1.酒は飲んでも飲まれるな
まずは状況を整理しましょう。
そのいち。
昨日、私、立花里依紗は職場の先輩へ告白して玉砕。
居酒屋でやけ酒を飲んで泥酔していました。
そのに。
今、私の目の前には見覚えのない天井が視界いっぱいに広がっています。
そのさん。
どうやら私は服を着ていないようです。
そのよん。
隣に、知らない男が裸で寝ています。
あ、これ、私やらかした?とか思うじゃない?
でもね、私ももういいオトナだからさ。
仮にそんなことがあったとして、驚きはしても、失敗したなーって思ってそっと立ち去るくらいの余裕は見せたいわけよ?
でもさ、これはさすがにさって思うわけよ?
「……どゆこと?」
隣ですやすやと眠る男がわずかに身じろぐと、その頬に日本人ではありえない深い翡翠のような色合いの髪の束が一房、零れ落ちる。
最近は色々な髪色に染めた若者をよく見かけるけれど、朝陽に透けてキラキラと輝く男のそれは染色したようには見えなかった。
部屋の中にも違和感がある。
テーブルや椅子は一般的な成人男性の個人宅に置かれたものにしては妙にアンティーク調だし、無造作に置かれた本の装丁は、見たこともないような造りのもので、その辺の本屋に売っている類のものではない。書かれている文字は外国語のように見えるけれど「どこかで見たことある」という既視感すら覚えられない文字列だ。
それに、脱ぎ散らかされた衣服の中には昨晩自身が着ていたと思しきスーツと、もう1組、隣の男のものであろう服があるものの、それは私の常識の範囲内で成人男性が着ている服装にはおよそ当てはまらない。
コートというか、ローブとでもいうか、ファンタジーな世界の神官様とかが着ていそうな衣装に見える。
そう、視界に入るもの全てが現実離れしてる。
「……え、私、転生でもした?」
最近の流行りだもんね、なんて口にしてみるけど、そんな馬鹿なね。
とりあえず、現在地を確認して早々に退散しなくては。
スマホを探すためにそろりと薄い絹地のような布団から右脚を出す。
少しひんやりとした冷気が肌を撫でた。
まだ残暑厳しい9月初旬だったと記憶しているが、今は気にしないでおこう。
違和感を無視しながら、続けて左脚をと体をひねったところで不意に私の華麗な退散は阻まれてしまう。
「どこへ行く気かな」
特別高くもなく、低くもない、バリトンボイスが私に向けられる。
ギギ……と音でもしそうなぎこちなさで後ろを振り向くと、先ほどまで寝息を立てていた男がベッドの上に頬杖をついて、私の左手首を掴んでいる。
肩のあたりで切りそろえられた少し長めの翡翠色の髪。
瞳の色は金色のようにも見える深い琥珀。
先ほどは布団に隠れて見えなかったが、程よく筋肉のついた均整の取れた身体の右胸のあたりには魔法陣のような文様が彫られ……いや、浮かんでいるように見える。
どう見ても日本人ではない、というか、地球上にこんな容姿の民族がいるとは思えない。
「どこへ行く気だ、と聞いているんだけど?」
バリトンの心地よい声がもう1度私に向けられる。
「えぇっと……」
どう答えていいか分からずに逡巡していると、男がゆっくりと体を起こした。
気だるげな動きが、無駄に色気を醸し出している。
ごく、と喉が鳴った。
琥珀色の視線に絡められて身動きが取れずにいると、私の手首を掴んでいた指がするりと離れ、今度は背中から首へと這い上がってきて、ぞわりと肌が粟立つ。
「ちょ、ちょっと」
「答えてくれないなら、体に聞こうか?」
「いや、待って待って…!」
「昨日はあんなに情熱的だったというのに、随分つれない態度だね」
「じょ、じょうねつてき……?」
……そんな記憶は一切ございませんが。
「まさかとは思うけど……覚えてないとは言わないよね?」
しばしの沈黙の後、小さな声で絞り出した謝罪には、盛大なため息が重なった。
*
ひとまず落ち着かせてほしいとお願いして、私たちはお互いに服を着て、ベッドからテーブルへと移動し、向かいあって席についた。
ふう、と男は深めの嘆息。
「まず、僕の名前はフェルド。フェルド・ガラン。君をここへ呼び出した張本人だ」
「フェル……ド?」
「そう。昨晩も自己紹介はしたつもりだけどね」
ちくりと嫌味が刺さる。
「……そういえば、君の名前を聞いていなかったね聖女様」
「せ、せいじょ……!?」
ああ、なるほど。
“呼び出す”、“聖女”となると、これは転生モノではなく召喚モノってことね。
普通なら頭を抱えて混乱する場面だけれど、以前読んでいたラノベ知識がどうにか私の正気を保たせてくれている。
でも、
「普通、聖女の召喚って王城の特別な部屋とかで行われるものじゃないの…?」
「へぇ……どうしてそんなことを知ってるの?」
机の上に頬杖をついたフェルドは首を傾げて流し目をこちらに向けてくる。
……いちいち色っぽいな。
「どうしてというか、なんとなく、そういうもんなんだと思って」
日本の一人暮らしの家よりは十分に広いし立派だけど、ここはどう見ても王城という雰囲気ではない。
異世界の聖女の召喚なんて大層な魔法、一般市民が使えてたらそこら中に異世界人が溢れかえってしまうと思うんだけど。
「まぁ、あながち間違ってないよ」
指に絡ませた毛先をくるくると弄びながらフェルドは答える。
だから、いちいち色っぽいんだって。
「この国で異世界人の召喚魔法を使えるのはつい数日前に謹慎をくらった王城付きの宮廷魔術師だけだと思う」
「だけ?」
「そう」
フェルドの口の端が、私の反応を楽しむように意地悪く持ち上がる。
「つまり、僕だけってことだね」