿を思い出す。
彼女はとても魅力的だった。美しく賢く、そして強い。
しかし、彼女になれる、というのは、今の私からすれば有り得ないほど、素晴らしいことだろうか?
「いや、でも、私じゃないですし」
一度あちらで動いたからこそ、私はその一点が腑に落ちない。
それ、私じゃないよね?
転生して意識がきちんと、その体が自分のものである、という自覚があればいいけれど、そうじゃないのなら、着ぐるみでも着ているような気分になる。それか異世界人のコスプレだ。
私は丁重にお断りをし、ハヴェル・ヘルツィーカもそれ以上は言ってこなかった。
なので私はこの輝く貌の金髪イケメンと外食を楽しむことにする。ハヴェ……いや、もういいや面倒だ、お兄さまはこちらの食文化を楽しみ、意外に大食家だったようで、ピザを一枚ぺろりと平らげ、シェアしようと思っていたミートスパゲティも一人で片付けた。私はその見事な食べっぷりに感心し、次は、とあれこれ注文していく。
なんでも、こちらへ来る魔法はとても大変なもので、お腹が空いてしまったらしい。
あちらの世界でのあの後の話もたくさん聞けた。
アレシュ閣下のクーデターは案外すんなりと受け入れられ、特に混乱もなく国は機能しているらしい。
前国王陛下は幽閉しようとしたが、王妃様が必死に嘆願して、王妃様のご実家のある領地で監視付きの隠居。領地からは絶対に出ない、という約束で、出ればお兄さまの魔術が発動して四肢が溶けるらしい。何それ怖い。
ジュリア嬢がどうなったのか、は一言も出なかった。聞かなかったから、ではなくて、故意に出されていないような気がする。
「そういえば、あの村の生き残りの少年ですが……彼はなぜ銀髪の貴族が村を襲った、など証言したのでしょう?」
あれこれ推測できるが、答えが知りたくて聞いてみる。
「あぁ、彼はマレクと取引をしていたようだよ。そう証言したら、今後の生活を保障する、とね」
「村で、マレク殿下は一足先に帰る、とかで私とアレシュ閣下から離れましたから、その時ですね」
なるほど、保護され意識を失い、そのまま王都へ連れていかれたと思っていたが、あの時治療を受けながら一度は目を覚ましていたのか。まぁ、マレク殿下あたりが吹き込んだのだろうとは思っていたけれど。
食事を歓談を終えて、お会計を済ませる。
「また来てくださいますか?」
楽しかった。
久しぶりに誰かと楽しく話して、食事をしたと思い出し、私はお兄さまに尋ねる。
「私は君の幸せを誰よりも願っているから、もう会いには来ないよ。それに、こっちに来るのはとても疲れるんだ」
そう言って、お兄さまは私の手を取った。
「きちんとお礼を言えなかった、だから来たんだ。ありがとう、君のお陰で妹の名誉は守られた。私の世界であれば私は君の願いをなんでも叶えられるけれど、こちらの世界で私が出来ることは何もない。こちらの金銭も持っていないしね」
お会計も私持ちだったが、それは別に気にすることではないと思う。
「お兄さまみたいなすっごい顔の綺麗な人と面白おかしく食事が出来たとか、最高の思い出なので、私は十分です。あ、でも、そうですね、一つお願いが」
私はスマフォのカメラを起動させて、お兄さまの写真を撮らせてほしいとお願いする。
「一緒に撮らなくていいのかい?」
「こんな顔の綺麗な人と私が写ってるとか耐えられません。単品でおねがいします」
ぱしゃり、と写真を撮るとお兄さまは興味深そうに画面を覗いた。
「これはこの機械がなければ持ち歩けないのかな」
「いいえ、すぐそこのコンビニでプリントできますよ。欲しいんですか?」
「姿絵ならあちらも魔術で作ることができるから、私のものはいらないよ。君のものが欲しいんだ」
「絶対に嫌です」
私は自分の容姿が嫌いなわけじゃない。
清潔感のあるように気にはしているし、自分で自分の顔は嫌いではない。
だが、この反則級のイケメンが私の写真を持つ、そもそも、私の顔が写真に残る、という……苦行でしかない。成人式の写真以降、私は写真なんぞ取ったことがない。証明写真は除くが。
「アレシュに見せたいんだ、君のことをとても気にしていたからね」
「なるほど。なぜか仄かに芽生えてしまった心を粉砕するため、ですね」
確かにいずれお妃さまを得ねばならない国王陛下が誰かに懸想しているというのはよくない。さすがはお兄さま。きちんと今後の国のことを思ってらっしゃる。
ライラ・ヘルツィーカの美しい外見での私ではなく、この平たい顔民族の、この、ビジネススーツ、色気の欠片もない、今のこの私を見せて『あ、気のせいだったわ』と打ち砕くためか!!!……悲しい。
しかし、これも人助け、と私はなるべく……不細工ではないように、しかし上目遣いの斜め上からという詐欺写メにすることもなく、加工もせず、正面からの一枚と、全身からの一枚をお兄さまに撮って貰い、コンビニで印刷した。
お兄さまはそれを大事そうに受け取り、綺麗なレースのハンカチで包んで(お兄さまのものではなくて、ライラ・ヘルツィーカの遺品らしい)胸に仕舞うと、人気のない路地に入って、私に最後のお別れを言ってくれた。
魔法陣が現れ、そのままお兄さまの姿は消える。
この、現代日本で起きる光景としてはあまりに脳の情報処理がおいつかないけれど、まぁ、それはいい。
そのまま電車に乗って自宅に戻り、私は明日はお休みだから、と部屋で一人二次会を開始した。お兄さまと一緒だと大口あけてバクバク食べれなかったので、宅配ピザも頼んで今度はたらふく食べよう、という寸法だ。
スマフォ片手にビールを持って、部屋着になればとても楽だ。
ゲームをプレイしなければ大丈夫だろうと、私はスマフォで例の乙女ゲームの登場人物設定を調べ始める。公式のサイトではなくて、皆大好きウィキペ○ィアでの人物詳細の方が、ゲームのネタバレなんかも書いてあって読みやすいだろう。
「……そういや、結局……アレシュ閣下は攻略対象じゃなかったのか?」
ふと、まず気になるのはそのことだ。
あれだけ濃いキャラクターと、あの顔で……攻略対象じゃない、というのは乙女ゲーム的にありえないのではないか?
こうして日本の自室でいるからこそ、あの世界がゲーム、乙女ゲームで攻略できる、と客観的に判じ考える事ができる。
「えぇっと、アレシュ閣下、アレシュ……」
画面をスクロールして探していると、インターフォンが鳴る。
ピザが来たようだ。
私はお財布を持って、玄関へ向かい、そのままガチャリ、と扉を開け、そして閉めた。
ドン、ガチャガチャガチャ!!
素早く鍵を閉め、必死にドアを抑える。
「なぜ閉めるライラ・ヘルツィーカ!!!!!」
「ノン!ライラ・ヘルツィーカ!!!なんでいるんだ!アレシュ閣下!!!」
*
「お兄さまはスーツ姿で来る、という常識を持っておりましたが、なぜ閣下は鎧姿なんでしょうか。せめて……装備無しっていう選択肢はなかったのでしょうか」
共同廊下で騒いでいると通報されかねないので、私は仕方なく、現れた漆黒の鎧の外国人、いや、異世界人……王位就いたんだろう何してるんだ、なアレシュ閣下を部屋に入れた。
物置か?と失礼な感想は予想していたので聞かなかったことにし、閣下にはソファに座って頂く。なんで武装して異世界に来るんだ。というか、閣下も来れたのか。
「つい先ほど、ハヴェル・ヘルツィーカさんと別れたばかりなのですが」
「そうであるか。こちらではハヴェルが異世界より戻ってからひと月が経っておる」
時間が同じ、というわけがないのはわかっているが、疲れているんですが、という主張をせずにはいられない。
とりあえずお茶でも出せばいいのだろうか。
「長居するつもりはない。要件のみ告げる」
「はぁ」
「求婚しに来た」
「なんでだよ」
ライラ・ヘルツィーカの名誉のためにお上品にする必要がないので、私はとても素直に感想を漏らす。
「私には妃が必要だ」
「あぁ、なるほど。それで、私にもう一度ライラ・ヘルツィーカの体を使って動いて欲しいんですね」
マレク殿下も、ライラ・ヘルツィーカを婚約者にすることで王太子としての立場を硬いものとしていたらしい。
新国王陛下も、彼女を妻にするメリットを得たい、というのだろう。
「自分で殺した女を妃にする、というのは、随分度胸がありますね」
「其方に求婚しておるのだが」
「嫌ですよ、確かに銀髪美少女の着ぐるみは綺麗でいいですけど……」
「ライラ・ヘルツィーカの体に入れとは申しておらぬ」
「……つまり、他の死体に入れ、と?」
「なぜそうなる」
心底不思議そうな顔をされる。
「其方に言うておるのだ。そうだな、其方の世界での言い方だと……サンショクヒルネツキヲホショウスルノデヨメニコイ、と言うのであったか?」
誰だそんな奇妙な知識を異世界に伝えた日本人。
突っ込みたいが、真面目な顔で、膝まづきながら言われるものだから私は毒気が抜かれた。
「……それでは、真剣にお答えしますが、絶対に嫌です。そもそも、私が閣下に好意を持つ、理由がまるでありません」
初見は最悪。
その後の態度も良くなかった。
後半は、まぁ、こちらに誠意を持っているのがわかったが、だからと言って、結婚相手にOKかと言えば、絶対にNOだろう。
「そうか」
真剣に答えたからか、アレシュ閣下は静かに頷いた。ガチャリ、と鎧が鳴る。
そのまま立ち上がり、また玄関から出て行こうとするので私はそれを引き留める。
「ちょっと待ってください、閣下も……魔力をたくさん使ってきたのなら、お腹が空いていらっしゃるのではありませんか?」
「……」
肯定はしてこなかった。まぁ、素直に空腹、というようなタイプではない。
私はデリバリーでピザを頼んだ事、とても大きいサイズなので男性にも手伝って頂きたいと告げる。
「其方の食事であろう」
「まぁ、そうですけど。そういえば閣下とは牢の中で食事の話をしましたよね。どうです、ご一緒に」
鎧姿で部屋から出るところを誰かに目撃されるのは不味い。それならここで満腹になってここで異世界へ帰って頂こうと、再度閣下を座らせる。
「とりあえず、その鎧って脱げないんですか?」
「確かに、この物置では邪魔であるな」
物置じゃない、私のマイルームだ。
こういう価値観の違いすぎる相手との結婚も、まず無理だ。うん。
閣下は魔法か何かでするり、と装いを変える。私が置きっぱなしにしていた雑誌の表紙に乗っているモデルのお兄さんの恰好だ。うん。顔の良い男は何を着ても良い。
デリバリーが来るまで、と私はビールを出そうか躊躇った。
お酒はよくない。お兄さまも飲んでいなかった。酔って魔法が使えなくなったら困る。
でも私はビールが飲みたい。
なぜ自宅でこんなに緊張しなければならないのか。自宅とはくつろぎの場ではないのか。
いや、閣下を食事に誘った私が悪い。
「私に酒は不要。其方は好きに飲むと良い」
ビールの缶を凝視しながら難しい顔をしていると、閣下は気遣ってくれたのかそんなありがたい事言う。
「いえ、お客さまにお茶を出して自分だけ、というのはちょっと……」
結局、一杯だけ閣下にも付き合って頂くことになった。
コポコポとガラスのカップにビールを注ぐ。飲んだことはありますか、と聞くと、この世界に来た事自体初めてなので飲んだことはないそうだ。すまない。初めての異世界がこんな一般人のワンルームでの食事で本当にすまない。
「其方に力を貸してほしい事はあるのだ」
つまみにはお中元で頂いたハムを焼いてお出しした。あと燻製チーズとか、カル○スとか。閣下はあまりお酒に強くないのか、コップの中のビールを半分ほどで少し顔が赤くなってきている。それで、口も軽くなったのかもしれない。
「何かまた問題があるんですか?」
「隣国との交渉があまりうまくいかぬ」
「あぁ、そういえば結局真っ黒でしたもんね」
マレク殿下が隣国と手を組んだ、ということまで確定されてしまったのがあの決闘だ。隣国がこちらの王太子と組んで公爵令嬢を陥れた、その公爵令嬢が、私は詳細は知らないが、結婚相手になればその伴侶が王位確定できるほどの影響力あるいは後ろ盾のある御令嬢。そりゃ、落とし前を付けなければならない。
「表向きは妃として、実質は人質として、あちらのお姫さまを閣下のお嫁さんにされたらどうです」
「そのようなことをしたら、その姫はその日のうちにハヴェルに消される」
お兄さま怖いな。
あちらは恭順の証として差し出す気らしいが、アレシュ閣下にメリットはないらしい。まぁ、あれかな。お妃さまにしたら、その子供には王位継承権も生まれるし、隣国との関係をどうするかわからないが、あまりいいことではないのかもしれない。
「どうせ差し出すなら姫の首ではなく、件の王子の首を寄越せと再三申しておるに」
姫さまは死ぬこと確定かよ。
可哀想過ぎるので、姫さまはあの国に行かない、で確定してほしい。
色々思い出しているのか、ぐびぐび、と閣下がビールを飲む。まぁ、面倒くさいと飲みたくなる気持ちはわかる、と私は空になったコップにビールを注いでいく。
私も飲みはじめ、そしてピザが届いて、アレシュ閣下が「チーズはこのように伸びるものだったのか……」と妙なショックを受けながら食べてくれ、ビールの缶がどんどん開いていく。
「まぁ、私なんかが出来ることはないと思いますけど……閣下が立派な王になられることはライラ・ヘルツィーカの名誉を守り続けることになりますし……応援しますよ」
あれこれ閣下の話を聞きながら、私は他人事なのでそう慰める。
そして、流石に飲み過ぎたなぁ、と私が思って一度水を飲もうと立ち上がったとき、床が発光していた。
「義に厚い其方であるゆえ、そのように言うてくれると信じていたぞ」
すっ、と酔っていた筈のアレシュ閣下が立ち上がる。
とてもスムーズだ。酔っ払い特有の、ふらつきがまるで見られない。いつの間にか黒い鎧もしっかり纏っていて、その腕に私が、こう、荷物のように横に抱きかかえられる。
「聞いたかハヴェル、これなるは再度我が国への関与を認めた。ゆえに、再度の訪問を許可せよ」
何言ってんだ閣下。
私が突っ込むひまもなく、路地裏でお兄様が見せたものと同じ魔法陣がマイルームの床に出現し、私と閣下の体は光に包まれる。
今度のミッションは王位についたアレシュ閣下に娘を嫁がせようとしてくる隣国の王様の意図を探れ☆
自分の娘が殺されるとわかってみすみす寄越そうとするその思惑は何だ!知らないよ!
私は平凡な日本人の姿のまま、他国から来る美しいお姫さまと王妃の座をかけた争いに参加することとなった。
結論を言おう。
『飽きた』と書いた紙で私は異世界へ行った。
そして帰ってきたのだけれど、また行った。
この往復生活はこの後何度か続き、最終的に私は仕事を辞めて家を引き払うことになるのだけれど、次の就職先を親に何て言えばいいのか、今でも悩んでいる。
Fin