誰がライラ・ヘルツィーカを殺したのか
私は運がいいらしく、決闘というものは、この異世界でも私の知る決闘と同じ意味、同じ目的を持つものらしかった。
二人の人間が同一条件のものと、命を賭して戦う。
主に、自らの名誉を回復することが目的であり、通常の裁判、通常の法では自らの正しさが証明できない場合に、決闘は行われるもの。
「一応言っておくけれど、私は魔法で助けたりしないし、負けたら君は死ぬんだよ」
ドレスと踵の高い靴では動きにくかろう、とお兄さまが杖を振ると私の服は女性の美しい装いから、男性の軽装へと変わる。
変えてくれたのは服だけで、これに防御魔法とか、素早くなる効果とかそういうものはないらしい。
「まぁ、別にこの世に未練はありませんし、それは構いませんよ」
「死んでもいいという気持ちで戦われるのはどうかな」
「そういう意味じゃありません。私の人生に未練がないので、この命を全力で、ライラ・ヘルツィーカの為に使いますよってことです」
「……」
言えばお兄さまは沈黙した。
牢の中でアレシュ閣下にも話したけれど、私は自分の努力もせず野心もなく何もない人生に関心がない。それよりも、ライラ・ヘルツィーカへの好意と彼女の名誉を回復させることに興味がある。
私の剣に細工がないかどうかを、マレク殿下の介添え人となる……って、元国王陛下がやるんかい。元国王陛下が私の剣を調べ、その間にマレク殿下の剣をお兄さま……は?
「私の介添え人はアレシュ閣下がなさるんですか」
「代理戦争のようなものである。当然であろう」
氷のオブジェを自作した玉座でふんぞり返っていたアレシュ閣下はいつのまにか私の方へ来ていて、マレク殿下の剣を調べている。
代理戦争。
成程、まぁ、確かに、そうなるのだろう。
私が勝てば、ライラ・ヘルツィーカの名誉回復。
それは、王太子殿下が黒幕だった、とその事実が固定される。
私はアレシュ閣下がクーデターを起こした理由やら、父王と何を話したのかは知らないけれど、その場合、サディスト閣下の行いが《正統なものだった》という証明にでもなるのだろう。
そしてマレク殿下が勝てば、全ての罪はライラ・ヘルツィーカが被ることになる。マレク殿下は正しく、正当な王位継承者のまま。クーデターを起こしたアレシュ閣下は王位を簒奪しようとした不逞の輩、ということで落ち着く……いや、なんで?
「いや、一瞬納得しかけましたけど、私が勝とうが負けようが、アレシュ閣下には関係ないですよね?」
もうクーデターは終わっている。
玉座にはアレシュ閣下が座り、マレク殿下が歯向かうのなら、この場で殺せばいいだけの話だ。クーデターという、善悪の定まらない今は、私にとっては好都合ではあるけれど、私のこの決闘はアレシュ閣下には関係ない。
「……マレク殿下が私に勝とうが負けようが、ここで殺しますよね?閣下は」
「それを言うのであれば其方とて同じことではないか?私が愚弟を処刑する。愚弟の行いを詳らかにする。となれば、婚約関係にあったライラ・ヘルツィーカは被害者であった、あるいは我が共犯者であった、と広めればよい。それでそなたの目的、公爵令嬢の名誉は守られよう」
勝者はアレシュ第一王子。
玉座を得て、彼にとっての都合の良い王位簒奪までの正統な理由と物語が歴史として記録されていく。
そこにライラ・ヘルツィーカについて彼女の名誉を傷つけないような一文を加えれば、成程確かに、それは、確かに、それもそう、ではある。
「いえ、いいえ、駄目です。えぇ、それはちょっと、そんな他人任せで私はライラ・ヘルツィーカの名誉を守るつもりは、ないのです」
「決闘し、自ら命を落とすやもしれぬ道こそと?」
「私の命をかけることに御大層な意味なんてありません。そんなことよりも、なぜ閣下が、私にとってこの都合の良い展開を故意に……行わせてくださるのか、それをお答えください」
私に問いかけて自分は答えていない。
そう指摘して見上げると、青い目の新国王陛下はじっと私を見つめ返し、そしてわずかに目を細めた。私ではないライラ・ヘルツィーカのことでも思い出しているのか、そう思った一瞬、けれどもそうではない、そうではなくて、あの牢の中で言葉を交わし、僅かに私に対して関心を見せた時と同じような、そんな妙な、やさしみのようなものを感じた。
「【私とて、恥くらい知っておる】」
答えるその目は、その薄い唇は嘘を言ってない。
「そうですか」
「さて、見分は済んだ。存分に殺し合うが良い」
トン、と私はアレシュ閣下に背を押され、再びマレク殿下と向かい合う。
お兄さまが決闘に関しての決まりや口上を述べられ、要約するとどちらかが致命傷を負うことが決着であり、第三者の介入は無し。つまり、前国王陛下とアレシュ閣下は介添え人ではあるが、この決闘に参入はできない。
「覚悟は良いか、ライラ・ヘルツィーカ」
「マレク殿下こそ」
殿下と私は互いに剣を向けて、一礼する。
学園に登校した初日に、私はライラ・ヘルツィーカの体がとても優れていること、素早く動けることを知った。
そして、その時はマレク殿下を制圧することができたけれど、今対峙している王族の男性は、私にこれまで見せてきた年相応の青年の顔ではない。
学園で最初に見せた、ライラ・ヘルツィーカを盗人だと正義面で罵った男子生徒のマレク殿下。
馬車の中で後悔するように、懺悔のように俯きながら向かい合った元婚約者のマレク殿下。
燃える村の中でまるで役立たずに茫然と佇み、まともな判断ができないながらジュリア嬢を探した恋に盲目なマレク殿下。
牢の中でライラ・ヘルツィーカをもう裏切りたくないと、助けにきたと言った同級生のマレク殿下。
学園長に死を命じ、これまでの仮面を脱ぎ捨てて平然としていた王族ぜんとした顔の、マレク殿下。
その、どれとも違う。
今、私の前にいて、私を殺して勝とうという赤い髪の青年は、初めて正統な憎悪を私に向けていると、そう感じた。
殺意と敵意と憎悪を受ける。
この殺意がわたし、殿下が未だ記憶喪失のライラ・ヘルツィーカと信じる私に向けてのものか、それとも生前のライラ・ヘルツィーカに向けてのものかわからない。けれど、殿下のその殺意から、わずかに「やっと堂々とお前を憎める」という、安心感のようなものも確かに感じられた。
マレク殿下が床を強く蹴る、こちらに突進し細身の剣を突き出した。私の、ライラ・ヘルツィーカの体は反射的に動き、剣先を自身の剣で弾く。しかし、その弾かれるはずだった右手を左手で掴み強引に軌道を戻すと、殿下の剣先が私の左肩を貫いた。
「ッ」
私は大きく後ろに跳ね、追随してくる殿下の体を足で蹴り飛ばす。剣が肩から抜かれ、さらに踏み込んだ足を軸にして殿下は右回りに体を回転させ、その遠心力のまま私に斬りつけてくる。
こちらは着地し、低い姿勢から殿下の剣を受け止める。
「防戦一方だなッ!ライラ!」
フーッフーッと、互いの食いしばる歯から息が漏れる。殿下は憎悪からの、私は運動量からの疲弊ゆえのもの。
「やっと君をはっきりと殺せる!俺を裏切り続けた君を正統に殺せる!」
今までの何もかもが煩わしかった!そう嘆く殿下の目には私しか映っておらず、その敵意を受け止める権利がはたして私にあるのかと、そう居心地の悪さを覚えながら、私は繰り出される殿下の剣を受け続けた。
「わたくしを裏切ったのは殿下の方では?」
ただ、罵倒され続けるのはライラ・ヘルツィーカの名誉にかかわる。それは許されないと、私は目を細め、殿下に言い返した。
「わたくしを罠に嵌め、ジュリア嬢を唆し、悪の令嬢のように仕立て上げようとなさったじゃありませんか。わたくしが気に入らなかったのなら、ただ婚約を解消されればよかったのに、よくもまぁ、これほど大掛かりなことをなさいましたわね」
「俺から君を捨てられるものか!!!」
ドン、とマレク殿下の足が私の腹を強く蹴った。
子供の癇癪のように乱雑で容赦がないながら、きちんと考えを持って繰り出された蹴りである。私はごほり、と胃液を吐く。
こちらがしゃべり終え、呼吸をしようという寸前に蹴られた。どんなに鍛え上げた体でも、息を吸おうと言う瞬間を狙われてはたまらない。
「あぁそうだ!俺は君を裏切れなかった!当然だろう!俺が王太子になれたのも、そこの玉座にいる……有能でご立派な兄上サマを差し置いて、この俺が次の国王だと誰もが持て囃したのも……俺がお前を妻にしなければ叶わない事だった!!」
「へぇ、そうなんですか。それはそれは……よくあることでは?」
ラノベでよくある戦略結婚うんぬんか?
公爵令嬢を娶る、公爵家の権力や後ろ盾、財産が王家のものとなる。だから王妃となる女性はそれ相応の身分や財力、権力のある家の生まれのものから選ばれる。うん、当然だろう。誰だってそうする。
「でも裏切れたじゃないですか。あら、おめでとうございます」
叫ぶ殿下の顔面に、私は大きく開いた掌を押し付け、そのまま力を入れて床に押し倒す。
背中から仰向けになるように倒れ込んだ殿下の上に馬乗りになって、私は剣に全体重をかけて、その首に刃を突き立てた。
が。
「ふざけるな!!!ふざけるなふざけるなふざけるな!!!!!何が記憶喪失だ!!!なにが決闘だ!!!何が王位だ!!!!!!あぁ、ああ!!あぁふざけるな!!!!!!!!!!」
殿下は剣を手放して、私の顔を殴る。
なりふり構わず、私の上に覆いかぶさり、何度も何度も私を殴った。
「俺の為に生きるのが王太子妃だろう!!!俺と共に歩むのが王太子妃だろう!!!だというのに、お前はお前だけの為に生きていた!!!お前が俺の妃になれば、俺はたった一人で生きることになる!!!お前のような女を、王太子妃になどするものか!!!お前がいなくとも、俺は王になれる!!!」
あぁ、そこか。
そこが、【ライラ・ヘルツィーカの裏切り】だったのか。
殴られながら、なるほど、殴りたくなる気持ちも少しだけわかるなぁ、と、そんなことを考えた。
ライラ・ヘルツィーカは努力家だ。その姿を想像することしか私はできないが、私は彼女を立派だと思うし、とても好意を抱いている。
けれど彼女は、それがどんな事情があれ立ち位置であれ、思惑があれ、マレク殿下と歩こう、という、その姿勢を見せなかった。
自分が悪役令嬢だと自覚して、いずれマレク殿下が、婚約者が自分を裏切ると予感していて、それゆえに早々に見切りをつけていた、あるいは情を持ちながらも、完全に心を許せはしなかった。
それを私は、ライラ・ヘルツィーカの苦悩と受け取るけれど、まぁ、成程確かに、成人もしていない少年時代から、そんな女が未来の自分の妻、共に歩む伴侶だというのは、確かにまぁ、うん、それなりに、それは少し、気の毒なことだったろう。
「だから嵌めた。だから、公爵家、ライラ・ヘルツィーカを伴侶とするメリット全てをなげうっても、彼女に報復したかった?ライラ・ヘルツィーカから与えられなくても、王座に就けると証明して、ライラ・ヘルツィーカに舌を出したかった?」
殴り疲れたのか、私の胸に頭を押し付けて獣のように呻いている殿下のつむじを見ながら、私はうんざりとした。
先程殿下がしたように、その顔を思い切り殴り飛ばし、しかし今度は馬乗りには成らず、私は立ち上がって、その頭を踏みつける。
「ならそう言えばよかったじゃありませんか。この件でどれだけ人が死んでると思ってます?村はまるまる一つ焼かれてるし、学園長なんて完全な被害者ですよね?誰かを犠牲にしなければ王位につけなかったのなら、自分の自尊心だけ犠牲にして大人しく王位に就いとけ、としか思えませんが」
いや、本当。ここで色々吐露されても、それがなんだ、それがどうした、としか私は思えない。
なぜこんなことをしたのか、どうしてそうなったのか、というあれこれに確かに興味はある。だが関心はない。
「私の目的はただ一つ、ライラ・ヘルツィーカを貶められた、貶めよう、なんて馬鹿なことを考え、しでかし、笑っている加害者にきちんと、えぇ懇々と、丁寧に教えて差し上げることです。―――【あなたの負けです。わたくしは、ライラ・ヘルツィーカはこれっぽっちも悪くない】」
頭を足で押さえつけたまま、私は殿下の両腕を斬り落とした。
*
「あれの命は奪わぬのか?」
血まみれのマレク殿下が前国王と連れ出された後、謁見の間には私とアレシュ閣下、そしてお兄さまの三人が残った。
私の望んだ処罰を、二人は納得していないご様子だ。
「身分はく奪、両腕も元に戻らないまま塔で幽閉生活。アレシュ閣下の御世にて裏切りの王子と散々広めてくださるようなので、えぇ、十分じゃありませんか?」
「塔に閉じ込める、といっても、環境は囚人のように劣悪じゃないし、衣食住がきちんと整えられることになるよ?仮にも元王族、となれば貴族の隠居生活、くらいの扱いにはなってしまう。それよりもその辺に棄てて好きに生きろ、ってした方がいいんじゃないかな?」
今からでも間に合うからそうしない?と言うお兄さまに私は慌てて首を振った。
「そんな……平民になったら幸せになっちゃうかもしれないじゃないですか」
「は?」
不思議そうな顔をされる。
ッチ、これだから平民=下位の存在。貴族の方が良い環境に住んでいる、と思い込んでいる上流階級共は。
「平民……一般人は良いですよ。感情そのままで他人とお付き合いできる、損得抜きで助け合うことも出来る……うっかりマレク殿下が、心優しいご近所さんと出会って世話を焼いて貰ったり、うっかり腕の良い義肢技術者と出会ったりしたらどうです。こんな生き方もあったのか、と幸せになってしまうかもしれないじゃありませんか」
殿下の不幸は、王族に生まれたこと。それゆえに孤独だなんだと、自分の身分からの責任を放棄するような寝ぼけた発言をかましてくれたが、平民落ちなんて、そんな殿下を幸せにしてしまう可能性を一番孕んでいるではないか。
「……両手もなく、職もなく、頼れる家もない者となるのだぞ?そう都合よくいくものか。貧困の中で惨めに死ぬではないか」
「マレク殿下は顔がいいから、たちの悪い奴隷商人や何かに目を付けられて売り買いされるかもしれないよ?」
「それこそ私たちにとってそう都合よくいくものですか。顔が良いっていうことは、女性から同情され庇護される可能性……それに、殿下はしっかり教養、学もあるんですよ。惨めに死んでしまう無学な浮浪者とは違います」
うっかり、あれ?平民ってイイナーとか気付いてしまったら、生きる気力でも芽生えてしまったら面倒くさいことになる。
放逐してもどこぞの貴族がいつか御旗にしようと匿ってしまうかもしれないし、あれこれ考えれば平民落ちなんぞさせてあげられるわけがない。
「なので、塔の中で飼い殺します。生活水準は以前とは多少下がる程度、衣食住の保証。両腕がなくて不自由な生活にある程度介護も入れましょう。でも塔の部屋から出しません。ただ部屋の中で、起きて食事をして、排せつをして、食事をして、また寝て、そういう生活だけを一生送って頂きます」
両腕がないので本を読むのも一苦労だろう。
知識の更新もそう思う通りにはいかない。
手紙も代筆しなければ書けない。他人とのやりとりには必ず「気の毒に」という憐憫を受けることになる。
「……なるほど、父上にも、その隠居生活をさせよう」
「自分の父親にそんな酷い生活を強いるとか、鬼ですか?アレシュ閣下」
私がマレク殿下に送って頂く生活の惨さを理解したうえで、よくも自分の血のつながった父親にさせようという気になるものである。
「私はまだ、もう少しはっきりとした報復を望んでいるのだけれど」
「お兄さまが私を凶器として放ったのですよ。私の切り口が思ったより鋭利で血が出なかったから残念だ、なんて顔をされましても、私がノコギリじゃなかったのは私の所為じゃありません」
生憎と私は残虐思考は持っていない。
お兄さまは「私の人選に間違いはない、と思っているから、これ以上は黙ろう」と苦笑して肩をすくめる。
さて、と私は再びお兄さまにドレス姿に戻して頂き、ドレスの端を軽く持ち上げる。
「アレシュ閣下、いいえ、新たなる国王陛下。以上でわたくし、ライラ・ヘルツィーカの名誉のための戦いは終わりでございます」
「そうか」
「色々な事情やら思惑やらはあると思いますが、わたくしのこの戦いは少なからず、アレシュ新国王陛下が玉座に就かれたことに貢献しているのではないでしょうか」
「なんだ、褒美でも欲しいのか」
意外そうに、だが少し嬉しそうに言うもので、私は伏せていた顔を上げてにっこりと微笑んだ。
「ちょっと、両手を貸していただけませんか?」
言えば、そこでアレシュ国王陛下の表情が凍り付いた。
先程までは私がどんなお願いをするのか、楽しみに待っていた、たとえば……普段我が儘を言わなかった子が初めてテストで100点を取ったから欲しいものがあるの、とおねだりをしてきたことを喜ぶような、純粋な喜びがあった。
それをわかってながら、私はアレシュ国王陛下の善意を受けようとはせず、沈黙するその手を取って、篭手や手袋を外していく。抵抗はされなかった。
露わになるのは、男性らしい大きながっしりとした手だ。剣を振るう将軍職にあっただけあって、タコや傷があるものの、とても形の良い手だと、場違いにも感心した。
私はその両手を自分の首に当てる。
マレク殿下と戦って、体温の上がった体にはくっきりと指の痕が浮かび上がっている筈だ。
そしてその痕は今、きれいにアレシュ国王陛下のものと一致しているだろう。
「【ライラ・ヘルツィーカを殺したのは、貴方】ですね」
アレシュ国王陛下は何も言わない。
ただ、私の首に両手を当てたまま、じっとその青い瞳でこちらを見ている。
答えを求めているわけではなかった。
ただ、口にしてみればそれは確信をもって確定されていくもので、私は小さく息を吐いた。
それを呆れや、あるいは失望からの溜息とでも思ったのか、ほんの少しだけアレシュ国王陛下の目に動揺が見れた。
私は一歩後ろに下がる。アレシュ国王陛下の手はそれだけで離れ、魔術的な物なのか、再びその手は黒い篭手で覆われた。
「其方はこの後、ライラ・ヘルツィーカ公爵令嬢として生きる。その身の名誉は守られ、其方が守った。ゆえに其方はこの世界にて、公爵令嬢として恙無く、何もかも与えられ豊かに過ごせる」
「それは、お兄さまとアレシュ国王陛下の予定、ですね」
ちらり、とお兄さまに視線を向ければ、金の髪の美しいイケメンはにっこりと笑った。
いつからか、どのタイミングだかかは知らないが、お兄さまとアレシュ閣下、新国王陛下は共謀していたのだと思う。
お兄さまと初めて会ったとき、ではないはずだ。あの頃のお兄さまはまだ単独犯だっただろうし、燃える村で私を見下ろしてきた時のアレシュ閣下の発言からしても、あの時はまだ二人の情報は共有されていなかった。
しかし、王位簒奪、このクーデーターの時には二人は手を組んでいた。そして、この結末になることを望んだ、ように思える。
「妹の為に戦ってくれた君へのご褒美さ。あちらの世界は退屈だろう?こちらなら、美しい容姿に公爵令嬢という高い身分。有能な体や豊富な知識。素晴らしい生活が送れるよ」
元々、確かに私は【飽きた】という紙を書いて、異世界へ行くことを望んだ人間だ。こちらの世界、魔法もあって貴族社会に所属できる異世界での生活、なんと魅力的だろうか。
とても素敵な生活が送れるだろう。
お兄さまはイケメンで、財力も権力もある。
新国王陛下は私に負い目を感じていらっしゃる。
こういう状況なら、良い待遇も受けられるかもしれない。
「いいえ、駄目です。結構です。これはライラ・ヘルツィーカの体で、この体で生きるのは彼女の人生。私は役目が終わったなら、元の平凡な私として生きますよ」
「待て、この世界に留まらぬのか」
私の腕を強く、アレシュ閣下、じゃなかった、新国王陛下が掴む。
「なぜだ。異世界から来る者は皆……こちらの世界の方が良いという」
そういえば、こっちの世界は『飽きた』という紙での異世界召喚、というか、魂の転移が罪人の処刑方法の一つとして行われているのだったか。そして異世界人の知識は国の宝として扱われる。
それなら、王族で成人しているアレシュ閣下が罪人と交換されてこの世界に来た異世界人と会話をしたこともあるのだろう。
私はアレシュ閣下の腕を払う。
「いや、だって、私はライラ・ヘルツィーカじゃないですし」
「そうよ、あなたはライラ様じゃない。だから、その体はわたしに頂戴」
聞き覚えのない声がした。
ドン、と、背中からの衝撃と、目の前のアレシュ閣下が驚きで大きく目を見開いている。いや、閣下じゃなくて、新国王へい……あぁ、もういいかどっちでも。
体に力が入らなくて、そのまま膝を崩した。胸から剣が生えて、いや、これ背中から刺さってるのか。どうなっているのか、と振り返る。
「ライラ!!!」
お兄さまが叫び、私の背後にいる人物を引き離そうとするけれど、私に剣を刺した……桃色の髪の少女は私の体をしっかりと抱きしめた。
「ライラ様から出て行きなさい。そしたら、わたしがライラ様になる。お美しくて、誰よりも強いライラ様に、わたしがなるの」
いや、ちょっと、待って、誰?
低い声で呪詛でも吐くように囁かれ、私の視界はぐるぐると回る。
耳から毒を流し込まれるような、吐き気がした。
やばい、この女。なんだかよくわからないけど、やばい。
ただ人間的におかしい、というだけじゃない。なんとなく、この少女の中からよくない気配がする。何かどす黒いものが、彼女の内からあふれてくるような。これはよくないものに成る。
「アレ、シュ、かっか」
私は剣を構えるアレシュ閣下を見つめ、瞬きをした。
一度、閣下が唇を噛み締めるのが見えた。最初は容赦なく私の腕を潰したりした男の反応とは思えない。
そして、剣が私と背後の少女に振り下ろされた。
++
目を覚ますと朝だった。
いつの間に眠っていたのか。カーテンの隙間からは明るい朝日がもれている。
私はパチリ、と目を瞬かせ、スマートフォンで時間を確認した。
アラームの鳴る六時より少し早い。今日は朝のミーティングがあるから少し早めに出社しなければならないから、まぁ、目覚めてしまったのなら観念して起きよう。
「なんかすっごい、長い夢を見てたような……あれ?なんだっけ、この紙」
掌にぎゅっと握っている四角い紙には飽きた、と書いてある。
「あー、そうだ、確かなんか、異世界に行けるみたいな……紙が無くなってたらそこはもう異世界ですよ、みたいな説明だったけど……うん、まぁ、普通に無責任だよね」
こんなお手軽な方法で異世界に行けたとして、その場合自分は失踪扱いになる。家賃滞納からの保証人である実家への連絡やら、事後処理を身内にブン投げることになるわけだ。
冷静に考えると、無責任極まりない。
私は顔を洗って身支度をし、いつも通り出勤した。電車に乗って、会社について、朝のミーティングに参加し、とくに発言もせず、否定もせず。
いつもと同じ、平々凡々な生活。
仕事は何の問題もなく定時で上がり、私は電車の中でふと気になた単語を調べた。スマートフォンで検索すれば、たいていのことはすぐにわかる。
検索するワードは【乙女ゲーム】【攻略対象 マレク】【ヒロイン ジュリア】だ。
情報はSNSで誰かに聞かずとも、いくつかの単語をそのまま検索にかければ判明した。
数年前に発売された乙女ゲーム。
それなりに人気は出たが、思ったより売れず、続編があるんじゃないかとささやかれながらも一作で終了したらしい。
目的のものがわかったので、私はまっすぐに家には帰らずに、確実に手に入るだろう秋葉原へ向かう。オタクの愛する街、アキハバラ。
電車を降りて、外には出ずに中央改札口から直ぐ入れる大型の家電量販店へ、目的の階までエレベーターでいけば、出てすぐに、頭上にゲーム販売コーナーの文字が見えた。
その中の、女性向けゲームコーナーの方へいき、目当てのゲームを手に取って、お会計を済ませた。
幸いにも、ハードは持ち歩きタイプのものだったので、私はお店を出るとすぐに開封して、鞄から出したハードに突っ込んだ。
起動まで時間がかかるので、取扱説明書、というか、ゲームの登場人物の簡単な説明が書いてある紙をパラパラと読もうとして、どん、と人にぶつかった。
「あ、すいませ……」
「これをプレイすると君は死ぬんだけど、それでもする?」
いくら楽しみにしてたからと、ながら歩きはよくない。
申し訳ないと、即座に謝ろうと顔を上げれば、金髪のイケメン……お兄さまがいらっしゃった。
Next