6話 強さと弱さ
訓練ブロックF、第七試験区画。
白い光が反射する鏡面のような床に、二体の練習機が並ぶ。
その隣、二人のパイロットが向き合っていた。
「準備はいいか、ノエル。」
静まり返った訓練フィールドに、シオンの落ち着いた声が響いた。
ノエルは真新しい訓練機のコックピットに座り、ぎこちなく操縦桿を握る。
「うん……わかった」
ヘルメット越しにも、ノエルの緊張が伝わってきた。
シオンは苦笑し、通信チャンネルを開く。
「安心しろ。初めは誰だってそうだ。ただし、教えるからには容赦はしない。」
フィールドに仮想障害物が生成され、空間が一気に戦闘モードへと切り替わった。
「まずは基本だ。――AIを、ちゃんと“使え”。」
「使う……?」
ノエルはきょとんとした声を返す。
シオンはヴァルティスを軽く前進させながら、言葉を重ねた。
「俺たちの脳じゃ、機体の全部を同時に動かすなんて無理だ。だから、GPUで思考を並列処理して、脳波から意図を拾い上げて、それをCPUで統括する。あとはAIが、その意図を汲み取って最適行動を選ぶ。」
「……だから、考えたことが、すぐ動くんだ。」
「そうだ。だが逆に言えば――考えが曖昧だと、AIは迷う。」
シオンは一瞬、ヴァルティスをスパッと回転させた。機体は淀みなく、意志に合わせて動く。
「意図はクリアに。命令はシンプルに。」
「うん……わかった!」
ノエルの機体が、少しぎこちなく動き始める。
シオンは通信越しに微笑んだ。
「いいぞ。じゃあ――いく。」
次の瞬間、シオンのヴァルティスが加速した。
「っ――速いっ!」
ノエルは慌てて機体を構えるが、シオンの攻撃はすでに脇をすり抜けていた。
「ノエル、今、どこを意識した?」
「えっと……前だけ。」
「それじゃダメだ。意識を広げろ。敵だけを見るな、空間ごと読め。」
シオンは刹那、ノエルの背後へ跳んだ。
だが、ノエルもぎこちなく反応し、回避する。
「――いい反応だ。でも、今のはAI補助が助けたな。」
「わかるの……?」
「ああ。AIコントロールの割合で分かる。今、お前のAI補助率は30%だろ。」
「そう……言われた通り、設定してある……!」
ノエルは必死に応えた。
シオンは軽く息を吐く。
「覚えとけ。補助率を上げれば機体は強くなる。だが、その分だけ“自分の意志”は薄れる。」
シオンの声が、少しだけ硬くなった。
「ヴァルティスは……俺が意志を捨てた時、トールに全てを持っていかれる。」
ノエルは小さく息をのんだ。
その間にも、ヴァルティスは回避と攻撃を織り交ぜながら、ノエルを確実に追い詰めていく。
「だから、ノエル。
AIと戦うんじゃない。AIを――導くんだ。」
「導く……?」
「お前自身の意志が、道を作る。AIはそれに従う。それが“適合”だ。」
シオンのヴァルティスが、ノエルの機体をぎりぎりのところで止めた。
レーダーには「HIT」の判定が表示される。
「……終了だ。」
フィールドに静寂が戻った。
ノエルは、前髪をかき上げながら肩で息をしていた。
シオンも機体を降り、彼女の前に立った。
「よく頑張った。今日の目的は、AIとの“共存”を感じることだった。」
ノエルは小さくうなずく。
「私……もっと上手くなりたい。シオンみたいに。」
シオンは、どこか遠い目をしながら、軽く頭を撫でた。
「焦るな。お前には、まだ時間がある。」
その声には、誰にも言えない深い傷の匂いがあった。
訓練が終わったあと、フィールドは静まり返っていた。
仮想戦闘モードの灯りも消え、広い空間に二人の呼吸だけが残る。
ノエルは前髪を整え、額に滲む汗を拭った。
頬は赤らみ、まだ興奮が冷めきらない様子だった。
「……ありがとう、シオン。」
小さな声で、しかし確かに、ノエルはそう言った。
シオンはヴァルティスを降り、ノエルの方を見た。
一瞬、何か言いかけたが、喉元で飲み込む。
代わりに、
「よく頑張ったな。」
そう一言だけ、静かに言った。
ノエルは嬉しそうに微笑み、ぺこりと頭を下げた。
それから、まるで抱える荷物をそっと下ろすように、フィールドを後にする。
シオンはその背中を見送りながら、仮想空間に取り残されたような感覚に襲われた。
『シオン。』
トールが話しかけてくる。
『精神パラメータ、平均値に回復。自律神経の乱れも安定化傾向にあります。』
「……だから、なんだ。」
シオンはタオルを片手に、ゆっくりとフィールドを歩いた。
誰もいない、人工の夜空の下。
『君の“自己同一性”は、戦闘によって維持されている。』
「……皮肉だな。」
シオンは苦く笑った。
守りたいと思ったもののために、破壊を繰り返さなければならない現実。
そして、勝ち続けなければ居場所すら失う、この世界。
『シオン。君は、何を恐れている?』
トールの声は、あまりに機械的で、だからこそ鋭かった。
シオンはしばらく答えなかった。
ただ、暗い天井を見上げた。
「……もう、失うのは嫌なんだよ。」
誰にも届かない声だった。
『それを回避する手段は、ただひとつ。』
『勝ち続けること。』
トールは冷徹に告げる。
「わかってる。」
シオンは呟き、拳をぎゅっと握った。
どれだけ傷つこうと、迷おうと、
――勝たなければ、守れない。
たとえその代償に、自分自身がすり減ろうとも。
ヴァルティスの艶やかな装甲に、シオンの影が滲んで映っていた。
そして、静かに夜は更けていった。
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