表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/3

序『ご馳走様でした』

 聞き慣れた婚約者の、冷たい声が淡々と響いていた。

 内容は、正直あまり頭に入ってこない。ただ、私の婚約者――ロズ・オーディアン伯は、冷たい声ながらも、感情的になっているのだろうなという事だけは、聞かないつもりでも無理に耳にねじ込まれるような、耳障りな言葉の数々で理解していた。

「……しかし君は――」

 さて、しかし私はなんだろうか。分かりきった言葉を、さも誇らしげに語る。

「それにメリア、君は元々――」

 それで、それで、私は元々なんだったのだろうか。忘れかけている言葉を、無理やりに思い出させようとする。


――正直に言えば、鬱陶しい。


 適当に話を流し聞いていた私の目の前には、この家で栽培されているらしい林檎が置かれていた。

 綺麗に切り分けられて出されたそれを、私はフォークで突き刺し、一口齧ってから、溜息をついた。

「はぁ、少し……酸っぱいですね。もう少し、待てばいいのに」


 婚約者は、苛立ちを隠せていない表情で、少し声を強める。

「今はそんな事を話しているわけじゃあない……! 林檎が何だというんだ?!」

「いえ、ですから。私は一応招かれてこちらに来ておりますので、せめて他の方に出して恥をかかないように、と」


 その言葉に、彼はますますヒートアップしていく。

「そういう所がだね! 気に入らないと言っているんだよ君! 会った頃はもう少しマシだと思っていたが、これじゃ君と婚約をした事自体が恥になる!」

 彼の熱が籠もっている私の印象の変化についての言葉は、とりあえず置いておくとして、私は彼に林檎を一切れ勧めた。

「私が帰ったら、食べてみると良いですよ? この林檎は、この場に出すべき物じゃあないです」

「余計なお世話だ! こんな林檎如きにどんな意味があるって言うんだ?!」


――林檎如き、か。

 こんな事を言う人なのに、どうして私は婚約をしようと思ったのだろうと、頭をかしげる。

 私のその仕草すら気に入らないようだった。

「神父憎けりゃカソックも憎いってのは、こういう事なのかしら、ね」

 小さく呟いてから、私は半分だけ食べた林檎の刺さったフォークを、少し強めに、テーブルの上に置いた。フォークが林檎の中を貫通して、カチンと皿に当たる。


 その音に、周りが一瞬気を取られた瞬間に、私はこの場を終わらせる為の要件をさっさと口に出した。

「つまりは、この婚約を、破棄したい、と」

 私の言葉もまた、冷たさを帯びていたと思う。彼の目を見るつもりはない。

 物分かりの良い女だと思われたのかもしれないし、絶望しているように見えたかもしれない。

 だけれども、そんな事は些細な事だ。


――驚いているのは、知っているから。


「物分かりが良い。それだけが君の美点かもしれないね?」

「それはお褒めに預かり光栄の極みですね、それにしても、酸っぱい林檎」


 酸っぱい林檎だとて、もぎ取られて切り分けられたなら、熟す事はない。

 だから、私はたった今婚約破棄が成立したという事よりも、目の前で、きっと誰にも食べられないで捨てられてしまう林檎の事を思って、フォークに刺さったままの林檎を、齧った。

「……勿体ない、もう少しだけ頑張ったら、美味しくなれたのにね」

 未だにオーディアン伯は、私が林檎に拘っている事について、妙な視線を向けている。

「……ご馳走様でした」


 きっと、それも無理はない。私は今まで彼と、こんな話をした事が無かったから。

「それと、婚約破棄の件、承知しました」


 婚約破棄を受け入れた私が顔をあげたなら、きっと目の前にはオーディアン伯のしてやったりの顔が映るのだろう。

 だから私は、皿の上に残ったままの林檎を見つめながら。目を瞑った。



 翌朝、私は自室のベッドの上で目が覚めて、聞こえる音に耳をすまし、溜息をつく。

 この足跡は、間違いなく彼女の物で、これから起きる事もまた、予想は出来ている。

「お嬢様ぁああー!!」

 メイドのマリィが、涙でグシャグシャの顔で部屋に入ってくる。


 こんな態度のメイドを傍に置き続けると、友達なのか主従関係なのか、良く分からなくなってくる。

 身分的には、主従で間違いないにせよ、私の家は林檎栽培で栄えたただの小金持ちだ。メイドもマリィ一人だけだし、基本的に自分の世話は自分で出来る。

 ただ、幼い頃からの付き合いというだけの、形式上の主従関係だ。

「はいはい、ありがとうね」

 私は抱きついてくるマリィの艶のある黒髪をそっと撫でて、微笑む。


――彼女は、人の為に泣ける人だ。


「だって、だってぇ……」

 泣く理由は分かるけれど、流石に私のパジャマに顔をこすりつけるのは止めて欲しい。

「ありがと、マリィ。でもほら、貴方も仕事くらいあるでしょ? 行ってらっしゃいな」

 まだ泣いているマリィの顔を、私は毛布で軽く拭ってあげてから、それを彼女に渡した。

「せっかくの可愛い顔なんだから、シャキっとさせなさいな」

 名残惜しそうにしている彼女の顔を、私は笑顔で見送る。トコトコと小さな歩幅で彼女はドアまで歩き、少しこっちを振り返ってから、ドアを閉めた。その音とほぼ一緒のタイミングで、私は声が混じる程の溜息を吐く。

「まずは、着替えなくっちゃな」

 私は自室のクローゼットを開いて、服をザッと見渡す。その端には、私の好みとは似つかない派手めの衣服が飾られていた。紛れもない新品のそれから、私は目を逸らす。


「確か『見栄えの良い服を着る事』だったかな」

 婚約をした時に言われた事を、少しだけ思い出す。

 私は嫌々ながらも、その新品の服に袖を通した。

「せめてマリィには、夢を見させてあげなきゃね……」

 

 彼女が泣いていた理由は明確だ。


――私に、婚約が決まったから。


 これは、私の何度目かも分からない。婚約破棄される度に起こる、婚約初日からのやり直しだ。

 彼女は、私が婚約破棄をされたから泣いていたわけじゃない。

 私が婚約を受けて、結婚をするという嬉しさと、私がいなくなるという寂しさのような物から、涙を流しつつ、祝福をしてくれていたのだ。

「それにしても、あの子だけは何度繰り返しても、ブレないわね……」

 着慣れた新品の服に袖を通して、小さく笑う。

 彼女の純粋な笑顔が、この鬱陶しい繰り返しの、小さな癒やしになっていた。

「さて、と。どうせ歳も取らないのだし、好きな事でしようかな。婚約破棄の日までは、もう少しあるわけだし」

 なるたけ明るい独り言で、自分を励ますが、気分が奮い立つという事も、もうしばらく起こっていない。

 繰り返しの回数が増える度に、明らかに私は消耗していっている。

 

 考えてみれば当たり前の事、いつも自分を罵倒されて、酸っぱい林檎を齧り、婚約破棄を宣言されて、今日の朝に戻ってくるのだ。

 いっそ婚約破棄なんて事はもうどうだっていい。ただ、この現状を打破する方法は、私の中では一つも見つかっていなかった。


「でも、お腹は空くんだよね……」

 私は窓を開けて、広い林檎農園を見渡す。庭園の向こうに見える人影は、おそらくお祖父様だろう。

 オーディアン伯の家で食べた林檎とは違い、とっておきの一品達が、目の前を赤く染め上げている。

 林檎の甘い匂いが鼻腔をくすぐって、自分のお腹の鳴る音を聞いて、小さく笑った。


――まだ笑えているのも、不思議な話だ。

 

 婚約した日から婚約破棄の日までの期間が短いから、繰り返しの数が多くても精神的な負担は少ないのかもしれない。それでも先が見えないこの状況を考えると疲れる事は変わりない。

「さ、少し焦げたトーストと、堅焼きの目玉焼きを食べに行こうかな」

 


 最初の頃は着にくくてあまり馴染み深くなかった新品の服も、今じゃもう当たり前に袖を通している服の一つだ。馴染みはある。だけれど好みではないのはいつまでも変わらない。

 マリィを喜ばせる為だけに私は今までの繰り返しで何度も袖を通した、今回の繰り返しでは新品の服に袖を通して、食堂に降りる。

 鼻腔をくすぐる事のない、焦げた臭いも、大体繰り返しの最初の日ではいつもの事だ。かといって、いつも同じわけではない。トーストではなく、目玉焼きを焦がしている時もあった。


――つまり、完全に再現はされていない、という事だ。


 だとしても、マリィが朝食をトチる事には変わりがない。

「今日は……パンが焦げたかぁ……」

 一人小さく呟きながら、これから来る彼女の猛烈な謝罪を早急に嗜める幾度目かのチャレンジに、思案を巡らす。

「焦げたくらいじゃ気にしないんだけどなぁ。まぁそれでも、メイドの矜持みたいなのがあるのかな」

 今度は、目が覚めてマリィが飛び込んできた時に、もう少し落ち着かせる時間でも作ればいいかもしれないなと思ってから、『今度』という次の繰り返しの可能性を考えている自分に、少しだけ嫌気がさした。


「マリィ、食べに来たよ。いい匂いだね?」

「お、おお、お嬢様! 申し訳――」

 マリィが言う前に、私はやや焦げているパンを手にとって、一口齧る。

 

 少し苦い、だけれど彼女の想いが込められている焦げたパンは、私への侮蔑の場で出される酸っぱい林檎より、ずっと美味しい。

「良いの、今日は焦げたパンが食べたかったのよ」

「そんな日、あるんですか?」

 私は彼女の不安そうな顔を見て、あえて笑って答えた。

「あるの、そんな日も。今日みたいな日は、尚更、ね?」

 不思議そうな顔をしているマリィを横目に、焦げ気味のパンにバターを塗って齧る。

 そうして、焦げ気味の目玉焼きを見て、思わず吹き出してしまった。


――あぁ、両方駄目な日もあるんだなぁ。

 でも、それでもマリィは私の為を思っていつも泣いて、笑って、こんな失敗は滅多にしないからこそ、私にとっても親友と呼びたいような関係なのだ。

「お嬢様?! なんで笑ってらっしゃるのですか? せっかく婚約が決まったというのにこんなお食事、申し訳な――」

「だーから! 違うの! 焦げたパンに焦げた目玉焼き! そういうのを食べたいなって思う日もあるんだから! 今日はそういう日なの!」

「そう……なんですか?」

「そう! あまりにも気持ちにピッタリだったから、笑っちゃったの! ほら、ご馳走様!」

 私はグラスに注がれた牛乳をぐっと飲み切る。流石に牛乳は、焦げる要素が無い……少し零していたけれど。


 朝食を終えた私は、庭園に出る。これは婚約が決まって、繰り返しが始まる前からの私のモーニングルーティンの一つだ。

 林檎が実るこの季節は特に、庭園の空気が美味しい。

 甘い香りが、さっき飲んだ牛乳のまろやかさと混ざって、まるで風に味があるみたいだ。

「おっっと、お早いですね。お嬢様。お一つどうです? それと、婚約おめでとうございます」

 我が家唯一の専属庭師のヴァロが、見慣れていない私の衣装に一瞬驚いたような表情をしてから、まだもいでいない林檎を手ぬぐいで拭いて、改めて私を見る。

「ん、ありがとう……そうね、頂こうかしら」

 そう言うと、彼は嬉しそうに手ぬぐいを林檎に添えたまま林檎をもぎ取って、私に手渡した。

 多少行儀が悪いと思いつつも、私はその林檎に齧りつく。上品な甘さが広がって、幸福感を覚えた。


 分かってはいる事だけれど、やはり我が家の林檎は美味しい。

 いつも食べている、いつだって食べている。だけれど飽きない。

 林檎で富を築いたのだから林檎が嫌いという事は有り得ないにしても、それでもこれだけ食べて飽きないのは、元々本質的に林檎が好きなんだろうと思う。

「そろそろ、収穫の季節ね。楽しみ」

 我が家の林檎農園は、比較的小さい部類になる。我が家の林檎栽培は品質を保証した上で、流通には流さない。贈答用の品として、使われる事の多い独自の品種だ。


 我が国の主要な特産品は林檎。だからこそ、各家で規模は違えど農園が創られており、味を競うというのが、常識のようなものだ。

 我が家の林檎は、その中でも特級品。その割には質素に暮らしてるあたり、農園の創始者のお祖父ちゃんの優しくて堅実な性格が出ていると思う。


 だからこそ、収穫の時期にはヴァロは勿論として、私とマリィ、そうして、この林檎農園の創始者である、私のお祖父ちゃんも参加する。

 お母様とお父様は、早々に流行り病で亡くなったから、お祖父ちゃんが私の母であり、父のようなものだ。

 もっと言うならば、マリィは妹のようなもので、ヴァロは――庭師だ。



 代わり映えが無いようで、少しずつ変わる日常。何より、私自身が変わっていっていた。

 繰り返しを経験する度に蓄積する、精神的疲労感は、無視できない。その実身体は至極元気だから、尚更何とも言えない気持ちになる。


 何度も婚約破棄から婚約した次の日の朝へと繰り返しを強制されている私にとっては、もうロズ・オーディアン伯について、冷めた感情しか持っていない。人が変わったかのように、散々と私に向かって淡々と婚約破棄したいが為の理屈のような、屁理屈のような言葉を並べる彼を見れば、どんな人だろうと、心は冷める。


 これでも私だって年頃の娘だし、婚約や、人を好きになるという事には人並み以上に緊張や期待を覚える。オーディアン伯だって、見た目だけで言えば誠実そうにも見えるし、何より性格としての第一印象はとても良かった。それは互いに言える事だっただろう。

「それがまぁ、あんな人だったなんてなぁ」

 私は林檎片手に庭園をブラブラと歩きながら、初めて婚約破棄を言い渡された事を思い出す。

 苦い思い出をかき消すように、私はもう一口林檎を齧った。


――私にだって、あんな事、ショックじゃなかったわけがないのだ。


 何故なら、私だって繰り返しなんて事が起きると思わなかった最初の一回目については、幸せや期待、不安や緊張、そうして覚悟を持っていたのだ。

 だからこそ、最初に婚約破棄を言い渡された時は涙を流したし、婚約破棄の場で目を瞑ったと思えば自室のベッドの上で困惑もした。

 泣きながら飛んでくるマリィを見た時は、婚約破棄された事について憐れんでくれているとすら思った。だけれど、何の因果か、物語に出てくる魔法か何かか、それとももっと質の悪い呪いとやらか。

 考える事自体は出来ても、答えにたどり着けるとは、到底思えない。婚約された次の日の朝から、婚約破棄された瞬間を繋いで繰り返す、まるで嫌がらせのような日々だった。


「何度も何度も、やらなきゃいけないとは、ね」

 実際、もう婚約破棄される事自体に、何の感情も沸かなくなっていた。だから私は、この繰り返しから抜け出したい。それだけに尽きる。


 芯だけになった林檎を、そっとハンカチにくるんで、私はポケットにしまい込む。


 そうして、一人立ち止まって思案に耽った。

「いい加減、具体的に何かしないと、私が持たない……か」

 起こっている事はおかしな事――と一言で説明するにはあまりにも現実離れしている状況だ。

 だけれど色んな行動に出てみても、些細な変化こそ起こっても、繰り返される事実は変わらない。


「せめて、記憶を保持出来ている事だけが、救いね」



 だとしても、どれだけ考えを募らせても、答え自体は見つからずに、いつも気付けば婚約破棄される日になっている。

 結局の所、もしかすると自宅で何やら藻掻くよりも、婚約破棄の場で何かするというのが正しいのかもしれない。私は婚約破棄の日に、あえて彼が指定していた衣服を着ず、広い農園の中を歩きながら、彼の元へと歩いてく。

 途中で沢山の庭師に林檎を勧められたが、全て断った。庭師なら、それらの品種についての理解くらい、あって然るべきだろうに。


 今までは、オーディアン伯から与えられる言葉の数々には聞き飽きて、私からは適当な返しになっていたけれど、もしかするときちんとこちらも悪意を持って衝突してみるのも、ありなのかもしれない。あくまで婚約者だったという形で、緩く抗議をした事はあったけれど、真正面からちゃんと衝突をした事は、まだ一度もない。

 そんな事を考えているうちに、オーディアン伯の屋敷に着いた。マリィは、自宅で待ってもらっている。つまりは、いつも単身で乗り込んでいる。オーディアン伯と私の身分は、ハッキリ言えば格差がある。

 だからこそ、彼は私に対して強気に出る事が出来るし、私もまた通常の考えをするのであれば、彼に付き従うという形で、泣く泣く婚約破棄を受け入れる側という事になる。


 しかし今回の私からのアプローチは今までの繰り返しでは無かったものだ。

 徹底的に、相手に噛みついていく。それが功を成すかどうかは分からずとも、やらないよりはマシだ。

「来たか、メリア」

 冷たい口調の中には、もう既に決めてあるだろう意志が見え隠れしている。


「ええ、約束の日、ですからね」

 私もまた、負けずに冷たい口調で返す。もう既に決めたる意志に、きっと彼はまだ気付いていない。

 記憶を保持しているだけ、こちらの方が優位なのは間違いないのだ。だけれど、その突破口だけが、どうしても見つからない。


「婚約についての、話だがね。君の家業を少々調べさせて貰った」

 まずは、定型文だ。彼の魂胆はもう既に見えている。私を手中におさめる事によって、我が家の林檎についての所有権を奪うというのが、本来の目的だったらしい。

 しかし、所有権は私には無い。祖父が未だに所有権を持っていて、その祖父は首を縦に振らない。

 それについて、説得する気もさらさら無かった。

「えぇ、林檎農園の事でしょう? 所有権が私ではなくて、残念でしたね?」

 あえて、挑発的な笑みを浮かべる。彼の顔が、苦虫を噛み潰したように変わるのを見て、少しだけ胸がスッとした。

 

 そんな私の元に、例の酸っぱい林檎が切り分けられ乗った皿が出された。

 私はそれに、いつものようにフォークを突き立て、一口齧って、失笑する。

「あぁ、この林檎の出来じゃあ、そりゃあうちの林檎を欲しがるのも分かりますよ? ただ、ロズさん? そもそもこの林檎は収穫時期に誤りがあるんですよ。人の家の物を奪おうとするよりも、まずは学習する事こそ肝要かと思いますが?」


 その言葉を皮切りに、彼の言葉は私の非難に変わる。

「その口ぶり、多少作物に詳しいからと言って高飛車にも程がある。恥を知らないのか?」

「いいえ? こんな巨大な農園を持っていながら、無知を露呈している方が、余程恥ずべき事だと思いますけれどね?」


 これは、私が林檎という物を祖父から受け継いで、それらを愛しているという矜持と、それを持たずに安易に品質の良い我が家の林檎を掠め取ろうとする人間の、論戦だ。

「みすぼらしい格好は、林檎を美味くするのか?」

「さて、では派手な衣装は林檎を美味しくするのでしょうか?」

 結果的に、彼が私を罵倒する時に使う言葉の類は、もう大体覚えていた。

 だからこそ、抵抗すると決めた私からは、スラスラと言葉が流れていく。


「貴方、自分の家の林檎を食べた事がおありですか? 他の品種と比べた事は?」

「ふん、林檎などたかが林檎。この国の特産として扱われてるから育てているだけの事。味などは身辺の物に任せばいい」

 そんな事を言う割には、庭師に理解が足りてないように感じた。それはきっと学習に時間を割いていないという事なのだろう。つまり彼は、この国の特産が葡萄であれば葡萄を作り、オレンジだったらオレンジを作る。そうして、それに秀でている家に令嬢がいたなら、婚約をするという、下衆なのだ。


「……うん、清々しいほどの、クズですね」

 私は、フォークに刺さったままの林檎をもう一度齧り、フォークで皿を強く突き刺す。

 陶器が割れる音がする。それに一瞬オーディアン伯は驚いた素振りを見せたが、すぐに顔を赤くして、言葉を探しているようだった。

「可哀想ですね。林檎が」

「知った事か! 傍若無人の振る舞い、私に対する侮辱」

 熱くなっていく言葉と、大きくなっていく声量に耳をふさぎたくなりながら、私は彼から次に出る言葉を、先んじて言葉にした。

「……婚約破棄、でしょう?」

「言われずともそのつもりだ! お前の、お前のような女。良く見れば見てくれも大した事がない。所有権も無ければ興醒めだ。婚約破棄、婚約破棄を宣言しよう」

 見てくれも大した事がないとは、随分な言い草だ。婚約について疑いもしないマリィが整えてくれて特別に結ってくれた髪型と、私の金色に合う青い髪飾りを馬鹿にされたようで、苛立ちが募る。

 服装についても一言大丈夫かと確認は取られたけれど、本当に好きな服で行きたいからと言うと、彼女は嬉しそうに頷いてくれていた。彼女もやはり乙女であり、紛れもない善人なのだと思った。


 そうして、私はその怒りを声色に込めて、婚約破棄宣言に、答えを返す。

「ええ、望む所ですよ」

 ギロリと睨む。私の赤い目は、彼の目にどう映ったのだろうか。

 一瞬、怖気づいたような気配を感じたが、それと同時に、私の意識が少し遠くなる。


――これだけやり合ったとしても、駄目なのか。

 これは、繰り返しの最初の地点へ戻される時の感覚。

 つまりは、私はまた失敗した。それを悔やみながらも、私の意識は静かに閉じていった。



 目が覚めて、マリィが走ってくる音を聞く前に、私は大きな溜息をつく。

 軽い絶望が身体を締め付けるような気分だったけれど、得た物が無かったわけでは、決してない。

 今回のオーディアン伯の話していた内容は、今までのものと微妙に変化があった。

「ちょっとだけ、自信はあったんだけどなぁ……」

 どうせ婚約破棄を言い渡されるなら、それを真正面から受け取ってやろうという私の魂胆は、結果として、マリィが駆け寄る音を聞いて失敗したという事が分かってしまった。

 それでも、私が受動的でなければ、能動的な行動を取れば、この繰り返しはそれ相応の変化を見せる事がちゃんと分かったのだ。


「お嬢様ぁああー!!」

 メイドのマリィが、涙でグシャグシャの顔で部屋に入ってくるが、私は彼女が私のベッドの方に走り寄る前に、ベッドから立ち上がり、そっと彼女を抱きしめて、頭を撫でた。

「ありがと、大丈夫だから。落ち着こう?」


――やるべき事は、なんでも試してみると決めた。

 だからこれも、私がマリィと繰り返していた初日の出来事を、能動的な変化として変えた結果だ。

 何かを変えたら、その結果が動く事は、もう既に確信に近い。

 ならば、私が本当に正しい事を成せた場合は、この繰り返しの連鎖から抜け出せるという可能性だってある。

「落ち着いてね? 私、今日は美味しい朝ごはんが食べたいんだ」

 そうして、私が得ている確信に近い事を、確信にする為に、私は彼女に向かって、お願いをした。

「ん、ん! 分かりました! 食べたい物、ありますかっ!」

「そだな、焦げてないパンと、焦げてない目玉焼きに、丁寧に注いだ牛乳、かな?」

 不思議そうな顔をするのは当たり前だ。朝食としては当たり前の物を頼んでいるのだから。

 

――だけれどそれらが食卓に並んだなら、確信の予感は、正しく確認に変わる。

「せっかく婚約が決まって、素敵な朝なのにそれでいいんですか?」

「だからこそ、よ。当たり前の事を当たり前に楽しむってのも、悪くないじゃない?」

 マリィは納得したような納得していないような顔をしてから、いつの間にか止まった涙をメイド服の裾でゴシゴシと拭いて、私の部屋を後にした。

 小さな事だけれど、私の毛布で涙を拭かせて、それを洗濯してもらうといういつもの流れを変えた事すら、何かのヒントになるかもしれない。


 諦めたい気持ちがないわけでは、ない。

 絶望感を拭いきれているわけでも、ない。

 だとしても、この理不尽の中で、希望を捨てる理由など、絶対にない。


 ただ、私が出来る事がまだ残っている限り、この繰り返しを打破する方法を探す事は、私の為に、そうして私を祝ってくれた皆の為になるはずだと、私は信じていた。


「さ、朝ごはんを食べに行こっかな」

 私は、お気に入りの服に袖を通して、食堂の前で焦げ臭さを感じない事に、小さくガッツポーズをして。繰り返し初日としては初めての、焦げが一切無い心から美味しい朝食にありつけたのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ