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さらば、我が平穏な日々よ  作者: 亜利人
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第三話 ちくしょう

 僕はひきつった笑みを浮かべながら、荷物に貼ってある伝票を引きちぎった。そして、くしゃくしゃに丸めてポケットの中に入れる。荷物をどこに置こうか少し迷ったあげく、リビングの机の上に置くことにした。僕は自室に戻り、学習机の棚の上から一冊のノートを取り出す。五ページほどしか使用していない比較的新しいノートだ。まさか、こういった形でこのノートを使うことになるとは思ってもみなかった。

 僕はこれから何が起こるのか少しだけ空想し、興奮と恐怖が入り混じった気持ちになる。こういった気持ちになるのは久しぶりだ。中学生の頃は近所の心霊スポットに友人とよく足を運んでいたので、そういった気持ちになることはさほど珍しくなかったのだ。この状況で興奮と恐怖を同時に感じるのは場違いな気もするけれど、なんせこういった経験は生まれて初めてだ。どういう反応をすればいいのかさっぱり分からない。さっきから分からないことばかりだ、と僕は思う。

 椅子に腰掛けながら僕はノートを開く。あとは上下に動いている左手が文字を書き込むのを待つだけだ。

 左腕が動きを止めた。

 『ありがとう。ノートを用意してくれたのか。チラシの裏だとばかり思っていたから嬉しいよ。いい意味で裏切られたね。さっそくだけど、今から君が疑問に思っていることに対して答えよう。そうしないことには君の頭は要領をオーバーしてしまうからね。質問タイムだ』

 字数のわりには書き終わるのが早い。僕はすらすらと連なった小気味好い文字を何回も読み返した。さっきよりも字が数段と綺麗になっている。というよりこれは書道家と同じくらいの筆跡と言っても過言じゃないだろう。まったく妙なものだ。僕は質問したいことを一つに絞り上げようとする。しかし、次から次へと聞きたいことが浮かび上がり、とてもじゃないが一つにまとめることはできない。都合のいいことに左手は一つしか質問してはいけないとは書いていないので、このさい手当たりしだい問いかけることにしようか。僕にはその権利があるよな、と自問自答する。もちろん、答えはイエスだ。

 学習机の引き出しの中から芯が尖った鉛筆を一本取り出す。芯の先端に僕は親指を乗せ、軽く圧力をかけてみる。針で刺したような痛みが走った。やっぱり夢を見ているわけではないようだ。

 さて、一番知りたいことから順に書くとしよう。

 『質問をする場を作ってくれて有難うございます。あなたの言うとおり僕はこのままではどうかしてしまいそうです。だから、失礼とは存じますが、僕の思っていることを書かせてもらいます。僕はあなたが別の人格ではないかと思うのです。多重人格というやつで、虐待や精神的な苦痛から自我を守るために別の人格を作るわけです。僕は精神的な面で言うとそうなってもおかしくないと思います。ただ、多重人格というのは左腕だけが勝手に動ごいて顔面を殴ったり、文字を書くというものではないです。それに別の人格が現れている時は僕の人格がこうして表に出てくることはありません。そういった前例はないからです。しかし、前例がないのなら作ればいいだけの話です。僕はこのように考えているのですがどうですかね?』

 僕は指でなぞればすぐに消えてしまうような文字を何回も見直し、意味が通じるかどうか確認する。少しでも僕の言わんとすることを分かってくれたらそれでいい。それにしても、予想以上に時間が掛かってしまった。左手もボールペンを上下に振るのをいつの間にかやめていて、今は器用にペンを指の間でもて遊んでいる。しばらくの間、その様子を見守っていると左手が動きを止め、ノートに文字を綴り始めた。

 『ああ、多重人格か。うん、そう考えるのは決しておかしなことじゃない。でも、悪いけれど僕は君が生み出した人格ではない。僕は君と同じように生きている人間だ。色々あって君の左腕を僕が支配することになっているけどね。まあ、僕が君と同じように生きている人間ということを証明するのは簡単だ。実に手っ取り早い方法がある。君が敬語を使うことをやめるのなら今すぐ実行しよう。それとあなたというのはやめてくれないかな。照れるし、僕の名前は椎葉だから。よろしく、祐樹君』

 左腕……いや、椎葉と言ったほうがいいのだろうか。僕は椎葉がなぜ僕の名前を知っているのだ、と唖然としたが、よくよく考えてみればなんてことはない。椎葉が第二の人格だとしたら、僕の名前を知っているのは当然のことだ。

 ちくしょう、証明できるものならやってみろ。

 僕は左腕を睨みつけてやった。

 『じゃあ、椎葉さん。その手っ取り早い方法というやつを教えて欲しいんだけど』

 椎葉がノートに十一文字の数字を筆記した。この配列から見ると、どうやら携帯の電話番号のようだ。

 『ここに掛けろってこと?』

 僕が片方の眉をつりあげると、椎葉が、『電話の主に椎葉を知っているか? って聞いてみなよ』とそっけなく記述する。僕は椎葉自身が生きている人間ということを証明するとばかり思っていたので、意表をつかれた気分になった。でも、そのほうが僕にとっては理解しやすいし、信じざるを得ない。椎葉も少しは考慮している。僕は椎葉がどんなに筋が通ったことを書いたとしても使用しない気でいたのだ。しかし、電話に出た人物が椎葉の知人あるいは友人だとしたら、椎葉は僕と同じように生きている人間ということになる。めずらしい苗字なので、身近に同じ苗字の人が存在することはないだろう。

 深呼吸を三回ほどしてから、僕はテレビの上に置いてある携帯電話を手に取った。ずいぶん長い間、使っていないので契約を切られているかもしれない。その時は一階の電話機から掛けることにしよう。

 椎葉が筆記した電話番号を押し間違えの無いように慎重に入力し、発信する。電話特有の、「プルル」という音が耳に入ってくる。どうやら契約は切られていないようだ。五回目のコールで、「誰?」という女性の声がした。あまりいい気がしない口調だ。

 「岩井です」

 僕は消え入りそうな声で言った。

「あの、私の知っている人で岩井って子はひとりもいないんだけど……。誰かに電話番号を教えてもらったの?」

 彼女が疑るような感じで僕に尋ねた。ここは椎葉から教えてもらったと正直に言ったほうがいいだろう。僕はそのために電話を掛けているのだから。

 「そうです。椎葉さんからここに掛けてみるように言われました」

 沈黙が流れる。

  僕は見当違いなことを言っているような気がした。

 「ねえ、からかってるの? はっきり言ってぜんぜん面白くないし、不愉快なだけだから」

 「えっと、それは椎葉さんのことを知らないから、ということですよね?」

 僕はうれしくなり、つい大きな声を出してしまった。

 「その逆だから怒ってるのよ。もう切るから。二度と掛けないで」

 通話が途絶えた。

 

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