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7. 嘘の代償

 秋晴れの空。


 暑さは薄らぎ、過ごしやすくなってきた。桜子さんは相変わらずで、この前は鹿を狩ってきた。この山に来る前は、牛、豚、鳥の肉しか食べたことなかったけど、昔話で出てくるような名前の肉にもだんだん慣れてきた。……ウサギにはまだ慣れないが。もうあのつぶらな瞳を見つめることはできないだろう。ウサギを見かけても、僕から桜子には絶対に告げなかった。


 収穫の秋だ。今月はさつまいもを収穫した。人生初の焼き芋。落ち葉をかき集めて火をつけるとき、とてもわくわくした。ほくほくとしており、いつも食べるものよりも甘味が一層増していた。かつてはジャンクフードの濃い味に舌が慣れていたのだが、今は素材の味の良さが分かるようになってきた。



「冬に向けて食材や薪などを蓄えておかなければいけないな。ここは雪がひどいから、外には出られなくなる」

「そうなんですか」


 ある日の朝、桜子はぽつりと話した。冬、か。全然想像できないな。まぁ、この順応しちゃった生活もどうかと思うけど。この家には暖炉がある。パチパチと静かに燃える様子や暖かな炎はきっと綺麗だろうな。家には書斎があり、たくさんの本があった。本を読みながら暖炉にあたるのもなかなか悪くない。 


「肉も燻製くんせいにしよう。することは多いぞ。ハルト、今日はとりあえず、収穫できそうなものは収穫しきってくれ。保存がきくようにするから。私も準備してからちょっと狩ってくる」

「わかりました」


 僕はかごを持って畑へと向かった。



 今日はショウガと山芋、落花生を収穫する。この畑は家から少し離れたところにあった。ひとつひとつを丁寧に掘ってゆく。だんだん汗が出てきた。まだ収穫しきれていないが、かごもいっぱいになってきたし一度家に戻って一休みするか。


 家のカギを差し込んだ。……おかしいな、開くはずなのに閉まっているとは。もしかして桜子が家の中にいるのか?狩りをするときは、桜子が帰ってくるのはだいたい夕方だ。もしかして人には働かせておいて、自分は家でくつろいでいるとか。


 まぁ、それはありえないか。

桜子はけっこうよく動き回り、働く人だ。何か道具でも取りに来たのだろう。……ちょっとからかってやるか。


 僕はゆっくり家の中に入った。


 足音を極力消しながら家の中を歩く。きっとこの家の中に桜子はいる。──ほらいた。彼女はリビングのソファに座っていた。驚かしてやろうかな、後ろからそうっと近寄って……。


「桜子さん!」


 彼女の名前を呼ぶ。すると桜子はびくっとした後、こちらを振り向いた。……そんなぎょっとした顔しなくてもいいじゃないか。彼女の傍に近寄り、ソファの上からのぞきこんだ。



「何してるんですか?もしかしてサボりとか。ひどいですね────え、」



 僕は彼女の行動が目に入った瞬間、言葉を失った。



「…………っ」



 彼女は僕を見つめたまま何も話さない。なんで、なんであんたが、



「なんてことしてるんですか……!」



 桜子はその手に小さなナイフを持っていた。そのナイフは地に濡れており、左腕には無数の赤い線ができていた。僕はとっさに彼女からナイフを奪い取り、その辺に投げた。目の前が真っ赤になる。


「どういうことですか」



 リストカット──。


 まさかそんなことを彼女がしているなんて思わなかった。確かに彼女は、どんなに暑い日でも長袖を着ていた。「焼けると痛いからな」なんて言っていたけど、まさかそのあとを隠すためだったのではないか?



「あんたは、俺には『死ぬな』なんて言ったくせに、自分は死のうとしてるじゃないですか!!」

「──っ」

「何とか言ったらどうですか!」


 その腕には、古い傷だけでなく、最近できたような傷もある。僕に会う前も、──出会った後も自傷行為は続けていたということか。彼女はうつむいて唇をみしめているだけで何も言わない。それが無性に腹が立った。


「……もういい」


 僕は後ろを向いた。


「あんたは俺になにも言う資格なんてない。俺は好きにしますから、桜子さんもご自由に」

「──ハルトっ」


 桜子は僕の名前を呼んだが、僕はその声を無視して家を飛び出した──。



 悔しい、くやしい──。


 山の中を走りながら何度も繰り返した。いつも明るく笑っていた桜子。そんな彼女が見せるふとした表情が綺麗で、はっとするように見惚れたものだ。頼もしく、豪快な彼女──僕は桜子の何を見てきたのだろう。何も彼女のことを知らなかったのではないか?


 ぽつり、と一滴の雫が落ちる。


 空を見上げた。さっきまでは晴れていたのに、今は真っ黒だった。やがてどしゃ降りになる。



「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」



 大声で叫びたい衝動にかられ、その感情のまま声をあげる。僕の声よりもさらに雨音が強く響き、ちっぽけなその声はかき消されてしまった。


 何もできない僕はその場に立ち尽くして全身を濡らしてゆく。


 景色はどこまでも変わらなかった。



 しばらくそのままでいたのだが、諦めてもとの道を辿って行った。かつて桜子は言っていた。『自殺しようとした魂が一定期間その場に留まると、この山から下りられなくなる』──。僕の居場所はもうあの家しかなかった。


 どんな顔して会えばいいのだろう。


 僕は整理のつかない気持ちのまま歩いていった。雨は激しさを増してゆく。遠くの景色はおろか、近くのものさえ見にくい。だから僕は、気づくのが遅れてしまった。



「桜子さんっ!!」



 桜子が地面に倒れていた。慌てて僕は彼女に駆け寄る。まずい、意識がない。体がひどく冷えている。名前を何度も呼んでみると彼女はうっすら目を開けた。


「どうして……」

「は、ると」


 桜子はか細い声で僕の名前を呼ぶと最後にこうつぶやいた。


「いかな、いで……」

「──っ」

「っぐ、…………ごほっ」

「桜子さん!」



 彼女は咳き込む。その唇と同じくらい赤い液体が彼女の口元を濡らし、雨に消された。

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