私が、公爵令嬢です
二人の騎士に両肩を押さえつけられ、額を床に強く打ち付ける。短く切った不揃いの髪が目に入り、私を罵倒する声を聞きながら、だらりと垂れる血の生暖かさを妙にはっきりと感じた。
《あぁ裏切り女め》
《恩知らずの傲慢娘》
《おぞましい悪魔》
《よくもよくも、我らが王太子殿下を人質に》
《お可哀想な王子様》
《お可哀想なお妃さま》
《お可愛そうな学園長》
「「「「魔女め、悪魔め、酷い女め」」」」
罵られ、何度も何度も打ち付けられる。
私は受け身も何も取れないまま、騎士達に保護されるマレク殿下を薄目で見た。
慌ただしくやってきた騎士達が寄ってたかって私を害する。それを見ている赤い髪の王太子殿下の瞳には、はっきりと自分が勝利者であるという確信が浮かんでいた。
なるほどそうか。
この光景は私の、ライラ・ヘルツィーカの体に覚えがある。
おそらくは八日前、学園にて婚約解消を言い渡された彼女の体の記憶だろう。あの時はこのように駐在騎士たちではなく、学園の男子生徒が今と同じようにライラ・ヘルツィーカを断罪した。
今度こそおしまいだ、とマレク殿下の勝ち誇る目はそう笑っている。
本当にそうだろうか?
私はまだ指摘していない事実があり、状況が私を破滅させとようと、私の心に恐怖はなかった。
たとえばこれが、御伽噺か何かなら、こんな……お姫様の危機に王子様が颯爽と現れて、もう何も心配はないのだと、あとは全て任せろと請け負ってくれるだろう。
しかしライラ・ヘルツィーカは王子様のいるお姫様ではなかった。
私もライラ・ヘルツィーカのように優秀な人間ではないし、魔法も使えないけれど、それでもこのライラ・ヘルツィーカの体を使い、彼女の名誉の為にまだ戦うことはできる。
「放しなさい」
何度も何度も打ち付けられて、痛みで頭がすっきりとしてきた。
自分でもこんなに傲慢な声が出せるのかと驚くほど、低く威圧的な声を放ち、騎士達を睨み付ける。
私の声は、興奮状態にあった室内にぴしゃりと響き、騎士達の狼狽が見て取れる。
ふらふらと足に力が入らないが、それでも立ち上がる。
周囲を見渡し、何も言わずにじっと、待った。
私が命令せずとも、お前達は頭を下げろ、とそう青い瞳で強く訴えれば、甲冑を着た騎士達の小さなうめき声が方々から上がる。
「学園長の治療も試みず、なんの真似です?これは」
出血多量、ショック死など原因は様々だろうが、私が服用した回復薬のような奇跡一歩手前の手段がこの世界にあるのなら、魔術を用いての治療法がある世界なら、私の身を拘束するよりも先にするべきなのは血の中で虫の息だった学園長の応急処置だろう。
それなのに寄ってたかって私を殴り蹴る、という単純労働をするばかりで血まみれの学園長は放って置かれた。
部屋の隅には誰にも構われる事なく、動かなくなった老人の体がある。
「何をしている、早くその女を捕えろ!」
「マレク殿下、わたくしを犯人に仕立て上げようとなさるそのご様子は必死で大変勇ましいのですが、ちょっとよろしいでしょうか?」
王太子の激に再び騎士が動こうとするのを、私はちらりと視線を投げて制する。
「【王妃様の宮で謹慎されている筈のマレク殿下がこちらにいる】理由はどう説明なさるおつもりです?」
「白々しい!《貴様が俺を脅しここまで案内させた》のだ!」
「【そんな事は不可能ですわ】」
《アレシュ閣下から聞いた情報を全て肯定する》とすれば、私はこの状況でも多くの疑惑を投げかけ、ライラ・ヘルツィーカが全ての行いの犯人であるという《容疑》を【否定】することができる。
「《監視と警備の厳しい王妃様の宮にわたくしが単身で乗り込んで?》《大事に大事に隔離されているであろう、王太子殿下をかどわかす?》《学園でわたくしがマレク殿下を拉致し国境沿いまで向かった、という前科があるにも関わらず?》《そのようなことがたやすく行えるほど、王宮は警備が甘く、また王太子殿下の身分は軽く扱われるものなのですか?》」
「《貴様にならできる》だろう。《公爵令嬢という身分を使い、その高い魔力を使い、常人では行えない手段を使って俺を攫った》んだ」
「ではその時の状況をよく説明してくださいませ。いつどこで、どうしていた時に、わたくしがどのように殿下を攫ったか、さぁ説明してくださいませ今ここで」
「なぜ今ここで発言しなければならない。全ては法廷ではっきりと証言するべきだ」
「いいえ、駄目です。えぇ、駄目です。今現在、このわたくし、ライラ・ヘルツィーカの名誉は悉く侮辱されておりますので、えぇ、わたくしはわたくしの名誉を守らねばなりません」
できるだけここで、私は多くの疑惑の種子をばらまいておかねばならない。
《王太子の言動はおかしい》
《ライラ・ヘルツィーカがここにいることはおかしい》
そのように、この場にいる、それぞれが名門貴族の出であり学園の駐在騎士の任を受ける優秀な騎士達に、知らしめなければならない。
時間が経てば経つほど、マレク殿下は自分に有利なように証言や証拠を作り出すだろう。
「今もそうですわ。学園長がわたくしに殺された、というのなら、マレク殿下が一切の無傷なのはなぜでしょう?わたくしが学園長を害するのをただ黙って見ていた?拘束された跡がありますか?この学園長室へ来るまでに数人の生徒に目撃されておりますけれど、殿下はわたくしの前を堂々と歩かれておりましたわよね?わたくしがいかに巨大な魔力を持っていようと、今のように屈強で優秀な騎士の方々には勝てないのに?彼らに暗に知らせることもせずにいた殿下はどれだけ無能なのですか?」
「うるさいうるさい!この無礼な女を捕えろ!!!早く!何をしている!!」
顔を真っ赤にした王太子の再三の命令に、戸惑いながらも騎士達が動き私に手を伸ばしてくる。
しかし、興奮状態にあり取り乱した王子と、冷静な公爵令嬢のどちらの証言が真実味があるか、悟れないほど愚かではない彼らに勢いはない。
「わたくしはライラ・ヘルツィーカ。この身への無礼は必ず報いを受けると覚悟なさい」
「臆するな!ヘルツィーカ公爵が娘を庇うことはない!」
「わたくしの自尊心にかけて、どんなことがあろうと必ず報復すると、矜持の話をしているのです」
地に落ちようと貴族は誇り高いと、そう周囲に思わせる。
公爵令嬢は本当に有罪なのだろうかと、そう彼らの目に疑惑が浮かんでくるのがわかった。
ライラ・ヘルツィーカの誇り高さ。そしてこれまでの優秀な振る舞い。王太子の婚約者として歩んだ道の何もかも、貴族の生まれの騎士達は知っている。いずれ己らが守るべき対象であったのだから、その関心ゆえに知識は多かっただろう。
しかし、次はどうしても私は連行される。どのような疑惑があれ、ひとまずはこの場の重要参考人ということで、マレク殿下と共に連行される、というのは仕方ない。
どう自分から言い出すか、と考えていると軽装の騎士、伝令専門の小柄な青年が部屋の中に駆け込んできた。
「火急の事態にございます!!!駐在の騎士の皆さま方……お、王太子殿下!!?こちらにおられたのですか!!?」
「何事だ!」
「っは!火急の事態にございます!王宮にて武力政変が……!!」
マレク殿下の存在に慌てて居住まいを正しながら、伝令兵は叫んだ。
「第一王子アレシュ殿下による王位簒奪が行われました!!」
おい、何やってんだあのサディスト野郎。
Next