*私は、ハヴェル・ヘルツィーカ*
妹の話をしよう。
八日前、屋敷に死体が投げ込まれた。あの子の話だ。
あれは無残なものだった。
髪を掴んで引きずられたのか、頭皮から剥がれかかった長い銀髪はあの子自身の血で汚れ、白かった肌は無事な所を見つけるのが難しいくらい、殴られ蹴られ鬱血した、痣だらけ。人に傲慢だと誤解を受けがちだった釣り目は潰れて元の形が分からなくなっていて、それでもそれが、正真正銘、私の妹ライラ・ヘルツィーカのものだとはっきりわかってしまったのは、家族だからと、そんな、今更そんな繋がりを意識した。
私は、ハヴェル・ヘルツィーカは王族を除いては国で最も魔力のある魔術使いだ。
王族を除く、とは言うものの、それは建前で、同じ年の第一王子がかろうじて私と同じくらいの魔力量の持ち主であるくらいで、老いた国王や、その妃はとっくに追い抜いているし、第二王子などそもそも私の半分もない有様だった。
その、とても強い魔術使いであるから、私は幼いころから国を守る為に生まれてきたのだと、そう言い聞かされてきた。
国のために毎朝毎晩、魔力を使う。
この国は魔術大国。
魔術で成長し、魔術で以て大成した国だ。
国土の全て、隅々まで魔力が行き渡り、農作物は良く実る。
悪しき気は浄化され凶暴化する獣もいない。
私が六つの時からの使命は、毎日王宮の地下にて国土に魔力を流し込み、強い結界を維持し続ける事だった。
私の妹、ライラ・ヘルツィーカの使命は王家に嫁ぐことだった。
生まれた時からそうと決まっていた。いや、生まれる前からだ。彼女の母が身籠る前。正確には、私ハヴェル・ヘルツィーカが【有能である】と認められた時。
私を産んだ人は、私を産んだ時の難産で次の子が見込めなくなった。だが、公爵には娘が必要だった。だから妹の母親となる女性が嫁ぎ、暫くして身籠った。
私は大きくなるその女性の腹を日々眺めながら、不気味な思いがしていた。
あの腹の中にいる生き物が、私をますます、がんじがらめにするのだと思った。
稀有な魔術使いを、王族には迎え入れぬまま首輪をつけるためだけに、あの腹は膨らませられ、私はそこから生まれたものを愛さなければならないらしかった。
妹は無事に生まれた。
両親から最高の教育と最高の品々を贈られ、利発な少女にあっという間に成長した。
私は父から、妹を何よりも慈しむようにとそう命じられた。
国を思う心以上に、妹を案じ、大切にしろと。
幼い私はなぜ国への愛国心、王族への忠誠心よりも、半分しか血のつながらない妹への情を強く持たせようとするのかわからなかったが、父がそう望むのであればと、私は妹を表面上はとてもよく可愛がった。
妹は、ライラ・ヘルツィーカは大人しい子だった。
八歳の頃には、いつも何か怯えているような目で私を見上げ、何か言いたそうにしながらも何も言わず、私が微笑みながら膝を折り「どうかしたのかい」と、自分が考え付く限り最も良い兄の顔で尋ねると、その青い瞳を恐怖に凍らせた。
私のことを恐れているらしかった。
なるほど、私はとてもとても強い魔術使いだから、怖いのだろう。
妹は私に心を開かなかった。
私は妹を大切に思うことが自分の役目であったので、妹が私を恐れていようが、大切な家族だと愛した。怯える妹の頭を撫で、微笑み、あやしてやった。そうすると妹は悲鳴を上げて泣きじゃくるのだけれど、それでも私は、止めなかった。
妹の婚約者は第二王子に決まった。第一王子とは歳が離れているし、同じ歳の第二王子の方が良いだろうということだったが、本当のところは、正妃の息子である第二王子の婚約者が妹になることで、第二王子が王太子となることが確定した。現国王は戦に明け暮れる種の王で、内政にはそれほど関心がない。それゆえ、国には優秀な政治家が多く居た。
必要なのは有能な王より、御しやすい王。そして、国土を一人で覆える程の魔力を持った魔術使いだったと、それだけのことだった。
妹は王太子妃になるための努力を惜しまなかった。私は天才だったので、努力せずとも古の大魔術の一つや二つは簡単に使えたけれど、妹はそうではなかったから、火の魔術を失敗して火傷をしたり、魔術のコントロールが上手くいかなくて家庭教師に叱られたり、試験の結果が良くなくて鞭で打たれたり、そういうことばかりだった。
私は妹を大事にしている良い兄だったので、彼女に自ら魔術の師を買って出た。上級魔法もロクに使えない家庭教師に教わるよりは優しくて強いお兄さまに教わる方がずっといいし楽しいよ、と提案すると、妹は怯えながら断った。そして、あの兄に教わるようなことにならないように、とそこから更に死にもの狂いで努力をしていた。
そういう可愛い妹だった。
王都の魔術学園に入学し、妹は優秀な成績で国王からもお褒めのお言葉を何度も頂いていた。
その頃から、あまり良くない噂が私の耳にも入ってくる。
妹の夫に選ばれた未来の国王、王太子がなんぞ妙なことを考えていると、そういう話。
素直に、きっとあの王太子は馬鹿なのだ、と判じた。
どこぞの平民娘をたぶらかし、小賢しい顔で何を企んでいるのかと少し調べれば、全くもってらちもないことを、己は賢いのだと言う顔で考えて、行おうというらしい。
それが哀れな程に稚拙で、こんな愚か者を私は王と戴くのかと、一種の喜劇じみた面白ささえ感じていたころ、学園の門の鍵を、私の可愛い妹が盗み出したという噂が流れた。
他国へ流れるところを未遂に終わった。
それが、王太子の婚約者。なんという醜聞か、とそのようにひそやかに囁かれたけれど、その程度で妹の、【私の妹】という事実と価値は揺るがない。第一、門の鍵の一つや二つ、流出したところで何なのか。あれは扱えるほど高い魔力の持ち主、最低でも第一王子くらいの魔力がなければ悪用もできないし、なんなら、私が複製をいつでも作れる。妹は学園を追われることも、王太子の婚約者の椅子から追い出されることもなく、そのまま一か月が経った。
その日は、あのバカ王子が妹を【糾弾する】と前もって知っていた。だから、私は妹がそれをどう乗り切るつもりなのかと、一寸興味が沸いた。
敏い妹が、バカ王子の暗躍を気付かないわけがない。それで、その日は朝、妹の使っていた寮を訪ね私は妹に手を差し伸べた。
「これから君は酷い目に遭うようだ。君の味方は誰もない。味方は必要だろう?」
しかし、妹はいつもの怯えたフリを止めて、はっきりと言った。
「下に何もないのに、被り続けるその仮面にいつも怯えていましたけれど、今日やっと少しだけ、お兄さまを人間と見れました」
そう、奇妙なことを言った。
そして妹は、私の手を取らず、その晩、公爵家に無残になった彼女の死体が投げ込まれた。
私は泣き叫ぶ使用人たち、妹の死を知る全ての使用人に忘却の魔術をかけ、妹の死体を引き取った。
一つずつ、一つずつ、その傷を治した。
無事な所など一つもなかった。その日の昼に、妹が学園の中庭で王太子から婚約解消を突きつけられ、当人がそれを承諾したことは知っていた。けれど、その後のことは知らなかった。
一つずつ、一つずつ、傷を治す。
少しずつ、妹の顔が元の美しい白さを、丸みを取り戻してきた。折れ曲がった腕、抉られた腹、それらを何日も何日もかけて治した。
その間、王宮からの使い、父からの怒号があったが、土地が腐ろうと、魔力を込めに王宮へ行く気はなかった。
一週間かけて、妹の体を元に戻した。
死体であるから時間がかかった。生命が残っているものであれば、これほど時間はかからなかった。
妹の横たわる顔を眺めながら、私はぼんやりと考える。
誰が妹を殺したのだろう。
いや、それは王太子に決まっている。
妹を侮辱し、乱暴し、こんな目に遭わせたのはあの第二王子に決まっている。
だが何があったのか。
それがわからなかった。
なぜこんな目に、遭わねばならなかった?
誰が、妹をこんな目に遭わせたのだ。
私は妹の死体を前にして、これまで被っていたハヴェル・ヘルツィーカの仮面。人に望まれるそのままの姿を演じていた貴族の長男の仮面がパラパラと崩れ落ちた。
その下には何もない。
私は何も感じないつまらない人間であったから、仮面を被って、そう、自分は仮面を被っていて、本心はどこかにあるのだ、とそう演じることで、この下ののっぺりとした本性を隠していた。
けれどそれが暴かれて、今、その白い下地はどす黒く塗りたくられる。
あぁ、私だ!
私だ!
私が、妹をこんな目に遭わせたのだ!!
塗りたくられる黒は私に激しい後悔を教えた。隙間なく塗りつぶされる間に、私に強い憎悪を教えた。
私は知っていたのに。
妹が私の為に未来を決められ、私の無関心により酷い目に遭うとわかっていたのに!
誰がライラ・ヘルツィーカを殺したのか?
私だ!
私だ!私の無関心が彼女を殺した!!
やっと自覚した。
私は妹を愛していた。
愛さなければならないから愛したのではない。
心から愛せないからこそ、愛したのだ。
怯えたように私を見上げ、距離を置こうとする演技をし続けた妹を、私は知っていた。
彼女が本当は私をこれっぽっちも恐れず、寧ろいつもどこか、願うような目で見ていたことを知っていた。
私は妹を愛していた。
妹の血で汚れた寝台の、シーツを握りしめながら私は唇が噛みきれる程強く、歯を食いしばる。
「もう一度、君を呼ぼう。ここではない、どこかにいる、君の魂をここへ呼ぼう。君の名誉を取り戻し、君の人生に幸福を、今度こそ」
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