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急『お粗末様でした』

 お祖父様の話を聞いて、思った事。マリィの話を聞いて、感じた事。

 能動的に動こうと決めたはずだったのにもかかわらず、結果私は受動的な理解を得てしまっていた。だけれど、実際の所、本質はそこではない事くらい、私にも理解出来ていた。


 マリィの部屋から出た後、私は自室に戻って、小さく思案する。

 ただ、考えるべき事は、もうそこまで多くないように思えた。


 必要な感情達は、既に受け取っていて、あとは私がそれらをどう処理して、あの婚約破棄の場に臨むかという事だけなのだと、そう思った。

 ただ、必要な情報だけは不確実。

 

 分かっているのは、何度も繰り返される婚約破棄を、私が受容した瞬間に世界が巻き戻るという事だけだ。であれば、まだ私が試していない行動は、考えうる限り、数えられる程しかない。


 婚約破棄をさせない事。

 もしくは、婚約破棄を受け入れない事。


 婚約破棄を受け入れる事が巻き戻る原因になっているのならば、それをさせない事が一番手っ取り早い。

 これは祖父に頼んで林檎農場の所有権の話をどうにかしてもらうという事で片がつくだろうと思う。婚約破棄を受け入れない事は、より面倒な手段になる。これはただの我儘でしかないし、折衷案を用意する必要があるだろう。

「でも、きっと。それじゃ違うんだよね」


 幸せの最小単位を知った今なら、私は確実にこの婚約がそれを大きく下回り、不幸せの最大単位に近いものになるという事も分かっている。繰り返してきた経験上そうなるのだから、仕方がない。

 ただ、それを揺るがせる程、状況は簡単じゃない。簡単じゃないからこそ、私は何度も何度も同じ時間を繰り返し、嫌という程婚約破棄を聞いてきたのだ。

「この婚約を、反転させる方法、か」

 密かに、その方法は考え始めていた。ただ、やり方は考えていた所ではあったのだ。

 だからこそ、ヴァロに頼み事をして、婚約破棄の日までに、そのやり方を自分の中で確定させる必要がある。

「うまくやれたら、いいんだけど」


 ベッドの上で、私は一人、目を瞑ったまま呟く、数多の繰り返しの中の最初で最後の一日であることを願って眠りについた。



 翌朝が良い天気だという事も、知っている事だった。

 だけれど、時計を見ると少しだけ起きるのがいつもより遅い。変化に安堵するのは、今回こそという気持ちが昂っている証拠なのだろう。

 私が食堂まで降りると、マリィが朝食を暖めなおしてくれた。まだ彼女の中では昨日の熱が残っているようで、私の顔を見て嬉しそうにしている。

「あ、そういえば。ヴァロさんがこれ、お嬢様にって。なんだか一悶着あったみたいですよ? 後でお話聞きに行った方がいいかもです」

 昨日の朝に頼んで、もう頼んであった品物を調達してきてくれたあたり、やはりヴァロは誠実だ。我が家の林檎もきっと安泰だろう。

「ん、ありがと。ヴァロには私も聞きたい事があるし、食べ終わったらすぐに会ってくるわね。それと、これから少し調理場を借りる事になると思うから」

「それは勿論、構いませんけれど……それ、何です?」

 袋に入れられているから、中身は勿論分からない。だけれど彼女には興味でそれを覗くというズルさも無い。だからこそマリィは信用に値する、我が家の頼もしいメイドなのだ。


 私は、表情がニヤついている事を自覚しながらも、なるべく不敵な笑みに見えるように誤魔化して、その袋の中身を答えた。

「これはね、林檎」


 ヴァロへの頼み事は、単純な買い出しだった。

 内容は、ロズ・オーディアン伯の農園で作られている林檎を買ってきてほしいという事。

 個数は多少多くて構わないとは言ったけれど、私からの頼み事だったからか、ヴァロは麻袋いっぱいに林檎を買ってきたようだ。

 私が、前の繰り返しで美味しくないと言った林檎、それが今、目の前に沢山ある。

「ま、これだけあったら……充分か」


 これを、我が家の林檎として持って行くのも悪くないと考える私もいた。だけれどそれは、結局は悪意に負ける事になる。だから私は、この林檎を美味しくする事に決めた。

 我が家の林檎を持っていくという嫌味を考えた事もあった。だけれどそれは本当の嫌味でしかない。

 だからこそ、我が家の林檎を欲しがっても手に入れられないオーディアン伯に、彼の林檎の力を以て、納得させてしまえばいいと、そう考えた。


 それには、林檎に精通している。力強い味方が二人必要だ。


 まず私は、ヴァロの元へ、一悶着あったらしい理由を聞きに足を運んだ。

「林檎、ありがとう。それで、何かあったらしいわね?」

 ヴァロは私に軽く会釈をしてから、言いにくそうな渋い顔をした。

「ええと……購入にあたって、試食を致しまして」

 

――あぁ、であれば一悶着は起きかねない。

 私が実食して、あの場に出すにはふさわしくないと判断した品種だ。

 実際に庭師をしている彼が納得出来るはずがないだろう。

「さては……値段と釣り合わなかったわね? うちのとそう変わらない値段なのを見て頭に来た、なんて所かしら」

 オーディアン伯のがめつさについては、理解している。どうせ彼は市場ギリギリの高値で売りさばこうとしているだろう。


 ヴァロの表情から見るに、どうやら私の推測は当たっていたようで、彼は頷くと同時に、頭を垂れた。

 とはいえその理由も分かる。林檎を育てている人間としてのプライドと、自分が仕えている主の婚約者の家で生産されたという事について、板挟みになったのだろう。

「気にする必要は無いわよ。だから私はあえてオーディアン伯の耳には届かないであろう。小売店に買いに行かせたのだから。本当に私が欲しがれば、オーディアン伯に頼めばいいだけの話、でしょ?」

「とすると、お嬢様はどういう目的がおありで?」

 小売店に買いに行かせたのは、オーディアン伯には気付かれたくなかったから、それに尽きるけれど、それを周りに知られるのは、婚約が決まったばかりのこのムードを壊しかねない。

 

 皆を道具として使いたいと思う反面、無駄な心配をかけるのも、嫌なのだ。

 だからこそ、あくまで戦うのは私。皆には私を知らずの内にサポートしているという役割をしてもらう。

「婚約者様が作っている林檎の味くらい、知っておきたいじゃない? それに、この林檎を美味しく頂く方法だって……」

 挑発するように、私はヴァロの目を見る。

「あってもおかしくない、でしょ?」


 こうして、私はヴァロと、お祖父様を説得して、オーディアン伯の林檎を美味しく食べる方法を考え始めた。表向きの理由は、それだけでいい。実際の所、行動するのは私だ。

 あくまで彼らには、その知識を授けてくれたらいいだけの話。


「ふむ、こいつは何とも……」

 オーディアン伯の林檎を齧ったお祖父様が、嘆息を漏らす。

 もう既にお祖父様の所に我が家の農園の所有権についての話は行っているのかもしれない。林檎の酸味以上に、渋い顔をしていた。

「第一に、酸っぱいな。収穫時期を間違えたのかと思ったが……品種としてそもそも生食で食べるには向いておらん」

 お祖父様の溜息が漏れる。同時に、ヴァロも頷きながら、頭を抱えているようだ。


 厨房に立って林檎を齧る私達を、マリィが何とも言えない顔で見ている。

 私はマリィにも林檎を渡して、感想を聞いてみた。

「っぱ!! 何処の林檎ですか?! それに匂いも……この家のとは全然……」


 そう、全く我が家の林檎とは別系統の品種なのだ。

 それを生食として出してしまう事が、そもそもオーディアン伯の浅ましさではあるのだけれど、それでも私達は、この林檎という物を生業にして、共生してきた。

 同じ果実という事には、一つも変わりないのだ。


「香りが弱いから、うちみたいにアップルティーの原料にも使えないわね……」

「あ! でもほら! 酸っぱすぎるし、何か甘い物と一緒に食べたら……」

 マリィの言葉に、お祖父様もヴァロも、林檎から顔をあげて、私と目を見合わせる。どうやら、ヒントをくれたマリィ以外の全員が、ピンと来たようだった。


 おそらくマリィの記憶には、まだ昨日のお茶会の熱が微かに残っていたのだろう。

 私達が、甘いクッキーと、香り高いアップルティーに添えていた物がある。


――それは、酸味のあるジャムだ。

 ジャムは、うちの林檎では作れない。何故ならば、甘さが逆に邪魔になってしまうから。


「そうか、ジャムか。ワシとした事が、あまりの酸味に、気を取られていたが。元来ジャムならばこのような品種でも……いや、少々酸味が強すぎるようにも思えるが、しかし」

「私も、昨日の怒りで失念していたようです」

 お祖父様はおそらく、酸味というよりも表情的には所有権の話に気を取られていたのを、誤魔化していたように思える。ヴァロはおそらく本当の事なのだろう。


 そうして私は、単純な知識不足。

 二人がいなければ、そうしてマリィの発言が無ければ、このまま厨房で婚約破棄の日を迎えてもおかしくなかった。

「ジャムで、決まりみたいね?」

 

 そこからの私達は、早かった。

 基本的なジャムの作り方を教わり、私はひたすらに、オーディアン伯の林檎を煮詰め、最適な砂糖の量や、味の調整をしていく。

 マリィは、多少うんざりした顔をしながら、それを試食する。


 それを続けるうちに、婚約破棄される日が近づいてきた。


 同時に、ジャムとしてはおそらく一級品と呼べるかもしれない商品が、厨房に並ぶ。


「メリア、お前はこちらの才があったのかもしれんな」

 お祖父様が、私の作ったジャムを食べて、笑いながら頷いた後、私の髪を優しく撫でた。

「どう、でしょうか? 我が家の林檎と、並ぶに相応しい物だと、思いますか?」

「並ぶかと言われると、答えかねるね。ただ、お前がどういうつもりでこのジャムを作ったのかは分からない。だけれど、これは間違いなく。お前があの酸っぱい林檎という種から作り出した、大きくて愛される果実だ」

 柔らかな否定、だけれど、私はそれで構わなかった。この程度で、我が家の林檎に敵ってしまっても、大問題だ。それでも、味として正しい物になっているならば、それでいい。

「美味しいとも、言ってくださらないんですね」

「それは……お前が一番良く知っている事だろう?」

 その言葉は、噛み砕く必要すらない。私の努力への最大の称賛の言葉だった。

 だから、少しだけ私は我儘を言ってみる。

「だったらお祖父様、プレゼントを一つねだってもいい?」

 私は、こんな格好でオーディアン伯の元に行くわけにはいかない。

 だから、私だって着飾りたいのだ。それで、私はやっと胸を張って外を歩ける。

 お祖父様は困惑した顔で、プレゼントの中身を尋ねると、私は笑って頷いた。


 そのうちに、プレゼントが届き、私はそれを身に着けて、少しだけ街を歩き回る。気分や、色々な事の転換になって、心地良く婚約破棄の日を迎えられそうだった。


 そうしてその当日、唯一気がかりなマリィの事を考えながら、私は朝食を上の空で食べていた。

 お祖父様は農園の所有権の話で、オーディアン伯には不信感を抱いているだろう。

 ヴァロもまた、林檎の価格について、不信感を抱いているのは間違いない。


 私の婚約相手である以上、二人とも何も言ってこないが、婚約について疑問や不安を覚えているのは確かだろう。だけれどマリィだけは違う。

 彼女だけは渦中にいるようで、実情を一切知らない。純粋なまま、私が結婚する事で幸せになるのだろうなと信じている。だからこそ、胸が痛かった。


「マリィ……?」

 私は、朝食を食べ終わり、厨房の洗い場にいるマリィに後ろから声をかける。すると彼女はビクンッと身体を竦ませたまま、動かずにいる。

 今までも婚約破棄の日の朝のマリィは少々緊張していたように見えたが、今回はその比ではないように思えて、私は彼女の顔を覗き込む。

 すると、彼女は目を瞑ったまま、小さく返事をした。その目頭が、涙で薄く濡れている。

「大丈夫……? 泣く程の事だった、かしら」

 記憶の中の彼女は、少し喜ぶくらいだったように思える。だからこそ、心配が募っていく。


「ご、ごめんなさい。こんな日なのに。でも、私考えちゃうんです。お嬢様はこの前、幸せの最小単位のお話をしてくれましたよね?」

 確かにその話は、重要な話だ。覚えていてほしいとも言った。彼女の為に、いつか何かを得る時に、私のように失敗しない為に、見極めてほしかったからだ。同時にそれは私自身を救う為の言葉のパーツだったようにも思える。

「確かに、言ったわね。覚えてくれているのは嬉しいけれど……泣かせるつもりがあったわけじゃ、ないのよ?」

「だけど、だけれど、たまに考えるんです。お嬢様の幸せはなんだろうって。ジャムを作っている時の楽しそうなお嬢様と、その最中に時々一瞬だけ見える苦しそうなお嬢様を見ていると、どうしても考えてしまうんです。なんだか、それが怖くて、分からないけれど、怖くて」


――そうだ、彼女はずっと、私の傍にいたのだ。

 私はジャムを作りながら、常に考え続けていた。

 一つは、どうすればこのジャムが美味しくなるかという、楽しい事。

 もう一つは、このジャムをどう使ってオーディアン伯を出し抜くかという、難しい事。


 私はジャムしか見ていなかったけれど、彼女はずっと、私を見ていた。

 だから、分かってしまったのだ。私の中にある不安定な幸せのしきい値を、知ってしまったのだ。

 幸せであるために、不幸せを考えるという事。その不安定を彼女は見抜き、不安を覚える。

 

 それは、彼女が純粋に私を心配し、友人として想ってくれているからだ。

「ん、大丈夫。大丈夫だからさ。笑っていようよ、マリィ」

 私は、彼女の涙を、お気に入りの服の裾で拭く。


――そういえば、今日の朝食のパンは、焦げていたっけな。

 思い出せば、上の空で食べたパンの味は苦かったような気がする。

 私も緊張していたが、それ以上に彼女は緊張と、不安を抱えていたのだ。


 これから戦いに行く者の不安と、戦いの気配を感じ取ってしまった待つ者の不安。

 それらのどちらが重いのかは、私には分からない。

「待ってて? すぐに帰って来るから!」

 私の言葉が、マリィの表情を少しだけ、泣き顔から不思議そうな顔に変える。


 私は、自分の頬をパチン、と叩いてから、彼女の背中を軽くポンと叩く。

「美味しいご飯、用意しといてね!」

 困惑した声で返事をする彼女の声を背中に、私は厨房に置いてある、ジャムの入った瓶を手に取った。


 武器は、揃っている。

 瓶と、記憶と、言葉と、感情。私が揃えられる精一杯は、きっと負けてなんかやらない。



 ロズ・オーディアンは相変わらず、人を見下すような視線で、私を待ち構えていた。

「来たか、メリア。では婚約について……」

「気が早いですよ? まずは手土産ぐらい、開かせてくださいな」

 私は、トン、とジャムの入った瓶を置く。


――一つ目の、瓶という武器が、その中身を伴ってキラめいている。


 興味が無さそうにオーディアン伯はそれを眺めて、溜息をついた。

 そうして、何も言わないまま『なんだ、その小さな瓶は』とでもいいたげな圧をこちらに向ける。

「こちらは、私の家で作ったジャムです。どうぞ、味見をしていただければと。出来ればこの場の皆さんにも」

 オーディアン伯は、いかにも面倒そうに、執事らしき人にそれを伝えて、周りの人間にジャムの中身を少しずつ配らせている。その中には、この家の農園を任されている人間の顔もあった。何度も繰り返しているのだから、このジャムを食べるべき人間が揃っている事くらい、私にも分かる。


 ジャムが行き渡ったのを確認して、私はどうぞと合図を送ると、それぞれから好評の意が見えた。

「貴方も、せっかくですので味見してくださればと思います。とっておきですので」

 オーディアン伯は強情であり傲慢だ。だけれど、周りの空気に反してそれを貫き通す程、馬鹿というわけでも無い。周りが美味しいと言っている以上、彼は必ずジャムを口に運ぶ。

 それを見て、すかさず私は感想を聞いた。

「どうでしょう? とても良い出来になっていると思いますが」

「ふむ……それは否定しない。確かに美味ではある。流石お前の農園で取れた林檎という所だな。だがしかし、だ。私は……」

 

『美味』、彼からその言葉を引き出す為の武器が、このジャムという魂が詰まった、瓶の役目。

 それが済んだなら、私は次の武器を取り出す。

「貴方は、我が家の農園の所有権が欲しい、ですよね?」


――この積み重ねで得た、記憶という武器が、ギラついている。

 どこの誰が、神様でも誰でも知らないけれど、私をこんな繰り返しの中に縛り付けたヤツがいるのだから、その繰り返しの中で得た記憶を使う事くらい、許されて然るべきだ。

 だから私は、先手を取れる。

「……そうだ、だがしかし、頑固なお前の祖父は所有権を渡さなくてな」

 この、市場に出歩きすらしない爪の甘さ、家柄とザルな大量生産で補っているからこその、傲慢さ。

 それが、彼の弱点の一つだと、記憶が教えてくれる。

「だけれど、所有権は今、祖父ではなく私の手にあります」


 これが、お祖父様から貰ったプレゼント。早々に私は所有者が変わった事を説明する為に、市場に出向き、気分転換と同時に、市場の意識の転換も行っていた。今は、私があの農園の所有者だ。

 だからこそ、彼が話す相手は、必然的に私になる。


 婚約破棄をする為の理由が我が家の農園の所有権の話であるならば、お祖父様が拒否した時点で本来終わる。だけれど、その所有者が変われば話は別だ。

「さて、お話を続けましょうか?」


――練り続けてきた言葉という武器が、巻き付いていく。

 彼が主張するはずだった『お祖父様が農園の所有権を渡さなかったから婚約破棄』の道を、私は潰した。

「つまり、お前が所有権を私に渡すから、結婚を望むと、そう言いたいのか?」

 この人間は、本当に馬鹿なのだろうなと、心の底から思った。

「いいえ? 貴方に所有権なんて渡すわけがないでしょう。ただし」

 私はジャムが入っていた空き瓶を、皿に切り分けられておいてあるオーディアン家の林檎の横にトンと置く。

「このジャムのレシピをお教えしましょう」

「……馬鹿か? 貴様は。ジャムに品種の適正があるくらいの事は、俺でも知っている。俺を侮るのもそのくらいにしておけ」

 本当に、馬鹿な話だと思う。

 そうして、本当に侮っても侮っても浅さが露呈していく、可哀想な人だとも思った。

「……馬鹿は、貴方ですよ。私はそもそも、家で作ってきたジャムとしか言っていません。品種を一言でも言いましたか?」

 その言葉に、一部の、彼の農園の関係者だけがハッとした表情を浮かべる。

 であれば、まだこの農園が息を吹き返す可能性がある。決してオーディアン伯を思ってではなく、果実の価値を確かに伝えられるという意味で、安心した。

「あのジャムは、貴方の農園の林檎で作った物です。甘くて香り高いうちの林檎じゃ、作れない物ですよ?」


 オーディアン伯の顔が、みるみるうちに赤くなっていく。それを気にせず、私は言葉を重ねる。

「私の要求を飲んでくれるというなら、レシピをお渡しします。貴方はそもそも、この林檎を切り分けて皿に並べた時点で、果実を冒涜していたんですよ」

「つまりは、つまりは、だ! そのレシピとやらを渡す代わりに私との結婚を……」


――グルグルと渦巻いていた感情が、一つになって燃え上がる。

 そんな事を、私が思うわけが、ない。


「結婚を、しません。私が提示する条件は、婚約破棄。それを飲み込んで頂けるなら、貴方の為ではなく、貴方に扱われてきた可哀想な果実達の為にレシピを渡します」

「……は? 婚約、破棄だ? お前はどの立場から……」

「貴方が私と婚約をしてでも欲しがった、農園の所有者という立場から、物を言っているんです」


 婚約破棄を、私が宣言する。

 それが、私がこの繰り返しでしていなかった。唯一にして、最大の切り返しだ。


「意趣返しは、しないでおきます。ただし、婚約破棄は、了承してください。どうしてもあのジャムが貴方の林檎から作った物だと理解出来ないならば、その林檎を一口齧ってみれば、分かる事です。いくら貴方が理解しがたい人であろうと、その舌は、果実は嘘を付きません」

 最初は、記憶の中で私に言ってきた罵倒を全て、彼に合わせて言いかえしてやろうと思っていた。


 だけれど、それを言葉にした瞬間、私は私を誇れなくなる。そんな気がした。

 だからもう、あの繰り返しの中で得た記憶は、きっと捨てて良い。


 でもまだ安心するには早い。繰り返しの条件にたどり着けたかどうかは、この後になって、ようやく分かるのだから。


「俺に、損は無い。お前のような女、こちらから願い下げだ。その婚約破棄を、受けよう」

 彼はそう言って、忌々しげに皿から林檎を取って、齧り、大きな溜息をついた。


 私は目を瞑って、小さく息を吸って、吐く。

 齧られた林檎を見て、いつかこの人にも、理解出来る日が来ればいいと思って、すぐに忘れる事にした。

「では、皆様。少量でしたが私のジャムを食べてくださり、お粗末様でした」


 風を切って歩く。

 どうやら、ここまで叩きのめせば、繰り返しも、起こらないみたいだ。


 結局、理由は分からない。

 

 私が出された林檎を食べなかった事が突破の鍵だったのかもしれないし。

 能動的な動きで変化を見せ続けたのが鍵だったのかもしれないし。

 複数の武器を使って、オーディアン伯にぐうの音も言わさなかったのが鍵かもしれないし。

 婚約破棄を相手側に宣言して、私が受け取った事が鍵なのかもしれない。


 ただ、私は、私の意思で動き続けて、私の意思で選び続けた事が、鍵だったのだと、思いたい。


 繰り返しの日々が、終わる。結果を聞いて泣きじゃくるマリィと、私の頭を優しく撫でたお祖父様と、大笑いしているヴァロを見て、やっと私は、今考えうる幸せの最大値を手に入れられたのだと思う。


 その日はご馳走を食べて、ゆっくりと眠り、次の日の天気を知らない私が、やっと新しい日に目覚めた。


 朝食のパンに、焦げは無い。

 日付はちゃんと、婚約破棄の次の日に変わっている。

 マリィは笑っていて、余っているオーディアン伯の林檎ジャムを塗ってパンを一緒に食べた。


 やることが沢山待っている。オーディアン伯を打ち破る為に手に入れた所有者という立場だけれど、実際の所、中々大変な事になりそうで、楽しみだ。


 私は、ジャムのレシピをきちんと細部まで書き写しながら、最後の繰り返しの日々を思い出す。

 大事な物が沢山あった。あれは繰り返しの日々だから、気付けた事なのだと、そう思っている。


 歳も取らず、意味だけ取る事が出来た。苦しくも素晴らしき日々。

 これからは、その意味が見えるようになったまま、未知の素晴らしき日々を過ごす事が出来るのだ。


 ある意味では、私は高揚しているのだろうと思って、一人で笑った。

 その笑みの理由は、私にしか分からない。


 もしかすると、理由を考える気にもならない誰か――何かと言った方がいいかもしれない、私を繰り返しに叩き込んだ存在も、笑っているのかもしれない。


 この結末を見て、悔しがっていてもいいし、大笑いしているならばそれはそれで、気分が良い。


 私はレシピを書き終わり、最後に一筆だけ『このジャムは、貴方の林檎でなければ、絶対に再現出来ない、唯一無二の、一つの果実が出した結果の一つです』と付け加えた。

 少しキザっぽい気もするが、このくらい書いてやった方が、オーディアン伯も、憎たらしい顔をしながらレシピを破る事も出来ないだろうと思って、少し意地悪い気がしながらも、笑ってそれを手に取り、ヴァロの元へと向かった。


 農園から少し外れた、庭園のいつもの場所で、ヴァロは一本だけ農園から外れた場所に生えた林檎の樹を眺めている。変わらずにいつも、同じ場所で、

「ヴァロ? このレシピなんだけど、オーディアン伯に届けて貰える?」

「ええ、勿論。しかし、僕もそろそろ庭師じゃなくて、もっとちゃんと林檎の事を覚え始めようかな」

 ヴァロの立場もまた、変わる頃合いなのかもしれないと思って、私は小さく笑って、邸宅に戻ろうとした。

 それをヴァロが呼び止める。

「そうだ、お嬢様。林檎、どうです? 最近はジャムばっかりで、林檎を齧る事も無かったでしょう?」

 そう言いながら、林檎を手渡されて、私はじっと林檎を見つめた。

 美味しそうな艶のある林檎、朝食の後という事もあって、デザートにはうってつけだ。


 ただ、私はその林檎の匂いを胸一杯に吸い込んでから、林檎を彼の手に戻して言った。

「やめておくわ。また繰り返すのは、御免だからね」

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