5. 僕の存在証明
とある日の夕食後。
後片づけも終わり、ソファーでゆっくりとくつろいでいたら、桜子が瓶をたくさん抱えてきた。
どんっ!
鈍い音がして、目の前の机に置かれる。思わず彼女を見ると、瞳をきらきら輝かせていた。……悪いことが起きそうだな。
「今日は飲むぞ!酒盛りだ酒盛りだー!!」
桜子は高々と宣言をした。
「よくこんなにお酒がありましたね。僕一度も見たことないんですけど」
「私の秘蔵コレクションだ」
彼女はにしし、と笑いながら自慢げに酒を並べていた。桜子が持ってきた酒類をしげしげと眺める。『おにころし』とか『魔王』とか……物騒な名前の酒が多い。さすが桜子、ぴったりだな。
「ハルトもハタチを超えていただろう、今日は私と語ろうぜ」
「あんたと語ることなんて何もないですよ」
「かー、寂しいねぇ。今時の若者ってやつは」
「……あんたもう飲んだんですか」
「いいじゃないか、たまには」
僕の質問には答えずにぐいぐいと酒を押し付けてくる。桜子はけっこう強引だ。こうなった彼女を止められないので、被害が出る前に従うことにした。……悲しきかな、もう学習済みだ。
僕は立ち上がる。そのまま彼女の言う通り素直に酒を飲むのはしゃくだからだ。
「桜子さんは先に飲んでいてください。僕は……つまみでも作りますから」
「わーい!」
桜子がきゃー、と歓声を上げた。……僕も毒されてきたな。彼女を横目に見ながらため息をついた。
「ほら」
「どうも」
つまみを作った後、桜子は僕のコップに酒を入れてくれた。彼女は僕のつまみができるまで酒を飲まずに待っていた。
「かんぱーい」
「……乾杯」
……乾杯じゃなくて完敗といいたくなる。ちびちびと酒を飲んでいたら、桜子が早くも2杯目を注いていた。
「ハルトにさ、聞きたいことがあるんだよねー」
「なんですか?」
「どうして自殺なんかしようとしたの?」
「…っぐほっ」
彼女の問いかけに僕はむせた。何聞こうとしてんだこの人。
「急になに」
「この際だから?お姉さんが若者の人生相談に乗ってあげようと思って」
「だからって、直球過ぎますよ。もっとオブラートに包んでください」
「さぁ、お姉さんに話してごらん?」
「……お姉さんって年でもないだろ」
「え、なんか言った?」
「は、ちょっ……いたいいたいいたいギブギブギブ!!」
桜子の腕が僕の首を絞める。はいってる、はいってますから!
「で?どうしたの」
「マジなんで人の話聞かないんだろうこの人」
「君私に借りあるよね?湖で──」
「うわぁぁぁぁぁ!っつ、わかりました話せばいいんでしょ、話せば!……くそっ」
僕は悪態をつきながらしぶしぶ話を始めた──。
僕の家は代々医院を経営している医者一家だった。その3男として僕は生まれた。
優秀な兄たちと同じ血を引いているはずなのに、僕は何をやっても人並みにしかできなかった。そんな僕に両親は早々見切りをつけ、僕を放置した。そんな僕を兄達は馬鹿にし、見下した。
もちろん、虐待とかはなかったし、学校にも通わせてくれた。医者というエリート、世間体があったからだ。しかし僕の存在は最初からいなかったように『無視』をされたのだ。
そんな僕にコミュニケーション力なんかあるはずもなく。
中学、高校と一人ぼっちで友達なんかいなかった。……いじめられなかったから、まだマシだったのかもしれない。
学校という外の世界でも空気のような僕は、地方の大学を受け、一人暮らしをすることになった。
……というと聞こえは良いが、家から追い出されただけだ。出来の悪い息子の顔をもう見たくはないのだろう。学費と仕送りはしてくれた。だがこれは、『大人しくして問題を起こすな』という一種の鎖だった。
環境が変わっても、きっと僕は変わらない。ずっと一人ぼっちのままだ。
そんな気持ちの中で行った大学の入学式。終わって外に出ると、新入生はサークルの勧誘攻撃を受ける。楽しそうに話をする新入生と在学生を横目に、僕は人ごみをかき分けながら歩いていた。いかにも暗そうな僕に話しかけるやつなんかいない、そう思いながら。
「きゃっ」
女の子の悲鳴が聞こえるとともに、後ろに軽い衝撃を感じた。振り向くと、大きな瞳と目が合った。
「ご、ごめんなさい!」
女の子は僕に謝った。「いや……」と答えて立ち去ろうとすると、目の前で人ごみの波にさらわれてしまった。
「きゃぁぁぁぁ」
「……」
さすがに無視はできなかったので、彼女の腕を掴んで人が少ないところまで歩いた。
「ありがとうございます!」
「……じゃあ、僕はこれで」
今度こそ帰ろうとする僕の手に女の子の手が重なった。
「あの、お名前を聞いてもいいですか?」
女の子──マナはそれから、大学構内で僕を見かけると話しかけてくるようになった。マナは小さくて、表情がくるくる変わる、ちょっと天然が入った女の子だった。マナの誘いで旅行研究部に入り、そこでも友達と呼べるような存在ができた。
「あ、ハルくーん!」
僕に気づいて手を振る彼女は本当に可愛らしかった。そんな彼女に、いつしか淡い想いを抱くようになったのだ。今思うと僕の人生の絶頂期だった。
しかしそれは終わりを告げる。
僕はある日、いつもより遅めに講義室に入った。
この授業は人気のあるので、早めにこないといい席が取れないのだ。いつもはマナたちと講義をきくのだが、その日は一つだけ空いている席に座った。
席に座ってみると、僕の2列前にマナたちを見つけた。マナたちは楽しそうにおしゃべりをしている。
「もうアケミったら」
「ふふっでさ、……ハルトくんとマナはどうなってんの?」
「あー!俺もそれ聞きたい!!2人すごい仲いいよね」
僕の心臓が跳ねた。盗み聞きはよくないと思ったのだが、僕は聞くことを止められなかった。
「えーもうっ2人とも」
「で?実際のところは?」
マナはなんて答えるのだろうか。僕は耳をすませた。
「ありえないから」
僕は固まった。手には嫌な汗をかいていた。
「アケミも知ってるでしょ?私が賭けをしていること」
「ふふ、マナ本気になっちゃったんじゃないかなって思ったんだけど」
「まさか、あんなつまらない奴。私が好きになるわけないでしょ」
「賭けって何?」
まさかマナは『賭け』のために僕に話しかけてきたのか?心臓がわしづかみにされるような感覚に陥った。
「ユリナとどっちが早く彼氏ができるかってやつ」
「うわぁ、マナ悪女だねぇ」
「せっかくだからメンエキないような男選んでさっさと終わらせたかったんだけど、こいつがなかなか落ちなくて。別の人に乗り換えようかな」
「今回はマナ、清純派演じてたよねー。私いつも笑いこらえてたんだけど」
「ハルト、俺たちの中で浮いてね?って思ってたからな。そういうことだったんだ。……なぁマナ、俺と付き合わね?」
「やだーカイト」
そこまで会話を聞いて、僕は席を立ちその場を後にした。頭の中がぐるぐる回って気持ち悪い。僕はずっと騙されていたのだ。よく考えてみろ、僕みたいな奴を好きになる奴なんかいるわけないだろ。ずっと周りに無視されてきたのに。いままでいた足場が崩れていくようだった。
涙は出なかった。
ふと思う。僕は何で生きているのだろう、と。僕には何もない。そう、何も。これから生きていたってきっと一人ぼっちだ。生きる意味なんてあるのだろうか。
そうして思い立つ。もういいや。死のう、と。
……という内容をかいつまんで桜子に話した。
「ぶひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!!」
「爆笑!?」
彼女は静かに聞いていたのだが、突然笑い始めた。腹か変えて涙まで出していやがる。真剣に話した僕がバカだった!
「あんた……っ本当に最低ですね!」
「いや、だって、これ笑うなってほうが……ふふ」
目の前の酒かけてやろうか、『鬼ころし』でいいかな。
「ふ……っすまんすまん。そのマナって女の子、『天然ぽい』とか言ってたけど」
「……?」
桜子は笑っていた顔から一変真顔になった。
「天然な女なんているわけないだろ。計算してるんだよ」
「……」
「女は男が思ってるより強いぞ?そして、したたかだ。吹けば飛んでいきそうなか弱い女なんて、男の幻想だ。それが分かっただけでも、いい勉強になっただろ」
「目の前にいますもんね、いい例が」
「私ほどたおやかな女性はいないだろ」
「……」
この女、頭おかしいんじゃないんか?あんたほど強い女はいないだろ。何かあれば銃で仕留めるくせに。……賢い僕は言葉には出さなかった。
「今度は俺の番ですよ。どうして桜子さんはここにいるんですか?」
「んー?」
桜子は僕に流し目をよこすと唇に弧を描いた。
「秘密」
その表情はすごく艶やかで。男を惑わす色をしていた。思わず僕は言葉を詰まらせてしまった。
「……ずるいですよ」
「いいだろ、秘密があったほうがミステリアスな魅力が増すだろ」
「あなたの場合、怪しさが増すだけですけどね」
「何か?」
「いえ」
桜子はふっと笑うと、横を向いた。
「くだらない理由だよ。……君よりも、どうしようもなく愚かな」
彼女は低い声で呟いた。表情は、長い髪が隠しており分からなかった。
「……まぁ、機会があったらまた話すさ。ほら、飲め、今日は無礼講だぞ!!」
「はぁ……」
新たな酒がどばどばとつがれる。今までも結構つがれていたので、頭がふわふわする。つがれたものをもとに戻すわけにもいかないので、僕はぐいっと飲み干した──。
小鳥のさえずりがする。
僕はゆっくり目を開けると、上体を起こした。
「──っつ!いててて……」
頭が痛む。2日酔いだな……気分は最悪だ。
僕はベットから降りようとしたとき、隣に山ができていることに気づく。なんだろう、これ。おそるおそる布団をはがしてみると
「え、」
僕は見事に固まった。そこには……
「────ん、」
眩しかったのだろうか。彼女はむずかると、眠たい目をごしごしこすった。
「あ、おはよ」
「…………どうしてあんたが、」
桜子は思案した顔をすると、含んだ笑みをこぼした。彼女は今──下着姿だ。そして僕も、上半身は何も着ていなかった。
「なんだ、────覚えていないのか?」
はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?




