10. セレスティア様怖ぁ
トビー・ハイゼル侯爵令息は、二ヶ月間の停学処分となった。
審判の試合終了宣言があったにも関わらず、その後に明らかにレイに危害を加える気満々で頭上に大きく剣を振りかぶって斬りつけたというのに、本人は悪意を否定し続けたらしい。「興奮していて審判の声に気付かなかった」「剣術が苦手だから良い評価をもらえないだろうと焦っていた」「夢中でよく覚えていない。ベイツ公爵令息を傷付けるつもりは断じてなかった。絶対なかった」と意地でも言い張り、ハイゼル侯爵の謝罪もあって、退学処分は免れたようだ。レイが「別に大したことじゃない。競技中の事故だ」と面倒くさがって大事にしなかったおかげでもあると思う。そして学園敷地内の馬術練習場にある古くなってきていた厩舎が、ハイゼル侯爵家の寄付金によって突然新しいものに建て替えられはじめた。愚かな息子を持つと大変ですね。
とは言え、ハイゼル侯爵令息は曲がりなりにもオリバー殿下の側近的立場にあった人。武芸は苦手でも、成績はかなり優秀だった。なのにこんな馬鹿な真似をして、生徒会からは当然除名されてしまったし、オリバー殿下からも見放されたことだろう。もったいないことを。
あの日私がとった行動に対する反応は様々だった。
友人のロージー・カニング伯爵令嬢は、
「ビックリしちゃったわぁ~!ハイゼル侯爵令息に怒鳴ったあなた、すごく格好良くて素敵だったわよグレース!あんなに必死になるなんて……、やっぱり婚約者のベイツ公爵令息のことを本当に大事に思っているのね。素敵!」
ある令息からは、
「驚いたよ、グレース嬢。普段君たちはあまり仲良さげに見えなかったから、ドライな関係だと思っていたのに……。ちゃんと婚約者同士の絆ってあるんだね。僕、君のファンになってしまったよ」
レイの友人のアシェル・バーンズ侯爵令息からも、
「グレース嬢!すごいね君!あんなに大勢の前で、レイのために、あんな……。普段は物静かで冷静な美人って感じだったのに、意外と情熱的なんだね。いいなぁ~レイは。俺もグレース嬢に庇われたいなぁ~。怪我してグレース嬢にハンカチあててもらいたーい」
……などなど、こっちが恥ずかしくて消えてしまいたくなるほど好意的な目で見てくれる人たちもいれば、
「……すごかったわね、あの人。全然大した怪我でもなかったらしいのに……」
「あんなに取り乱して、みっともないわ。レイモンド様も可哀相。大袈裟にされちゃって、恥ずかしかったんじゃないかしら」
「レイモンド様の婚約者に相応しくない気がするわ、あの方って。ベイツ公爵令息のお相手ならば、もっと落ち着いて品のある方が……、……あ、」
「シーッ」
……と、廊下に集まっては露骨に陰口を叩くご令嬢方もいた。
そして、誰より私をげんなりさせたのは……、
「うふふふふふ。本当に、何度思い出してもすごかったわ~あの時のグレースさんっ!うっふふふふふ。どこからあんな大きな声が出ますの?うちはほら、貴族の娘が大きな声を出すのは本当にすごく品のないことだって、そう教えられてきたものだから、……ふふふっ、あんなの考えられないわ」
「……。」
「私がレイッ!!なんて叫んで人前で駆けだして婚約者に飛びついたりしたら、父にこっぴどく怒られちゃうわ。お前はクランドール公爵家の娘である自覚がないのかって。ふふふふふ」
「…………。」
生徒会室で黙々と書類のファイリングをしながら、私は心の中で深ぁ~い溜息をついた。ミランダ嬢は鬼の首をとったように、満面の笑みで私の真似をしながら揶揄してくる。もう分かったから。私をコケにするのが楽しくて仕方ないのは分かったから。口より手を動かしてくださらないかしら?
昨日もこんな調子だったけれど、レイがすぐさま「ミランダ嬢、もう勘弁してやってくれないか。グレースは婚約者として俺を心配してくれただけだ」とたしなめて、黙らせてくれた。それがますます気に入らなかったのだろう。残念ながら、今日はレイはまだ生徒会室に来ていない。奥の方でオリバー殿下とセレスティア様、そしてファーキンス伯爵令息とコープランド伯爵令息は今後の行事予定についての話をしている。つまり今、私とミランダ嬢は二人きりだ。二人で書類整理をしているところなのだ。
「前から言おうと思っていたんだけどね、あなた、あまり調子に乗らない方がいいわ。モテるつもりでいるのかもしれないけれど、そんなことないから」
「……は?」
何を言われても右から左へ受け流すつもりで黙々と書類を捌いていた私の耳は、聞き捨てならない言葉を拾ってしまった。
「……何ですって?何の話なの?」
武芸競技会でのことを揶揄われているはずだったのに、何だか全然関係ないことを言い出した気が。顔を上げてテーブルの向かい側に目をやると、ミランダ嬢は好戦的な目つきで言った。
「ご令息方に人気があると思ってそれを鼻にかけているようだけど、あなた別に大したことないって言ってるの。やれ美人だ綺麗だ言われてお高くとまってるけど、男の人ってね、誰にでもそういうこと言うのよ。そういうものなの」
「…………。」
……いやいや、何の話?鼻にかけてもないし、お高くとまってるつもりもないんだけど。そもそも自分がモテるなんて思ったこともない。いや、それ以前に、作詞披露会の時に取り巻きのご令嬢方にあんなにモテ自慢らしきものをしてウフウフ言っていたこの人にだけは、そんなこと言われたくないんだけどな。
「レイもね、たしかに素敵な人かもしれないけど、公爵家の息子でしょ。私の婚約者は隣国の第二王子。そしてあなたは侯爵家の娘。私は公爵令嬢。ふふ、私の方がだいぶ上よね、いろいろと。それにね、レイって私にすっごく優しいのよ。たぶんあなたのこと全然好きじゃないと思うわ」
「…………。」
私はいつの間にか、みっともなく口をあんぐり開けて、ミランダ嬢の顔を見つめていた。……何?それ。こんな分かりやすくて幼稚なマウンティングがある?何で私、この人にこんなに対抗意識燃やされてるの……?
あまりのくだらなさに、目の前のこの人が由緒正しきクランドール公爵家のご令嬢であることが信じられず、唖然とする私。一言も発さない私をどう思ったのか、ミランダ嬢はますます嬉しそうに語り続ける。
「まぁねぇ、レイと一緒になれるものならなってあげたいんだけど、私の婚約者はロゼルア王国のライオネル王子だから。今さら婚約破棄ってわけにもいかないわ。……ふふふふふ。それにしても……、レイが可哀相。そりゃ他の女性に目移りしたくもなるわよねぇ~。あんな、大勢の前で、ふふ、はしたなくも大声上げて飛びついてくる女性が自分の……、」
ドンッッ!!
「っ!!」
「ひっ!!」
突如大きな音と振動がして、私とミランダ嬢は飛び上がった。ビ、ビックリした……。
目の前に何冊もの分厚いファイルがどんっ!と積み重ねて置かれている。
そして、ミランダ嬢の隣に仁王立ちしているのは……セレスティア様だった。
「……聞こえていないとでも思っていたの?ミランダ。いい加減にしなさい。グレースさんはお高くとまってもないし、はしたなくもない。普段は侯爵令嬢として立派な振る舞いをし、そしてあの日は婚約者のことを心から心配していた。それだけのことよ。……お前の方が、よっ……ぽどみっともないわ」
「ひ……っ!」
「……っ!」
ヒュオォォォ……と凍てつく風が吹きすさぶほどの冷気をまとったセレスティア様が、この上なく恐ろしい目つきでミランダ嬢を見下ろしている。まるで、神話に出てくる妖術使いのような……。目を合わせたら発狂させられそうな威圧感がある。……怖い……。
「……あ……、ぁ……」
「謝りなさい」
「……ごっ、ごめんなさい、お姉様……っ」
「違う。私にじゃない」
「っ!!グッ!グレースさんっ、ごめんなさいっ!!違うの!悪気はないの!許して!私を許す?!許してくれるでしょ?!」
真っ白な顔のミランダ嬢は、ハッとして私に向き直ると、涙目で許しを請う。私はブンブンと首を縦に振った。
「え、ええ。はい。ええ。大丈夫」
許すも許さないも、こっちの心臓が凍りつきそうだ。
「……この資料、過去十年間の生徒会活動について年度毎にまとめてあるものよ。お前全く手が動いていないし暇そうだから、これを全部読んで勉強しなさい」
「……じゅ……、え?じゅうねん……、お、お姉さ……、」
「勉強、しなさい」
「はひっ」
「……。」
セレスティア様……怖ぁ……。
奥の方では三人の令息が、こちらを見ながらまばたきもせずに固まっている。
ガチャ……。
「すみません、遅くなりました。……?」
生徒会室のドアを開けて入ってきたレイは、ただならぬ空気に怪訝な顔をしていた。




