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黒猫




「珍しくちょっと遅いと思ったら、なにしてんの」


 最寄りのコンビニの帰り道、狭い路地を覗き込む深雪を見つけて輔は言った。

 しゃがんだ体勢のままこちらを振り返った深雪は、妙に緊張した表情で輔を見上げてきた。


「ご、ごめんなさい……。えっと……」

「別に謝らなくていいって。なんか知られたくないこと?」


「そういうわけじゃないんですけど……」


 言いながら、おずおずと深雪が立ち上がって横に逸れる。

 そこにいたのは、黒く小さい毛むくじゃらの生き物だった。


「猫? まだ生きてんの、それ」


 輔は怪訝な表情で聞く。その猫らしいシルエットの生き物は毛並みこそ綺麗で外傷は見られないものの、明らかに元気がなく地面に伏せて動かない。


 半分諦めた目で猫を眺める輔に、深雪が抗議の声を上げる。


「生きてますよ……! でも、病気なのかお腹が空いてるのか、ほとんど動かなくて……」


「なら、ほっといたら死ぬだろうな」


 輔が深刻な口調で呟くと、黒猫が目を細く開け、ごく小さな声でミィ、と鳴いた。身体の大きさからも分かる通り、まだ子供なのだろう。だが、周囲に母猫は見当たらない。


 深雪の方を見ると、深雪は俯いて自分の手首を握りしめていた。


「……。そうですね」


 その視線の先はずっと黒猫の方を向いている。助けを求めるように黒猫はもう一度鳴いた。次いで小さく息を呑む音が聞こえたが、敢えて輔は踵を返して冷たく言った。


「何も言いたいことがないなら、俺はこのまま帰るけど」


「……はい」


 喉から絞り出すように深雪が告げる。唇を噛むその顔は蒼白だった。


「ほんとにないの?」


 見るからに後ろ髪を引かれている深雪に輔は半眼で再度問いかけ、答えを待つ。これまでの経験からか、輔への遠慮からか、深雪が本音を出せないでいるのは知っていた。


 そのうえで、更に追い込むような手法で本音を聞き出そうとする。

 それはおそらく正しい方法ではないが、意地の悪い方法しか、彼女の本心を引き出す術を輔は知らない。


「…………えっと」

「……言いたいことは何となくわかるけど、そんなに言いづらい?」


「言いづらい、というか……」


 視線を散らしながら、深雪は歯切れ悪くぼそぼそと呟く。


 だが、やがて決心がついたのか、深呼吸を一つしたのち、本音を口にした。


「……この猫ちゃん、連れて帰っても」

「そう」


 深雪が言い終わる前に輔は動いていた。ビールとつまみの入った買い物袋を深雪に押しつけ、地に伏せたままの黒猫をなるべく注意深く抱き上げる。

 最近にも似たようなことをした気になって思い出すと、目の前の少女を抱きかかえて部屋に連れ帰った時のことだった。


 我ながら変な縁がある、と輔は辟易する。

 いや、今回の場合は深雪に縁があったのか。


「え、あ……」


 小さく息を呑む深雪。その様子を横目に流しながら輔は路地から出る。


「それ持ってきて。一旦家帰って荷物置いて、それから警察と動物病院行くから」


「いいんですか?」

「もうすでに一人拾ってるんだ。最悪一匹増えたところで変わらねえよ」


「あ……。ありがとうございます」

「つーか──いや、後でいいや。話があること、病院終わるまで覚えといて」




     ◆




 宣言通り、警察で捜索願の届け出がないか確認し、拾得物の書類を書いた。

 今のところそれらしい届け出はないらしく、人に慣れていることを伝えると、捨て猫かもしれないと言われ、その場は終わった。


 警察へは深雪は同行したがらなかったため、家に置いてきた。何かしら思うところがあるのだろうと思い、それについては輔も何も言及しなかった。


 その後、深雪を家に迎えに行ってから動物病院に向かい、黒猫を預けて検査やノミの除去などをしてもらった。一連の間、黒猫は一度も暴れることはなかった。


「お腹が空いて衰弱してたみたいですね。栄養失調や病気、怪我などではないので、ちゃんとご飯を食べていればじきに元気になりますよ」


 おじいちゃんらしい莞爾とした笑みを浮かべ、年寄りの先生が鷹揚に頷く。


 輔の腕の中で寝息を立てる黒猫を見て、深雪は安堵の息を吐く。


 病院ではその他に、体重に合わせた餌の分量ややり方、飼う上で最低限必要なものなどを教えてもらい、初診料を含めたそこそこの病院代を払って動物病院を後にした。


「その子、なかなか起きませんね」


 帰りの道中、深雪が話しかけてきて、輔は歩きながら腕の中に視線を落とした。


「人慣れしてるし、誰かに抱えられて寝てたことがあったのかもな」


 深雪が少し困った表情で笑う。


「そうですね。さっき私が抱っこしようとしたときは、すぐにすり抜けられましたけど……」


 動物病院の帰りに、深雪が黒猫を抱き上げようとしたとき、黒猫が器用な身のこなしでその手をすり抜け、隣にいた輔の方へとすり寄ってきたことを思い出す。


 ややしゅんとしているあたり、そのときのことを気にしていたのかもしれない。


「別にそんときの気分だろ。気まぐれな生き物だし」


「……輔さんって、動物に好かれやすかったりしないですか?」


 じとっとした目で深雪に見られ、輔は目を眇めて夕方の眩しい空を仰ぐ。


「どうだろ。昔からあんま周りに動物飼ってるやつがいなかった」

「そうなんですか?」


「まあでも、野良猫には好かれやすかったと思う」


 野良猫には逃げられにくいし、時々ではあるが触らせてくれる猫もいる。

 調子に乗って触りすぎると爪で引っかかれるが、輔が近付いて一目散に逃げる猫は一握りだった。


「輔さん、優しいので。動物には分かるんじゃないでしょうか?」


 動物は心の優しい人に懐くって言いますし、と深雪が続ける。


「なに、藪から棒に人のこと褒めてきて。欲しいもんでもあんの?」

「ちが……」


「冗談。……それに、お人よしってわけじゃない。こいつだって飼う気はないし」


「……そうなんですか?」


「そもそもあのアパート、ペット禁止だからな。バレたら終わりだ」

「えっ」


「数日経って警察から連絡がなかったら、ネットかなんかで里親探して。それでも引き取り手がなかったら保護施設に送る。できてそんくらいだろうな」


 一瞬呆けた後、深雪がくすっと笑う。

 それからまた真面目な表情に戻り、落ち着いた声で告げた。


「やっぱり、優しいですよ」


「そうか」


「はい」


「そういえば……輔さん。病院が終わったら、話があるって──」


 一旦、話が途切れたところを見計らったのか深雪が切り出してきた。


「ああ……そういやそうだったか」


 頼んだのは輔だが、警察やら動物病院やらを行き来する間にすっかり忘れていた。深雪は律儀にも覚えていたらしい。

 忘れていたならそれはそれでよかったのだが。


 その時のことを脳裏に浮かべながら、輔は首を深雪の方に振り向け口を開く。


「深雪、お前しばらく遠慮するの厳禁な」


「遠慮……厳禁?」


 言われたことの意味が分からないのか、深雪が困惑の表情を浮かべる。


 確かに簡潔に伝えたつもりだが、その自覚はないのだろうかと輔は諦念を覚える。腕の中で気持ちよさそうに眠る黒猫の顎を指先で撫で、溜め息混じりに輔は告げる。


「分からない? こいつ拾った時も遠慮してただろ。変に気ぃ遣ってばっかりで、人の顔色窺って行動して。そういうのやめろって言ってんの」


 急なきつい物言いに面食らったのか、深雪が胸元に手を当てて俯く。


「……でも」


「でもじゃない。次、俺が遠慮されたと感じたら、こいつ元いた場所に置いてくるから」


「え……」


 輔が無表情に告げると、深雪は輔の顔を見つめてまごつく。


「わかった?」


 えっと、その……と迷って、結局深雪は控えめに頷くことを選んだ。

 そうさせたのは輔だが、自分のためではなく、ついさっき拾ったばかりの猫のために首を縦に振るのが何ともらしかった。


「…………」


 どうにも上手くいかなさを感じ、輔は眉根を寄せる。こんなやり方しかできない自分自身に嫌気が差すが、そんなことは今に始まったことじゃない。

 経験則に基づいたやり方をすぐに変えられないのは、輔も深雪も同じだ。


 深雪はまだ若い分、今後次第で変われる余地も多いだろうが。


「したいことがあるなら無理を承知で話せばいい。無理だってことは断るし、断らないときは、それがお前が気を遣うまでもない些細な事だってことだ」


「……わ、わかりました」


「ん。話したいことはそれだけだから」


 いつの間にか止まっていた足を動かし、帰路に就く。


「あの。しばらくって、いつまでですか?」

「俺がいいって言うまで」


 その言葉に悲観的な表情を浮かべる深雪を見て、輔は再度溜め息を吐いた。




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