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長い夢

ここから20話まで、輔の回想です。

読み飛ばしても最悪話は繋がります。




「──陽縁(ひより)は、俺といて楽しいの?」

 胡坐の上に開いていた文庫本を閉じ、溜め息混じりに輔は振り返った。


 ふと、気になって聞いたのが間違いだった。


 陽縁は、にまーっと擬音が聞こえてきそうなくらい頬を緩ませ、

「なになに、輔くん。そんなこと気にしてくれてたの? 心配しなくても──」


「……なにが楽しいの? って意味なんだけど」


 輔の言い継ぎに、陽縁はふふ、と笑って天井を仰いだ。

 それから、輔の肩に甘えるように顎を乗せてきて、ちらりと視線を向けてくる。


「楽しいよ。輔くんが本読んでるの見てるだけで」

「なにが」


「──まだ、ひみつ。いつか教えてあげるね」




 その時、耳元で囁かれた声に、答えを問うことはもうできない。




     ◇




 次の駅を知ろうと目を開けると、外では雨が降り始めていた。


 耳から外したイヤホンが微かに音漏れしていたことに気が付き、スマホを弄って曲を止めた。平静を装って周囲を流し見たが同じ車両内に他の人はいなかった。

 乗車駅では五、六人いた気がするが、皆途中駅のどこかで降りたのだろう。


 夕方五時半、土曜に田舎方面へと向けて走る単行列車だ。

 乗車する人が少ないのも頷けた。


 久々の遠出だった。昨日、好きな作家の書く小説が発売日されたのだが、地元の小さな書店では取り扱っていないと言われ、取り寄せるにも一週間はかかると言われたため、仕方なく遠乗りを決意したのだ。


 誰もいない事をいいことに四人掛けのボックスシートを足を伸ばして占有し、窓際に肘を付いて外を眺める。

 最寄り駅まではまだ六つ駅があるとはいえ、既に景色はビルや住宅街から、畑や緑の生い茂る木々の群れへと変わっていて、特段面白いものでもない。


 窓に付着したひと際大きな雨粒を目にして、肩掛け鞄の中を探って折り畳み傘を忘れていないことを再確認する。

 個人的な話だが、梅雨の時期だけは天気予報の視聴率が高い。今日は本を買いに行く予定だったため、尚のこと直前に降水確率を確認してから家を出た。


 ふと、手に滑らかな質感のものが降れ、輔はそれを鞄から引っ張り出す。


 書店の名前が書かれたブックカバーが掛けられた本。題は蒼昊、知らない単語だったため調べたところ、そうこうと読み、青空を意味する言葉らしい。

 今の天気と丁度真逆だった。


 手に取って読みたい衝動に駆られたが、無機質な車内アナウンスが流れたことで思い留まる。

 告げられた名前は降車駅から五つ離れた駅だったが、快速列車のため実質的には次の次だ。そう時間はかからない。なら、帰宅してからじっくり読めばいい。


 手持無沙汰になって、電車が駅に停止して誰も乗り込んでこないかホームを確認してから、輔は荷物を持って立ち上がると、ドアに近い席に座り直した。

 閉まるドアに関する注意勧告の後に電車が動き出す。


 いよいよすることもなくなり、窓の外、降雨と共に過ぎ行く景色に視線を戻す。

 さっきまでは畑ばかりで見通しがよかった景観に民家がちらほらと混ざり始め、駅が近づいていることを知る。

 行きに乗った電車が各駅停車だったこともあり、何となくこの辺りのことは覚えていた。速度を緩めることなく電車が走り、行きと逆方向にカーブする。


 輔は背もたれに慣性力を受け流すと、深く椅子に沈んだ状態で通り過ぎる駅のホームを眺めていた。やがて電車がホームを通過する、その瞬間。


 視界に飛び込んできた一枚絵のような情景に、輔は息を呑んだ。


「……な」


 息を呑んだ反動で、遅れて喉から声が漏れる。

 二度見しようとさっと後ろを振り返ったが、電車が速いうえ、シートに深く座り込んでいたこともあってそれは叶わなかった。


 瞼の裏にさっきの光景が焼き付いている。


 まるで映画のワンシーンを切り抜いたかのように、女が立っていた。

 雨の降り頻る中、傘も差さずに。

 すれ違いざまの一瞬、垣間見ただけなのに鮮明に焼き付いている。


「…………」


 輔はおもむろにシートから立ち上がると、扉の前に陣取った。

 運が良いのか悪いのか、電車は次の駅で停車した。輔は車掌に切符を手渡すと、鞄から取り出した折り畳み傘を差しながら電車を降り、流れるように駆け出した。


 何をやっているんだ、と理性が告げてくる。

 実際、馬鹿な真似をしているいうことは理解していた。

 ほとんど降りたこともない駅だ。道も分からないままとにかく線路沿いを走る。


 水溜りに突っ込んで靴下までぐしょ濡れになり、息も絶え絶えになりながら。ようやくさっき通り過ぎた駅の光景が見えてきて、そこに彼女の姿を発見した。


 丈の長いスカート、ベージュを基調とした落ち着いた色合いの服装。

 歳は輔と同じ、二十歳前後くらいだろうか。ボブカットが雨で顔に張り付いて分かりにくいが、大きな目を縁取る長い睫毛、筋の通った鼻梁に慎ましげな唇。


 ごく一般的に見てかわいい、あるいはきれいと称されるような顔立ちだった。

 そんな彼女は、駅のホームからただじっと線路を見下ろしている。


「……なにやってんの?」


 自問している気分になりながら、輔は雨ざらしの彼女に問い掛ける。


「んー、なにしてるように見える?」


 線路から目を離した女は輔の姿を認めると、質問で返してくる。

 輔は傘から顔を覗かせ、訝しげな視線を女に向けた。


「今にも飛び込もうって顔してるけど」


 雨に濡れたからというのもあるだろうが、彼女の頬は、唇は白く血の気がない。おおよそ生気が抜け切ったような顔をしていた。


「……そんな顔、してたかー」

 軽いいたずらがばれた子供のように無邪気に笑って、女はひとつ頷いた。


「今日はやめとこっかな。ありがとね、止めてくれて」


 女は黄色い線の内側まで後退ると、胸を撫でおろすように長い息を吐く。


「…………」


 輔が沈黙したまま女の動向を見守っていると、女は輔の頭の上に視線をやった。


「良いの持ってるじゃん、君。……もしかして、今時間あったりする?」


「……暇じゃなかったら話しかけてないけど」

 何と答えたものか迷った挙句、輔は正直に答える。


「そっかそっか。私、陽縁(ひより)っていうんだ。そこまで怪しい者でもないんだけど……良かったら傘、入れてってくれない? 持ってこなかったんだ」


「…………」


 怪しくない者は自分を怪しくないとは言わない。

 そもそもずぶ濡れの状態で今更何を、と思うが、よく考えれば輔自身も足は川に浸かったみたいに濡れ切っていた。唯一、鞄内の本だけが傘を必要としている。


「鞄だけ濡らさないならいい」


「……ありがとう。じゃ、帰り道付き合ってね」


 女──陽縁は輔の言葉を「濡れたままあまり近づくな」という意味に曲解したのか、傘から半分以上はみ出た状態で傘下に入る。

 それから「あっちだよ」と行く先を指さした。






「ちょっと散らかってるけど、気にしないでね」

 そう言って陽縁は、輔を部屋に招き入れた。


 家まで送り届けた時点で帰ろうとしたのだが、「お礼したいからちょっと待って!」とずぶ濡れのまま腕にしがみつかれて、渋々了承したのだ。


 陽縁は輔を自室に残し、着替えてくるから待ってて、と脱衣所に消えて行った。


 陽縁の部屋は自分で言うだけあって、散らかっていた。

 それも、彼女の言った、ちょっとなどという尺度では表せないほどにだ。


 足元には脱いだままの服や靴下、何かを食べたあとがある食器。

 ごみの入ったレジ袋。

 部屋の三分の一を占めるベッド。大小さまざまな収納に、ハンガーラック、参考書の開かれた勉強机、テレビと台。カラーボックスの中にはかわいらしいぬいぐるみや小物が詰め込まれている。部屋の広さの割にやたらと物が多い。


 そして、背の高い二つの本棚。

 中に並んでいるのはほとんどが純文学か大衆小説だった。

 有名な著者のものから、輔も知らない著者の本まで、様々な作品が作者名順に綺麗に並べられている。そこだけは、まるで図書館の本棚のようだった。


「君も本読むの? よかったらあげようか? もういらなくなっちゃったし」


 本棚を眺めていると、服を着替えて部屋に入ってきた陽縁が、そんなことを言ってくる。白いTシャツにショートパンツと、さっきまでの清楚そうな出で立ちと打って変わって随分とラフな格好だった。


 露出の多い格好に、ほかに目のやり場を失い、輔は陽縁と目を合わせる。

 着替えて体温が戻ったからか、陽縁の顔色は少し良くなっていた。


「別に、興味本位。……ってか、いらなくなったなら売ればいいだろ」


「んー、でもお金ももういらないし。貯金はちょっと残ってるけど。……それも君にあげようか? 今日のお礼ってことで。先着一名様限定だよ?」


 思い付きのように告げる陽縁の声には、冗談ではなく本当にそう考えていそうな──つまりは、自棄的な感情が滲んでいた。


 輔は眉をひそめると、


「あんた、なんで死のうとしてたの」


 面と向かってそう聞いた。


 陽縁は聞かれることを想定していたのか、その表情に変化はなかった。諦めているような、疲れ切ったような眼で、輔の目の奥を見つめて口を開いた。


「それを君に教えて、何か意味がある?」

 鼻先でふっと笑いながら、陽縁は首を傾げた。


 言いたくない、と拒絶されているわけではないと感じた。

 陽縁の言葉に嘘や含みは一切感じられなかった。本当に、教えることに何の意味があるのかと知りたがっている、ただそれだけの言葉だ。


 輔は言葉を詰まらせ、質問の角度を変える。


「……じゃあ、質問変えるけど。これからまた、死のうと思うの?」


 これも、はぐらかされることを念頭に置いた問いだった。

 しかし今度は何かしらの意味を見出されたのか、陽縁はすんなりと答えた。


「うん。きっとまた、そうすると思う。……一過性の気分ほど、強い感情ってないから。って言っても、これまで何度も失敗してきたんだけどね」


 こう見えて怖がりだから、と陽縁は自嘲気味に言って目を伏せる。


「それは困るな」


 輔が渋面を作り呟くと、陽縁は驚いたように目を見張って、それから皮肉っぽく頬壁を作った。


「見ず知らずの人が死んで困るの? 君、優しいね」


「寝覚めが悪い」


 輔がばっさり切って捨てると、陽縁は「そっか、そうだよね」と呟いた。

 それから頭を捻って小さく唸り、しばらくして決意を固めたように手を叩く。


「決ーめた」


「……なにを?」

 嫌な予感がして、即座に聞き返す。


「君は、私が死んだら嫌なんだよね?」

「…………」


 輔は無言を貫く。それを是と捉えたのか、陽縁はいたずらっぽく告げた。




「……じゃあ、君が私の生きる理由になってくれない?」





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