19. 初恋と失恋(※sideレイモンド)
グレース・エイヴリーと初めて出会った日のことは、今でも鮮明に覚えている。俺にとっては運命の日だ。
5歳のその日。母に連れられ、俺は楽しくもない茶会に無理矢理参加させられた。嫌でたまらなかったが、グズると母が鬼のような顔をして怒るので渋々ついてきた。
そこで出会った。
俺と同じように、母親に手を引かれていた。母親同士が挨拶を始めた時、目の前のその美少女に俺は一目で心を奪われた。
真っ白で陶器のような美しい頬。パープルグレーのふわふわの艶やかな長い髪は白いリボンで結われ、少しつりあがった紫色の瞳は宝石のようだった。まるで美しい子猫が人間の姿になって現れたようだ。
(……か……かわいい……っ!)
思わず見とれていると、グレースは俺に向かってニッコリと微笑んだ。
(…………っ!!!)
幼い俺の心臓は、その微笑みにズキューン!と貫かれた。グレースの可愛い笑顔は、無垢な5歳が恋に落ちるのには充分すぎる破壊力だった。
だが俺は、恥ずかしさのあまりプイッと盛大にそっぽを向いた。同じようにニッコリと微笑み返すなんて芸当は出来ない5歳だったのだ。
しかしその瞬間、俺はすでに固く決意していた。
(おれは……っ、このことけっこんする!ぜったいにだ!けっこんする!!)
心臓はバックンバックンと飛び跳ね、頭の中では5歳のグレースがウェディングドレスを着てキャハハと飛び跳ね、俺に微笑んでいた。
「ねーぇ、私もあなたのことをレイって呼んでもいーい?あなたのおかあさまたちみたいに!」
ある日の茶会で再会した時、突然グレースからこう言われた。
俺は天にも昇る気持ちだった。レイ?!レイと呼んでくれると?!こっ、この可愛いグレースが……、俺を?
父や母や兄、大切な人たちからだけ呼ばれている自分のその呼び名を、グレースも呼んでくれると……?!
胸は高鳴り、喜びに溢れた。そして俺はその喜びをしっかりと噛みしめたまま、こう答えた。
「……べつに」
俺は恥ずかしがり屋で素直じゃない5歳児だったのだ。
子どもの頃から勉強や鍛錬ばかりさせられてきたベイツ公爵家の息子である俺にとっての最大の楽しみは、数ヶ月に一度グレースと会えることだった。
グレースこそが、俺の人生の喜びだった。
それはただの一時的な幼い恋心なんてものではなく、会えば会うほどに、心は彼女に強く惹かれていくばかりだった。
この頃、俺が自分のその想いを少しでもグレースの前で素直に出していれば、状況はどこかで変わったのかもしれない。
だが、この恋は本人に知られることのないままに、ひっそりと破れたのだった。
あれは6歳頃だっただろうか。王妃陛下主催の茶会だったのだろう。オリバー王太子殿下やセレスティア様もいたことは覚えている。王宮の中庭で、他にも何人もいた子どもたちと皆で一緒に遊んだ記憶も。当然そこにはグレースもいた。大人たちが歓談している横で、子どもたちも親睦を深めていた。
その時、グレースがふいにこう言ったのだ。
「あたし、大きくなったらオリバーでんかとけっこんしたいです!だってオリバーでんかはとっても優しいんだもの!だーいすき!」
「………………。」
ガッッッ……ビーーーーン……。
目の前が真っ暗になり、手足の力が抜け、頭の上に大きな岩がドゴーンと落ちてきた。それぐらいの衝撃だった。
そこら辺にいた同じ年頃の女児たちが皆一斉に、あたしもあたちもとオリバー殿下を取り囲みはじめた。そこは幼子たちの無邪気さ。独占欲やライバル意識など一切なく、皆でキャッキャとはしゃいでいる。その女児たちより少し大人な、ハーレム状態の8歳ぐらいのオリバー殿下もにこにこだ。殿下と同い年のセレスティア様も、隣でクスクスと笑っている。
「ははは。じゃあ皆で一緒に結婚しようか」
などと殿下が冗談を言い、女児たちはわーいと喜んでいる。
「ま、殿下ったら。ふふ……」
と、隣で微笑んでいるセレスティア様が殿下の婚約者として決まっていたことを、この時の俺はまだ知らなかった。
無愛想な自分が全くモテていないことは別にショックではなかった。俺はただただ、グレースの言葉があまりにも辛すぎたのだ。
ヒラヒラと飛んできた蝶を追いかけるふりをしながら、その場をスーッと離れた。
たくさんの花々の間を駆け抜けた。
王宮の建物の角を曲がった。
目についた大きな木の陰に隠れた。
「…………ひっ、……ぅ……、……うぅぅぅ~~っ、ぐえっ、ひぐっ、うっ……」
………………。
『あたし、大きくなったらオリバーでんかとけっこんしたいです!だってオリバーでんかはとっても優しいんだもの!だーいすき!』
「~~~~~~っ!ぐふっ、……うぅぅぅぅ~っ」
俺の不在に気付いた母親たちが狼狽えて探しに来たことに気付くと、俺はいつまでも溢れ続ける涙を必死で堪えながら、服の袖で目をゴシゴシとこすった。




