5話 元クラスメイト
シオン・ハートランド
通称:レクイエム
搭乗機体:ヴァルティス
カーストランク:16位(フロントライン枠)
【解説】
AI「ジュディキウム・ベナトール」の適合者。
隠された実力が徐々に明らかになりつつあり、注目を集めている。
現在のところ無敗を誇るが、その戦いぶりはAIに依存していると評されることも多い。
ここから先、パイロット自身の真の実力が試されることになるであろう。
◇◇◇
シオンは、自室のソファに深く身を沈めていた。
手元の端末には、次々と流れてくるニュースの速報。
──ビーク・アブー社、崩壊。
──ノースヘイム社・新星“レクイエム”、世界に名を轟かす。
──若きパイロット、巨大要塞を単機撃破。
──ベナトール、未知なる力の片鱗。
「……はぁ。」
シオンは重く息を吐いた。
どのニュースも、どの解説も、今や自分のことばかりだった。
英雄として讃える声。
偶像として祭り上げる声。
だがその裏には、明らかな“警戒”と“畏怖”が混じっていた。
『シオン、ストレスレベルが再上昇しています。』
静かに告げるトールの声が、室内に響いた。
「仕方ないよな……。こんなの、慣れるわけないだろ。」
シオンは自嘲するように笑った。
窓の外。
街を走る広告ビジョンにも、ビルボードにも、ニュースチャンネルにも――自分の姿が映っている。
ただ歩くだけで、ただ存在するだけで、世界中から“期待”と“恐れ”を注がれる日々が始まったのだ。
かつて、自分が憧れていた“ヒーロー”は、こんな世界に立っていたのだろうか。
そう思うと、胸の奥がずきりと痛んだ。
「……逃げるわけには、いかないけどさ。」
誰にともなく呟いたその言葉は、誰よりも自分自身に向けたものだった。
『承認。目標設定:前進継続。』
トールの声が、どこか優しく聞こえた。
シオンは立ち上がった。
まだ、始まったばかりだ。
背負ったものを、決して取りこぼさないために。
ノースヘイム社・特別ブリーフィングルーム。
白を基調とした静かな空間に、セナの白衣がよく映えていた。
「――ノエルの育成を、君に任せたい。」
セナは端的に告げた。
シオンは言葉を失った。
思わず、目を伏せる。
ノエル。
あの無垢な、そしてどこか痛々しい少女の姿が、頭に浮かぶ。
「……オレが、育成を……?」
掠れるような声で、シオンは問い返した。
セナは頷く。
「ノエルは今、ノースヘイム社の育成プログラムで鍛え直している。しかし、彼女には足りないものがある。それを埋めるためには、君の存在が必要だ。」
あの無表情。
無垢であるがゆえに、まるでAIのような存在。
戦うことしか知らない少女。
笑い方も、泣き方も、知らなかった。
アカデミーで共に過ごした、短くも濃い日々。
だが、あれはただの偶然ではなかった。
彼女は――監視役だったのだ。
(……オレを、監視するために。)
それでも、ノエルは確かに、そこにいた。
自分の隣で、共に学んだ。
「……考えさせてくれ。」
震える心を押し殺すように、シオンは言った。
セナは、静かに、しかし揺るがない声で告げる。
「ノエルには、君しかいない。」
その言葉は、胸に深く突き刺さった。
自分自身が、ノエルと同じように、どこか世界に居場所を見つけられなかったことを思い出させる。
シオンは深く目を閉じた。
過去の傷と向き合うように、ゆっくりと。
そして、覚悟を決めたように、目を開く。
「……わかった。オレが、ノエルを育てる。」
静かな決意が、シオンの声に宿っていた。
セナは微かに笑みを浮かべると、端末に指示を入力する。
「すぐに、ノエルをここに呼ぼう。」
扉の向こうで、かすかな足音が近づいてくる。
あの日と同じ、あのままの――ノエルが、シオンの前に現れようとしていた。
扉が静かに開いた。
そこに立っていたのは、小柄な少女。
ピンク色の髪をツインテールにし、軍服のような端正な制服に身を包んでいる。
無表情。
だが、その瞳の奥には、微かに揺れるものがあった。
「――シオン。」
彼女はただ、それだけを言った。
シオンの胸が、音を立てて鳴った。
懐かしい響き。けれど、痛みを伴う。
「……久しぶりだな、ノエル。」
努めて平静を装いながら、シオンは言葉を返す。
ノエルは一歩、静かに歩み寄った。
その仕草には、どこか迷いが見える。
「育成対象、ノエル。シオンの指示を仰ぎます。」
機械のような、硬い声。
(……変わってないな。)
シオンは胸の奥で苦笑した。
変わっていない。
戦うためだけに育てられた、孤独な兵士のまま。
だが、同時に――シオンには分かっていた。
この声の裏に、僅かに震える、"別の感情"が隠されていることを。
シオンはゆっくりと手を差し伸べた。
そして、できるだけ優しい声で言った。
「まずは、ゆっくり話そう。な?」
ノエルは一瞬、戸惑ったように目を見開いた。
けれど、すぐに小さく頷く。
セナは無言で二人を見守っていた。
そこに言葉はいらない。
これは、二人だけの、新しい"始まり"だった。
シオンはノエルを連れて、社内のカフェに向かった。
最上階に設けられたその空間は、巨大なガラス窓越しに都市の景色を見渡せる特別な場所だった。
席に着き、テーブルを挟んで向かい合う。
ノエルはきょとんとした表情で、落ち着かない様子を隠そうともしない。
「……好きなもの、頼んでいいんだぞ。」
シオンがメニューを差し出すと、ノエルはじっとそれを見つめた。
ページをめくりながら、何かを探すように目を走らせる。
やがて、ふと手を止めた。
「これ……チョコレートパフェ。」
ノエルが選んだのは、チョコレートパフェだった。
それは、かつて初めてシオンがノエルに――アカデミーに視察に来た時、彼女に勧めたものだった。
ほんの短い時間だったが、あの一瞬だけは、ノエルの世界に「甘いもの」という温もりをもたらした。
(……覚えてたのか。)
シオンは胸の奥がじんとするのを感じた。
二人は幼い頃から共に育ったわけではない。
一緒に戦ったこともない。
だが、その一瞬の記憶だけが、確かに二人を繋いでいた。
食事が運ばれる間も、ノエルは静かに窓の外を見つめていた。
どこか、戦うことしか知らない兵士らしい、無垢で孤独な背中だった。
シオンはそっと声をかける。
「これからは……一緒に進もう。ノエル。」
ノエルは、言葉の意味をすぐには理解できなかったのか、一瞬だけ瞬きをした。
そして、ほんのわずかに、表情を緩めた。
目の前に置かれたパフェにスプーンを差し込みながら、ノエルは小さくつぶやく。
「……また、シオンと……会えて、よかった。」
ノエルが小さくつぶやいた後、ふと顔を上げる。
そして、まっすぐシオンを見つめながら、ぽつりと尋ねた。
「プリン……フラワは、いないの?」
その瞬間、シオンの胸に激しい痛みが走った。
過去の記憶が、嵐のように脳裏をかき乱す。
焦げつくような戦場の光景。
響く断末魔。
守れなかった少女の笑顔。
喉が詰まり、何も言葉が出てこなかった。
拳を、テーブルの下でぎゅっと握りしめる。
そのまま、ぐらりと視界が歪みそうになるが――シオンは必死にこらえた。
(……今、取り乱すわけにはいかない。)
ノエルに、不安を与えるわけにはいかなかった。
無理に笑みを作り、何でもないような顔で答える。
「……ああ。フラワは、いない。今は別の道を歩いてる。」
かすかに震える声を押し殺しながら、シオンは言った。
ノエルはそれ以上は何も尋ねず、静かにパフェを口に運んでいた。
シオンも、それ以上何も言わず、ただ窓の外の景色を眺めた。
都市のネオンが、やけに滲んで見えたのは、気のせいではなかった。
こうして、二人の最初の夜は、静かに、静かに過ぎていった。
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