ただいま、家具たち (キービジュアル挿絵有)
夜9時半。
駅前のコンビニで弁当と割引のお惣菜を買い、俺は少し重たくなった肩を回しながら、アパートの階段を上った。
古びた2階建て、2階の一番奥の部屋。
いつも通り、少し錆びたドアノブを回すと──ガチャリ、と聞き慣れた音がした。
「……ただいま」
つぶやく声は、小さく部屋の中に吸い込まれる。
狭い6畳ワンルーム、テーブルの上には朝の食べかけのパンの袋、散らかった漫画雑誌。
床には脱ぎ捨てたシャツが置きっぱなしで、奥の布団も畳まずそのまま。
少し湿った空気と、かすかに冷めたコンビニ弁当の匂い。
「あー……片付けなきゃな……」
そう思いつつも、重い体をソファ代わりの椅子に預けようとした──その瞬間。
「──っ……!」
座る寸前で、何かが視界に飛び込んできた。
椅子に──人影がいた。
「……え?」
思わず声が漏れる。
見上げた視線の先、そこには──少女がいた。
小柄で、柔らかな金色の髪が肩にかかり、頬を赤らめた表情で俺を見上げていた。
しかも、ただの少女じゃない。
服装はどこかメイド服のようで、膝の上にはクッションを抱えて、小さく震えていた。
その背後には──俺の椅子があったはずの場所。
「……ご、ご主人様? おかえりなさい……」
か細い声が、耳に届いた。
息を呑む。
視線を巡らせると、他にもいた。
ベッドの上で、無防備に横たわる女の子。
キッチンの前で、エプロン姿の女の子が微笑んでいる。
本棚の横で、無言でこちらを見つめる少女──。
「は……? な、何これ、え、え?」
言葉が出ない。
頭が混乱する。
疲れのせいで幻覚でも見ているのかと疑ったが、いや、そんな生々しい息遣いの幻覚があるわけがない。
だって、目の前で、金髪の少女が小さく息を吐き、胸元を押さえているのだから。
「ほんとに……お帰りなさい、なの……」
声が震え、潤んだ瞳がこちらを見上げてくる。
──その瞬間。
部屋全体が、薄く光を帯びた。
空気が震え、重低音のような響きが耳を打つ。
天井から、低く重い声が降りてきた。
「余波の宿主よ──」
金属の擦れるような、荘厳な声。
鼓膜ではなく、脳に直接響いてくる感覚。
「我はかつて、星骸戦域にて破滅の魔王デス=グランギルドと相対し、そして散った神エル=シアリオン。」
「滅びの残響は時空を超え、この座標に流れ着いた。」
「汝の部屋は、『残響の楔』として選ばれ、祈念継承体たちは、その器として目覚めた。」
「……我が役目はここまでだ。あとは、託す。」
その言葉を最後に、光も声も、すっと消えた。
部屋には、いつもの薄暗い電灯の明かりが戻り、ただ俺と、見知らぬ少女たちが残された。
「…………」
時計の針の音が、妙に大きく聞こえる。
手にはコンビニの袋。
肩にかかったリュック。
靴は脱ぎっぱなしで玄関に転がり、散らかった床には脱ぎ捨てたシャツとパンの袋。
普通の生活の匂いが、俺の鼻をかすめた。
そんな中で、見知らぬ少女たちが俺を見つめていた。
誰もが、何かを言いたげに、小さく不安そうに震えている。
さっきの金髪の子が、恐る恐る口を開いた。
「ご主人様……私たち……これから……どうしたら……いいの?」
小さな声が、部屋の空気を震わせた。
俺の頭は真っ白で、何も答えられなかった。
ただ、胸の奥で──何かがドクン、と強く跳ねた。
日常と非日常が、静かに交錯する音がした。