25. その夜の終わりに(※sideレイモンド)
目的を達した後、手早くアイスティーや小腹を満たす程度の菓子を手にすると、俺は急いでグレースの元へ向かった。あんな美人を長い時間一人にしておくわけにはいかない。本当は一瞬たりともそばを離れたくはなかったのだが、プレゼントをひそかに入手するためにやむを得なかったのだ。
ようやく彼女の姿が見えてきた。よかった。大人しく座って待ってくれている。
俺が安堵の息を漏らした、その時だった。
「まぁっ!ベイツ公爵令息様だわ!」
「っ?!」
(……げ。……クソ、こんな時に……)
声の主は学園の同級生でもあるご令嬢方だった。…四、五人はいる。その他侍女やら誰やら従えて随分大人数だ。
「あら、本当だわ!まぁ、偶然ですわねベイツ公爵令息様」
「ごきげんよう。うふふ、嬉しいわ、まさかここでお会いできるなんて!うふふふ」
「あら?まさか、今日はお一人ですの?まさかね」
「……ごきげんよう、お嬢様方。ああ、向こうにグレースを待たせているから、悪いけど……、」
「まぁっ!いいわねぇ婚約者同士、二人でデートですの?羨ましいわぁ。私の彼なんて、今日はどうしても仕事を休めないからって……」
「私の婚約者なんか誘ってもくれませんでしたのよ?どう思います?ひどいでしょ?だからこうして女同士で遊びに来たんですの。ねぇ?」
「ええ!こんな日に屋敷に引きこもっていたら気が滅入ってしまうわ!……うふふ、それにしても、今日もとっても素敵ですわ、レイモンド様」
「本当ねぇ!こんな人混みでもすぐに分かっちゃったわ!うふふふふ」
ああ、何で女性が数人集まるとこうもやかましくなるのだろうか。口を挟む隙さえない。適当に挨拶を済ませて一刻も早くグレースの元へ戻りたいのに……。おい、喋りながら道を塞ぐな。何で俺を取り囲むんだ。包囲網かよ。
「私の今日のドレス、どう思います?ベイツ公爵令息様。リリアがケチをつけるのよ。グリーンは私に似合わないって!」
「あら、ひどいわ。そんなこと言ってないじゃないの。レイモンド様の前で私を意地悪のように言わないでよ。あなたにはもっと明るい色が似合うのよって教えてあげたんじゃないの」
「私はこれ、新しいドレスですのよ」
「私もわざわざ母に頼んで作ってもらったのよ!今日のために!それなのに、彼ったら誘ってもくれないなんて……!」
「はは、皆とても綺麗だよ。制服姿ばかり見慣れているから、尚更新鮮だ。目の保養だよ」
「「「「やぁだぁ~!うふふふふふふ」」」」
これを締めの言葉としてさっさと退散しようとグレースの方をチラリと見ると、
(……っ?!!)
「じゃあ!悪いけど、これで失礼する。また学園で」
「あっ、レイモンド様~!」
俺は前を塞いでいるご令嬢方の間を強引に通り抜け、超高速でグレースの元に駆けつけた。
(ちょっと目を離した隙にこれだ……!!)
クソど厚かましくも、俺のグレースの隣に陣取って、格好つけた様子で座り話しかけている男の姿があったのだ。跳び蹴りくらわせてやろうかこいつ。
「……この世のものとも思えぬ美女が、こんなところで一人で。危険ですよ、あまりにも。ほら、大勢の男があなたのことを見ているでしょう?」
「……ひ、人を待っていますので。大丈夫です。お気になさらず」
チッ。歯の浮くような口説き文句を。忌々しい。とっとと消え失せろ。
「失礼、その美女は俺の大切な婚約者だ。悪いが、さっさと離れてもらえるか」
ようやくベンチに辿り着いた俺は、怒りに任せて男を睨みつけた。すると男はビクッと怯み、あっさり退散したのだった。
「……遅いわよ。あなたが女の子たちに愛想を振りまいてるせいで絡まれちゃったじゃないの」
せっかく機嫌が直ったはずのグレースが、また怒ってしまった。俺のせいだ。
「……悪かった。知っているご令嬢たちに声をかけられたものだから、あまり無下にするのもよくないかと思って……。怖かっただろう?本当にごめん」
さすがの俺も素直に謝る。許してくれ。もう一秒たりともお前のそばから離れないから。
アイスティーを渡し、買ってきた菓子を口元に持っていってやるとそのうちグレースの機嫌も直ってきた。可愛い。
日が沈み、美しい灯りたちに囲まれながら、手を繋いで音楽を聴く。……いい雰囲気だ。グレースは舞台上の歌劇に夢中になっている。
……もしも今、俺がここで「お前が好きだ」と言ったら、グレースはどうするだろうか。どんな反応をするのだろう。
こうして手を繋げば、大人しく身を任せてくれる。だがそれは、今日が特別な日だからだ。はぐれないように、危険な目に遭わないように。彼女にとっては、親が子どもの手を繋いでいるのとさほど変わらない感覚だろう。
そうではないのだと伝えたい。俺はずっと、お前のことだけが好きなのだと。グレース、お前はやっぱりまだオリバー殿下じゃないとダメなのか……?こんなにすぐそばに、お前に夢中になっているこんないい男がいるんだぞ。……そろそろ目を向けてみたらどうだ?
そう言ってみようか。今夜のこの、甘い雰囲気に身を任せて。
(……だけどあまりにも勝算がないよなぁ……)
食事をしながらグレースの楽しそうな顔を満喫し、名残惜しさをひた隠しにしながら屋敷の前まで送る。
「……今日はありがとう、レイ。楽しかったわ」
グレースは美しい笑顔で俺に最後のご褒美をくれる。帰したくない。このままずっとそばにいられたら。
「……っ、……、」
さぁ、渡せ。あれを。グレース、これは今日の日の記念だ、と。そしてせめてこの気持ちを少しでも伝えたい……、のだが、簡単には言葉が出ない。相手はグレースだ。他の女たちとはワケが違う。せっかく楽しそうに一日を終えようとしているところに俺が余計なことを言って、台無しにしてしまうことにならないだろうか。そもそも、俺の気持ちを聞いて迷惑そうにされたら、……俺は、立ち直れるのか……?
「……?」
ほら見ろ。グレースがきょとんとしている。何だこの間は。渡すなら渡す。帰すなら帰すでさっさとしろ俺。
「……?……どうしたの?」
「……っ、……いや、……何でもない。お休み、グレース。また学園でな」
「?……ええ。お休みなさい」
帰すんかい。
グレースの後ろ姿を見送りながら、頭の中の俺がガックリと崩れ落ちた。おい。じゃあ何で買ったんだよ!ペアのサファイアを!小さいものとはいえ、決して安くはないぞ。彼女のためだろ。喜ばせたいんじゃなかったのか。
勇気が出ない自分が情けなくて、溜息が漏れる。だけど気持ちを伝えようとするたびに、オリバー殿下を見つめるグレースのキラキラした瞳を思い出してしまうのだ。それに俺は入学式の時点で言ってしまっている。俺のことは気にせず、三年間自由に好きな男のことを思い続けていればいい、と。格好つけて。婚約者の余裕を見せたつもりだったのか。
玄関のドアを開けたグレースが振り返り、可愛らしく俺に手を振る。それに応えながら、まるで恋人同士みたいだな、と都合の良い錯覚をする。
ついにドアが閉まり、今夜が終わりを告げた。最後までグレースの姿をしっかりと目に焼き付けた俺は、再び溜息をつきながら馬車に戻った。




