33. 触れ合う心
私が行くからお前たちは食事を続けなさいと父は言い張り、食堂を出て応接間に行ってしまった。
「……っ、」
心臓がドクンドクンと大きく鳴り続ける。……き、来てくれたの……?わざわざ、こんな時間に……学園から、ここまで……?
……私を、追いかけて……?
何だか胸がいっぱいになり、もう食事なんか一口も喉を通らない。今、この屋敷にレイがいる。別に初めてのことでも何でもないのに、気が急いて仕方がない。早く応接間に行きたい私は、フォークを置いてそわそわしていた。
「……ふふ」
「っ?!」
笑い声にハッと顔を上げると、母がなんだかニヤァ、と笑いながら面白そうに言った。
「もう食事どころではないわよねぇ。おかしいと思ったわ。どこからどう見ても具合なんて悪そうじゃないんだもの、あなた。……ベイツ公爵令息と喧嘩でもして飛び出してきたの?ふふ」
「っ!!ちっ!……違いますわ、お母様!な、何を仰るんですの?!ですから……っ、わ、私はただ、ちょっと、月のもので体が……、それをお父様が強引に……っ」
しどろもどろで言い訳をすればするほど、顔がどんどん火照ってくる。
母はクスクスと笑いながら立ち上がった。
「はいはい。私もちょっと行ってくるわね。あなたは上に上がっていなさい。後でベイツ公爵令息にお部屋まで行ってもらうから」
「……っ、」
父よりはだいぶ冷静で客観的な母は、まるで全てをお見通しのようで、私は気恥ずかしさに俯いたまま食堂を後にして、部屋に戻ったのだった。
鏡を見ては髪を整え、コホ、と軽く咳払いをしては部屋の中をウロウロと行ったり来たりしていると、扉の向こうから低く落ち着いた声がかかった。
「グレース。……開けるぞ」
「……っ、え、ええ」
私が返事をするより少し早く、部屋の扉が開けられた。
「……っ、」
(……レイだ。本当に、レイだわ……)
その姿を見た途端、なぜだかますます鼓動が速くなる。
神妙な顔をしたレイは、私の部屋に入ってくるなりスタスタと私のそばに来たかと思うと、
「っ!」
その大きな手のひらで、私の頬にそっと触れた。
「……っ?!……っ?!」
「……よかった、無事だった……」
(……レイ……)
心底安心したようにそう呟くと、レイは私の手をとり、私をソファーに連れて行く。
そして私を優しくそっと座らせると、私の両手を握り、目の前に跪いた。
「……っ、レ、レイ……ッ」
「グレース、誤解を生むようなところを見せてしまって、本当に悪かった。……説明させてくれ」
「……。」
何で話を聞かないで逃げたんだ、とか、おい!いくら何でも実家にまで帰ることないだろう、とか、なんて感情的なんだ子どもかよお前、とか……。もっと責め立てたり馬鹿にされたりするかと思ったのに、レイはあくまでも真剣だった。
(やめてよ……、こっちが恥ずかしくなっちゃうじゃないの……)
この表情を見ているだけでもう、レイに何も後ろめたいことなんてないのが分かる。じわじわと胸に溢れる、レイのことを抱きしめたいような不思議な感情に、思わず手が震えそうになる。
「……正直、俺の口からは言えないことが多いんだ。俺が下手なことを口にすれば、セレスティア様に……、いや、クランドール公爵家に多大な迷惑をかけてしまう、ことに、なりかねないというか……」
「……。ええ」
何か大きな事情があることは、間違いなさそうだ。気になるといえば、たしかに気になるけれど……。でも、大丈夫。別にもう何も話してくれなくていい。
だって──────
「……レイ、ありがとう。もういいわ」
「……え?」
私の言葉に困惑するレイの手を、私も握り返した。
「……っ!」
「大丈夫よ。……あなたを信じてる。わざわざここまで来てくれて、ありがとう」
「……グレース……」
私を見上げて静かに呟くレイの声は掠れていた。
(なんだか、これじゃあまるで相思相愛の恋人同士みたいね。あなたを信じてる、だなんて……)
だけど、言わずにはいられなかった。
示してくれた誠意に、私も応えたかった。
互いに見つめあう私たちの目には、他の何も映ってはいなかった。私はただこのままずっと、レイのことだけを見つめていたかった。
「……グレース、……俺は……」
切なく瞳を揺らし、レイは手を伸ばすと、再び私の頬に触れる。そのままゆっくりと、レイが私に顔を近づけてきた。
(……え、……えっ?!)
緊張で体が強張り、心臓が狂ったようにドクドクと激しく音を立てる。
だけど、少しも嫌じゃない。
「……っ、」
(……レイ……)
レイに身を任せるように、私は彼を見つめたまま、震える睫毛をそっと伏せようとした。
その時だった。
「話は終わったかな?ん?!」
「っ?!」
「きゃあっ!!……お、お父様……っ!!」
私とレイは互いにすばやく手を離し、シュバッ!と距離をとった。
まるで割り込むように父が部屋に乱入してきたのだった。しっ……心臓が止まるからやめてよ……っ!!
「いやぁ、よかったよかった。ははは!こうして婚約者殿が見舞いに来てくれたわけだから、グレースの具合もきっとあっという間によくなるだろうな。はーっはっは!」
わざとらしく大きな声でそう言いながら、父はズカズカと私たちのそばまでやって来る。
「で?どうするかね?レイモンド君。今夜はうちに泊まっていくかい?もうすっかり遅くなったことだし。……あ、もちろんグレースの部屋にじゃないぞ?!客間だぞ?!まさか、よもや、そんなふしだらなことを君が考えるわけがないとは思うがね。な?レイモンド君。な?!」
「おっ、お父様っ!!止めてください!!」
何を言ってるのよ恥ずかしい。そして少しも笑ってない父の目が怖い。レイを何だと思っているのか。敵じゃあるまいし。
「い……、いえ、大丈夫です。今日はもう失礼させていただきますので。……グレース嬢、また学園で」
「えっ、ええ。ありがとう、レイモンド様」
さっきまでの甘い雰囲気はどこへやら。私たちは挙動不信に目を泳がせながら不自然な別れの挨拶をしたのだった。




