43. 怒る友人(※sideライオネル)
(……ふむ。随分と浮かない顔だったな。よほど疲れているのか、それとも……)
挨拶に来て、すでに下がったグレース・エイヴリー侯爵令嬢の様子を思い返し、俺は疑問に思った。
夏の夜の晩餐会で出会った時、俺は一目で彼女に惚れた。
フィアベリーの王宮の中庭で、一息ついて花々をぼんやりと眺めている俺の目の前を、淡いエメラルドグリーンのドレスを着た美しい佇まいの女性が、ふわりと横切っていった。
暗がりの中静かにベンチに腰かけていた俺の存在に気付かなかったのだろう。一人になりたかった俺は、側近や護衛たちにも距離をとるよう指示してあった。
「……。」
俺はしばらく、彼女の美しさを堪能した。
艶やかに揺らめくパープルグレーの長い髪から、花々とはまた違った、蠱惑的で甘い香りが漂ってくる。真っ白な肌。整った横顔。意志の強そうな瞳は、深い紫色だった。
誰にも見られていないと思っているのだろうその女性の立ち姿は凜として美しく、思わず触れてみたいという衝動にかられた。
「こんばんは、お嬢さん。君も外の空気を吸いに?」
「っ!」
悪戯心から驚かせてみたくなり、俺はいきなり声をかけた。不意を突かれ、ハッと振り返った彼女の表情は幼くて、その可愛らしさにますます惹かれた。
それから引き留めてしばらく話をした。本来の目的は、元々不審に思っていた俺の婚約者の素行調査。そして、ロゼルア王国第二王子の妻となるに相応しい令嬢が他にいるのではないかと、その偵察も兼ねてのこの晩餐会への出席だった。俺の場合は。
そう。別に恋に落ちたというだけでグレース・エイヴリー侯爵令嬢を妻にしようなどと思ったわけではない。それとこれとは話が別だ。俺はロゼルアの王子。惚れた相手ならば馬鹿でも無教養でも娶っていいというわけではない。自分の気持ちなど二の次だ。立場に見合った相手を選ぶことは、俺の責務でもある。そのことは十二分に分かっていた。
だからこそほんの少し言葉を交わしただけで、彼女が品も教養もある賢い女性であることに気付いた俺は、心が躍った。ほう、侯爵家の娘か、しかもどうやらかなり優秀らしい。そう悟った俺は、婚約者であるミランダ・クランドール公爵令嬢の他に、このグレースのことも調べさせた。他の数人の候補者たちも同時に選抜しながら。
めぼしい令嬢は数人いたが、俺はやはり彼女がいいと思った。クランドール公爵家の次女は素行を改めるばかりか、ますますハメを外し愚行を重ねるばかり。非常に残念だが、あのような娘に王子妃は務まらない。
グレース・エイヴリーを妻に迎えよう。そう決断した。
俺の友人であるケインの実家、ベイツ公爵家の次男が彼女の婚約者であることはもちろん分かっていたが、構わない。どうせ互いの家の利益のための政略結婚だろう。ベイツ公爵家には、他にもちょうど良い相手がいるはずだ。むしろこの件で手を引かせれば、王家を介してより良い縁談を整えてもらうことも可能であろう。
「失礼いたします、殿下。ベイツ公爵令息が来られました」
ちょうどその時、そのベイツ公爵家の友人が俺を訪ねてやって来た。先触れが来ていたから、今日来ることは分かっていた。変わり者で天才肌で、面白い男だ。礼儀も何もなってないヤツだが、俺はこの男のことが無性に気に入っていた。
先ほどここを出たばかりのグレースとは会っただろうか。
「……よお、来たかケイン。研究は捗っているか?……っ、おっと、」
「っ!!な、何をする!!殿下から離れろ!!」
なんとあろうことか、ケインのやつは一目散にズカズカと俺のそばにやって来たかと思うと、突然俺の上に飛び乗り、胸ぐらを掴んできたのだ。護衛たちが一斉に殺気立つのを、俺は制した。
「あー、いい、いい。こいつのことは気にするな。ふざけてるだけだ。……おい、馬鹿、降りろ。首をはねられたいのか」
最後の言葉はケインにだけ聞こえるように小声で言い、俺は首元をがっちり掴んでいるその手を引き剥がそうとした。
すると、
「……何で……グレースちゃんなんだっ」
「……。……あ?」
(……グレースちゃん?)
呪詛のように不気味に呻くケインの口から、何やら聞き捨てならない言葉が聞こえた。
「今何て言った?お前」
「なっ、……何で、……エイヴリー侯爵令嬢なんだ。ほ、他にいるだろう、他に。いくらでも……っ」
「……。」
どうやら俺がエイヴリー侯爵令嬢を妃に迎えることが気にくわないらしい。一体どうしたというのか。
「……とにかくこの手を離して、落ち着いて話せよ。……何だ?お前。あの子に惚れてるのか?」
「ちっ!違うっ!ちがうぅっ!!」
「分かった分かった。……大丈夫だと言っている。武器を下ろして離れろ」
ケインを宥め、護衛たちを制し、忙しい。
どうにか手を離してくれたケインは、丸眼鏡の奥からあまり迫力のない顔で俺をキッと睨みつけながら、言葉を重ねる。
「……あの子は、絶対にダメだ。……レイモンドのものだ」
「……。……お前の弟か?」
「そっ!……そうだ。……ふ、二人は……、あ……あ……あ……」
「……?」
「あっ!あいっ!……愛しあっているんだっ!邪魔するな馬鹿野郎っ!!」
……えぇ?……マジで?
拳をぐっと握りしめ、プルプル震えながら俺を威嚇してくるケイン。それにじりじりとにじり寄りながら、武器を下ろす気配のない護衛たち。
「……はー……」
皺の寄った自分の眉間を揉みながら、俺は深い溜息をついた。




