夏時雨は水面の深青を知らない 2
透き通るような青い照明に店内は包まれていた。まるで、海の中層を漂っている気分になれる。
そこは喫茶店であった。
「で、旅行は楽しめた?」
店内に音楽は流れてはいなく、談笑だけが心地好く鳴り響いていた。その一つが大地の声である。
日付は変わり、旅行の翌日、輝夜と大地は夕方に喫茶店へと来ていたのだ。
「凄く楽しめたよ! 風鈴体験で絵付けしたの。楽しかったから今度、行こう」
旅行の気分がまだ抜けていない輝夜は高揚していた。頼んだハンバーグ定食では、ご飯を何杯もおかわりしていた程だ。
「絵付けはした事がないから楽しそう。うん。行こうよ」
楽しげな最愛の人を見て大地も嬉しげである。
「……それよりもね」
話題を脇に置いた輝夜はごほんと咳払いを一つした。察した大地は身構える。
「………結婚の事だよね?」
こくりと頷く輝夜。大地は緊張した。
「どう……だった?」
大地は更に緊張する。実は輝夜達が旅行に行っている間、気が気ではなかった彼は余り寝むれていない。うっすらと目の下には隈がある。
「やっぱり承諾は貰えなかった?」
大地を安心させる為に、勿論、輝夜は首を振る。
「ううん、貰えたよ」
言った彼女は笑顔で頬を紅潮させた。青の中での赤も良いものである。
「え? 嘘でしょ? 本当に?」
「信じられないけど、本当だよ」
冗談では無い様子に大地は物凄く安堵する。
「あー良かった。でも、まさか、太陽さんが承諾してくれるなんて」
吐いた息は固まった肩までもを解していた。
「それほど、大地さんの事を認めてくれてるんじゃないかな?」
「それなら、嬉しいし、その気持ちを裏切らないように今まで以上に君を幸せにするよ」
大地のその台詞は、言葉通りに今まで以上に真摯を纏っていた。
「うん、ありがとう。大地さん」
照れる輝夜。大地も赤くなる。と、
「でも、心配事があるの」
輝夜の表情に影が差し込んだ。
「心配?」
頼んだアイスコーヒーの氷がからん、と鳴る。
「お父さんに元気……と言うか覇気がなくて。今日から仕事なんだけど、お客さんと話してても生返事だったり、上の空だったり……シャッターチャンスは見逃すし……」
「……あの太陽さんが。それは、心配だね」
輝夜の気持ちが伝染したかの様に大地の表情も曇る。
「そうなの。だから、本格的な挨拶は……」
「分かってる。早めに行きたいけど、もう少し我慢するよ」
太陽のダメージを考えると我は通したくない大地は逸る気持ちを一旦、心へと閉まった。
「ごめんね。ありがとう」
「大丈夫だよ。そんなの全然」
悄気る輝夜を気遣うように大地は元気に微笑んだ。その彼の余裕さに輝夜は気持ちを切り替えた。
「でも許しは貰ってるから段取り良く先に、式はどこにするか決めよう」
「うん。調べて、次の休みに見に行こうか」
大地は早速、スティックフォンを取り出し、輝夜も取り出した。
和式にするか洋式にするか、式を決めるのはそこから楽しみである。父親の事は心配ではあるが、それを一旦、隣に置いて輝夜は、うきうき顔でホログラムディスプレイを操作していた。
しかし、家に帰ると脇に置いた問題をまた抱える事になる。
「ただいま。お父さん」
「輝夜、お帰り」
玄関を開けるとリビングから太陽が此方へと歩いてきた。出掛ける装いだ。
「あれ? こんな時間にどこに行くの? もう、御飯前だよ?」
「ん? 少しな」
珍しさに輝夜は少々、気になる。矢張、ショックが大きいのだろうかと輝夜は心配になっていた。
「何処に行く……」
そこまで言いかけて輝夜は首を振る。余り、詮索はしない方が良いと判断したのだ。
「気を付けてね。行ってらっしゃい。早くには帰って来てね」
「子供じゃないんだから。行ってきます。戸締まり宜しく」
言って太陽は自宅を後にする。輝夜は閉まった扉を暫く見詰めていた。
輝夜に言われるも、太陽が帰って来たのは深夜だった。
それから、数日後。
昼過ぎに商店街の会合があった。
修繕箇所や色々な物の設置案。巨大スクリーンに今後、写る映像の説明等。会合ではそんな様々な事を話し合い、そして、聴き、その全てが終わると会長が手を打ち鳴らした。
「それでは、今回の会合は以上となります。お疲れ様でした」
会長がそう言うと皆は各々立ち上がり、帰り支度を急いだ。その中には、太陽と輝夜もいた。二人も帰ろうとしたが、
「輝夜ちゃん、聞いたよ? 結婚するんだって?」
「え? そうなの?」
商店街の人々が輝夜に寄ってきた。最早、群がっていると言った方が正しい。商店街の人気者なので、そうなっても仕方がなかった。
「そうなんです。どこかで皆さんにお話しようと思っていたのに、情報、早いですね」
「商店街の情報網、甘くみないですよ。で、相手は、相手は誰?」
訊いて来たのは八百屋のおばちゃんなのだが、目が怖い。食い入るような目をしていた。
「おばちゃん、凄みすぎだよ。そりゃー、大地くんだろ」
時計屋のおっちゃんに言われて輝夜は恥ずかしげに頷く。
「かー、やっぱりか!」
「羨ましいな!」
何人かの若者は輝夜を本気で狙っていたので嘆く。
「まあ、二人ならお似合いだな!」
「ありがとうございます」
輝夜は喜色満面である。その幸せな輝きに周りの人々も嬉しくなっていた。
「で、式は? いつ? 未来挙式? 現行挙式?」
「現行です。これから場所と日にちを決めていきます」
決まっているのは洋式ですると言う事だけ。場所は沢山有る候補から片指までには抑えていた。
「現行なら安心だ。俺達にも教えてくれよ? 式はこぞって参加するから!」
「はい。皆さん、絶対に来て下さいね」
まるで自分の事のように皆が喜んでくれているので、輝夜は胸が一杯だった。
「いやー、それにしても、どっちからプロポーズを? やっぱり大地くるから?」
「や、分からないよ! 最近は女性からでも言うから。で、どうなの輝夜ちゃん?」
話は更に盛り上がり、何だか記者会見のように雰囲気になっていた。部屋を施錠したい人が何度か咳払いをしているが誰も聞こえていない。
「え? それは……大地さんから」
輝夜の頬がその時を思い出して紅潮する。
「何て、ねえ、何てプロポーズされたの? おばちゃんにも教えて」
「それは……ストレートに結婚して下さい。護りたいって」
輝夜はオーバーヒートする。おばちゃん達からは興奮の悲鳴が上がっていた。五月蝿さに何人かの男性人は耳を塞ぐ。
「いやーでも、太陽さんが良く許したな」
「太陽さん、寂しくなるだろ?」
そう見渡すが先程までいたはずの太陽の姿が見当たらない。
「あれ? 太陽さんは?」
「太陽さんなら、少し前に出ていったよ?」
大半の人は、場が沸いていたので気が付かなかったが太陽はこの場所を既に後にしていたのだった。
「あっ、悲しくて逃げたな」
「今度、太陽さんを誘って飲みだな、これは」
仲の良いおっちゃん達は快活に笑う。が、
「でも、あの噂が本当なのかも……」
「あー、あれね……」
何人かは真顔で場に相応しくない声色で話し出した。それを輝夜は聞き漏らさない。
「え? 噂って? なんですか?」
商店街の人達は顔を見合わせる。そして、言い憎そうに噂を口にした。
それから、幾度となく太陽は姿を消すようになる。
仕事が終わると夜中まで帰って来なかったり、休みの日もフラッと出掛けたり、ちょっと出てくると言う日もあれば、忽然と居なくなる日もあった。
噂の真相を訊きたいが、もし、それが本当ならば自分もショックが大きい。それに、こうなったのも、自分の結婚のせいかも知れない、と思い輝夜は強く訊けないでいた。
久遠郷。
街並みに溶け込むような長屋でモダンな結婚相談施設。外装は
、永遠に他の色を混入させず、一色だけを愛す。詰まりは一人だけの愛は永遠だと言う意味を表し、濡羽色だけで染め上げられていた。
中は煌びやかな空間。天井に等間隔で配置されているダウンライト一つ一つが祝福してくれているようだ。
沢山の人がテーブルに着いて、式の事を相談しており、その一組が輝夜と大地であった。
「と、言うわけでこのプランで宜しいですか?」
輝夜と大地の段取りは決まり、目の前の女性プランナーが空中ディスプレイを見ながら言った。二人はシェアリングディスプレイに目を通す。自然と笑顔が溢れる輝夜は、大地と共に頷いた。その頷きが同時だったので、プランナーは相性が良いのだなと、此方もまた笑顔が溢れている。
「良いんじゃないかな? ねえ、輝夜さん」
「うん、凄く良い。決定」
二人は、ディスプレイに指を持っていき、申込書の承諾を同時に押した。
「それでは、こちらで進めさせて頂きますね」
プランナーは自身のディスプレイを切る。二人のディスプレイも切れた。
「はい、お願いします。」
「一生に一度の最高の思い出を作らせてもらいます。この度はこの場所を選んで頂き、重ねてありがとうございました」
プランナーは深くお辞儀をする。様々な提案を貰い、プランナーに感謝する二人は頭を下げて式会場を後にした。
「結婚式、楽しみだね。輝夜さん」
久遠郷は、商店街から少しだけ離れている。だから、二人は商店街へと向かって歩いていた。
「うん。結婚式、この瞬間からでも始まってる感じがして、嬉しさしかないよ。大地さん」
喜びが弾け飛びそうな輝夜。その足取りは軽やかだ。
「幸せにするよ」
「それは、違うよ」
大地の照れた台詞に輝夜はかぶりを振る。大地は一瞬、戸惑った。
「え?」
「幸せは、与えられるものでは無くて、感じるもの……だから……」
輝夜は小走りで大地の前に出て、そして、振り返った。
「もう、幸せですよ」
揺れる髪の毛。靡くスカート。面映ゆい笑顔。その全てがスローモーションのように見え、大地は息をするのも忘れていた。大地もこの瞬間、幸せを感じていたのだ。
と、輝夜が息を飲む。幸せな時間はもう、ここまでだ。
「どうしたの? 輝夜さん」
流石に魅入られていた大地もその表情に尋ねた。輝夜は大地の後ろの曲がり角辺りを指差す。そこを大地が振り返ると、丁度消える太陽の姿が見えた。
「あれは……太陽さんだよね?」
「うん。お父さん」
見間違う訳が無く父だった為に輝夜は不安がる。
「最近、お父さん頻繁に出掛けてるのね。それが、心配で。そのせいで大地さんもまだ、ちゃんと挨拶も出来てないもんね」
「挨拶はまあ、良いけど、いや、良くはないけど……噂は本当なのかな?」
大地も太陽が消えた角から目を離せないでいた。
「分かんない。でも、複雑。ずっとお母さん一筋だった人が急にだから、でも、一人じゃ無くなるから安心だけども……うん。やっぱり複雑だよ」
少し迷う輝夜。だが、意思は直ぐに固まった。
「私、後を付けてみる」
「え? 本当に?」
何を言い出すのかと大地は驚く。
「どうしても、気になるから。お母さんと同じ位の人には会っておきたい。会ってこの複雑な気持ちを消し去りたい」
不安な気持ちで過ごしたくない。同時に何も相談してくれない太陽に少しながらの苛立ちもあった。
「だから、大地さんとはここで…」
「僕も行くよ」
今度は輝夜が驚く。
「そんな、これは私達の問題で」
「君の問題は僕の問題だよ。勿論、迷惑じゃなければだけど」
彼の、包み込む優しさに輝夜は感謝する。実は啖呵を切ったが心細さはあったのだ。
「お願い。実はそんな人が居れば逢いたいけど、どんな顔をすれば良いのか分からなくて……」
「よし、なら、急ごうか。見失う」
そして、二人は太陽の後を尾行する事にした。
入り組んだ路地や途中で公共の乗り物に乗らないお陰で太陽の尾行はすんなりと成功した。
太陽が訪れたのは、一駅歩いた先にある二階建てのハイツである。建物は、そこだけ周りから置いていかれたように年期が入っていた。大昔からある感じだ。
太陽は二階へと上がると奥の部屋へと入っていった。
それを見た輝夜は驚き、そして、ショックを受ける。
もう、誰かと住む部屋を借りていたのだ。彼女のショックは大きい。実家があるので部屋を一人で借りる理由がなく、倉庫にしては遠いからそれもない。だから、二人暮らしの部屋で間違いない。黒確定だ。
「どうしようか? 輝夜さん」
二人は階段の影に隠れていた。大地は、どんな気持ちで接したら良いのか分からず、心配そうに隣の輝夜を見る。
「………」
輝夜は、カフェや美術館等の場所で逢うと思っていたので怖じ気づいてしまっている。中にはもう、知らない誰かが居るのかも知れない。緊張はするが逃げたくはない。
輝夜はずんずんと進んで行き、ノブに手を掛けた。
「行くんだね?」
訊かれて頷く輝夜。躊躇いが横切ったが、勇立つ輝夜はドアノブを回した。
「お父さん!」
靴を脱ぎ捨て輝夜はこれまた、勢いだけでずんずんと進み、台所を横切った奥の襖を開けた。
そこには……。
そこには、父親が一人で居た。
彼は驚き、いや、驚愕に近い顔をして輝夜と大地を見る。
「ど、どうしてココに?」
太陽は何をしていたのではなく、ソフィーに座って寛いでおり、そこに突然の訪問で声までもが驚いていた。
「どうしてって最近、お父さんが良く出掛けるから、でも、行き場所も告げないから心配で」
「……そうなのか」
こくりと輝夜は頷く。少しだけ塩らしくなっているのは、自分にも非があると感じているからだ。
「私のせいでしょ? 私が結婚するから、だから、お父さん、拠り所を探して」
「え? 拠り所?」
惚けているのか太陽は間の抜けた声をしていた。
「隠さなくても良いよ。今、居ないなら待ってても良いでしょ? 挨拶したいから」
「え? 挨拶? 誰に?」
太陽は困惑している。これが演技なら彼は俳優を目指しても良いかもしれない。きっと優秀な俳優になる。
「誰ってお父さんの大切な人」
「大切な人? ちょっと待て! 何の話だ?」
太陽は戸惑うがそれを余所に輝夜は感情的になっていた。瞳にはうっすらと涙が浮かび、その足はそっとソファーに近付く。
「惚けないで良いよ。噂は本当でしょ? 私は許すから。お父さんが私達の事を許してくれたように、私、許すから。心配だったから、お父さん、一人、残されるの。だから、新しい人に言うの。お父さんをお願いしますって」
輝夜はもう、そう心に強く決めていた。
母もきっと分かってくれる。いや、母はとっくに分かっていたのかもしれない。自分だけが遅かったのかも。
輝夜はいつの間にか涙を流しており、その肩に大地はそっと手を這わせた。
感動的な雰囲気だが、太陽だけは違う。彼は呆気に取られ、それから大きな溜め息を吐いた。
「取り敢えず、座りなさい。輝夜」
「……うん」
輝夜は言われるままに太陽の前に座る。鼻を啜りながら。
「後、大地くんも」
「はい」
大地も輝夜の隣に座った。輝夜はぺったんこ座りなのに対して、彼は正座である。
「で、いつ、帰って…」
「輝夜、お前は勘違いしてる」
言われて輝夜は瞳を擦りながら首を傾ける。
「勘違い?」
「そう。ここは他に誰かが帰ってくる家ではない」
説明を受け、訳が分からない輝夜の頭には疑問符が掲げられた。
「どう言う事?」
「ここは僕の家だ。月夜と過ごした家だ」
その言葉は輝夜を驚かせるのには十分だった。
「お母さんと」
彼女は衝撃を受けて辺りを見渡す。和室には確かに年期の入った家具が置いてあった。昔から住んでいたと言われても頷ける。
「ああ。ここから、今の家に越したんだ。ここのオーナーのお婆さんが良い人でな。何ヵ月かの家賃分でこの1室を売ってくれたんだ。ここには思い出が沢山でな」
太陽が懐かしさに目を細めた。意識は一瞬だけ戻れないあの頃へ。開けた窓には太陽が描かれた風鈴があり、涼しそうに音を鳴らしていた。
「そうだったんだ。ここが、お母さんも居た場所」
輝夜は再び周りを見渡し、母親の輪郭をなぞる。そして、切なくなる。
「……お父さん、寂しくて、毎回、お母さんを求めて」
太陽は悲しい顔をする輝夜の頭を撫でた。
「ああ、母さ……月夜は本当に大切な人だったからな」
「うん。私はお母さんの事を知らないから、お母さんとの思い出、また、聴かせてね」
しわしわの手の下では笑顔が咲いていた。
「勿論だ。………なあ、輝夜一つだけお願いを聞いてくれないか?」
気持ちの整理を付けたい太陽の声色は静謐であった。
「何? お父さん」
「月夜はいつも、僕の帰りを台所に立って迎えてくれた。月夜と輝夜は本当にそっくりだから、それを再現してくれないか?」
知らぬ母親をどう演じて良いのか不安だが、それくらいで太陽が喜ぶのなら輝夜には御安い御用だった。
「良いよ。分かった。任せておいて」
「ありがとう。僕達は一旦、外に出てるよ」
太陽は大地を引き連れて廊下に出た。
「すまないな。大地くん。変な事に付き合わせてしまって」
誰もいない二人だけの廊下。遠くでは蝉の鳴き声が聞こえてくる。太陽はそれを聞きながら、自嘲気味に謝った。
「いえ、全然、構わないです。大切な人を思う気持ちは……痛い程に分かりますから。……だから、その気持ち、全面に出しても良いですか? 太陽さん」
大地が勇を鼓して拳を強く握る。
「娘さんを僕に下さい!」
彼は大声で叫んだ。次に太陽に会う時は必ず言おうと心に決めていたのだ。
力み過ぎて抑えきれなかった声量は、ドアの向こうの輝夜にも聞こえて、彼女の顔を赤面させていた。
「君は……こんな時に。いや、僕のせいか」
嘆息したのは大地へ半分、自分に半分だ。
「輝夜は確りしているように見えて天然な所もあるから、本当に宜しく頼むよ」
力強く、今まで見た事の無い程に力強く大地は頷いて見せた。
「はい。人が完璧なら誰かを求めません。どこか足りない部分を補填する為に人は誰かを求めるので、僕の足りない部分も彼女に手助けしてもらうつもりです」
「……そうか」
大地の迷いの無さを受け止めながら太陽はノブを回す。
「それなら、僕はもう、何も言わないよ」
そう言って中に一人で入る。
差し込む夕陽に懐かしの室内。視線は台所へ。
そこにはエプロン姿の輝夜の姿が。
太陽は月夜をそこに重ねた。
言葉は一つだけで良い。余計なものは要らない。
「ただいま」
そう、あの頃を思い出して言葉を流す。それを優しく包み込む輝夜。彼女は満面な笑みでこう言った。
「おかえりなさい」
久遠結婚式会場。
染み渡った青空に浮かぶ雲のように白い建物。それが結婚式会場だった。
それは、河辺に面しており、普段は静な町並みがこの時ばかりは賑やかになる。
日差しが差し込む着付け部屋。そこを目指して歩くのは太陽であった。
体重を忘れる絨毯を進み、着付け部屋の前へとやって来た。金枠の扉の向こうには輝夜が居る。いつもと違う輝夜が。
太陽は、そわそわしながらも、ドアを何度かノックした。
「入っても良いよ、お父さん」
中からは輝夜の少しばかり緊張した声がした。
太陽はノブを回して中へと。そして、息を飲んだ。
真夏でも雪解けが訪れない永遠の白さがそこにはあった。
真っ白なウエディングドレスに包まれた輝夜がそこにはいたのだ。
肩を出しながらも胸元の露出が控えめなので、上品に見えるドレスは、絵に描いた様な身体のラインを華やかな刺繍で包み、段上に重ねられたスカートは、裾に行く程フレアに広がり、女性らしさを演出していた。頭に乗せたティアラと首元のネックレスは幻想的に輝き、それが彼女の美しさを更に躍進させている。
王道のドレスではあるが、誰にも真似できない唯一無二の美しさが輝夜にはあった。それは想像以上だった。
「ちょっと、お父さん。無言はやめて。どうかな?」
芸術作品の様な輝夜は照れ臭そうに訪ねる。
「とても、似合ってる。綺麗だ」
太陽は世界の美を纏った輝夜を目に焼き付けながら中に入る。それと入れ替わるように、着付けの女性は外へと出た。
「へへ。ありがとう」
二人きりになると輝夜は嬉しそう微笑む。太陽は持ってきたポータブルを近くの机に置いた。すると、月夜が浮かんだ。
「まあ、そう言ってくれないと怒るけどね。特権なんだよ? お婿さんよりも先にこの姿を見れるのは」
「そうだな。大地くんに渡すのが惜しくなったよ」
冗談なのか本気なのか分からない声色で言いながら、太陽は椅子に腰掛けた輝夜へと近付いた。
「もう、お父さん。こんな時にまでそんな事を言って。後で写真は撮ろうね。お父さんもタキシード似合ってるから。そして、お母さんの隣に飾って」
「ああ。勿論」
暫しの沈黙が訪れた。
「……あのね。お父さん」
「どうした?」
輝夜が急に小花の様にしおらしくなる。瞳はじっと太陽だけを見詰めた。
「今までありがとう。勿論、これで会えなくなるって事はないけど、言っておきたくて。お母さんが亡くなって、今まで育ててくれて本当にありがとう」
そこで、彼女の瞳は涙を流す。感謝の涙は、これまで以上の美しさを放っていた。
「どういたしまして。君は最高の女性だよ」
太陽は輝夜の頭に優しく手を置いた。それから、ハンカチを差し出す
「さあ、拭いて。化粧が崩れる」
「こんなんじゃ崩れない」
輝夜は軽口を叩きながらも、涙を抑えて拭う。
「はは。そうか」
「でも、ありがとう。お父さん、紳士だね」
彼女はにぃっと笑う。瞳はきらんっと光っていた。
「それじゃ、僕は行くよ。また、後で」
「うん。バージンロードでね。沢山、祝福してよ」
返されたハンカチを仕舞い、ポータブルをポケットに入れて部屋から出る太陽。しかし、歩くが、壁に寄り掛り膝をつく。
「だ、大丈夫ですか? どうかされましたか?」
スタッフが異変に気が付き慌てて駆け寄る。
「大丈夫。少し眩暈が。夏バテだと思います」
強がりを言うような口調で言い彼は会場へと向かった。
会場は外の光を取り込む様に全面硝子張りだった。床に敷き詰められた大理石はその光を反射して淡く白く輝いている。とても、神々しい空間だ。
そこに、厳かな曲が響き、式が始まった。
開放的な蒼空の中、先ずは白いタキシードを纏った大地が入って来る。清々しくも凛々しい顔付きではあるが、内心は緊張していた。心臓は早鐘の如しだ。
その彼が壇上に上がると、次には輝夜が入って来た。その美しさに拍手が巻き起こる。指笛まで鳴るのは商店街のノリのようなものだ。それを聴きながら、入場ゲートで待っていた太陽は彼女の隣へとスッと移動する。
そして、輝夜は太陽にエスコートされながら、バージンロードを真っ直ぐ進んだ。
祭壇へと向かうのは過去を振り返る儀式。輝夜は沢山の父親との思い出を振り返り、途中、涙する。天井からは、雪のような羽根が降っていた。
「ほら、涙を止めて。ヴェールを捲った時に大地くんが驚くよ」「……うん」
太陽の小声に輝夜は瞳をぎゅっと閉じて涙を切った。
「ねえ、お父さん」
「ん?」
輝夜の声に太陽は顔を動かさずに応える。
「緊張するね」
言った彼女の顔は強張っていた。声からもそれが分かり、だから、太陽は優しく、
「そうだな」
そう返した。
「お母さんもこんな気分だったのかな?」
「………どうだろうか? でも、輝夜と同じ気持ちだと思うよ」
太陽の言葉に輝夜の顔は喜びに満ちた表情を浮かべた。
「なら、幸せだ」
「おいおい、緊張はどうしたんだ?」
楽しげに指摘する太陽。輝夜の緊張は解れてきていた。
「お母さんの気持ちになってきた」
「……そうか。月夜は幸せか?」
心の中で輝夜は大きく頷く。
「“とっても、幸せ”」
それは、まるで本人の言葉のようであった。
「それなら、僕も幸せだ」
噛み締めるように太陽は言った。
祭壇はもう目の前である。
「ほら、お喋りは終わりだ」
祭壇では大地が此方を見ていた。彼も輝夜の姿に見惚れている。
太陽は祭壇前で止まった。ここからは未来への受け渡しだ。輝夜が浅い階段を上がる度にドレスからは、演出ホログラムの羽根が舞い上がっていた。
二人が壇上に揃うと曲はより一層大きくなり、太陽は後方へと引っ込んだ。それを合図にしたかのように曲が一瞬で止むと、神父が誓いの言葉を述べていく。
参加者は固唾を飲んで見守る者や、撮影する者、皆、祝福の眼差しであり、幸せと言っていた太陽は-----しかし、彼だけは違った。ドアに背を付けた彼だけは憤っている。大地に向ける視線には憎悪が。大人気なさとは違う。純粋な憎悪がそこには込められていた。
その視線に誰もが気が付かぬまま、誓いの言葉はクライマックスを迎え、
「それでは近いの口付けを」
二人を向かい合わさせた。
大地が輝夜のヴェールを上げる。照れた顔が覗けた。
「僕は君を守る為に生まれてきたのかもしれないね」
「じゃあ、私は貴方に守られる為に生まれてきたのかもしれません」
引かれる唇。太陽は目を閉じたかった。でも、見てしまう。現実に置いていかれるのが嫌だったのかも知れない。だが、重ねあった唇を見て、拍手が生まれ、もう、太陽は我慢出来なくなった。
彼は背のドアから室内を飛び出してトイレへと駆け込む。それから、個室の壁を何度も何度も悔しそうに叩き、嗚咽を漏らした。
そして、その思考は、今の悲しみをなぞらえる様に過去へと誘われる-------。
「ふうー、なんて涼しいんだ。最高過ぎる」
誘われた先の声は、嗚咽を漏らしていたのが嘘の様に、至福を感じていた。その幸せに包まれる彼の姿は若く、タキシード姿とは打って変わってのTシャツと短パンと言ったラフな格好をしている。
「毎日、毎日、どうしてこうも暑いんだ。俺の様に休んで良いんたぞ? 太陽」
愚痴りからも分かるように季節は真夏。それでも、太陽が嘆息では無く、今一度、幸せな溜め息を吐いたのは広場に設置されている冷却装置のミストに快適さを貰っているからであった。
たまたま見付け、彼はそこの備え付けの椅子に腰を下ろしているのだ。
冷却装置からは絶えずミストが降り注ぎ、とても、涼しいが、彼はまだ収まらない何度目かの流れる汗を拭う。それから、周りを見渡した。そこに広がっていたのは一面、風鈴の景色である。この時期になると涼を取れるようにと設置され、その景色は圧巻であった。
「風鈴かー、へえー、国内だけじゃないんだな。色々な形がある」
風鈴は国内ならず、海外からも集められ、その形は彼の言う通りに様々あった。金魚やら、折り鶴やら、海月、目でも涼が取れるようになっていたが、太陽は差程、興味は無さそうだ。ただ涼しければそれで良い。彼はそんな感じてあった。と、その太陽とは相反するような女性が1人、目に止まる。綺麗と言うよりも、可愛いと言う言葉がぴったりな女性であった。真夏の太陽の光を取り込んだ煌びやかな髪の毛に、幸せを映す大きな瞳は少しだけ茶色がかっている。瞳とは裏腹に顔は小さく、だからである、彼女が綺麗と言うよりも、可愛いと印象を与えるのは。
童顔は、未だに1つの風鈴を、その造りの過程すら思い描いて楽しむようにまじまじと見詰めていた。
(珍しいけど、そんなに食い入るように見るものかねー、変わった女。食い入る娘ちゃんと名付けよう。うん。そうしよう)
柔らかく耳を吹き抜ける風鈴の音を楽しんでいた女性とそこで目があった。
(っと、あんまり見ているのは良くないな。さらば、食い入る娘ちゃん)
太陽は目を泳がせながら何となく風鈴を眺めている体を装った。そこに女性が近付いて来る。
「風鈴なんか珍しいかな? そんなまじまじと見て変な女」
「へ?」
女性は太陽の隣に座るとぶっきらぼうに言い、太陽を驚かせた。女性は続けて、
「そう思ってたでしょ? 私の事」
そう口にして、太陽の顔を覗き見る。髪の毛が肩から流れてさらりと垂れた。
「や、そこまでは」
「そこまでは?」
墓穴を掘る太陽。しまったっと口を尖らせる。
「少しは思っていたんだすね。まあ、別に良いですけど。それに、涼みに来ただけなんでしょ? さっきから風鈴には興味なさそうですから」
丸い瞳がじっとりと太陽を見る。図星をつかれた太陽は居心地が悪くなった。
「や、そんな事は」
(バレてる)
と、思うと、
「ええ、バレてますよ」
女性が間髪いれずに言った。だから、太陽は、隣の童顔を胡乱げに見る。
「さっきから、心が読めるのですか?」
「さあ、どうでしょう」
女性はからかう様に微笑む。太陽は観念して溜め息を吐いた。
「なら、はっきりと言いますけど、風鈴って涼しくなるのですか? ちりーん、ちりーんってうっさく鳴って、何か歌に無かったですか? 扇風機向けたらめんどくさそうに鳴ってて、みたいな? それなら、クーラーの方が良いでしょ?」
女性を論破しようと太陽は捲し立てる。
「確かに感覚的に涼を取るよりも体感的に涼を取る方が良いですよ」
「ほらね」
太陽は勝ち誇る。けれども、女性は切り返しに瞳を光らせた。
「でも、それは今の話。現代だけの話ですよ。こんなに家電が無い時代には風鈴一つで涼しくなろうと心掛けてた、そう言う創意工夫を感じ取って下さい」
彼女の口調は叱るような感じになっている。初対面なのに、ずばずば言う彼女は、正論を言えて誇らしげな表情だ。しかし、太陽は訳の分からん事を解かれて呆れ顔。全く心には届いてなさそうだった。
「何を言いたいのか分からない顔をしてますね。つまりは今と同様に昔も大切にして下さいって話です。涼しくなろうと風鈴を作って、その気持ちがあったから今のように涼しい家電を作れたと言っても過言ではないのですから」
女性はやれやれとでも言いたげに肩を竦める。それでも、太陽は無の表情であった。
「また、変な女って思ってるでしょ?」
腕を組み、目を細める女性。何だかそれが可笑しくて太陽は吹いてしまう。
「副音声、取らんで下さいよ」
「酷い人」
女性も何だか楽しくなり、太陽につられて笑った。そして、一頻り笑うと
「さてと……」
太陽が立ち上がる。一瞬だけ女性が寂しげな顔を浮かべた。まあ、本当に一瞬だけなのではあるが。
「もう、帰るのですか?」
「や、何を言ってるのですか。風鈴、良いんでしょ? 気が変わったので見て行きますよ」
それを聞いた女性は震える位に喜ぶ。
「是非! 是非!」
手を打ち鳴らして彼女も立ち上がる。
「私が解説しましょう! その方が更に楽しくなる! さあ、行きますよ!」
「え? ちょっと、分かりましたから、引っ張らんで下さい」
太陽は半ば強引に引かれ、今度はこっちがやれやれと肩を竦める。女性は好きな物に興味を持ってもらい気分がとても高揚していた。
その数日後。
風鈴の説明を嫌と言う程、聞いていた、否、聞かされた太陽は夜の夏祭りに来ていた。道路を歩行者天国にする、三大祭りの一つである。巨億の人が訪れており、どこを見ても人、人、人。蒸し暑く、それでも活気のあるそんな祭りに誰と来ているのかと言うと、
「なあ、俺は悲しくなってきたよ。太陽さんよー」
残念ながら男性であった。あの後、女性とは風鈴を見ただけで終わり、それから出会ってはいないのだ。
「ん? どうした?」
狼狽する声に太陽は応える。友達は手にしたかき氷を憂鬱そうにスプーンで崩していた。
「そんな歳にもなってかき氷を食べてるのがか?」
「ちっげーよ! 男、二人で祭りに来てる事だよ!」
友達はその場で地団駄を踏む。突然の大袈裟な行動に周りの人は驚き、彼から距離を取る。友達は愛想笑いで皆に頭を下げていた。
「や、それは、お前が行こうって」
「そうだけど、周りを見てみろよ?」
太陽は言われて周りを見る。何が言いたいのかは分かった。
「な、恋人ばかりだろ? 皆、イカとか焼きそとか幸せそうに食ってるんだぜ! 俺は男の隣でかき氷ってか!」
「なら、俺がかき氷を恋人っぽく食べさせやるから、ほら、口開けて」
太陽は友達から奪い取ったスプーンで彼の口に氷を運ぶ。
「あーん!……じゃねーよ!それで、解決すると思ってるお前の頭に感服だよ!」
一応、食べてから彼は怒鳴る。忙しい男だ。
「そんなに彼女は欲しいものか? 俺には分からん」
太陽は友達とは違い周りの恋人達を見ても羨ましくはなっていなかった。誰かと付き合うなど効率的ではないと思っているドライな男なのである。
「一通り屋台も食べたから帰るか?」
太陽の提案に友達は首を振る。
「それは、嫌だ。夏祭りだぜ? 満喫しないとな」
「じゃあ、どうする?」
訊かれて友達は何か企んだように笑う。嫌な予感がして太陽は顔をしかめた。
「決まった事を訊くんじゃねーよ! 勿論、ナンパだろ!」
「え? お前、ナンパなんてした事ないだろ? 結構、難しいらしいぞ?」
友達は無駄に自信満々に胸を張る。
「そこは、ほら、夏だろ? 開放的だろ? だから、何とかなるって!」
そう本気で思ってるとは目出度い男である。太陽は呆れていた。
「そんな楽天的な」
「まあ、見とけって! ほら、あの二人とかどうだ?」
そこを見ると浴衣二人組がいた。二人組の一人は此方からでも顔は見え、それは、可愛く、向かいの女性は後ろ姿しか見えないが、細身な撫で肩、編み込んだ髪の毛と浴衣がとても可愛い印象なのでがっかりはしなさそうだった。
「悪くはなさそうだけど……」
「よし、じゃあ、決まりだ! 行ってくる!」
そう言って友達が一歩踏み込んだ時、後ろ姿の女性が此方の邪な気持ちを感じ取ったように振り向き、
「ちょっ! 待て!」
その顔を見た太陽が焦ったように声を出すも、友達は二人に声を掛けていた。少し見守っていると、此方の紹介をしたらしく、二人組が太陽を見て、その内の一人が嫌らしい笑みを浮かべた。
「何だか…面倒だな」
太陽は溢して顔を反らす。すると、その女性が近付いて来た。
「硬派だと思っていた私の乙女心を返して貰えます?」
小馬鹿にしたように言う。その顔は数日前の童顔だ。
「確信を持った言い方ですね。人違いかも知れないのに」
気まずそうに太陽は女性の顔を見ながら応えた。
「間違えませんよ。会ったの数日前なのに」
「あれ? お前達、知り合いだったの?」
友達がもう片方の女性を連れて、二人の所にやってくる。
「や、顔見知り程度だよ」
「それなら良かった。2対2で別れて回ろうぜ」
「えっ?」
すっとんきょうな声は太陽の隣から。
「あれ? 月夜ちゃん、こっちの人の方が良かった?」
「いや、そうじゃないけど……」
童顔----月夜と呼ばれた女性は歯切れが悪い。何だか顔も少しだけ赤く感じる。
「だよね。だって、言ってたもんね。何日か前に面白い人が居たって喜んでたもんね。良かったね、もう一度会えて。これは奇跡だ」
「ちょ! ええ? それ、ここでバラすの!」
吐露されて月夜は焦る。両手は女性友達の口を塞いでいた。口を塞がれた友達はにやにやしながら一歩引く。
「女は行動力! 頑張ってね!」
言い残し友達は、さばさばした感じで太陽の友達と歩き出した。二人はそれをただ見ていたが、少ししてから月夜が振り替える。
「行きましょうか」
その顔が恥ずかしそうに頬を紅潮させていたので太陽は困ったように頭をかいた。
「毎年、夏祭りは来るのですか?」
「まあ、一応は」
二人は歩きながらも何とか会話を保てていた。月夜は手にイカ焼きを持ち、太陽は缶ジュースを持っている。
「その度にナンパを?」
月夜はイカ焼きを一口。正直、味は分からなかった。
「違う。今回はあいつが居たから。いつもは、一人でぶらり来て、屋台を一通り食べて帰るよ」
「へえ~、一人で」
月夜が憐憫な瞳を太陽に向ける。
「その瞳……寂しい人だなって思ってる?」
「ちょっと」
揶揄する様に笑う月夜。平然としているが彼女はマウントを取り替えそうと必死であった。
「や、君だって展示会に一人だったよね?」
「君じゃありません。月夜です。貴方の名前は?」
距離を縮めようと月夜はそう訊ねた。
「俺は上野太陽」
「太陽さんですか。人の名前で聞くのは珍しいですけど、素敵な名前ですね」
名前を聞けて月夜は上機嫌だ。からんと下駄が弾んだように鳴る。
「そうかな?」
「そうですよ。名は体を表す。そう、考えたら、あれ? 何だか眩しくなってきました」
月夜は大袈裟に空いている手で日差しを作って見せる。
「君……馬鹿にしてるよね?」
太陽は不機嫌そうに目を細めた。
「馬鹿になんてしてません。これも、コミュニケーションの一つです」
「なら、月夜はどう体を表しているの?」
訊かれた月夜は小さな胸を張る。
「誰も居ない静かな夜を照らす月。その静謐さ。ほら、正に私でしょ?」
胸に添える手は誇らしさの象徴だ。自信満々に彼女の瞳が輝いているが、太陽はそれを鼻で笑った。
「当てにならな……」
そこで鋭い視線を感じた。月夜が睨んでいたのだ。
「なるね。うん。なるよ」
「でしょ? 太陽さん、話が分かる。話が分かる人は素敵ですよ。そんな、素敵な太陽さんだからこそ、可愛そうに思えてきました。男二人で夏祭りだなんて」
方向転換に肯定した太陽に月夜は容赦なく斬り込んだ。太陽の心はそれでも平気だった。
「そうか? 男二人でも楽しいよ?」
「え? そうだったんですか。……太陽さんはそうだったんですか」
何やら勘違いしていて、太陽は否定に首を振る。
「違う、違う、そうじゃない。唯、効率良く楽しめるって意味だよ」
「じゃあ、今までに恋人いなかったって事ですか? 非効率だと思っているのですよね?」
安心にそう訪ねると太陽は正直に頷く。
「いなかったよ」
それを聞いて月夜は小さなガッツポーズ。
「いやいや、喜ぶのはまだ早い。落ち着け月夜」
これは独り言である。月夜はにやけた顔を隠して太陽を見る。
「今、私と居るのが非効率だと思っているのは百歩譲って受け入れましょう。だが、しかし! そんな太陽さんに朗報です!」
急にテンションを上げた月夜は、太陽の前に回る。人混みの中、邪魔ではあるが、彼女は気にしていなかった。人波も、二人を避けてくれている。何と優しい事か。
「え? 良い、良い。何だか面倒臭そうなので、朗報良いです」
とても、嫌な予感がして太陽は拒否するも月夜は無視である。
「非効率を塗り替える良さが恋人にはある事を私が教えてあげます」
「え? だから、結構です。もしもーし、聞こえてます? 中継かな? これ」
太陽の言葉は受け流す月夜の瞳は燦然と輝いている。もう、遣る気は削げない。彼女は圧を掛けるように太陽へと近付く。
「来週の空いてる日にち教えて下さい!」
半ば勢い任せであった。だが、それが功を奏する。その勢いに負け、太陽は
「あっ……はい。わ、分かりました」
反射的にそう言ってしまったのだ。言ってしまった手前、もう後には引けない為に太陽は肩を落とし、反面、月夜はウキウキである。と、
「でも、あれかな?」
「ん? 何ですか?」
疑問を投げ掛けられて月夜が小首を傾げる。
「俺と恋人になりたいって事? 良さが恋人にはある。って言っていたので」
月夜の顔がオーバーヒートした。
「あっ、いや、ちょっと、え? え?」
確かにそれらしいニュアンスで言っていた事に気が付き、月夜は慌てる。恥ずかしさを隠す為に空いてる片手は顔を覆う。その姿を見て、太陽は可笑しくて笑った。
「本当に貴女は面白い人だ。良いですよ。貴女となら楽しめそうだし。ね、月夜さん」
腹を抱えて笑う太陽。その姿を見て、月夜も矢張、笑った。
「やっぱり酷い人」
言いながらも気分が良い月夜は、手にしたイカ焼きを一口。それはとても、美味しかった。
その日、太陽は電車に揺られていた。路面電車である為に車窓からの景色は、民家が広がる。それを眺めながら向かうのは、月夜に誘われた観光地であった。夏の美しい竹林を歩いたり、寺院を巡ったりするのであろう。プランは聞いていない。月夜に全てのプランニングを任せて欲しい、プランは現地に着いてから。っと言われているからだ。
電車が停車すると向かえてくれたのは駅舎内にある屋台である。とても良い香りが立ち込め、小腹が空いている太陽の顔は蕩けそうになっていた。観光客の何人かに笑われる。
その笑顔を余所に太陽は月夜を探そうとしたが、彼女は直ぐに見付かった。
白いストローハットを被り、これまた白のワンピースを着た人物。片方の黒髪を耳に掛け、手に紙コップを持っているのは、紛れもない月夜であった。彼女は柱に凭れ、飲み物をちびちびと飲んでいる。此方からは横顔しか見えないが、駅舎内は薄暗く、その先は照り返しで白く、そのコントラストの枠に切り取られているので、さながら、今の彼女は贅沢な絵画の様であった。
それに目を奪われ、暫く見詰めていると、彼女が此方に気が付き、眼福の時間は終わった。
「おっ、早いですね。待ち合わせ時間前に来るのは紳士の嗜みの一つですよ。高評価をあげましょう」
太陽が近付くと月夜がイタズラっぽく笑う。太陽もニヤリ。
「なら、月夜さんは、待ち合わせ時間の前の前に来ている淑女の嗜みをお持ちなので低評価をあげましょう」
「何でですか⁉」
その全力のツッコミが面白くて太陽は笑う。月夜は「もー」と不貞腐れながら飲み物を飲むも、その顔は嬉しそうであった。
「そんな軽口を叩いても、私、知っているんですよ。さっき、私に見惚れていたでしょ」
図星だった為に太陽はどきりとした。愛想笑いを浮かべる。
「気が付いてたのか。達の悪い」
と、言うと月夜の感じが一変した。凄く照れて、乙女全快の顔をする。
「本当だったんだ。嬉しい」
太陽は釜を掛けられたのだが、そんな顔をされたら何も言えなくて調子が狂う。だから、話題を変える為に、
「で、今日はどうするの?」
と訊いた。それを待っていたかのように彼女は得意気に腰に手を当てる。リアルでそのポーズをするのは珍しく、複数の観光客がシャッターを切っていた。
「今日1日は非効率が愛おしくなる日にしようと思います」
刺のある言い方だが、直訳すると普通のデートである。それを通して凄く楽しんでもらい、その後に訪れる非効率さもあっても良いなっと思わせる、作戦のようなそうでないような作戦なのであった。まあ、勿論、太陽には伝わってはいないが。
「先ずは……」
月夜はスマートフォンの時計を見せてくる。
「お昼時なのでご飯にしませんか? お腹はどうです? 減ってます?」
「朝が軽めだったので減ってるよ」
その返答を聞いて月夜は手を打ち合わせる。
「それなら、お蕎麦を食べませんか? 少し歩きますが、美味しそうな場所があるのです」
彼女の瞳が明らかにワクワク輝く。暑い日に冷たい食べ物。喉越しも良く、太陽が断る理由がなかった。
「良いね。行こう」
向かった先の蕎麦屋は低い石垣の上に建つ料亭の様な施設だった。何百年と続いている老舗だが、リーズナブルな価格がココの売りの一つでもあるので財布には優しい。
石畳が設けられており、それを上がると立派な門が迎えてくれ二人はそれを潜る。すると、ふっと涼しくなった。
見上げると濃い緑が生い茂っており、それが影を作ってくれているので涼しくなったのだ。
本館まで敷かれた石畳の上にも木漏れ日が落ちていて、それを見ているだけでも涼が取れる。
丁度、風が吹き抜け、鳴った葉に歓迎されているかのように二人は店内へと入った。
昼頃で店内は忙しそうであったが、スタッフも多く、上手く捌けている為に二人は直ぐに席に通される。
案内されたのは半個室のような部屋であった。壁は、丸く大きく切り取られ、その先に中庭が拝めるのでとても癒される。
二人が注文したのは天婦羅御膳だったのでテーブルの上は一瞬で豪華絢爛になった。
二人は勢い良く蕎麦を啜る。その喉越しに更に癒された。
「凄く美味しい! 月夜さん」
「ふふふ。そうでしょうとも! 沢山、調べた私に感謝して下さい!」
別に特段、月夜が偉いわけでもないのに、彼女はふんぞり返りそうな雰囲気だ。
「感謝するよ。俺は余り、蕎麦を食べないので、こんなに美味しいとは。調べてくれてありがとう」
「え? あっ、はい」
感謝したのに月夜は急に塩らしくなった。
「あれ? どうしたの?」
「あっ、いや、何だか、わざわざ調べたのを太陽さんに強調されると恥ずかしくなりました」
月夜は照れながら海老フライを一噛り。意外な一面に太陽は微笑んだ。
「俺は嬉しいよ」
太陽は蕎麦を啜りながら、思い出した事があった。
「蕎麦と言えば、どうして引っ越し蕎麦か知ってる?」
「いえ、何でですか?」
急な質問に月夜は首を傾げる。太陽は得意気に蕎麦を持ち上げて見せた。
「引っ越しして、そこの地域の人達の傍にいられますようにって、意味で蕎麦なんだよ」
「それは初耳です。日本語、そう言う言葉遊び面白いですよね」
何だか和ましい会話に月夜は微笑む。その後の
「……」
「……」
暫しの無言。蕎麦を啜る音がどこか大きく聞こえる。と、
「え? ち、違いますよ! 私が蕎麦屋を選んだのは違いますよ! そんなアプローチをしたかった訳ではないですよ! 只単に蕎麦を食べたかっただけで!」
変化球を投げたつもりは無い月夜はしどろもどろする。焦りながら手を振ったせいで、箸から数敵、蕎麦つゆが飛んで机に落ちた。
「そうしておきましょうか」
「調子に乗らないで下さい!」
太陽の余裕綽々な顔を、月夜は机の上を拭きながら睨み付けた。
それから、観光で色々と巡った。
寺院や絶景スポット。竹の道。見る場所が多くて、暑さも忘れる程に楽しんだ二人。そして、二人は今、小高い山に置かれたベンチに腰を下ろしていた。
「ここから見える風景はとても素敵ですね」
ベンチの先は、なだらかな斜面になっており、森が広がっている。その先には川が見え、水面には、対岸の緑と空の色が溶け込み、とても美しかった。
「だろ? 人も少なくて好きな場所なんだよ。この暑さが無ければもっと良いんだけど」
止まっていると夏の突き刺さる日差しを思い出して太陽は悪態をつく。
「夏が嫌いなのですか? この暑さ良いじゃないですか」
隣の月夜は、流れる汗にも喜んでいる様子だ。現に太陽よりも彼女の方が元気そうである。
「嫌いって訳ではない。でも、もう少し柔らかな暑さでもって、思うよ」
「そうですかね…」
願うような太陽の隣から立ち上がった月夜は前方にある柵に凭れた。その瞳は太陽だけを優しく捉える。
「私はこの暑い太陽も好きですよ」
「………」
-----はたまた、その言葉に深い意味があるのか太陽には知るよしもなかったが、言って微笑む彼女の笑顔が陽の光に包まれると周りの全てが色褪せて見え、月夜だけが色鮮やかに見えた。と、
「あれ? 月夜じゃん」
男声が月夜を呼んだ。急に現実へと戻すそれは、横から聞こえ、二人はそこを見やる。すると、背の高い美男子と複数の女性が見れた。
「あっ、橘くん」
どうやら、月夜は顔見知りらしく、見るからに喜んでいた。太陽にはそう感じた。
「久し振りだな、月夜」
橘と呼ばれた男はいけすかない笑顔を向けた。まるで、世の女は自分のとでも言いたそうな笑顔である。
「大学卒業以来か?」
「そうだね。懐かしい。橘くんも観光?」
月夜は橘へと近寄る。足取りは軽やかそうだ。
「ああ、俺は会社の同僚達とな」
橘に紹介された同僚の女性達は軽く会釈する。不機嫌そうなのは敵意剥き出しだからだ。
「橘くんは今は何の仕事をしてるの?」
「俺は経営コンサルタントだよ。お前は何してんの?」
偉そうに橘が訊くと月夜はカメラを持つような格好でシャッターを切った。
「私はカメラ屋さんで働いてるよ」
「そうか。お前、大学の時からカメラが好きだったからな。センスあったと思うよ。まあ、俺が撮ったお前の寝顔、あれも、良かったろ?」
橘はとても自慢気であった。月夜は耳まで真っ赤にする。
「もう! やめてよ! 恥ずかしいから」
「お前は相変わらず反応が可愛いな。それに、見た目も変わらなく可愛い」
笑いながら橘は、採点するような視線でなめ回した。反吐が出そうな男だ。
「え? そんな事ないよ。橘くん、相変わらず口が上手いね」
月夜はかぶりを振りながらも乙女な表情をする。満更でも無さそうだ。
「で、そろそろ触れた方が良い? あれ誰? 彼氏?」
ここで漸く蚊帳の外の太陽を、橘は月夜の肩越しに見た。ほっとかれて可哀想な同情を含むその目付きに太陽は小さな会釈をする。
「違う、違う。友達」
月夜はチラリと太陽を見てから否定した。
「だよな」
さも、それが正しいとでも言いたげな口振りである。橘は口の端字を嫌らしく持ち上げた。
「それなら、どうだろう? 俺達と回らね?」
彼の右手は今にも月夜の腰に手を回しそうな勢いだ。
「え? それは……どうしましょうか……ねぇ?」
強制的ではないので彼女は太陽の方に振り返った。
「回ってきても良いよ」
太陽は直ぐ様、そう言った。悩む事は一瞬たりともない。月夜の顔が行きたそうな表情をしていたからだ。
「俺、この後、ちょっと予定が出来ましたので」
太陽は立ち上がり、橘を見据えた。裏切り者とも呼べる月夜の顔はもう見ない。
「なので、大学の知り合いが居るなら丁度、良かった」
「そうか? 悪いな」
橘はそうは言うものの悪びれている様子はない。全く。太陽はそんな彼の横を通り過ぎる。
「いえ。それでは」
それだけを残して彼は山を降りる事にした。
「いえ。それでは。って何だよ。情けないな、俺」
太陽は一人とぼとぼと川辺を駅に向かい歩いていた。何だか天国から地獄へと落とされた気分である。
「それに、あの娘もあの娘だよ。あんな幸せそうな顔して。ビッチか。以前、好きだった人が居て、それとも、元カレ? それが急に現れて、ホイホイそっちに尻尾を振る。最低な娘だな。本当」
その時の月夜の顔を思い出して太陽は苛つき出した。今にも近くの自販機でも叩きそうな勢いである。
「あー、腹立つ! 腹立つ!」
自分の気持ちを爆発させて、周りの人達から一線置かれるも、そのお陰で少しだけ冷静になれた。
ふっと立ち止まる。見るは先程の蕎麦屋。
あの時は凄く楽しかった。数時間前のその時に戻りたい。
そう思えば思う程に周りの恋人達の談笑が突き刺さる。余計に惨めになっていた。
「待って…待って下さい!」
後方から微かに声が聞こえてくる。しかし、太陽は気が付かない。
「まあ、良いか。さて、帰って何かしようかな」
太陽はひとりごちる。再びの溜め息。
「観たい映画でも観ようかな。何があたっけ?」
「や、だから、待って」
女声が近付いてくる。太陽はまだ、気が付かない。
「恋愛要素が無ければ良いけど」
「太陽さん!」
そこで、手を捕まれた。太陽は驚き、後ろを見る。そこには息を切らせた月夜がいた。
「や……やっと、追い付いた」
彼女は肩で息をしながらでも笑顔を作った。流れる汗は半端ない。
「え? 何? どうしたの?」
冷たい太陽。視線すら外している。
「私、納得出来ません。予定があるなんて聞いてませんよ」
彼女はどこか怒った様子だ。それの意味が太陽には分からなかった。
「あるから仕方無いだろ? さっさと戻れよ」
更にムッとする月夜。
「何ですかその言い方は! 私、何か悪い事をしましたか!?」
「悪いもなにも……自分から誘っておいて、気になる人がいたからそっちに鞍替えするなんて、誰でも良い気分はしない。そんな人だとは思わなかったよ」
無神経な月夜に太陽は全てをぶちまけた。けれど、月夜は謝るでもなしにポカンとしていた。
「え? 私が誰を? もしかして、さっきの人ですか? 冗談は止めて下さい」
「………違うの?」
嘘を言ってなさそうな言葉に次は太陽が唖然とする。月夜は力強く頷く。
「違いますよ。私はあの人苦手で。向こうはどうか知りませんけど。女性は顔だけー、俺の横を歩きたければ、着飾るんだなーっとか平気で言うんですよ? そんな人、私は嫌です」
辟易する月夜の可愛い顔が苦虫を噛み潰したように歪んだ。
「でも、嬉しそうにしてたよね?」
その追い言葉に月夜はシッョクを受けた。
「してませんよ! あの人が苦手過ぎて、それでも傷付けたくなくて、余所行きの顔はしてましたけど、そう思われていたなんて、とても、心外です」
月夜は悲しくなっていた。そう、あの会話の全ては太陽の思い違いなのである。更に月夜は続ける為に口を開く。
「それに、カメラに興味ないのに、勝手に部室へ入って来て、人の寝顔を許可もなく撮るんですよ? 私、あの話しされると虫酸が走るんです」
当時を思い出して月夜は身震いをする。相当、橘は嫌われていたのだ。当人が聞いたらあの透かした顔がどう崩れるのか、それを想像して太陽は愉快になっていた。
「そうなんだ。誤解か」
「でも、太陽さんには期待はしてましたけど」
噛み合ってない会話のその言葉に太陽は首を捻る。
「ん? 期待?」
「こっちの話です。それよりも!」
月夜の怒りが突然ぶり返った。眉毛が吊り上げる。
「まだ、納得いってませんよ! プランは終わってません! 急に予定を入れるなんて! キャンセルです! キャンセル!」
怒る姿は何だか駄々っ子の様だ。じっとと睨まれ、太陽は身じろぐ。しかし、今にも噛み付きそうな子犬だったが、
「っと、まあ、府には落ちませんが優先する急用なら仕方ありませんね。私はとても、寛大な女性なので、許して上げます」
彼女は怒りを近くの川に放り投げた。数歩、進んで太陽を振り返る。風に飛びそうになるハットのブリムを両手で抑えた。
「だから、また、会って下さいね。その時は今日の続きです。私はまだ、諦めてませんから」
月夜はイタズラっぽく笑う。何とも可愛らしい我が儘に太陽は胸のざわめきを覚えていた。
「さあ、帰りましょうか」
「や、本当は、貴女と別れた直後に友達から連絡が来て、中止になったんだ。本当にいい加減なヤツだよな」
架空の友達に太陽はひたすら謝る。月夜の顔が川面の煌めきのように輝いた。身体は歓喜に震える。
「そうなんですか? それなら、自由ですね! まだ、私、行きたい所あるので行きませんか? いや、行きましょう!」
嬉しさに月夜は太陽に詰め寄り、両手で彼の手を掴んでぶんぶんっと振った。周りに誰もいなく二人きりなら跳び跳ねているところである。
「そんに喜ぶ? 良いよ。どこに?」
「喜びます! こっちです。近場ですよ。橋の向こう側にあります」
月夜は満面の笑みを浮かべてから、早速、対岸へと橋を歩き出す。手を引かれリードする背中に太陽もどこか喜んでいた。
「風鈴館?」
そして、着いたのは、橋を渡り切った直ぐ先にある白い建物であった。
太陽が口にした通り、そこには風鈴館と書かれている。入り口の天井には沢山の風鈴が吊るされていて、風鈴館と呼ぶには相応しい店構えであった。
「はい。今日の思い出に風鈴でもどうかな? って。買うのも良いですけど、作れるのですよ。この季節にはぴったりでしょ?」
「確かに」
太陽は頷く。思い返しているのは、初めて二人が出会った場所であった。
二人は中に入り、受付を済ませると、案内された手作り体験の2階へと上がる。
夕日に包まれた部屋。
そこには、二人しかいなく、程なくして風鈴作りが始まった。
「本当に風鈴が好きなんだね」
作業をしながら太陽が言った。月夜は風鈴の短冊を選びながら無邪気に微笑む。
「自然の風一つで涼が取れる、最高なものじゃないですか。それに、世界に一つだけの物が作れるのってワクワクしません?」
不思議とその言葉を今の太陽はすんなりと受け入れられた。
「まあ、確かに。あんなに説明されれば、興味は沸いてくるよ」
「本当ですか。それは、嬉しいな。それなら、太陽さんに作った風鈴をあげますね」
一層遣る気になる月夜。
「絵柄は何が良いかな? やっぱり、太陽さんだけに太陽かな? んー」
独り言を溢しながら筆を動かす。その横顔を太陽は盗み見ていた。
(あー、俺、気が付いた)
何やら納得して太陽は溜め息を吐いた。
(自分がさっき、何にイライラしてたのかを……そう、あれは、嫉妬だ。俺はあの男に嫉妬してたんだ)
苛付いていたも理由が明白に分かり太陽は自嘲する。それから、次は嘆息。
(こんな事も含めて、やっぱり恋ってどこまでも非効率だな)
けれども、その顔はスッキリとしていた。
夕日に縁取られる二つの風鈴。
絵を描く度に傾けて輪郭が朱く染まる。
「なあ、月夜さん」
「何ですか?」
真剣な月夜の横顔を太陽は今度はじっと見詰めた。そして-------
「好きです」
脈絡もなくそう言葉を口にした。初めての告白。心臓は有り得ない位に脈打っていた。しかし、それを無視する月夜。絵を描き続ける。
「え? あれ? 駄目でしたか?」
愛想笑いをする太陽。月夜は何かゴニョゴニョと言っている。聞き耳を立てた。
「え? いや、駄目とかは無いんですか……え? ここで? 今? ええ?」
顔は夕日に照らされているせいか、それとも、違うのか紅潮している。
暫しの時間が立つ。
困らせたのだろうか。駄目だったらすっぱりと諦めよう。
太陽は返答を待った。
この間に新たな観光客が入って来て欲しいような、欲しくないような。どっちが救いなのか分からない。
そんな事を考えながら気を紛らわせる為に筆を動かす。
すると、突然、月夜は意を決したように太陽を見た。
時間差はあったが勿論、彼女の気持ちは初めから同じだ。
茜色の月夜は破顔一笑して、
「宜しくお願いします!」
そう言った。
「------っと、言うのが私達の始まりのエピソードです」
得意な笑みを浮かべて月夜がテーブルの向かいの女性に言う。
「え? 月夜、ちょっと待ってくれ。それじゃあ、俺がまるで嫉妬野郎じゃないか。もっと美化を求む」
横槍を入れるのは隣に座る太陽である。月夜は首を横に振った。
「駄目だよ。有りのままを知ってもらうの。だって、私達の大切な思い出だから」
「……月夜」
月夜が大事なものを両手で包み込むような優しい笑みを浮かべ、太陽はしんみりとする。が、
「って、騙されるか! ここで、良い話で締めて、その後の意識し過ぎたせいで、たこ焼き屋の前で、間違えて掛け放題のソースをかき氷に掛けてた話をまるごとごっそり無きものにしようとしてるだろ!」
「え? ちょっと勘弁してよ。そんな細かい所を覚えてるなんて男らしくないよ?」
良い雰囲気で纏まる筈がそうもいかなかった。痴話喧嘩が始まる。
「あっ、その言葉でプッチーン来たね!」
「何、プッチーンって、表現、ふるッ!」
「初めての映画デートの日、買ったポップコーンがやけに減るのが早いなーって月夜、キミ、隣の娘のを食べてただろ? いやいやいや、自分で買ったの甘い系だよね? 食べてたのしょっぱい系だよね? 気付くよね、普通!」
「なっ、やめてよね! あれ、本当に恥ずかかったんだから! てか、その映画で感動し過ぎてズビズビうるさかったの誰だったかしら? あの日から、私、アナタと感動系は観るのをやめようって、心に誓ったのよ」
「え? でも、この前、感動系を一緒に観たよね?」
「だって、あんな無邪気な顔で一緒に観ようって言われたら太陽さんと観たくなるじゃない。それに、あの時、自分が買ったポップコーン、食べ切れないから一緒に食べてくれたの本当に感謝してるの。ありがとう」
月夜は感謝を述べ、太陽の怒りが収まる。
「や、僕の方こそごめんね。月夜。愛してるよ」
「うん、私も」
見詰め合う二人。今にも口付けを交わしそうな……所で大きな咳払いが入った。
慌てて二人は向かいの女性を見る。
「こ、こんなエピソードも入れて欲しいなーって、そんな会話ですよ! 勿論! コンシェルジュさん!」
二人の向かいには苦笑いを浮かべ、(え? なに、コイツら。え? 殴っても良い?)っと、本気で思っているコンシェルジュが座っていた。
「今回は、数ある挙式会社の中で当社を選んで頂き、ありがとうございます。」
けれども、流石はプロ。そんな事を思っていると微塵にも感じさせない笑顔を浮かべた。
そう、ここは挙式の相談所なのである。
室内は、これからの幸せを予兆させるように、鮮麗であり、入店した者は確実に浮き足立ってしまう。勿論、太陽と月夜もそうであった。
「未来挙式を簡単に説明させてもらいます」
コンシェルジュはパンフレットを広げ、二人はそれを目を通す。
「未来挙式は、新郎新婦のお二人様が冷凍カプセルに入り、解凍した未来で挙式を挙げるサービスになっております。冬眠している間に、今、伺ったエピソードを此方でAIで映像化して、御家族や御友人、知人に送らせてもらいます」
コンシェルジュがパンフレットの次の頁を捲る。
「その後はオプションにもよるのですが、半世紀以降だと参加できない方も居ると思いますので、その場合はその方の3Dスキャンとコメントを撮らせてもらい、未来の挙式席に並べさせてもらいます」
パンフレットからスッと顔を上げてコンシェルジュが素敵に微笑む。
「不可能だと思っていた素敵な未来が見れる。このサービスは本当に活気的です。プラン年数はどう致しますか?」
「……そうですね」
紙面のプランを見て少し悩むも二人の年数は決まっていた。太陽と月夜は顔を見合わせる。
「一世紀後にお願いします」
息ピッタリに二人はそう明言した。
それから、撮影用のアバターをAIに記憶させ、その後日、案内されたのは地下空間だった。地上では災害等の時に危険なので地下にシェルターが築かれているのだ。地下は薄暗いイメージだが、ココは明るく地上のようである為、一歩目を踏み込んでも不安な要素はなかった。
真っ直ぐに伸びた通路。その左右にある扉は奥まで続き、中には沢山の人が眠っているのだ。
二人は一つの扉を開けて自身のカプセルの前に立った。触れてみる。ひんやりした冷たさはあるも、これから、一世紀、自分を預ける物だ。頼むよっと言った感じに何度か軽く叩いた。それから、カプセルの隣の椅子に座り、渡された薬を飲んだ。休眠誘導神経を刺激して冬眠に入る薬だ。二人はカプセルに入る前に顔を見合わせた。寝ていれば一瞬だが、これから、一世紀は逢わないのだ。暫しなのか、長い間なのか分からないが、見詰め合う二人。
それから、「おやすみ」そう言ってカプセルの中に入った。
次第に眠たくなる太陽。
「目を覚ませば……どんな世界が待ってる……んだろうか」
最後の方は言葉にならないまま、彼は目を閉じた。
たった、十年でも世界は様変わりする。それが、一世紀。本当に想像も出来ない未来が待っているのは楽しみでしかない。それを夢見ながら待てるのはとても、幸せである。
------しかし、そうもいかなかった。アクシデントがあったのだ。
このサービスはまだまだ不安定だった。人が眠りに付かない、記憶が混濁する等の不安要素が沢山あったのである。それでも、それを置き去りにする程の画期的かつ、人気があったので、まだこの時はメディアで少しだけ反論されてる程であった。
だが、その何十年後に大きな問題が起きてしまう。
冬眠から目が覚めない人やカプセルの不具合で人が亡くなったのだ。
流石に人の生き死の事柄はメディアで大きく取り上げられ、未来挙式なるサービスは糾弾の的になり、それから数ヵ月後にこのサービスは終了を迎えた。
と、同時に幸運にも太陽だけは目を覚ました。だが、それは、身体だけ。意識はあるものの深い昏睡状態である為、そのまま病院で療養する事になった。
その後、サービス終了を迎えた各会社は、綺麗に畳む所は冬眠を解除し、場合によっては多額の賠償金を払ったり事後処理に終われていたが、太陽達が選んだ会社は違う。夜逃げ同然で全てをほっぽりだして逃げたのだ。
月夜を放置して。
そして、半世紀近くの月日が経過した頃、太陽が完全に目を覚ました。
昏睡状態のせいで話せない状態が続き、筋肉の収縮も酷くベッドの上での生活を余儀無くされた。
その時に世の中の状況を説明される。彼は絶望しかなかった。
自分の身が陥っている状態にでは無い。一言も月夜の名前が出てこなかったからだ。彼はその時にまだ月夜が放置されていると悟った。もしかしたら……っと最悪の事も頭を過ったがそれは深く考えないようにした。
だが、言葉も発する事も、立つ事も出来ない。毎日、毎日、何も出来ない悔しさ、もどかしさに、月夜を思って泣く事しか出来なかったのだ。
それから、半年後。
壮絶なリハビリの末、太陽は何とか立つ事、そして、言葉を話せる事が出来た。
「…月夜が……婚約者がまだ……人工冬眠から目覚めていない……」
その一言で捜索が開始された。
太陽のうろ覚えな記憶を辿りに、雑居ビルを何とか探しだして、地下へと進む。あの頃は明るいシェルターも今は淡く青い光が辛うじて灯っている位であった。対比はあるが、どうやら、予備電源は作動しているらしく、最悪な状態は回避できそうなので太陽は取り敢えずは安堵した。
そして、付き添いの警察官に支えられて寂寥感を覚えつつも歩く。見覚えのある扉を彼等に開けてもらうと、奥に設置されている平置きのカプセルの前に立った。
そこには--------そこには、月夜が眠っていた。
漸く逢えた月夜はあの頃のままである。太陽はその場で泣き崩れた。
「解凍を…お願い…します」
言葉も途切れ途切れで言うと、専門家がパネルを操作してくれ、スモークウインドーの真ん中が割れたカプセルが開いてゆく。中から冷気が溢れ出ては床に広がり、目が覚めた月夜がゆっくりと起き上がった。
奇跡を目の当たりにした。そんな気分になり、太陽は更に涙する。そして、我慢できずに抱き締めた。愛する人を強く強く。
けれども、月夜の口は、
「あなたは……だれ?」
耳を疑う言葉を太陽に投げ掛けた。
「え? 何を言って僕だ………っ!」
そこまで言って太陽は絶句した。それは、背面ウインドーの反射に映る自分を意識して見たからだ。皺が刻まれた顔。爛れた目元。白髪だらけの髪の毛。分かる筈がない。片や月夜は美しいまま。若さとは手で救った水。知らぬ間に、どう足掻いても指の隙間から溢れてしまう。もう、太陽の手には水は残り少なかった。
「それに……ここはどこ……なの……わたしは?」
どうやら彼女は、長年、予備電源だけで、適切なメンテナンスを受けていなかったせいで記憶障害を起こしてるようだ。
「ココはだね……月……」
全てを話しても構わない。でも……でも、そうすれば拒否されるだけだ。歳を重ねるとは時には恐ろしくも怖い事。拒絶されればもう、生きている理由がない。だから、全ては自分の中に閉まっておこう。それが良い事か悪い事かは分からない。だが、彼は
「おはよう、“輝夜”。僕は君の父親だよ」
そう口にして月夜と言う存在を“消し”た。
-----------その頃を思い出して太陽はトイレの中で泣き続けていた。
「んー、無事に終わった!」
そう言って伸びをしたのは輝夜である。場所は礼拝堂。もう、周りには太陽しかいなく、今は二人きりである。夕日が差し込み周りはオレンジ色に染められていた。
言った輝夜は、肩の荷が下りた安心感と幸せの絶頂にいる良い顔をしている。
「そうだな」
答えた太陽は対照的にまだ、悲しそうである。覇気の無い顔が夕日に照らされ、更に消沈している様に見えた。
「でも、びっくりだよ。お父さん、ずっと泣き腫らしてるんだもん」
太陽の目元は今も赤い。一生分泣いたのではないかと思える位に。
「それは、まあ、感動したからな」
太陽は誤魔化すように笑った。少しでも明るく見える様に元気良く。今の彼には無縁の言葉であるが、それで、輝夜は騙せた。
「それなら、良いんだけど。さてと、これから二次会だね」
式でも祝ってもらえ、これからも祝ってもらえるので輝夜はわくわくしている。何なら三次会も彼女は密かに計画していた。
「………僕は行かないよ」
だが、太陽は首を振った。輝夜は驚く。
「え? どうして? 商店街の皆、来るのに」
「帰ってちゃんと月夜に報告したいからね」
それを聞いて輝夜は安堵する。まだ、いじけているのかと思ったからだ。
「それなら、良かった。受け入れてくれてないと思っちゃったよ。私も帰ったらお母さんに手を合わせよう」
輝夜は思いにふけて礼拝堂を眺める。大地との誓いの口付けを思い返しては顔を赤らめ、唇はニヤニヤしていた。それをちゃんと正してから彼女は太陽に向き返る。
「それじゃ、行こ…」
「輝夜」
輝夜の声を遮った太陽の声は思い詰めていた。
「何? どうしたの?」
目を丸くする輝夜。太陽は葛藤していた。全てをぶちまけたい。もう、我慢したくない。そうする事で混乱した輝夜が結婚を白紙にするかも。そうなれば嬉しい。大丈夫。散々、傷付いてきたんだ。だから、彼女にも……。
「お父さん、大丈夫? やっぱり、私も帰ろうか?」
彼女がとても心配そうに太陽を見ていた。あの頃の優しい、愛する人の顔だ。
--------それで邪な考えは消えて無くなった。
「いや。大丈夫だ。行ってきなさい。寂しいけど……最後に……」
一旦、心を落ち着かせる。もう、“輝夜”だけを見詰めていた。
「最後に言いたいのは、本当におめでとう」
太陽は泣くように笑った。
終わり
作品が出来上がると、
自分は天才!だと思う。
でも、それが、世論に評価され貶され悪評でそんな事は無いと気が付く。
だから、せめて作品が出来上がった瞬間だけでも思わせて。




