トイレに行きたい
映画館で映画を見ている時、こう思ったことがある人は少なくないはずだ。
「トイレに行きたい」
と。
シャンデリアが吊るされているような豪華な映画館で私が見ている映画は、ミステリー映画で、探偵とその助手が旅先で事件に巻き込まれてそれを解決する、というよくあるパターンのものだ。容疑者は5人と少なく、仮にA,B,C,D,Eとすると、最初に疑われたのはAだ。ミステリー好きの私から言わせてもらうとAは咬ませ犬のようなもので、大抵の場合は犯人ではない。
とすると残りは4人だが、私の経験則と直感からして犯人は、Dだ。人間は窮地に立たされると思いもよらぬ力を発揮するらしい。脂汗をだらだら流している私だが、火事場の馬鹿力のように推理力が上がっているのかもしれない。一刻も早く画面の向こうの探偵に犯人を教えたい……残念ながら探偵はまだ捜査中でトリックにも気付いていないようだ。あの時限爆弾をああして、こうしてすれば助かるのに……ああなんとあの探偵はドジなものかとイライラする。
だがそれ以上に自分の膀胱がいつ大爆発するかと、今はそれだけが心配なのだ。せめて、犯人が確定するまでは……
少し我慢していると、クライマックスへ近づいてきた。ここまで来ると、名前を言われた容疑者はほぼ犯人と確定して間違いないだろう。
『Dさん……犯人はあんたとちゃいますか』
ほほう、今回は蝶ネクタイ型変声機の探偵ではなく大阪弁の褐色少年か……とまあ少し意表を突かれたところで席を立とうとしたところ、衝撃的な事実を思い出してしまった。私の席は真ん中の列の真ん中の席、つまりその部屋の中でど真ん中なのである。なぜこんなもっとも迷惑をかける席に座ってしまったのか、2時間ほど前の私を恨む。だが、今行かなければならない。今行かなければ更に迷惑をかけるだろう。そして、折角の名シーンをお漏らし大爆笑の一コマへと変貌させてしまう。姿勢を出来るだけ低くしつつ、こっそり静かに映画館を出た。
さっきから、隣の男が脂汗をだらだら垂らしながらぶつぶつと小言を呟いていた。犯人がDだとか、時限爆弾がどうとか、トリックが如何の斯うのとか。しかもトイレに行きたいのか知らないが、足をモゾモゾさせていやがる。まさか気づきやがったか。時限爆弾はすでに作動しているというのに……
トイレにたった男が映画館から出た数秒後、爆発音と共に部屋に吊るされてあったシャンデリアが勢いよく落下してきた。シャンデリアは部屋のど真ん中の席に落下した。怪我人はなかった。