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さらば、我が平穏な日々よ  作者: 亜利人
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第四話 理不尽だ

 僕は彼女が言ったことを頭の中で咀嚼するように反芻する。『その逆だから怒ってるのよ』、と彼女が強い口調で口にした言葉は、僕が今一番確信を持ちたくない事柄に対する答えとなるのだろうか。話の筋道から言えば、たぶんそうなるということは僕も分かっているけれど……。でも、椎葉から携帯番号を教えてもらったということに、それほど不愉快な要素や怒る要素があるとはとても思えない。もしかして、椎葉だから不愉快なのか? それだったら男と女の関係だから何かいざこざがあった可能性はおおいに考えられる。

 「ちくしょう、頭が痛くなる……」

 僕は吐き捨てるように呟いた。

 『まあ、彼女が怒るのも無理はないさ。もっとオブラートで包んだような言葉で聞かないと』

 椎葉がノートにすばやく書く。

 「椎葉さん、僕たちのやり取りを全部聞いてたの? というより僕はノートに思ったことを書かないといけないんじゃないの?」

 僕は小首を傾げながら言った。

 『君はしゃべれるんだからそんなことはしなくてもいいよ。それに僕は、嗅覚、視覚、痛覚、味覚などに関しては君と共有しているからね。左腕以外を動かせないのが残念だけど』

 そうだったのか……。ノートにいちいち書き込まなくていいのは都合がいいが、素直に喜べることではない。

 「聞いていたなら、なおさらどういうことなのか教えて欲しいんだけど」

 『君は多分こう思っているだろう。彼女は君が僕の名前を口にしたとたん不愉快だと怒り出した。でも、彼女は僕のことを知っている。だったら、怒る必要はないじゃないか、と』

 椎葉が筆記した文字に目を通し、「大体当たっている」と僕は左頬を掻きながら言った。色々なことがありすぎて、左頬を殴られたことをすっかり忘れていた。いまとなってはたいして重要なことではないが。例えるならば、顔に槍を刺された人が数分前に足を蹴られたことを気にしないのと似ている。

 僕は何を考えているんだ。

 『君には悪いけれど、僕はそのことについて詳しく説明することはできない』

 椎葉が記述する文字には迷いというものがまったく見受けられない。だから、すらすらと書けるのかもしれない。僕は憤りを覚えた。椎葉がこのことに対してなにも説明しないのは、あまりにも理不尽すぎるだろう。僕が二ヶ月ほど前に読んだ小説に、『世の中の大半は理不尽なことだ』とすごく運の悪い登場人物が熱心に説いていた場面があったけれど、まさにその通りだと思う。ただ、その登場人物は、『理不尽なことをすんなりと受け入れてはいけない』とも言った。 僕は彼女との会話の中で椎葉が僕の別の人格という考え方は捨てたが、彼女がどうして怒ったのかその理由を知りたい。きっと、重要な何かが隠されている。

 「椎葉さん、僕はそれだけの言葉ではまったく納得いかない。僕の左腕が元通りになるのなら話しは別だけど。でも、それは無理ですよね。だったら、彼女がなぜあんなことを言ったのか教えてください。ひっかかるんですよ」

 僕は悪いことをした生徒を説教する先生のように穏やかで、それでいて威厳がある口調を心がけた。

 『いずれそのことについては話そうと思っている。でも、今、彼女が話したことの本質を君が知ったら、君はもっと困惑することになる。これ以上、混乱することを増やすのは好ましくないんだ。どうしてもというならば、ヒントぐらいならあげられる。それで勘弁してくれないかな?』

 僕はもっときつい言葉で、はねかえされると思っていたので口をぽかんと開けた。さぞ、まぬけな顔をしているだろう。頭を振り、椎葉が書いた文字をもう一度読み返してみる。結論から言えば、椎葉は僕に彼女が話したことの本質を教えたくないと思っている。そして、それは僕がこれ以上混乱しないためらしい……。僕はその次のヒントという言葉が妙に気なった。僕を混乱させたくないのならヒントも書いてはいけないじゃないか。それでは矛盾する。

 「わかったよ。僕もやっかいな話はもう聞きたくないから、またの機会にする」

 『そういってもらえると嬉しいよ。でも、やっかいなことはこれからも当分のあいだ続きそうだ。僕が君に彼女が言ったことを説明しないのはそのことがあるからなんだ』

 「やっかいなことが起こりそうって、それは椎葉さんの直感?」

 『みたいなものだね』

 僕は唇にできた無痛性口内炎を軽く噛みながら、椎葉が書いた文字を見つめる。これ以上なにかやっかいなことがあったら、僕の頭は本当に容量をオーバーしてしまう。……いや、違う。正しくはそう思いたいと感じているだけだ。それは僕がこの状況を楽しんでいるのではないかと気づき始めたからだろう。僕がひきこもりになった原因を簡単に説明すれば、毎日毎日同じことの繰り返しで、嫌気が差したからというものだ。けれど、今の状況はどうだろうか? あまりいい展開とはいえないが今までとはあきらかに違う。駄目だ。こんなことを考えてはいけない。

 僕は頭を激しく振った。

 「でもさ、直感は直感だから根拠はないんだよね?」

 『いや、ちょっと言葉の選び方を間違えた。ちゃんと、根拠はある。ほら、さっきおっさんがやってきたじゃないか。その時の場面を思い出してみなよ。おかなしな所がたくさんある』

 おっさんというのは宅配員の人だろう。僕は椎葉の記述した通り、あの時の場面を思い浮かべたが僕の左腕を見て忠告(?)したこと以外はこれといって思い当たるものはなかった。

 「えっと、宅配員が僕に忠告(?)をしたことぐらいしか思いつかないんだけど」

 『ああ、そうか。あの時、僕はずっと暴れていたからね。君には申し訳ないことをした。動くとわかったら色々と試したくなってね。それに痛覚を君と共有しているから痛みというものを久しぶりに感じたくなったんだ』

 痛みを久しぶりに感じたくなったとはどういうことだろうか、と僕は疑問に思った。でも、それなら僕だって疼痛を感じたのは二ヶ月ぶりだ。この質問は保留しよう。

 「まあ、それはいいけどさ。終わったことだし」

 気にしていたら僕は無気力状態になるから、とは言わないでおいた。

 『ありがとう。じゃあ、話を戻すけどあのおっさんのおかしい所というのは三つある。一つ目は伝票に君がサインをする前におっさんは帰ってしまった。これはあきらかに変だ。普通、宅配員というのはちゃんと仕事をしました、という証拠として君がサインをした伝票を持っていかなければならない。だから、彼はきっと宅配員ではないだろう。これが二つ目だね』

 椎葉はそれだけ筆跡すると手を止めた。そして時間を掛けて、『君は彼の指先を見たかい?』と椎葉が僕に尋ねる。僕は、「見ていない」と右手を振ってジェスチャーした。

 『彼の指先にはわずかだけれど、血痕が付いていたんだ』



 




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