この問いの最適解は。
例えば寝起きに突然難題を出されて、最適解を答えなさいと言われたら答えられる?
私はノー。無理。
でも答えなきゃダメみたい。
脳みそがちぎれそうなのに。
まず私は今、タイムリープした。
3人分の記憶を背負って。
前前世の私、前世の私、そしてナディアの記憶まで。
今の私? 今の私はナディアの肉体を間借りしている状態。ホラー風に言えば憑依してる感じ。
ね? 脳みそちぎれるでしょ?
まずは基本の説明。
前前世、私はローザという名の貴族の娘だった。そこでは婿養子のヴァレガロと仲睦まじく夫婦生活を送っていたのだけど、ある日私は事故で昏睡状態に。
意識はあるのに体が動かせなくて、そこからは地獄。私の耳が聴こえていることを周囲は知らないから、嫌なことをたくさん聞かされて。
ヴァレガロははじめから爵位と財産目当てだったとか、
使用人のナディアを寵愛しているとか、
事故も実は仕組まれたのではないかとか。
そんなことを嘲笑混じりに。
それを聞かされた私は、信じられない、信じない、信じたい、と揺らぐ思いで発狂しそうだった。ううん、多分発狂していた。
そんな絶望の日々を過ごしていたある日、私は突然目を覚ました。
けれどその日が私の最期とか思わないじゃない?
ナディアが振り下ろしたナイフの光が最後の記憶。
これが前前世。
で、タイムリープして今いるところが、前前世のローザの事故直後。まだ意識もない頃だと思う。
色々と新事実が発覚しているけれど、その前に、あいだにもう一つ“前世”があって。
私はナディアに殺されたあと、現代の日本に転生した。裏切られた記憶を残したまま。「愛田友佳」と言う名前が皮肉に感じるくらいにはひねくれた性格で、人を信じられず、人を疑い続けて、気づいたらまた死んでいた。
でもここでワンクッションあったから、今の状況を冷静に見ることができていると思う。
ちょっと休憩。
そしてタイムリープした今。
タイムリープした理由はわからない。
でも、ナディアがローザを殺したことや、ヴァレガロを結果的に壊してしまったことを悔やみ、
「やり直せたら」って祈り続けていた。
それで祈りが通じたなら、良かったねとしか私からは言えない。
だって、ナディアは勝手すぎる。
身体を譲るから好きにしてくださいと言いながら、やり直せって意思がビンビン伝わるとか、贖罪のつもりか知らないけどそうじゃない。
――もう遅いんだよ。
ナディアは、私に答えを見せるために身体を差し出した。今はまだナディアでいる必要があることもわかる。でも最適解を出させるためにこんな重い荷物を背負わされた私の気持ち、わかる?
「ローザ……」
今の立ち位置を確認するために頭を整理していたけれど、ヴァレガロの呟きで現実に引き戻された。
私は使用人のナディアという立場でこの場所にいて、意識の戻らないローザの手を握るヴァレガロの背中を見つめている。
(私の魂はナディアの中にあるから、今ローザの中は空っぽだよ)
かつて愛した人だ。
朗らかに笑い、私を包み込んでくれた彼。
全て誤解だったと今さら知った。
彼は最期までローザだけを愛してくれていた。
――わかったところで、一度傾いた気持ちは戻らないんだよ。ナディア。
さて。これからどうしようか。
まず目の前の課題。
ナディアはヴァレガロを殺すよう命令されている。
もうこの時点で面倒くさい。
そもそもヴァレガロが命を狙われたのは、正義を貫いたからという理不尽な理由。
私も知らなかったのだけれど、我が家は代々、善良な貴族を装いながら、裏では長く悪事に手を染めていた。
婿養子には、すでに組織の中枢にいたヴァレガロの兄であるモブレオを迎えると、内々に決まっていたらしい。
それはモブレオ自身の望みで、あとは私に話すだけ、というところで、私はヴァレガロと出会い、惹かれ合ってしまった。
両家の親たちは苦渋の末、ローザを深く想うヴァレガロに賭けた。ローザのためなら、己の手を血で汚すことすら厭わないだろうと。
結果として、ヴァレガロは命を狙われることになった。
前前世の記憶のモブレオはずっと優しい人だった。
彼は結婚式のときは微笑んで弟をよろしくと言ったし、その後もよく我が家を訪ねてきて楽しい話を聞かせてくれた。
――私は本当に何も見えていなかった。
裏ではナディアにヴァレガロを誘惑しろだとか、何かあれば殺せとか、命令をするような男だった。
ナディアは、モブレオに逆らえない。かつては小貴族だったナディアの家が没落し、路頭に迷っていたナディアを拾い上げたのはモブレオだ。それがなければナディアは奴隷船に積み込まれていただろう。
モブレオに拾われたナディアは、忠誠を誓うしかなかった。
でも気持ちは思うようにいかなくてナディアはヴァレガロに恋をしてしまった。だからヴァレガロを殺せなかった。
――私のことは殺したけどね。
意識の奥底にいるナディアに悪意を向けてみる。ずっと感じる強い贖罪の思いが一層強くなった。
――そうじゃないって。ナディアはずるいよ。
ローザの側から離れないヴァレガロに視線を移し、ため息をつく。
前前世でナディアはこの背中を見て、殺すことをやめ、ヴァレガロに真実を告げ、寝返った。
ヴァレガロは正義を貫き、モブレオ一派を追い詰め、すべてを終わらせると決意。
そして、ローザに平穏な未来を託すため、自らローザの元を去ろうと考えた。未練を残させないよう、あえて悪い噂を流し、彼女に嫌われることを選んだ。
それで深く傷つけられた私の魂の行き場が結局ここなんて、笑うしかない。
――愛なんて思いだしたくもないのに。
「ヴァレガロ様、少し休まれた方がよろしいかと。私がローザさまのそばにおりますから」
私がそっと声をかければ、ヴァレガロは初めて私の存在を思い出したのか、ビクリと肩を震わせ振り返る。
生気のない瞳を向けられて少し胸が痛んだ。
「……わたしはここにいる。離れたくない」
ヴァレガロはしゃがれた声で呟き、再びローザの手を取りそっと撫でた。
――ナディア。あなたはこれを私に見せてどうしろと言うの?
「では上掛けを取ってまいります」
私は居た堪れず、その場をあとにする。扉の向こうから、「君がいなければ生きていけない」と聞こえ、私は思わずギュッと目を閉じた。
「ディア」
今一番聞きたくない声ナンバーワンがやってきた。
「モブレオ様」
「一旦命令は保留だ。王都がきな臭い」
それだけ言って足早に去っていく後ろ姿は、前前世で報いを受けていないことを嫌でも思い出させた。
――ナディア、さすがに丸投げし過ぎで笑えない。
王都がきな臭いは、悪党にとってきな臭いという意味。王が変わり、善政を掲げる新王に、裏の者たちが戦々恐々としていた。
誰を味方に引き込むかで立場が大きく変わる。モブレオもまた繋がりを盤石にしようと奔走していた。
ふと、廊下に飾られている花瓶が目に入った。ローザが好きだった白百合が活けてある。
(ああ、次は花になりたい)
裏切られたと嘆き、人を疑い続け、今は人の罪を背負い、爆発寸前の感情ですら、花は癒すことができる。
私は傷つける人間になりたくない。
ナディアが私に肉体を渡したのも、贖罪のフリをして試されているような気がする。ナディアの立場でも無垢でいられるの、と。
前前世のこの数ヶ月間は、モブレオの監視は一時的に緩んでいた。
ヴァレガロは新王の密命を受け、モブレオ一派の不正を暴く計画を進めていた。
けれど、ナディアがローザを殺めたことで、ヴァレガロの心は壊れ、すべてが止まった。
――しんどい。
ヴァレガロの不器用さも、
ナディアの一途さも、
ローザの無垢さも、
モブレオの哀しさも、
全てが重くて、
それを背負わされた私はどうすれば?
《ごめんなさい……》
時折意識の底から漏れでる小さな声はいつも謝っている。前前世、報われない想いを抱えてヴァレガロのために働いた短い期間は、ナディアにとっては幸せなときだった。
愛人と噂させたのはナディアだ。
嘘でもヴァレガロと結ばれたいという想いからだが、この記憶はしばらく共有されなかった。知られたくないという思いが強かったのだろう。
“なぜローザばかり愛されるの”
“あの子ばかりずるい”
ナディアが溜めていた悪意は、ローザが目覚めた瞬間に吐き出された。
ヴァレガロが何気なく発した、「君がいてくれて良かった」の言葉を終わらせたくなくて。
私はあのとき、恐怖する時間さえなかったのに。
♢
「大事な話があります」
私がモブレオ達の悪事(人身売買や密輸、そしてヴァレガロ暗殺計画)を告げると、ヴァレガロは言葉を失い、肩を震わせた。
そして前前世と同じように彼らの駆逐を決意し、さらにローザのために悪い噂を流すという、私にとっては悪夢のような提案を再び口にした。
塞がっていた傷から血が漏れ出すような感覚だった。これが私の苦しみの始まりだ。
「私は、反対です。昏睡状態とはいえ、耳は聴こえているかもしれません。ヴァレガロ様の自己満足でしかない嘘で、ローザ様をさらに痛めつけるおつもりですか」
「……君は……」
ヴァレガロの動きが止まり、それから慌てるように首を横に振った。その挙動の意味がわからず、私は首を傾げる。
「……いや、なんでもない。そうだな。わたしができることはローザの意識を戻すために愛を伝えることだ」
そう、それがいい。
私は静かに頷いた。
♢
それから私は証拠集めに奔走した。
前前世の記憶を繋ぎ合わせれば容易いものだった。
私はローザの目覚める日を知っている。
それまでに終わらせるように準備した。
終わりはあっけないものだった。
“非公式会議”の名のもとに、モブレオ一派を城に呼び寄せ、彼らが揃ったところで、ヴァレガロの合図で騎士がなだれ込んだ。
「ディア! お前かあ!!」
私を見て察したモブレオが捕縛の手を逃れ襲いかかってくる。行く手をヴァレガロが阻み、「兄上、ローザには兄は誇り高く散ったと報告させてください」と言うと、力なく手を下ろした。
モブレオは大人しく連行され、私とすれ違う瞬間、「……誰だか知らんが、余計なことを。ディアには好きに生きろと伝えてくれ」と投げやりに言われた。私はそれに返事をせず、ただ背中を見つめていた。
その後、モブレオ達は謀反の罪により処刑。
自分たちにとって都合の悪い新王を、亡き者にしようと計画を立てていたらしい。
ヴァレガロは貴族として生きる道もあったが、爵位を返上し、平民として生きることに。
ナディアはモブレオに与していたが、モブレオ一派を追い込んだ功績から罪に問われなかった。
さて。やっとここまできた。
ローザは今日目覚めるはずだ。
屋敷にはほとんど人は残っていない。
私は後処理で忙しいヴァレガロを屋敷に呼び出した。ヴァレガロとローザが街の外れの小さな家に住むことになったので、ローザを新居へ移すという理由で。
――目を覚ましたらローザは驚くだろうな。
目覚めたら全てがなくなっているのだから。
でもあの頃の私なら、ヴァレガロがいれば問題ないだろうけど。
「今まで本当にありがとう」
前を歩いていたヴァレガロが、突然立ち止まり振り向いた。
「礼には及びません」
ヴァレガロは小さく頷いてまた歩き出した。
結局、ヴァレガロは私がローザだと気づいていない。私もそれでいいと思っている。
――だって、私はもう別人だから。
私の今の心は凪いでいる。
私がどこへ行くのかわからないけれど、なるようにしかならない。
ふと、花瓶に目をやる。
以前と同じ白百合の花が活けられていた。
――そういえば、ナディアは白百合を見るたびにローザを思い出してやり直しを願っていた。
「無垢なローザだけ、身体に戻ったらいい」
私も願いを口にしてみる。
花瓶の白百合が、静かに揺れた。
《願いを、叶えるわ》
頭に声が響き、驚いて辺りを見回していると、ローザの部屋からヴァレガロの歓喜の声が響いた。
「ローザ! ああなんて奇跡だ!」
「……ヴァレガロさま……ずっと貴方の声が聴こえていました……貴方の声が希望でした……」
二人の抱擁を見届ける。
ようやく気持ちにけじめがついた気がした。
「さてと、ナディア? いるんでしょ」
残った問題は私とナディア。
「いいかげん、でてきなさいよ。私はもう疲れたから休みたいの」
意識の底から、窺うように覗く目。
目を閉じれば縮こまって座るナディアの姿が見えた。
「全部終わったから、代わってよ」
――居た堪れない気持ちはわかる。
どの面下げて私の前に出ればいいかわからないのもわかる。
でも、この身体で生きるのはあなたの役目で、私はもう燃え尽きた状態なの。
『でも』
「あなたの望むようにやり直した。これからは好きなように生きられる。私はあなたの人生を生きるなんてごめんだから」
逡巡するナディアに私は最後の選択をさせる。
「あなたの贖罪は、ただの丸投げ。だから私もお返ししてあげる。この歪んだ私を受け入れて生き直すか、そこに沈んだまま出てこないか、選んで」
ナディアは心の底から泣いて、私を受け入れた。
これが最適解?
さあね。
ナディアみたいな弱い子に私の人生が耐えられるかわからないけど、耐えられないならまたそのときは私が生きるだけ。
生きていれば楽しいこともあるし。
自分でも正直、読みにくいかもしれないなぁ…と思いながら書いたので、最後まで読んでくださった方、本当にありがとうございました。