第一章2
「はーあ、何で軍事訓練なんてやらなきゃなんないだろうね」
両側を活気のある商店が並ぶくすんだ色の石畳を歩きながら、ナタルは愚痴をこぼす。
「しょうがないよ。だからこそ学費免除なんだし」
「そうだけどさ」
二人の通うクノー高等学校は国により運営されている。
代わりに、入学したての一年生には軍事科目の履修が必須条件になっていた。
国を守る軍人への尊敬と感謝の念を忘れないためだと政府は振れ回っているが、実際は島同士が密集した群島世界の情勢が非常に危ういバランスで成り立っているため、有事の際に学生にも戦わせようというのっぴきならない事情によるものだ。
「まあ、それも一年の辛抱だよ」
しかし、二年になれば軍事訓練とは関係のない普通科もあり、軍事演習をしなくて済む。
「あー、早く二年にならないかなー」
「無理だよ。時間早く進まないし」
茶色い髪を揺らしながら大きく伸びをしたナタルは、尽きることのない軍事演習への不満をこぼしていく。
「でもさあ」
そんなナタルを横目に見ながら
「私は二年になったら海兵科か空兵科に進もうかと思ってるんだよね」
セシルは苦笑いをこぼす。
「えっ!? セシル軍事科へ進むの!? やめときなって! セシルはそんなキャラじゃないでしょ!」
それに対したナタルの反応はもちろんといえばもちろん、セシルの予想した通りの猛反対だった。
「いやだって……」
「だってもなにもないよ! ていうかどうして軍事科へなんか進もうとか思ったの!」
セシルの発言があまりにも衝撃的だったのか、ナタルの声はあたりの商店へ響き渡っている。
そのせいで周りから不用意な注目を集めてしまい、セシルはほほを赤らめながら縮こまった。
「わたしね……大陸探査部隊に入りたいんだ」
「……えっ?」
それでも何とか出した声はナタルにとってさらに衝撃的なものだった。
「大陸探査部隊って……大陸探査部隊!?」
そして、一拍遅れてやってきた反応は先ほど以上の猛反対。
「大陸探査部隊って、あの帰ってこれるかも分からない上に帰ってきても海のあまりの厳しさにみんな衰弱して帰ってくるっていうあの過酷なあれでしょ! あなたそのほっそい腕でどこに行こうとしてるのよ!」
「そのほっそい腕って……」
この群島世界においては広いこの世界の全容は未だ解明されていない。
しかし、世界を解明しようという動きがないわけではないのだ。それぞれの国が独自に探査部隊を編成し、この海の先にあるという大陸を発見しようと我先にと争いを続けていた。
その探査部隊は一部の探検家と軍人で構成され、クノー高等学校の海兵科と空兵科を卒業した学生も志願すれば参加することができる。
だが、その多くは群島世界には帰ってこれず、また帰ってきても食糧が尽きて大陸を発見する前に戻ってくることが多い。
その上、帰ってきた軍人や探検家たちは過酷な海の旅で廃人寸前の状態となっているのが当たり前の状態だった。
この群島世界に住んでいれば誰しもが知っている諸々の事情を鑑みれば、ナタルの反応も当然のものと言えた。
「だって、自分の目で見てみたいの。大陸の姿を」
「大陸の姿ねえ……」
いつも大陸について夢想しているセシルと違って、ナタルには大陸に対する明確なイメージが無いらしくどうもピンと来ない顔をしている。
「でもさあ、その大陸に着くまでに死んじゃうかもしれないんだよ? 今まで屈強な男の海兵や空兵が何人も挑戦して断念してきたんだよ? それをセシルができるわけ?」
「…………」
確かにナタルの言うことはもっともだ。
今から訓練を受けていくとは言え、セシルの体はどう見ても過酷な環境に耐えられる類のものではない。
言い方に若干のきつさはあるものの、それはナタルの友人としての心配から来るものだ。
「でも、わたしには家族いないから誰にも心配かけないし……」
セシルには家族がいない。物心がついたときには両親はおらず、いるのは祖母と自分だけだった。
そんなたった一人の家族である祖母が他界したのが去年の冬で、ゆえにセシルには家族と呼べるものがいない。
元々、クノー高等学校に入学したのも軍事科があるからではなく、無料で学校に通え、さらには寮まであり生活に困らないと言うところが大きかった。
「でも、わたしが心配する」
「ナタル……」
友人の身を案じてくれる言葉にセシルは感謝を感じた。
しかし、
「でもやっぱり、わたしは行きたいの。大陸へ」
その思いは変わらない。
頭の中に浮かぶ鮮明な大陸の映像。それが事実なのかどうかを自分の目で確かめる。どこまでも広がる夢を諦めることはセシルにはできなかった。
「……そこまで言うならいいんじゃない? 自分がやりたいことは積極的にやった方がいいし」
少し困ったように笑いながらナタルはセシルの判断を認めることにしたようだ。
ナタルはでも、と前置きしたうえで
「これだけは覚えておいて。セシルが無茶をしたら心配する人はたくさんいると思う。わたしだってそのうちの一人だし」
「ナタル……」
人差指でセシルの胸を指しながらにっこりと笑う。
ナタルの優しさにセシルは思わず声が詰まった。
「と、とりあえず、この話は終わりにしよう? ねっ?」
「うん」
セシルの感情の起伏が激しいことをナタルは知っているので、セシルが泣かないように大陸についての話を断ち切る。
ここにもナタルの優しさを感じ思わず泣きそうになるが、すでにナタルの大声で周りに大分見られており、余計に注目されるのも困るので何とか堪えた。
「ほら、一度落ち着いてさ。あそこの喫茶店でお茶でも飲もうよ」
「そうだね」
ひとまず座って気分を落ち着けようと思った二人は近くにあったオープン形式の喫茶店の席に座る。
店員に紅茶とケーキを二つずつ頼むとセシルは空を見上げた。
「そういえば、最近よく飛行機が飛んでるよね。何かあったのかな?」
「さあ? 噂によると空兵科の軍人訓練も回数が増えてるらしいし」
そこには七機の編隊が行き交っており、地に響くようなプロペラ音を町に振り撒いている。
「これも噂なんだけどさ」
ナタルは街の色々な噂を集めるのが趣味らしく、その情報は根も葉もない物から信憑性の高い物まで、様々な種類に及ぶ。
「なんか陽ノ元帝国に飛行機が墜落したらしいんだ」
「それが最近の飛行訓練とどう関係あるの?」
話をするのがうまい人間というのは話を円滑に進めるために巧妙に相手に質問をさせる。要するに、肝心なところをぼかして、気になった相手に突っ込ませる。ナタルも話し上手な人間の部類で、うまく会話を自分の持っていきたい方へと誘導していた。
「それがさ、群島世界じゃ見たこともない形の飛行機だったらしいんだ」
「見たこともない……?」
「そう。プロペラがついてないらしいよ」
「プロペラがなくてどうやって飛ぶの?」
群島世界の飛行機や飛空挺にはプロペラが付いているのが当たり前だった。今のところ飛行機を飛ばす際の推進装置としてプロペラを使用したものが主流となっている。
「だから、最初はそれが飛行機かどうかも分からなかったんだって」
「へえ。って、何でナタルはそんなこと知ってるの?」
「……フフッ。秘密」
「…………」
少し影のある笑みを見せたナタルは情報ソースを教えるつもりはないようだ。セシルは時々、この友人に何か危ない物を感じる時があるが、それについては言わない方がいいだろう。
ナタルの笑い顔に思わず閉口したところで、頼んでおいた紅茶とケーキが運ばれてくる。
「やっぱりここのケーキは甘くて紅茶に合うわー」
一口ケーキを食べたナタルは思わず表情を崩す。
「……変な噂話とかしないでそうしてたら可愛いのに」
思わずセシルが言葉をこぼす。
確かに、クリームをたっぷりまとったケーキを口にしながら笑みを浮かべるナタルは、先ほどの怪しい笑いを浮かべていた人物と同じには思えない。
「えー、かわいいとかセシルが言っちゃうわけ? セシルの性格を知ってるから違うのは分かってるけどさ、それって人によっては皮肉に聞こえちゃうよねー」
「……って言われても」
「入学半年で学年の男子半数の心をへし折ったくせに」
「…………」
にやにやと笑いを浮かべながらナタルが言っているのは、不本意ながら自分が作ってしまったらしい伝説の話である。
「まさか、現実にそんなことあるわけないと思ったけど、今でも傷心の男子は数増やしてるもんねー」
「やめてよぉ……」
今でもセシルのもとには、前ほどではないにせよ多くの男子が思いを伝えに現れる。
彼らには悪いが、正直迷惑なことこの上ない。
「しかも、最近じゃ上級生すら来てるみたいだし」
「やっと同学年の男の子たちが収まったと思ったのに……」
最近になってセシルに告白しに表れるのは、一年生の動向をうかがっていた上級生の男子たちである。
自分より年上の相手ともなると断るのもそれなりに大変で、彼らは年齢の関係上プライドが高い。下手な断り方をすると後々面倒が起こりそうなのだった。
「セシル。モッテモテー」
「……さすがに怒るよ」
「はーい」
いつまでも同じねたでセシルをからかっていたナタルだが、本当に機嫌を損ね始めたセシルに引き際を悟り、悪びれなく舌を出す。
「まったく、私だって好きでこんな状況になってるわけじゃないのに……」
「だから、私が断り方を教えてあげてるんじゃないの」
「そうだけど」
そう、あまり異性が得意ではないセシルが男子たち、特に上級生をうまくかわせているのは、ナタルに断り方を教わっていたからだった。
「まあ、あんまり男どもがうざったいとセシルとも遊んでられないしねー」
「それは感謝してるよ。でも、何でナタルはそんなに男の子に慣れてるの」
「フフフッ。それはね……」
「いいよ。どうせ秘密でしょ?」
「……ご名答」
自分が言うはずだったせりふを先に越されてナタルは少し不服そうな顔をした。
「それよりも、飛行機だよ飛行機」
「あっ、そんな話だっけ?」
ちょうど冗談交じりの会話にも一区切り付いたと思ったのか、セシルは話をかなり前に戻す。
「そうそう、何でプロペラが無いのに動くか、って話だよ」
「そうだそうだ。思い出した」
「とにかく、早くしてよ。気になってるんだから」
わざとらしく相槌を打つナタルに、セシルは話の続きをせがむ。
「はいはい。……で、そのプロペラが無い飛行機だけど、どうやら機体の後ろに推進装置が付いてるらしいの」
「機体の後ろって、プロペラが付いてるとしてもイメージ沸かないんだけど」
「わたしも話としては知ってるけど詳しいことは分からないんだけど、燃料らしきものがその後ろにある機械に供給されているようだったから、おそらくそこが推進装置だろうってわけ」
「まだ確かなことは分からないのかぁ……」
「ただこれも噂ではあるけど、その推進装置は少なくともレシプロじゃないらしいよ」
群島世界の飛行機は推進装置はプロペラであるため、一般的にレシプロと呼ばれる原動機が使用されている。今のところ、加速性能や上昇性能、格闘性能を考えるとレシプロ機が最も高い性能を誇っていた。
「レシプロじゃないって、ますます分かんなくなっちゃうよね」
「だから、わたしもただの噂だと思ってる」
すでに二人の会話は他の学校の女子高生ならば絶対に分からない話になっていたが、クノー高等学校の生徒であるので特に何の疑問もなく話をしていた。
「で、ここからが本題なんだけど」
「何?」
「その飛行機らしきものは、どうやら大陸製じゃないかって話なのよ」
「! 大陸製!?」
「セシルって何事にも心から驚いてくれるから話しがいがあるわ」
話の流れを考えればそうおかしいものでもないはずのナタルの発言に、セシルは心の底から驚いたという声を上げる。
「でも、大陸にはこっちからはまだ一回も行けてないじゃない」
「いや、それがさセシル。よく考えてみてたらそうとは言えないわけよ」
「何で?」
大げさな身振り手振りで話すナタルにすっかり引き込まれてしまっているセシル。
「だって、誰も戻ってきてないだけでもしかしたら向こうに住み着いちゃってる人もいるかもよ」
「そんなこと……無いとは言えないのか」
今まで自分が考えたことも無かった可能性に思案するセシルにナタルはさらに続ける。
「つまり、向こうからこっちに人が来れるって可能性もあるわけよ」
「そうかあ……」
セシルから十分な反応をもらえたことでナタルは話しを締めにかかった。
「そんな可能性がある中でその正体不明の飛行機が表れた。それって十分に大陸製って言えると思わない?」
「確かにそうかもしれない」
「しかも」
「まだあるの?」
話しはもう終わりかけなのにさらに続けるナタルの情報量は、セシルにとってそれはそれで驚きの一つだった。
「その飛行機には墜落したときに誰も乗ってなかったらしいの」
「じゃあどうやって」
まだ飛行機の主流がレシプロ機の群島世界において無人で操作する飛行機などというのは夢のまた夢である。そのせいでセシルやナタルには無人機という選択肢は最初から存在していない。
「だから、脱出したんでしょ。飛行士が」
「脱出……」
「つまりは群島世界のどこかに大陸の人間が潜んでるかもしれないってこと」
「…………」
確かに無人の飛行機が墜落してそこに人が乗っていないということは脱出したと考えるのが一番自然だろう。
しかし、乗っていたのはおそらく大陸の人間。大陸の様子が群島世界の人間に分からないように、群島世界の様子も大陸の人間には分からないはずである。その大陸の人間が群島世界でいつまで潜んでいられるものか。
「セシル。何か顔がわくわくしてるよ」
「えっ?」
自分でも気付かないうちにセシルの顔は自然とほころんでいた。
いつか自分で大陸の様子を見たいと思うセシルにとってこの群島世界に大陸の人間が紛れているかもしれないという可能性はそれだけで心を躍らせる内容だった。
「……そんなにだらしない顔になってる?」
「うん。それはあなたみたいな顔の人間がしていい表情じゃないと思う」
言われて顔を引き締めなおすが、やはり大陸のことを考えると自然とまなじりが下がってきてしまう。
「……駄目だね、これは」
結局セシルの顔は寮に帰るまでずっとゆるみっぱなしだった。