2. 望まぬ政略結婚ね
無事に入学式が終わり、新入生たちはぞろぞろと自分たちの教室に移動を始めた。私もその中に交じってスタスタと歩いていく。
(レイとは違うクラスみたいね。とりあえずよかったわー。向こうもホッとしてることでしょう)
「あ、あの、グレース嬢……」
「……?あら、コーディ様。ご無沙汰してますわ。入学おめでとうございます」
おそるおそるといったかんじで声をかけられ振り向くと、見知った伯爵令息がいた。この方にも幼い頃から何度か会ったことがある。
「うん。君もおめでとう。これから同窓生としてよろしくね」
「ええ、こちらこそ!楽しみですわね、学園生活」
「うん。……それにしても、な、何というか、グレース嬢は本当に美しくなったね」
「え?」
「い、いや、子どもの頃からすっごく可愛かったけど……、なんていうか、もう近寄りがたいくらいにますます綺麗になっちゃって。早速皆の注目の的になっていたよ」
「えぇ?やだ、コーディ様ったら。まさか。ふふふふ」
突然歯の浮くようなお世辞を言われたと思って愛想笑いで返してみたけれど、伯爵令息の耳は真っ赤だ。
「ほっ!本当だよ。まさかこれほどまで……」
「グレース」
(……っ?!)
そこへ突然割って入るように、レイが声をかけてきた。まさか話しかけられるとは思っていなかった私は面喰らう。
「すまない、婚約者と話がしたいのだが、外してもらえるか」
「あ、ああ……、そ、それじゃあ、また」
「ごめんなさいね、コーディ様。また」
何だか納得いってない風の伯爵令息が去って行くと、レイは無表情で私を見下ろして言った。
「話がしたい。放課後少し時間をくれ」
「……ええ。分かったわ」
それだけ言うと彼はさっさと行ってしまった。その様子を見てレイの隣にいたアシェル・バーンズ侯爵令息が少し肩をすくめると私に目で挨拶をしてレイについていった。
(……仲が良いのね、あの二人)
私もとりあえずニコリとしておいた。
初日の放課後。私は婚約者に言われたとおりに大人しく彼の教室の外で待っていた。
「……。」
(……いやいやいや、さっさと出てきなさいよ。私を待たせて他のご令嬢方に愛想ばかり振りまいて、ちょっと失礼じゃない?)
教室の中にいるレイは私の存在に気付いているのかいないのか、彼の周りにわらわらと集まってキラキラした目で話しかけてきている可愛いご令嬢方に、優しげに応対している。
「……待たせて悪かったな」
「ええ」
いいえいいのよ、とは決して言わない私。こうして二人きりになっても用事がない限り、特に会話はない。レイになぜだか好かれていないことはこれまでの経験からもうよく分かっているし、無駄に話しかけて何度も冷たい態度をとられるのも面白くない。
「一応言っておこうと思ってな。お前も父上から聞いただろう。俺との婚約のことは」
「……ええ、もちろん」
「そのことなんだが、こうなった以上お前の意志で婚約を破棄することなどできまい。互いの家の結びつきのためにする結婚だからな。ならばそこはもう割り切るしかないだろう。俺たちは卒業後夫婦となる。だが今はまだ自由の身だ。もちろん婚約者としてそれなりに節度を保ってはもらいたいが、……お前の心まで今から縛り付けるつもりはない」
「……?何が言いたいのかしら」
さっぱり分からない。つまり何なの?
訝しげな顔をする私に向かって軽く笑うと、レイはあっさりと言った。
「つまり、どうせ互いに望まぬ政略結婚だ。結婚までは好きな男のことを自由に想い続けていればいい。俺はそれを言っておきたかったんだ」
「……好きな男って?」
「オリバー王太子殿下、とかな。昔から好きだっただろう、お前。だが、向こうにもご立派な婚約者がいることは忘れるなよ。あくまで気持ちだけだ。好きになる相手は自由ということだ。俺も結婚までは自由にさせてもらう」
「……あらそう。分かったわ」
……なーんだ。何よそれ。馬鹿らしい。つまり私ではなくて、他のご令嬢方と楽しい学園生活を過ごしたいから邪魔はするなよってことでしょ?はいはいはい。よく分かりましたよ。互いに不干渉ということね。
たしかに私は幼い頃からオリバー殿下に憧れてはいた。格好良くて紳士的で優しくて、笑顔がとても素敵だったから。だけどそれはあくまでただの憧れ。別に好きなわけじゃない。
だけどそれを言ったところで「だから何だ?」と冷めた目で言われそうなので、もう黙っておいた。
「それだけだ。まぁ、俺のことは気にせず三年間楽しく過ごしてくれ」
「……それはどうも。では、さよなら」
言われたことを淡々と受け止めたふりをして、私はレイの返事も聞かずにその場を離れた。
(……本当に他人行儀なんだから。なんでこんなに邪険にされるのかしら、私)
たとえ政略結婚だとしても、縁あってこうして婚約者になったんだから、できれば互いに尊重しあって仲睦まじくやっていけたらと思っていたのに……。
そう。私は心のどこかで期待していたのだ。婚約者になったことで、これまでよりもレイが私に心を開いてくれるようになるんじゃないかって。「これからは仲良くやっていこう。よろしくな、グレース」みたいな感じで再会の挨拶をしてくれるんじゃないかって。
だけど向こうには、そんな気持ちは全くないらしい。好きにやりたいと。私ではなく、他のご令嬢たちと。
(……まぁいいわ。それならそれで。こちらも気楽な三年間を過ごしましょ)
何とも言えない寂しさを覚えたけれど、それを認めてどんよりとした虚しい思いを抱えるのが嫌だった私は、その自分の気持ちにパタンと蓋をした。